100巻超えは11作! 日本のご長寿マンガはなぜ続く?
2014.8.25
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『こちら葛飾区亀有公園前派出所(191巻)』(秋本 治/集英社)
長寿マンガ。今をときめく人気作とは異なる、息の長い支持を得るマンガである。その中には単行本100巻を突破する作品も。年間4巻として25年、生まれたての赤ん坊がオトナになるまでずっと、雑誌の顔として君臨してきたマンガ界の怪物たちだ。どんな作品があるのか、なぜそんなに続くのか。『ダ・ヴィンチ』9月号ではライター・北尾トロが読破合宿を敢行。その理由と魅力に迫っている。
日本で単行本100巻超えのマンガは11作品(wikipediaより シリーズものは除外)。最高は『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、最新の記録達成は『あさりちゃん』となっている。一見してわかるのは青年マンガ誌の大健闘。低年齢層向きは『週刊少年ジャンプ』1、『週刊少年マガジン』1、学年誌1で、残りは「ビッグコミック」系が4、『モーニング』『漫画サンデー』『週刊漫画ゴラク』『週刊ポスト』各1となっている。週刊ポストって……マンガ雑誌ですらないよ。内容もスポーツ、時代物、グルメ、極道と、はっきりした傾向がある。
何か。オヤジ臭さである。100巻超えマンガのメイン読者は社会人の男、とくにオヤジ世代と言い切ってもかまわないだろう。特徴は、オシャレな場所がとことん似合わないことだろうか。青山にあるカフェの本棚に『クッキングパパ』がずらりと並んでいたら、空間は確実に壊れる。
「強烈な存在感があるということですね。100巻超えマンガは、定食屋とか散髪屋とか、男が何かしながら時間つぶしに読むのが似合います」
そうだよ編集K。ラーメンでも食べながら、退屈しのぎに読み、後を引かずに席を立つ。そして再びその店に来たとき続きを読む。多くの男には、自費で毎週買う雑誌の他に、置いてあれば読む系の、密かなひいき作品があるのだ。
「単行本がずらりと並んでいる喫茶店とかありますもんね。どうせ行くならマンガが揃っているあの店って感じで行き、ついつい読んでしまう」
そこで読みたいのは、すぐ完結する作品ではなく、汲めども尽きぬ泉のように、いつ行っても未読巻のある大長寿作品。私が思うに、その魅力の根源は……。
「画力ですか、キャラ設定ですか。あるいは物語性、時代の雰囲気を捉える嗅覚?」
アバウトさだと思うんだよ。たまに読んでも楽しめたり、細かい登場人物を忘れても平気だったりするんじゃないか。毎週が山場の連続だったりしてみろ、作者も読者も疲れてしまうよ。人気もなあ、一番でなくてもいいんだ。そのマンガがあることで全体が締まるというか、雑誌の象徴になるというか。
「……作者が聞いたら怒りますよ。詳しい人に話を聞きに行きましょう」
なぜ長寿マンガがおもしろいのか、マンガ研究家の中野晴行さんに尋ねた。
「ひとつには、作家、アシスタント、担当編集者がひとつのチームとなっているため、モチベーションが保ちやすいと考えられます」
それが何を生むのか。安定感だと中野さんは言う。ひとつの作品を長年やっているとマンネリに陥りそうなものだが、本当にマンネリ化してしまえば読者に飽きられてしまう。100巻超えマンガはギリギリのところでマンネリを回避し、安定感という強い武器を手に入れた作品たちなのだ。私の印象、当たらずとも遠からずじゃないか。
「テレビの『水戸黄門』じゃないけれど、基本パターンが出来上がり、ある種の“お約束”が成立したマンガは長続きします。読者も流れがわかっていて、安心して楽しむ。基本的にはその繰り返しで、延々とやっていける。編集者は“ぐるぐるマンガ”と呼んでいます」
話がぐるぐる回っているので、半年ぶりに読んでも十分ついて行ける。読み切りでテンポよく進むならなおさらだ。この仕組みが作者と読者で共有できれば、あとはときどきキャラを入れ替えたり、実験的要素を加えてもいい。連載に追われて新作が描けないストレスも、作品の中にぶちこんでいくことができるってことか。なるほどなぁ。
「そのためには早い段階でキャラを確立させること。のんびり続いているようで、読み返すと5巻くらいまでは密度が濃く、その後のすべてが集約されている。だから後々まで読者を引っ張れるんです」
オヤジ向けマンガが多いのは、サラリーマンの日常と、決まったサイクルで発行されるマンガ雑誌の波長が合うためだそうだ。決まった日にマンガ雑誌を買うのが生活に溶け込んでいる読者にとって、大長寿マンガは日常そのもの。刺激的な作品はほかにいくらでもある。ずっと付き合う相手に求めるのはクールジャパンでもグローバルでもなく“いつものヤツ”なのだ。
「だから、長く続いたマンガを終えるのは、雑誌にとって恐怖なのです。なんとなく読んでくれていた人たちが、連載終了を機に離れたら、たちまち危機がやってくる」
マンガ読者の高齢化が進む中、長寿マンガは今後も増えていきそうだ。
●100巻超えマンガリスト
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(1~191巻) 秋本治
『ゴルゴ13』(1~173巻) さいとう・たかを
『クッキングパパ』(1~128巻) うえやまとち
『ミナミの帝王』(1~127巻) 原作:天王寺 大、作画:郷 力也
『美味しんぼ』(1~110巻) 原作:雁屋 哲、作画:花咲アキラ
『弐十手物語』(全110巻) 原作:小池一夫、漫画:神江里見
『静かなるドン』(全108巻) 新田たつお
『あぶさん』(全107巻) 水島新司
『はじめの一歩』(1~107巻) 森川ジョージ
『浮浪雲』(1~103巻) ジョージ秋山
『あさりちゃん』(全100巻) 室山まゆみ
※巻数は2014年8月21日現在
取材・文=北尾トロ/ダ・ヴィンチ9月号「走れ!トロイカ学習帖」http://ddnavi.com/news/205207/
