原発事故で福島県から新潟県に避難してきた中学1年の女子生徒が、複数の生徒から名前にばい菌の「菌」をつけて呼ばれるいじめを受けたとして、ことしに入って登校していないことがわかりました。
新潟県教育委員会などによりますと、原発事故のあと、福島県から新潟県に避難してきた中学1年の女子生徒が、休み時間に一緒に遊んでいた複数の生徒から自分がいないところで名前にばい菌の「菌」をつけて呼ばれるいじめを受けていたということです。
いじめは1学期の頃から続いていたということで、生徒は、先月、中旬から学校を休みがちになり、ことしに入ってからはまだ登校していないということです。
一方、いじめていた生徒たちのほとんどは、学校側の調べに対し、女子生徒が福島からの避難者だとは知らなかったと答えているということです。
中学校では、校長が全校生徒にいじめがあったことをすでに伝えていて、21日、臨時の保護者会を開いて経緯を説明するということです。
新潟県義務教育課は「福島から避難している生徒へのいじめであり、重く受け止めている。校長会などを通じて各学校に再発防止策を徹底したい」と話してしています。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170120/k10010846611000.html
いじめは1学期の頃から続いていたということで、生徒は、先月、中旬から学校を休みがちになり、ことしに入ってからはまだ登校していないということです。
一方、いじめていた生徒たちのほとんどは、学校側の調べに対し、女子生徒が福島からの避難者だとは知らなかったと答えているということです。
中学校では、校長が全校生徒にいじめがあったことをすでに伝えていて、21日、臨時の保護者会を開いて経緯を説明するということです。
新潟県義務教育課は「福島から避難している生徒へのいじめであり、重く受け止めている。校長会などを通じて各学校に再発防止策を徹底したい」と話してしています。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170120/k10010846611000.html
学校に下記のような状況で、いじめが沢山あるという世相だと思います。
ところが、先生は、忙しすぎて、個々の問題に関わりたくない 或いは、事なかれ主義のように、対応して逃げの姿勢が、あるのではないでしょうか。
このような状況は、先生の忙しさから、批判できないような状況があると考えます。
そこで、今朝考えたのですが、退職した先生方や関係者たちとボランティアの精神で、学校のいろいろな問題に協力してくれるようなコミュニティを学校ごとに作って、そのような問題について、個々に生徒の相談にのってあげるような体制が望まれます。
実際そのような事で悩んでいる親子さんが、いろいろ悩んで相談にきています。
このような問題は、結構気苦労が多く、ある程度のグループで、対応してあげるような体制が必要だと考えます。
学校は、保護者を中心に開き、そのようなコミュニティを作る様に、努力すべきだと考えます。
現在 逆に学校は、社会から隔離しているような心持がないでしょうか。
再生核研究所声明 4 (2007/03/17):競争社会から個性を活かせる社会に:
現在、日本を覆っている不安な状況を打破し、明るい未来を切り拓く第1歩として、憲法第25条の精神を高揚させ 最低生活の保障による連帯を確認する事の必要性を訴えている(声明3)。いじめ、犯罪、モラルの低下、そして全国に広がる財政赤字など、それらの大きな原因として、経済環境の厳しさとともに、貧しい競争意識と受験勉強に代表される貧しい戦後の教育内容にあると考えます。考え方を変えるのは簡単ではありませんが 精神、考え方を競争社会から個性を活かせる社会に変えていく必要性があるのではないでしょうか。
その理由は:
1)まず競争とは、1つの価値、ある判断の下での順位になり、その点では個性や、特殊性を排除した価値観の画一化に繋がる危険性を有している。例えば現在の受験制度では多くの場合に受験科目の得点で順位が定められ、概ねそれによって合格、不合格が定まり、その流れで入学の大学が定まり、そして同様に大学の伝統的な序列で一定の評価が定まっていく流れになっていると考えられる。もちろん伝統的に行われてきた体制はそれなりの理由があり尊重されなければならないと考えますが、評価をこれらで1元的に考えることには大きな問題があると思います。例えばそのような流れ以外の道を選んだ人たちの立場です。 スポーツ選手や、芸術家、芸能関係者、技術者、職人、棋士、実業家などなどです。
2)スポーツなどの世界では競争はかなり明確に理解でき、競争の世界として、もちろん結構だと思います。例えばお相撲さんは優勝を目指して努力されているわけです。しかし歌い手さんたちは それぞれの個性と持ち味を活かしていろいろな人が活躍されていますが、それとて、いろいろな評価が下されますが、その時の競争とは考えられてもお互いに芸を高めていくような いわば精進の競争であり大いに勧められるべき競争と言えます。
3)これに対して貧しい競争とは、相手との比較ばかりに気を取られ、自分を見失った競争であり、自分の個性を活かせないところで、相手より優位に立とうする競争の事です。自分のむかないところで、無理して競争に駆り立てられている状況はないでしょうか。
