日本の捕鯨やイルカ漁について
まったくの無知でご教示頂きたいのですが、近年、日本の捕鯨やイルカ漁への海外からのバッシングが強まるばかりです。
海外の顧客が多い為、仕事以外でプライベートな話題になるとこの件がよく言われ、日本人は残虐な民族なのか、肉を食べろと冗談交じりで言われます。
捕鯨は太古の昔から行われており、獣を食するのは宗教的に問題があり唯一のタンパク源がクジラでした。確かに今はクジラを食さなくても、色々な食品からタンパク質をとることができます。では、何故、世界の反対にあいながらも捕鯨を続けるのでしょうか?一方で、日本が捕獲しているクジラは絶滅危惧種でもなく、また全ての鯨を保護すれば、鯨が食べる小魚の量は膨大なため、今度はこれらの小魚が鯨によって絶滅危惧種になってしまうような気がします。
イルカ漁も年間の捕獲数が定められており、カナダや北欧でも行われていますが、日本だけ映画化され、世界中からバッシングされています。イルカの愛護をそんなにうたうのであれば何故海外の水族館にイルカがいるのでしょうか?
絶滅危惧種であれば当然捕獲をやめるべきでありますが、あまりにも他国の伝統文化に批判をしすぎると思います。
特定の個体よりも、地球規模の環境保護・自然保護を考えるべきだと思います。何故、二酸化炭素の排出量の最大国であるアメリカや中国は、京都議定書で賛同しないのか。これだけ地球が温暖化で世界中で異常気象が起こり、生態系の崩壊、氷河なども激減し多くの北極熊などは溺死をしている。その時の環境に適した野生動物しか生存できない状況である。
そのような中カナダで新たな石油資源の発掘の為、広大な森林が伐採され野生動物が住家を失われている。
特定の個体だけに論点を絞るのではなく、世界が地球規模の環境保護対策をしなければ解決できない問題なのではないでしょうか?特に、アメリカ・中国は積極的に取り組むべきではないでしょうか?
そして日本は何故、捕鯨やイルカ漁を続けるのでしょうか?仮にすべての鯨を保護した場合、小魚が激減する危惧はないのでしょうか?
何分、無知なためご教示頂ければ幸いです。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13134716938
存念は良く分ります。
基本は生態系、環境の保全、出来れば、みんな気持ち良くですね。
クジラ、イルカに 特別に愛着を擁く、 国や文化を持つ人達が多いことにも 注意する必要があります。
例えば、犬や猫を食するとなれば、 多くの日本人は嫌な気持ちがするのと同じですね。
それから、遠くから来て、どうして、嫌がることをするのか、という心情が有りますので、 一定の配慮は必要では。
保護しすぎて、害が出れば、理解を求める 努力も必要では?
「鯨が増えすぎて人間が食べる小魚が減る」に対して疑問
捕鯨問題で、鯨が増えすぎて小魚を食べ過ぎてしまい、人間が獲れる分が減っている、という意見をよく目にします。
しかし、この主張についてよく考えてみると、いくつか疑問が出てきました。
まず、鯨が増えすぎているというのは何を基準にして「増えすぎている」と結論づけているのですか?鯨は大昔からいたわけで、
人間が商業捕鯨を始める以前には今よりももっと沢山の鯨が海に生息していたはずです。鯨が闇雲に小魚を食べるなら、
人間という敵がいなかった頃に、すでに鯨によって小魚が食べつくされていなければおかしいですよね?そうならなかったのは、
自然界においては、捕食動物と、非捕食動物は、ある程度均衡しているからだと思います。
それならば、「鯨に小魚が食べつくされるから鯨を獲るべき」という論法は完全に間違いで、人間のせいで小魚が減ることは
あっても、鯨のせいで小魚が減ることは無いと考えるのが正当だと思います。おそらく近年の漁獲量の減少は、人間による
乱獲や地球温暖化などの環境変化、水質汚染などの環境荒廃の影響と考えるべきではないですか?
