偽善者について
人間って偽善する生き物だと思います。
利他的な行動をする時、心の底で自分にメリットがあるからこそ偽善をするのにそれに対して素直に感動する人間がいますが気持ち悪いと思いませんか?
補足あってますよ。人間の幸せは不幸の上に成り立っていますよね?誰かが幸せになれば不幸になる人間がいる。
全員がそうなのかわかりませんが、例えば虐待だって多くの人間が見て見ぬ振りするくせに可哀相だとか糞みたいな同情しかしませんよね?
多くの人間は偽善者だと断言できますよ。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10111239105
人間はみんな善人で、何者かに操られているのでは?
8.18 何もしないよりは、悪いことでもしたほうがましでしょうか。
何の役にも立たない人間より、社会に悪影響を与えている人間の方がましでしょうか。
後者がましと思う方は、何もしないよりは何かした方が魂の成長につながるからなどの理由でしょうか、
鋭いご意見ですね。 何もしないよりは このような状態があるでしょうか。 生きている限り、生きるために いろいろ既にされているのではないでしょうか。 迷っていて 1歩が出ないというのは、大事な事を考えていることにはならないでしょうか。 何の役にも立たない人間 本当にあり得るでしょうか。 生きている限り 消費活動もされているし、人に影響を与えているのではないでしょうか。 世に無駄など、意味のないものは何もないと誰かが言っていました、気になります。 さて、結論の方ですが、一面の真理を表していて、大いに考えさせられますね。 世には正ばかりではなく、負も必要であり、それで、成り立っていると考えると なるほどという面があります。社会に悪影響を与えている これの位置づけが難しいですね。 何もしないよりは何かした方は、もっと良いという見解が取れますね。
再生核研究所声明175(2014.8.8) 人間の擁く 大きな虚像
どのレべルで人間を捉えるかで、表現の基調は自ずから変わるが、湧いた直観で成文化してみたい。
虚像だから、実状、実体でない架空の像、イメージ、誤解、思い込みなどである。
そもそも人間は 本来、多くは運命づけられ、何者かによって、作られ、操られているのにその実体を知らず、気づかず、好きなように相当に自由に自分で生きている、行動していると思っている。 そのことが、そもそも虚像の最たるものである。我々のやりたいこと、行動の殆どが 生物繁茂の原則に従う、本能原理から出てきていて、自分のこととは、実は自分のためではなく、いわば遺伝子の乗り物の役割りを果たすための要請に従っていると言える。 人間はそのためのシモベのような存在であるとも言える。大事な、恋、育児、それらの愛は この原理の最たるもので、遺伝子の健全な移転現象に操られている人間の基本的な在りようである。食欲も本能の基本であるが、生体が維持できなければ、遺伝子の存在さえ危うい。生存の原理。
人間を上手く、支配する原理として、死を嫌がる、畏れさせる精神を備わせたのは当然である。 死を良きものとしては、生命は保持できず、遺伝子は、最も困る状況に追い込まれるからである。人間が少し賢くなれば、この虚像を見破り、死こそ、生命の解放であり、これ幸いと悟りの心境に至るだろう。 死の恐怖、忌み嫌う心情は備えられた、大きな人間の虚像である。
世間では、多くは 名誉は大事だと考えられている、死後のことでも名誉に拘わるは世に多く、また人生の大きな要素にもなっている。しかしながら、それらは何か とよくよく考えて見ると、多くは虚像で、殆ど意味のないものである実体を知るであろう。あまりに愚かに進むと浅ましさというより、憐みさえ感じてしまうだろう。虚栄心など さらに虚像である。勝ち負けの情念や闘争心、優劣観など、たわいもない空しい虚像である。ドラマ、ニュース、多くの情報さえ、虚像の虚像と言える。
多く描く目標や幸福な状況の想像的な世界は 多くは虚像であり、 到達したり、叶えたりするとやがて空しく感じられ、さらに先に虚像が出来て、どんどん変わって行くことを知るだろう。人間の心は絶えず変化して、喜びや感情さえ変化していく。まるで、霧の中の存在のように見える。
このような世界観は、達観や超越的な生き方を暗示しているが(
再生核研究所声明19 (2008/09/14): 超越への道、悟りへの道;
再生核研究所声明 63(2011.05.25) : 解脱; 神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得;
再生核研究所声明85(2012.4.24): 食欲から人間を考える ― 飽きること;
再生核研究所声明86(2012.4.25): 未だ おめでたい人類 - 先史時代;
再生核研究所声明 118 (2013.5.16): 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ―
再生核研究所声明 145(2013.12.14) 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察;
再生核研究所声明149(2014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの;
再生核研究所声明155 (2014.4.25) 生きる意味は 文学者にも分からない??;
再生核研究所声明158(2014.5.22) 生命と人生
)、
一段と高い視点で人生、世界を観る意味で良いのではないだろうか。
しかしながら、上記虚像とは、火の無いところに煙が立たない の喩の通り、裏には、核には、実は なにか実があり、本質的なものもあるとも言える。 また、人間は所詮 造物主 には逆らうことはできない。
人間とは、何者か? 人間として生きる意味は何か? と問う。
以 上
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