2017年1月23日月曜日

数学的伟大转折——笛卡尔创立解析几何

数学的伟大转折——笛卡尔创立解析几何

核心提示: 笛卡尔打破了希腊数学的传统,用代数方法代替传统的几何方法,这是数学史上的一次重大变革。
17世纪欧洲科学技术的发展向人们提出了许许多多用常量数学难以解决的问题,天体运动和物理运动也提出了用运动的观点来研究圆锥曲线和其他曲线的问题,为此人们寻求解决变量问题的新方法,从而使笛卡尔创立了解析几何学。解析几何的诞生是数学的伟大转折,正如恩格斯所说:“数学中的转折点是笛卡尔的变数。有了变数,运动进入了数学,有了变数,辩证法进入了数学,有了变数,微分和积分立刻成为必要的了,而它们也就立刻产生。”
笛卡尔创立了解析几何学(网络图)
早期的坐标概念
在没有把坐标的概念引进数学之前,人们对坐标思想的认识和运用早就有过。我国最早用“井”字表示井周围的土地就是取自坐标的形态。公元120年前后笛卡尔创立了解析几何学
古希腊的托勒密曾讨论过球面上的经纬度,我国13、14世纪解多元高次方程组使用的“四元术”,这些都是坐标概念的早期示例。以后出现的棋盘、算盘、街道门牌号等,实际上也是一种坐标系统。
16世纪末,法国数学家韦达在代数中首先系统地使用字母,他所研究的代数问题,大多数是为解决几何问题而提出来的。之后韦达的学生格塔拉底对几何问题的代数解法作了系统地研究,于1607年和1630年分别发表了《阿波罗尼斯著作的现代阐释》、《数学的分析与综合》的著作。1631年,英国数学家哈里奥特把韦达和格塔拉底的思想加以引伸和系统化。这些都为几何学和代数学的结合,形和数的结合,铺平了道路。
费尔马的坐标法
1629年法国数学家费尔马在对前人几何研究的反思中,产生了一个想法,认为古人对于轨迹的研究感到困难,其原因只有一个,就是由于他们对轨迹没有给予充分而又一般的表示。他认为,要将轨迹作一般的表示,只能借助于代数。他了解到韦达用代数解决几何问题的作法后,决定把阿波罗尼斯关于圆锥曲线的结果,直接翻译成代数的形式。
费尔马所用的一般方法,实质上就是坐标法。他考虑任意曲线和它上面的任意点K,K的位置用A、E两个字母来确定。其中A是从点O沿底线到点Z的距离,E是从Z到K的距离。这实际上是我们现代的斜坐标。但y轴没有明显标出,而且不用负数。他的A、E就相当于我们现在的坐标x、y。
费尔马通过建立坐标,把平面上的点和一对未知数联系起来。然后在点动成线的思想下,把曲线用一个方程表示出来。他想,未知数A和E实际上是变数,因而联系A和E的方程是不确定的。他便用不同字母代表不同类的数,然后写出联系A和E的各种方程,并指明它们所描绘的各种曲线。费尔马肯定,方程如果是一次的,就代表直线,如果是二次的,就代表圆锥曲线,并给出了直线、圆、椭圆、双曲线、抛物线的方程。
费尔马通过坐标法把几何曲线和代数方程联系起来,从而把几何学和代数学联系起来,这已经接近于解析几何的核心思想。他冲破几何学研究的古典形式的束缚,使几何学向前迈出了一大步。
  笛卡尔解析几何的诞生
几乎是费尔马研究解析几何的同时,法国数学家笛卡尔也在独立地研究着。
1596年3月21日,笛卡尔出生在法国图伦一个贵族之家。他从小丧母,父亲是地方议会议员,保姆抚养他成人。笛卡尔8岁进入当时欧洲最负盛名的拉夫累舍公学读书,1612年入波埃顿大学攻读法律,四年后以最优秀的成绩获得法学博士学位。毕业后他来到巴黎当律师,其间,溜到郊区一个僻静的住所埋头研究了两年数学。
1617年他参加了奥伦治公爵的军队,部队驻守在荷兰小城布雷达。1618年11月的一天,笛卡尔看到贴在街头海报上征解的一道数学难题,两天后他送去了正确答案,成功地解决了这一难题。这一偶然的机会使他决心终生研究数学。