補足
鯨の間引きが必要と考えている方に補足質問です
人間の漁獲量に影響を与えないようにするには、いったい何頭の鯨を間引いたらよいとお考えですか。
また鯨だけ間引くのでなく小魚を餌にする他の生物も間引かないことには全く意味がないのではないでしょうか。
1000頭の鯨を減らして、それで単純に人間の漁獲量が増えると考えられるほど、生態系は単純なものではないと思うのですが。
イルカ漁等に対する和歌山県の見解(項目追記)
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1.米映画『ザ・コーヴ』についてどのように考えるか
映画『ザ・コーヴ』は、イルカ愛護の視点から描かれた作品で、世界には捕鯨やイルカ漁が行われている国や地域があり、これらの国や地域において、共通する地理的条件、歴史、経済、文化等があるにもかかわらず、ドキュメンタリー映画として、これらのことには何一つ触れられていません。
現在、世界人口のかなりの割合が肉を食していますが、そのためには、例えば、大切に育てた家畜の命を絶たねばなりません。その際、その命を奪う行為としてと畜を行います。
動物のと畜は通常、人目に触れないよう配慮されていますが、映画『ザ・コーヴ』は、こういった配慮に反してイルカの捕殺現場を隠し撮りし、命が奪われていく所をセンセーショナルに映し出しています。 そんな隠し撮りを悪びれることもなく、むしろそのテクニックを誇らしげにストーリーに組み込んでいます。
さらに、「イルカ肉には2,000ppmの水銀が含まれている。」など実際とはかけ離れた数値をもって、イルカ肉が汚染されていることを誇張した内容となっています。その他、「水銀汚染を隠すためにイルカの肉を鯨肉として販売している。」、「イルカが食肉となってることを人々が知らないのは、マスコミがもみ消している。」、「捕鯨やイルカ漁をやめないのは、日本の古典的帝国主義にある。」など事実を歪曲した内容も含まれています。撮影の方法、内容ともに問題のある許し難いものであります。
太地町のイルカ漁は、これまでも何度となく、海外からやって来る過激な動物愛護団体のターゲットとなり、漁業の妨害や精神的な攻撃を繰り返し受けてきました。国・県の監督のもと、法令規則を守り、昔から受け継がれてきた漁業を営んでいるだけであり、何ら批判されるものではありません。
この映画のように、一方的な価値観や間違った情報で批判することは、長いあいだ太地町でイルカ漁にたずさわってきた人たちの生活権を脅かし、町の歴史や誇りを傷つける不当な行為であり、決して許されることではありません。
2.なぜ、和歌山県はイルカ漁の許可をしているのか
和歌山県では、イルカ漁を地域文化の伝承と科学的な根拠に基づく資源の管理と利用の考えから、紀南地方の重要な漁業の一つとして位置づけています。
本県の太地町は、紀伊半島の東海岸に位置する人口約3,500人の小さな町です。経済活動の中心から遠く離れてはいますが、捕鯨発祥の地として約400年の歴史があり、鯨やイルカを捕って生き、栄えてきた町であります。
鯨やイルカなどの鯨肉の食文化や、鯨漁に関する伝統行事などが色濃く残り、今でもイルカ漁は地域の人々が生きていくための産業として欠かすことのできないものとなっています。
もちろん、我々は、自然資源を人類の営みによって、過度にその生存を脅かすことがないように管理をしています。
イルカや鯨についても、適切な管理のもとに持続的に利用される海洋生物資源の一つとして位置づけられ、国が行っている科学的な調査に基づき、資源量が十分なイルカに限り、毎年種類ごとに捕獲頭数が定められています。
無秩序に捕獲することは、貴重な資源の減少や種の絶滅に繋がる恐れがあります。従って、イルカ漁については、科学的な資源量調査に基づき、資源保護上問題のない範囲で許可を行っているのです。
3. 欧米諸国は鯨類の保護のために捕鯨をやめた、なぜ日本は捕鯨を続けようとするのか
1960年代から、欧米諸国などの主要捕鯨国では、鯨類資源の減少に加え、採算の合わなくなった捕鯨産業から撤退しています。また、1972年の国連人間環境会議で10年間の商業捕鯨の停止が決定されるとともに、反捕鯨の立場で国際捕鯨委員会(IWC)に加入する国が増加し、鯨類資源に関する情報に不確実性があるという理由から、1982年のIWC会議において大型のひげ鯨等13種の商業捕鯨一時停止が採択され、欧米だけでなく、日本も1986年以降商業捕鯨を停止しています。
しかし、牛や豚などと違い、鯨類だけが特別であり、食料とするべきではないという考えは間違いです。日本と同じように捕鯨を生業とし、鯨肉を貴重なタンパク源としている国や地域もあります。
