京大医学部入試でなんと「面接0点」 年齢差別ではとの見方出るが、大学担当者は否定
京都大学医学部の入試で、面接試験が50満点中0点だったとする成績通知書の写真がネット上で出回り、憶測を呼んでいる。年齢差別ではないかというのだが、京大の担当者は、「そんなことはないはず」と否定している。
「面接0点」というのが存在するとすれば、面接を欠席するか、暴言を吐いたかといったケースが考えられるかもしれない。
面接官から、後何度受けるつもりかと聞かれた?
写真が出回るきっかけは、2ちゃんねるで2014年5月8日、京大医学部の受験生という人物が書き込みをしたことだった。
この人物は、13年度の入試では、面接が25点だったのが、今回は0点と採点され、不合格になったと告白した。大学院卒の受験生だといい、当日の面接内容は、前回とほぼ変化がなかったものの、今回は面接官から、後何度受けるつもりかと聞かれたという。国公立大の後期日程では、別の大学を受けると話すと、そっちの方を頑張ってくださいといった内容のことを言われたとも明かした。最後に、面接官から試験の出来を聞かれ、今回は模試でも合格圏内で出来もまあいいと伝えたとしている。
翌9日になって、この人物は、京大に出してもらった「面接0点」の成績通知書だとする写真を2ちゃんにアップした。それによると、合格者の入試最低点は900点で、この人物は864点だった。面接が前回の25点だったとしても不合格となるが、一部学科試験の点数について、大手予備校の模試ではトップクラスだったのに、思ったより低いとも漏らしている。とはいえ、写真の文面を見ると、合格者の最低点を上回っても、面接と調査票の結果によっては不合格になるとされていた。
こうした採点について、この人物は、再受験者や多浪の受験者は差別されているのではないかとの見方から、「面接のあるところはもう怖くて受けられないよ」と不満を訴えた。年齢が高く再受験者などに見える人はほかにたくさんいたといい、「あの人らの面接点が気になる」とも言っている
京大「『面接0点』となることは、ありえます」
この人物の書き込みに対し、同じ京大医学部受験生で浪人中だという別の人物は、自分も「面接0点」だったと2ちゃんで応答した。前回は、同様に25点だったといい、「今年から差別強化したのか?」と漏らしていた。入試得点も、867点と前出の人物の点数に近かったとしている。
2ちゃんでは、最近になって、年齢差別に抗議しようとの動きが出て、情報サイトなども取り上げるまでになっている。
京大医学部を再受験者する人向けのサイトなどでは、現役、1浪なら30点を基本に採点され、それから1年上がるごとに4点の減点になるといった情報が流れている。成績通知書の書き込みなどからまとめたとみられるが、もちろん確かな情報であるわけではない。
「面接0点」について、入試情報を担当する京大医学部の教務・学生支援室では、取材に対し、「それはありえます」と認めた。面接に欠席した場合は、当然0点になるという。そのほかにどんな場合に0点になるかについては、「面接官が採点した結果ですので、私どもでは分かりません」と答えた。年齢差別があるかについては、「そういうことはないはずだと思っています」と言っている。
京大の入学者選抜要項では、面接については、適正、人間性などについて評価し、学科の成績と総合して合否を決めるとなっているが、「学科試験の成績の如何にかかわらず不合格となることがあります」とうたってある。今回は、学科だけで最低点の900点を上回っていても不合格になることになり、受験生には選考基準が分かりにくいが、教務・学生支援室では、「最低点はあくまでも参考に載せたということです」と説明している。
それは有り得るのでは?
面接を認める以上、 面接官の自由であるは 当然では?
人間の総合的な判断は 疎かにしてはいけないのでは?
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服装、態度で22人不合格 成績は圏内 神奈川県立校
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高校入試、茶髪、眉そり チェックし不合格 神奈川の県立
新聞でもよく見ましたが、混乱している状況があり、情けないと考えます。
少し分析して、考えてみたいと思います。
先ず第一に、入試の合格と不合格を決める権限の所在を明確にする必要があると考えます。
入試の判定は、一身上の重大問題に繋がりますので、判定について疑念が生じたり、覆るような事が起きれば、社会の秩序は成り立たず、重要な問題であると考える必要があります。
合否判定が覆るとなれば、取り戻す事のできない時間を遡る事になりますから、このような事は軽々しくできないと考えるべきだと思います。
従って、判定に対しては、権威と信頼が必要であるという事になります。
また、軽々しく判定に異を唱える事は、社会混乱の元に繋がるので、気をつける必要があるのではないでしょうか。
次に面接試験によって、否の判定をする事は、適切だと考えます。
逆に見ると、所謂学科の試験だけで、判定というのは、筆記試験が万能であるという事になりますから、問題だと思います。
会社でも、人事でも、面接は重要な要素であり、それによって判定が左右される事は、是であると考えます。
よって、面接試験で不合格という事は、許されるし、今の世の中でも、そのように考えられていると思います。
今回面接試験で、詳しい項目を挙げ、これこれに合わないからと述べられていて、公にされているのは、甚だ問題ではないでしょうか。
今回挙げられている項目などは、公表されるべきではなく、いわば、内部の最高機密になるべき事ではないでしょうか。
面接試験というものは、これこれという項目でなされるべきのものではなくて、あらゆる角度からの総合評価であって、これこれだからと表現してはいけないし、表現されるべきのものではないのではないでしょうか。
極端に言えば、試験する人の主観で、勝手であると理解すべきであると考えます。
そこに、試験する人に対する信頼と見識が、求められる事になります。
実際、多くの重要な人事は、面接によって決まり、筆記試験などによって決まるものではないと考えられています。
例えば大臣の任命や大学における人事等 多くは面接によって決められていると思います。
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