4)日本の教育の重点が いわゆる学力中心で、知識中心になっていないでしょうか。そして、いわゆる頭のよい人、学力のある人がすべてのような1元的な価値判断が余りにも強すぎはしないでしょうか。 勉強の嫌いな子や勉強のできない子、いわゆる優秀でない人と言われている人が それゆえに低く見られてはいないでしょうか。勉強ができず、学力がなくても、いわゆる優秀でなくてもいろいろな長所があって、よい個性を持っているのにそれらが評価されず、また無視されるようにはなっていないでしょうか。これでは、勉強のできない子は学校が嫌いになり、やがて社会から疎外されるようになってしまわないでしょうか。絵が得意で感銘させる人や、工作がうまく名人的と思われる人の才能を引き出せない社会は社会の大きな損失にはならないでしょうか。運動会などやキャンプ生活などで多くの体験授業などがあれば いろいろな才能が発揮され、学力以外のいろいろな個性や、才能を発見できる機会が出て来るのではないでしょうか。もちろん実社会は大きな世界です。
5)学力中心による教育では、生徒の個性を活かせず、1元的な価値判断で多くの個性と才能をうずもらせてしまうだけではなく、才能を活かせない生徒は社会から疎外され、不満が増大する事になり、社会は不安定になると思います。
6)個性を活かせる社会とは 社会にはいろいろな人が必要であり、それぞれ自分の得意な分野や好きな分野で、個性が活かせるようなところで社会に参加して、助け合っていくような社会のことです。強い人も弱い人も、考える事が得意な人も苦手な人もそれぞれ長所もあり短所もありそれぞれが補完し、助け合っていく社会です。このような社会では、苛めも、犯罪も生じる土壌がないのではないでしょうか。
7)財政赤字について触れましたが、無いお金を使うという事自体が無責任の結果ではないでしょうか。短期的に赤字という事は仕方がないことですが、赤字を増大させていくというのは余りにも無責任と言われても仕方がないのではないでしょうか。これらの背後には学力を付けることばかりに走り、責任感の無い自己中心的な教育が生み出した日本人全体の精神的な土壌から起きているという根強い原因があるのではないでしょうか。
8)何かというと経済効果や活力のある社会という観点が問題になりますが、少数の自爆テロを起す人を抱える社会はどれほど、経済的にマイナスを生むことでしょうか。そのよう状況では例えば新幹線を守るにはどれほどの経費がかかることになるでしょうか。あらゆる所で、厳重な警備を必要とする社会になってしまいます。それに対して 社会に強い不満を持つ人を生み出さない社会とは何と素晴らしい社会でしょうか。この観点からも憲法第25条の精神を思い出すことは大変いい状況を生むのではないでしょうか。
国が衰退したら、勝ち組も負け組みも、公務員も、もちろん、検察庁も、マスコミ関係者も みんな困るのでは? 1代自分だけうまく行っても、2代、3代 お孫さんたちは?日本人には、必ず愛国心が湧いて来ると信じています。
欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。
皆さん 競争社会から個性を活かせる社会 を目指そうではありませんか。
以 上
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん
【仏国ブログ】日本のいじめ「単一民族社会が生み出した副産物か」
【台湾ブログ】素晴らしい日本、でもいじめなどの厳しい問題もあり
国の借金1000兆円を突破 6月末時点
国の借金1024兆円=国民1人当たり802万円―11年度末見込み
日本の財政を考える より
http://www.zaisei.mof.go.jp/
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全国都道府県の借金時計 より
http://www.geocities.jp/mkqdj167/map.htm
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日本の借金時計 (数字はうそをつかない)より
http://www.geocities.jp/mkqdj167/japan.htm
http://www.geocities.jp/mkqdj167/japan.htm
新政策機構「チームニッポン」 より http://www.team-nippon.com/
日本経済が破綻するまで動きつづけるリアルタイム財政赤字カウンタより
http://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html
http://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html
リアルタイム財政赤字カウンターより
GHQから「日本の将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使用するので、これは捕虜の虐待ではないか」と問われた升田は次のように反論する。
「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。常に全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに仕事場を与えようという思想である。しかも敵から味方に移ってきても、金は金、飛車は飛車と元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」
格好良すぎるぞ。升田幸三!