日本が行っている調査捕鯨は、「国際捕鯨取締条約」第8条に基づく調査です。その調査結果によると、ミンククジラなど資源が増えて、食料として利用可能な種類もあり、鯨類を持続的に利用するために資源量調査を行うなど、国際的な資源管理に協力しています。
なお、イルカなどの小型鯨類はIWCの管理対象外で、各国が自国の責任により管理することとなっており、日本でも捕獲対象となる種類ごとに科学的調査に基づき、資源に影響のない範囲の頭数を捕獲しています。
4.イルカを大量に惨殺し食料とするのは、伝統や文化ではないのではないか
日本は四方を海に囲まれた島国で、古来より海産物を重要なタンパク源として利用してきました。鯨やイルカもその一部で、縄文時代からの長きにわたり食べられてきたことが判明しています。
急峻な地形を有する和歌山県の紀南地方は耕作地に乏しく、沿岸に来遊する鯨やイルカを古くから食料としてきたことはごく自然なことであります。
日本では、捕獲した鯨類は、食料としてだけでなく、工芸品の材料など余すことなく利用しており、石油の利用が始まるまで、鯨油の採取のみを目的として捕鯨を行い、大量に鯨を殺しては、その大部分を海に捨ててきた一部の外国の捕鯨とは一線を画してきました。
捕鯨やイルカ漁は地理的に厳しい環境にある地域の重要な産業・文化であり、漁業者の生業であります。自然の恵みに感謝しながら、畏敬の念を持って供養祭を行うなどの習慣が今も続いています。 牧畜により大量の家畜を飼い、と畜し、食している人々も同じです。家畜の命を絶つことの罪を感じ、自然に感謝しながら食べています。
この営みを一方的に批判したり、不正確な情報で煽ったりすることは、価値観の一方的な押しつけに過ぎません。
5.日本は経済大国であり、鯨やイルカを食べなくても生きていけるのではないか
経済活動の中心から遠く離れた離島や半島、奥深い山村では、鯨やイルカ肉、その保存食が貴重なタンパク源とされてきました。
今なお、地元の伝統食として残っている地域が全国に散在し、また、その地域の出身者や小学校の給食で食べた思い出のある人々が、懐かしい味として買い求めています。
このようなことを、他の食べ物があるからと言って、「やめるべき」と言えるのでしょうか。
大量に流通、販売されているものではありませんが、現に需要があり、そしてそれに応えるため、イルカを捕獲して生活をしている漁業者がいます。
イルカ漁をやめろと言うのは、この漁業者たちに自分たちの生活を捨てよと言うのと同じです。このような権利は誰にもないと思います。
6.イルカ漁は、日本のイメージを下げ、国益を損なう
食文化や食習慣は、その地域の気候、地理的条件、歴史や宗教などにより形成されるものであり、相互尊重の精神が必要とされています。
例えば、宗教の中には、厳しい戒律により禁止されている食べものがあります。しかし、自分たちが食べないからと言って、信者以外がそれを食べていることを非難することはありません。
それは、どんなものを食文化として持っているかは、その国々の特徴であります。我々人類は、どの食文化が正しく、どの食文化が野蛮だなどという権利はないからです。
このような一方的な価値観や好みを押しつけようとする人々に屈しないことが、どうして日本のイメージを下げ、国益を損なうのでしょうか。
7.イルカは知的で人間に親しみのある動物、食べるなんてかわいそう
人は皆、生きるために生き物の命を奪っています。欧州の国などは狩猟の国で、陸上の動物を狩って生きてきました。現在では、牧畜が中心ですが、大切にかわいがって育てた家畜をと畜して、食料としています。
日本では、食事をするときに、犠牲となった様々な命に対して『いただきます』と言って手を合わせ、感謝の心を表現します。
イルカだけでなく、牛や豚などの家畜にも感情や知性があり、親しみも感じられます。また、生きているということでは私たちと何ら変わりない一つの命であります。しかし、肉を食べるために、私たちはどうしても家畜を殺さなければなりません。そのことを他人が一方的に「野蛮だ」と言って批判するでしょうか。
捕獲するイルカの種類や頭数の制限を厳守し、生活のためイルカ漁をしている人たちを責めることは、決して許されることではありません。
8.イルカ肉には高濃度の水銀が含まれており、食用に用いるべきではないのではないか
水銀は、広く自然界に存在する金属です。海洋にある水銀の一部は、微生物に吸収され、それをえさとする小魚から、小魚を食べる大型魚へと取り込まれていく食物連鎖により、大型の魚類やイルカ等の海洋ほ乳類に蓄積されていきます。食物連鎖の高位にあるイルカには、他の魚介類と比べて高い濃度で水銀が含まれていることが判明しております。
これらの水銀量は、急性中毒(食後数日以内に健康を損なうこと)を引き起こす量でないことは明らかですが、摂食を続けることによる、将来にわたる健康被害を起こす量は明らかになっていない部分があります。ただし、私たちの体に取り込まれた水銀は徐々に排泄され、通常の食生活を送る成人であれば健康への影響はないと推定されています。その証として、歴史的に見てもイルカを多く食べる太地町においても、水銀中毒の報告はありません。
