2014年8月26日火曜日

幼稚園で起きた子供の怪我について。

幼稚園で起きた子供の怪我について。
幼稚園でプール遊びをしていた際、息子がプールの滑り台を滑っている時に横でビニールプールで遊んでいたお友達のおもちゃ(プラスチック製のぞうさんのじょうろ)にぶつかり
目の上を一針縫うけがをしました。
2か月がたちますが、傷がはっきり残ってしまっています。
無傷無病で幼稚園生活を過ごせるわけではないのは理解しています。
ただ、今回の件については本人の不注意で怪我をしたわけではないので、
傷跡を見るたびになんだかもやもやした気持ちになっています。
誰にも責任を追及できないので運が悪かったとあきらめるしかないのでしょうか?
幼稚園の保育時間帯に起こったことなので、幼稚園にて治療費は負担するとのことでしたが、乳児医療書がある為ほとんど治療費はありませんでした。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12134664027

社会も生物界も複雑 そのような事故は責任を問うのではなく、不運だと受け入れるのが 良いのではないでしょうか。
人生も、社会もそのようなものだと考えて、乗り越えて行きたい。
大きく成りたい。 
ただ、スチック製のぞうさんのじょうろ
のプールへの持ち込みは 議論の余地が有るのでは?
再生核研究所声明 1 (2007/01/27):美しい社会はどうしたらできるか、 美しい社会とは:
最近の世相として,不景気・政界・財界・官界・大学の不振,教育の混迷,さらにニューヨークのテロ事件,アフガン紛争,パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか.一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが,如何でしょうか.
平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました.
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.
3) それはみんなに受け入れられるか. 
4) それは安定的に実現可能か.
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる.
現在,社会の規範が混乱し,不透明になっているように思うが,公正の原則を確認して,行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり,多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか.
また,こういうことを考える教育は,人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし,環境の保全などにも貢献すると思います.
特に少年期の教育にあっては哲学(ものごとの本質と人生,世界を考えること),道徳,芸術,体育などを中心とする人間を育てる教育に改めるべきではないでしょうか.国や隣人を愛せるようになる教育,多様性を重視し,個性や隠れた才能を伸ばし,友情を育み,人々が助け合うようになるような教育が望まれます.

0 件のコメント:

コメントを投稿