格好良すぎるぞ。升田幸三!
再生核研究所声明 17 (2008/7/25) 教育界の改革を求める
大分県の教育界における不祥事は、いくら日本国が 空虚な日本の社会(再生核研究所声15)といっても 流石に健全な批判が湧いてきたのは当然である。身近な点から問題点を考察すると、試験がたとえ公正にできたとしても、全然問題は解決しないのではないでしょうか。 第一に、試験問題が適切であるかどうか、広く日本中で検討してみる必要があるのではないでしょうか。さらに、面接試験という大事な場面を迎えますが あのような体質で、より良い学生を公正に選ぶことができるか 検討する必要があると考えます。
試験内容について、例えば、数学専攻で、教育学部長をされた ある先生の嘆きを思い出します。大学でいくら専門の数学を熱心に勉強しても 専門の数学は採用試験には出題されず、大学受験や高校程度の数学の問題しか出題されず、それで、大学で熱心に勉学している学生よりも、家庭教師や塾でアルバイトをしている学生の方が有利になってしまい、実際、合格率も高いという嘆きです。これでは数学教育界が、数学の本当の精神や深い専門的な内容などよりは 受験勉強に代表されるような問題解きの技術の勉強になってしまうのではないでしょうか。 実際、入学して来る多くの大学生は 数学は問題解きであり、多くの技術を学ぶのが数学だと思っているのが現状ではないでしょうか。これでは創造性豊かな教育や本来の数学教育の目標からは ほど遠いのではないでしょうか。
一般に試験について、何十年も前に あるラジオ ニュースで聴いたことが なぜか何時も気になります: ネジの検査で、良いものを落とし、悪いものをわざわざ選んでいたというのです。わざわざ数学嫌いな生徒を育てたり、悪い教育を行っているような事は 至る所に見られる現象ではないでしょうか。
他方、教育には善良な市民を育成するという大事な面があるはずです。その大事な考えの一つには個性を活かし、公正な社会を実現することにあるのではないかと考えます。しかし、教育委員会の指導的な人達が 自ら信じられないような不正を行っていて、そのような方々が面接したり、教員を指導しているという事は如何なものでしょうか。大分で起きた事件は 大分県の特殊性から出てきたものではない以上、日本中で同じような状況ではないでしょうか。人事の刷新を行い、教育改革を進めるように訴えます。
このような状況で、教員更新性の導入を行えば、教育界はますます混乱し、よい事は何もないと考えます。マイナス要素を挙げてみたいと思います。
(1)教員の忙しい状況の中で、さらに時間と余計な気遣いの負担を増加させる。
(2)財政難で国がおかしくなるような状況の中で、さらに大きな資金と労力をかける事になる。
(3)更新講習は形式的になり、効果が望めず、逆効果が考えられる。また講習で改善されるような教員は初めから、問題が無いと考えられる。
(4)更新されなかった教員の生活や身分の問題が解決できなければ、結局更新の問題は解決できず、いわば余計なことをすることになる。
(5)このような制度の導入そのものが、教員の身分を不安定にし、教育上良くない効果を生むと考えられる。
などなどですが、そのようなことに 時間とお金 をかけるくらいならば、
忙しい先生に休暇とお手当てを配布した方が 遙かに効果的ではないでしょうか。
日本国の再生のために、試験問題の作成委員や面接する人を 見識ある人物に代えるばかりではなく、教育界の全般的な改革と刷新を行うように 多くの関係者に求めます。またマスコミの積極的な取り組みを要請致します。 以上。
再生核研究所声明 104(2012.10.28) 人事採用、昇任について
(この声明は、再生核研究所声明に興味を抱く人からの 要望によるものである。難しい課題である。)
人事とは、人物評価、人物の能力、問題となる職種との関係で、実に難しい、重い課題である、総合的に論じると 難しいと考える。 そこで、 軽く、経験から、気づいたことを纏めてみたい。いろいろな観点があるので、一面的な見方と柔軟に考えられたい。ここで、人事とは 添付のウィキペディアの: 企業その他の団体・組織における職員の処遇などの決定に関する業務(本項において解説)を意味する。