しかし、水銀は胎盤を通過し、社会生活に支障があるような重篤なものではないものの胎児の神経系の発達に影響を及ぼす可能性があることから、国では平成17年11月に「妊婦への魚介類の摂取と水銀に関する注意事項について」を改正し、妊婦の耐容週間摂取量が体重1kgに対して2.0マイクログラム(1マイクログラムは100万分の1g)とされました。これは、バンドウイルカだと、1回80gとして妊婦は2ヶ月に1回食べられる量になります。
和歌山県は太地町など鯨類多食地域を含む県でありますので、各市町村役場で実施する母親学級(妊婦対象の保健指導)などでは、水銀濃度が高い魚介類のみを偏って多量に食べることを避けることや、併せてバランスのとれた魚介類の食べ方についての指導を行っています。
9.イルカ肉の摂取は第2の水俣病につながるのではないか
水俣病は工業廃水に含まれる高濃度の水銀にさらされた魚介類を繰り返し摂取したことによるものです。天然由来の水銀を含む魚介類は、水銀の耐容摂取量以下であれば食べ続けても支障はなく、水銀の耐容摂取量を超える魚介類であっても、体内に取り込まれた水銀は約70日で半量が徐々に排泄されるので、食べ方を工夫することにより食べることができます。
これまで、自然現象として蓄積した魚介類由来の水銀摂取が健康被害を起こしたという明確な事例は報告されていません。
現に、太地町では、昔から捕獲したイルカは他所にも出荷し収入を得ながら、自分たちも今よりもっと多量に食べていましたが、水銀中毒の話は出ていません。
10.イルカ肉が鯨肉と不正表示され販売されているのではないか
現時点において、イルカ肉の名称の不適正表示に関する情報は、県には寄せられていません。
具体的な情報を把握した場合は、国や市町村と連携して必要な調査等を実施し、不適正表示の事実を確認した際は、事業者に対し適正表示を徹底するようJAS法(農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律)に基づき指導を行うこととしています。
11. 太地町のイルカ捕獲方法は非人道的ではないか
太地町におけるイルカ追い込み漁は、以前は、映画「ザ・コーブ」で隠し撮りされたように、イルカを入江に追い込んだ後に、銛を用いて捕獲していました。
しかし、2008年12月以降は、イルカが苦痛を感じる時間を短くするために、デンマークのフェロー諸島で行われている方法に改められています。この方法では、と殺時間は1/30に短縮(10秒前後)され、イルカの傷口も小さく、出血も殆どなくなりました。
また、家畜の解体が人目に触れないように専門の施設内で実施されているのと同様に、2008年12月からは、太地漁港内に整備した専用の水産物荷捌き施設内で、捕獲したイルカを衛生的に解体するようになりました。
したがって、映画「ザ・コーヴ」などで批判されているようなイルカの取扱いは過去のものであり、現在行われている方法とは全く異なっています。
12.日本だけが捕鯨やイルカ漁を継続しているのではないか
クジラもイルカも鯨類ですが、一般的に成体が4mを超えるものをクジラ、4m以下のものをイルカと呼んでいます。
国際捕鯨委員会(IWC)は、大型のクジラの捕獲を規制対象としており、イルカや小型のクジラの捕獲については規制していません。
IWCが捕獲を規制している大型のクジラであっても、先住民の生存のための捕獲が許されており、2012年において、アメリカで69頭、ロシアで143頭、デンマークで167頭が捕獲されています。
ノルウェーとアイスランドは、IWCの規制に異議申し立てを行い、商業捕鯨を継続しており、2012年には、それぞれ464頭、52頭を捕獲しています。
これに対して、日本は、上記のような先住民生存捕獲も商業捕鯨も行っておらず、調査捕鯨のみを行っており、2012年漁期において424頭を捕獲しました。
一方、IWCが捕獲を規制していないイルカや小型のクジラは、資源が枯渇しないように各国の自主管理のもとで行われており、2010年には、デンマーク領グリーンランドで2,429頭、デンマーク・フェロー諸島で1,142頭が捕獲されています。
日本では、2011年において、3,283頭(2010年は6,577頭)を捕獲しています。うち、和歌山県では、1,218頭(2010年は1,557頭)のイルカや小型のクジラを捕獲しました。
このように世界の色々な地域で鯨類の捕獲が行われており、日本だけが行っているわけではありませんし、ましてや太地町だけが行っているわけではありません。http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/071500/iruka/