再生核研究所声明80(2012.03.20) 挑戦 とは 何か
(この声明は 朝日新聞 『天声新語』 募集の課題 「挑戦」から ヒントを得て、考えられたものである)
およそ、人生も世界も慣性の法則で動いているものと言える。これは 世の中は物理学の慣性の法則に従っているように、大きな流れの上にあるということである。実際、人は気づいてみたらこの世に生を享け、ある流れの上で生かされていると言える。今日在るは昨日の延長上にあり、昨日はその前の延長上にあると遡って行ける。明日の多くは連続性に従って今日の延長として、相当に決まっていると言える。人間が生きたいと思うのは 今まで生きてきたから、明日も生きたいと 慣性の法則で志していると言える(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。
しかしながら、面白いことには、人間存在の神秘性であるが、人間には自由意志があって、その流れに少し逆らうような有り様が可能である。 顕著な例が、挑戦である。すなわち、戦い挑む、やってみる、試みるということは 人間の自由意志の顕著な例である。冒険、競争、求道、研究、芸術などの営みは、人間であることの証であるとも言え、挑戦とは人間としての存在の本質を表しているところの、人間固有の人間らしい営みである。
されば、人間の存在の意義とは何か? まず、生きること、生きて存在しなければ始まらない ― 生命の基本定理、人生、世界、生物界において 実際これくらいしか、確かなことは、無い。 逆に考えてみよう、生きて、存在しなければ、生まれて来る前のように 何も認識できず、したがって何も知らず、何も伝えられず、全ての前提は 消えてしまうだろう(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)。
さらに1歩進めて、人間として生きることの意義とは何だろうか。 それは、つきるところ、人生の意義は感動することにある ― 人生の基本定理 にあると言える。 人間が何に感動するかは、個性にもよるが、本能に基づくものは当然として、真、善、美、聖などを求めているときであると言え、知ることと、自由を求めることが それらの基礎である。 その本質は、気づくことと、喜びを感じることに他ならない。 人間として生きることの本質ではないだろうか(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)。
そこで、いま、日本国において、取り組むべき挑戦課題を提案したい。
まず、国家財政を立て直すこと、国だけの債務をみても、1000兆円に迫り、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 更に大震災、原発事故、放射能対策の膨大な経費である。このような財政を続けていける道理は 世に無いから、国は大胆に財政問題を国民に明らかにして、官民挙げて 財政問題に挑戦すべきである。もちろん増税だけではなく、国民に理解を求めるための 節税や行政改革なども断行すべきである。ここで大事な観点は、縮小方向ばかりではなく、財政再建の積極的な展開も多方面に志向すべきであるということである。新しい職場の開拓、ビジネス効果志向などである。国の活動に人材の活用によるビジネス感覚の導入も必要ではないだろうか。これらは、同時多発的に広範に取り組む必要があり、ここでの挑戦とは、正しく時間との戦いであると言える。何事も追い込まれる前に先手を打つのが 賢明な対応の在りようではないだろうか。世界は 世界混乱前夜の状況にあると言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 45: 第2次世界大戦と第3次世界混乱)。
次に、原発事故を鎮圧して、放射能対策をしっかり行うこと。これは当然であるが、より真剣に取り組むべきではないだろうか。世に 反原発についての意見やデモ等が行われているが これほど無意味で、無駄な行動は無い。誰でも原発など無いにこしたことはないと考えるのは当然であり、また、東電その他関係者自身が、一般国民よりははるかに、原発事故の重大さと危険性を明確に自覚していることは 当たり前である。 世に騒がれるまでもない当然のことではないだろうか。当然のことを騒いでいて、何か建設的、生産的なことが有るだろうか。 逆に、原発を何とか活用すべく、挑戦的に取り組むことは 自明ではない、やりがいのある挑戦課題ではないだろうか。それこそが、およそ人間存在の原理ではないだろうか。 実際、人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、これは安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明け―ノアの方舟)。
次に教育の問題である。 日本の教育は何を目指しているのかと問いたい。 ただ大学受験を目指して、大学に入る為の勉強に ほとんどの部分を占めているように見える。受験のための塾、専門の学校の繁茂がそれらを示してはいないだろうか。 教育を教育の在るべき姿に戻って、検討し直すことが 中長期的には日本国における大事な挑戦課題ではないだろうか。 教育の在るべき姿などは既に教育基本法その他で 確立しているが 弊害は、本末転倒の教育の在り様になっている実情、実体にある(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)。教育の原理についても注意を喚起したい(再生核研究所声明76 教育における心得、教育原理)。
挑戦とは人間の自由意志の明確な表現として、決断による情熱の伴った生命の燃焼であり、志である。 そこに良い感動が伴えば、より良い人生と言えるだろう。
以 上
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