まず、公務員など 公的な職種は、採用に当たって、公正、平等、機会均等 の原則 があると考えられる。 他方、私的な企業等は、 経営者の自由に 相当なると考えられる。しかし、 企業といえども 大きな社会的な存在になればなるほど、公務員等と 同様に 公正、平等の原則が 強まると考えられる。
次に 職に合った 適任者を採用するのは いずこも 当然の要求である。
これらを行うために、公募による、客観的な試験 (これには書類選考を含めることが出来る) と 責任ある者たちの総合的な面接 で 総合判定されるのが 世に多いと考えられる。客観的な試験、多くはペーパ―テストで点数化されて 採用の決定に大きな比重を占めるのは、公務員などで多いのではないだろうか。 多数の採用を行う企業などでも 実際、面接を適切に行う余裕も、面接で判断する能力と信頼に自信がないために、 客観的な試験に頼るは 世に多い。 大学受験などの大部分がそうであるような現象が 世に多いとみられる。
ここで、 客観的な 試験で、判定する弊害を 次のように 指摘したい:
1) 試験で、 大事な、複雑な 人間の能力を判定できるかという問題。
2) 試験内容が、あるいは その結果で、職種に合った、 適材適所になる人材を選べるかという観点から、非常に疑わしい面があること。
3) 職場には いろいろ多様な人物がいた方が 良いのに 偏り、同じような 人物を集めがちである。
などである。
― ここで、何十年も前に NHKラジオで聞いた、 適正試験の結果と 適任者として求める才能が 逆であったということが判明した、との話しが 何時も気に成る。 逆の評価で採用していたという、有りそうな現象である。
また、元群馬大学名誉教授 道脇義正先生の言葉: 数学の教科書を出筆するような人は数学が好きで、できる人が書く、それで、数学が嫌いで できない人の 気持ちが分かる筈がない。また、教育関係のいろいろな諮問員会の先生たち、優秀な方ばかりで 議論していて、いわゆる おちこぼれ組の生徒の気持が分る筈がない。という視点は 大いに参考にすべきではないだろうか。ノーベル賞受賞者の意見を尊重すると、ノ-ベル賞級の世界観を示される危険性が有る。 いろいろな視点や、多様性は 大事ではないだろうか。
逆に、 面接を重視すると
1) 公正でなく、場合によっては、責任者の私的な 都合の良い人事に走りがちである。 公募などを行っても、自分の都合の良い人を集めるは 世に多い現象である。公のポストを 私的のように行っている人事は 世に多い。
2) 面接を受ける者は 真剣勝負で臨むので、中々、人物評価は 実際には難しい点がある。 一緒に食事をとったり、日ごろの様子を観察したり、友人や知人の意見を参考にしたり、 いろいろ工夫していると考えられる。
3) 多くの労力を必要とする。
などである。
私的な企業や、伝統的な職業などは 縁故関係で 採用を決める傾向が強いは 一概には否定できず、 良い面が多々あると評価すべきである。 それぞれ、伝統と文化的、背景を活かせるからである。 世襲的政治家など 批判的に捉えがちであるが、政治社会は大きく 偉大で 人間関係や背景を強固にするには 一代ではできず、 世襲的な政治家もおおいに育て、 優秀な人材を輩出すべき基礎を、基盤を整えるのが 良いのではないだろうか。 国家の指導的な人たちを育てる ある階層が有っても良いと考える。 学問、芸術でも 伝統に基づいた基礎に配慮するのは 是と考え、同時にいろいろな分野からの 人材の補充、登用もいろいろ配慮するのが、 良いのではないだろうか。 多様な、自由な余地を考えることである。
人材の登用はいわば、 王たる者の 最も大事な能力のひとつであるから、それは、国や社会の 総合的な文化力を反映させるものである。 帰するところ、 文化力の問題であると、自覚し、文化力の向上に日ごろ大いに努力すべきである。
以 上
付記:
ウィキペディア:
人事(じんじ)とは、以下のような意味がある。
(自然に対して)人間に関することがら、出来事
人間としてなし得るまたはなすべきことがら(例:人事を尽くして天命を待つ。)
企業その他の団体・組織における職員の処遇などの決定に関する業務(本項において解説)
人事異動の略
意識(例:人事不省)
法律用語として、人の身分や能力、住所など、そのうち特に身分に関すること(例:人事法、人事訴訟)
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