再生核研究所声明174(2014.8.7) 狼の輸入によって、生態系の維持を図れ
添付資料にも有るように、日本の森林が鹿の増大などで荒廃しているという。これは、人類生存の基本的な原理である生態系の維持の観点から、何万年と続いてきた生態系に人類が不遜にも過剰に自然に介入して、生態系のバランスを崩してきていると判断される。 誠に由々しき軽薄な行為として、反省させられる。生態系の全体的な維持、自然の尊重は心すべき、人間の在りようであると考える。
あらゆる生物は未だ、人知を超えた神秘的な存在であり、その未知の世界に対しては、畏敬の念をもって当たり、人類は慎ましい存在であるべきである。 人類は驕るべきではなく、自然状態の尊重を基本に当たるべきである。
山には、山の何万年も続いた秩序があり、数百年の人類の生活で、その計り知れない秩序の破壊は どのように大きな未知の影響をもたらすか、評価さえ難しいだろう。そこで、元の自然の状態への回帰は、賢明な在りようであると考える。狼は森の守り神のような存在で、狼の存在によって人間は森に対して、ある種の畏敬の念を抱いてきたのではないだろうか。人間の不遜な態度を戒めるためにも、狼の森への回帰は賢明な在りようではないだろうか。
困ったら、元に、困ったところに戻れ は 数学の研究の基本的な在りようであるが、困ったときには、自然の状態はどのようで有ったか と考えるのは、良い在りようではないだろうか。
人類が地球の生態系の中で、癌細胞のような存在になって、肥大化して、生態系と自然の破壊とと共に自滅したとならないように心したい。地球は人類だけのものではないことを 念を押して置きたい。次も参照:
再生核研究所声明 56(2011.04.06): アースデイ の理念
関係者の積極的な取り組みを提案したい。
以 上
参考資料:
シカ激増で止まぬ森林荒廃 生態系守護にオオカミの出番だ
2014.7.23 07:43 (1/4ページ)
『オオカミが日本を救う!』(白水社)の表紙。「生態系での役割と復活の必要性」が副題だ
明治以降、日本の森林はこの20年来、5度目の危機にあるという。シカの過剰増殖による植生の食害で森林の荒廃が止まらないのだ。土壌浸食や表土流出が起きている地域もある。平成26年版の環境白書では「生物多様性のみならず国土保全上の懸念も生じています」と警鐘を鳴らしているほどだ。シカ害だけでなくイノシシやサルも中山間地で深刻な農業被害を発生させている。
野生の反乱までを伴う「平成の森林危機」は、どうしてかくも深刻なものになったのか。
「食物連鎖には頂点捕食者が不可欠であるにもかかわらず、その常識を欠いたことによる帰結です」と東京農工大学名誉教授の丸山直樹さんは語る。
この頂点捕食者とは、オオカミだ。丸山さんは2月に白水社から出版された『オオカミが日本を救う!』の編著者である。有史前から日本に生息していたオオカミは、明治時代の野生動物の乱獲とオオカミ駆除政策によって絶滅した。その後は、人間による狩猟圧が頂点捕食者の役割を代替していたのだが、近年の農山村の過疎化や高齢化によって狩猟者の数が減ったことなどで個体数調整の機能が消えてしまった。http://sankei.jp.msn.com/science/news/140723/scn14072307430001-n1.htm
シカは消化力の強い反芻(はんすう)胃を持っている。群れを作って樹皮まで食べて木を枯らし、森林全体を衰退させる。他の鳥獣や昆虫類の生息の場までを根こそぎ奪うので、生態系の破壊力が大きいのだ。イノシシやサルもクマも農業被害をもたらすが、森林生態系の破壊にまでは至らない。ニホンジカの増え方は、すごい。平成2(1990)年ごろ50万頭だったが、現在は260万頭にまで増えていて、37(2025)年には、その2倍の500万頭になると推定されている。防護の柵やネットを張り巡らしても防ぎきれない。丸山さんによると、その対策の切り札はオオカミだ。オオカミの天敵効果以上に有効な手段はないという。
米国では駆除で絶滅していたイエローストーン国立公園に1996年ごろ、カナダからオオカミを再導入したところ、増えすぎていたエルクジカなどの草食動物の数が減り、他の動植物の回復が確認されている。オオカミ効果は、捕食だけでなくストレスによるシカの繁殖率低下にもつながるようだ。オオカミの再導入は、公園での絶滅から70年後のことで、貴重な先行実験例。丸山さんは1997年以来、定期的に同地を訪れ、7月中旬に5回目の調査から戻ったところだ。http://sankei.jp.msn.com/science/news/140723/scn14072307430001-n2.htm
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