笛卡尔认真地分析了几何学与代数学的优缺点。他认为古希腊人给后人带来的几何方法过于抽象和特殊;欧几里得几何中的每一个证明,都需要一个特殊的新方法,这既“笨拙和不必要”,而且使几何学“失去科学的形象”;又认为当时通行的代数“完全受法则和公式的控制,成为一种混杂和晦暗,阻碍思想”。他准备寻找另一种能概括这两门学科优点的新方法。
1619年,部队驻扎在多瑙河畔的诺伊堡小镇上,笛卡尔整天沉迷在画图、计算和思考之中,探索几何与代数的本质联系,各种思路和演算常常使他夜里迟迟不能入睡。11月10日晚,他的思考达到了异常兴奋的地步,连作梦都梦到怎样把代数应用到几何中去的方法。他后来说:“第二天,我开始懂得这惊人发现的基本原理。我终于发现了一种不可思议的科学的基础。”这就是解析几何思想的萌生。
笛卡尔在给定的轴上标出x,在与该轴成固定角的线上标出y,并且作出其x、y的值满足给定关系的点,这实际上是引进了“坐标”的概念。通过坐标实现了平面的“算术化”,即平面上的一个点,只要用一个数对(x,y)来表示就行了,反之亦然。再利用坐标方法,把平面上的曲线与一个含有两个未知数的方程联系起来。这样一来,就能把几何问题归结为代数问题,并运用代数方法来研究几何对象。1619年11月10日应算作解析几何最初的诞生日。
笛卡尔和费尔马的解析几何在坐标观点以及用方程表示曲线的方法方面基本上是相同的。但是在对待传统数学的态度上,两者是不同的。笛卡尔打破了希腊数学的传统,用代数方法代替传统的几何方法,这是数学史上的一次重大变革,而费尔马却着眼于继承希腊人的思想,认为他自己的工作只是重新表述了阿波罗尼斯的工作。
当时,多数数学家受旧的观念的束缚,反对把代数和几何混在一起,因而解析几何的思想并没有很快被数学家们接受。笛卡尔的《几何学》于1637年出版后,也没有引起普遍重视。费尔马的著作迟至1679年才出版。
笛卡尔去世5年后的1655年,英国数学家沃利斯首先引进了负的纵、横坐标,使得所考虑的曲线的范围扩展到了整个平面。沃利斯进一步完善了坐标法,其著作《论圆锥曲线》引起了数学家的普遍重视,大大传播了解析几何思想。
费尔马和笛卡尔提出的坐标系都是不完整的,费尔马没有明确y轴,而笛卡尔只是用了一根x轴,y轴是沿着与x轴成斜角的方向画出的。
1691年,雅可布·伯努利发明了另一种坐标。他用一个固定点以及由该点发出的射线为基准,用平面上一点到固定点的连线的长度和这连线与基准的夹角的余弦为点的坐标,这实质上就是现在的极坐标。
在笛卡尔x、y轴的基础上,1694年莱布尼兹提出并正式使用纵坐标,而横坐标到18世纪才由沃尔夫等人引入。坐标一词也是莱布尼兹在1692年首创的。1715年,约翰·伯努利引进了现在通用的三个坐标平面,把解析几何从平面推广到空间。
1745年,欧拉给出了现代形式下的解析几何的系统叙述,这是解析几何发展史上的重要一步。之后,对解析几何发展做出重要贡献的是法国数学家拉格朗日,他在1788年提出了向量概念,引起了数学家与物理学家的极大注意,向量分析的出现立即对解析几何产生深刻的影响,现在向量代数成了空间解析几何的重要内容。
19世纪,经典解析几何已经发展得相当完备。这时候,这门学科才正式定名为“解析几何”,以后便流传下来。
解析几何的建立在数学史上占有重要的地位,它使变量数学从此走上了历史舞台,它实现了数形关系的沟通。作为一种有效的数学工具,它不仅广泛地被使用于物理学和其他工程技术领域,还常常渗透到各个数学分支,在整个数学中发挥作用,同时,它还可以启发人们提出新的观点。拉普拉斯说的好:“只要代数同几何分道扬镳,它们的进展就缓慢,它们的应用就狭窄,但是当这两门科学结合成伴侣时,它们就互相吸取新鲜的活力。从那以后,就以快速的步伐走向完善。”17世纪以来数学的巨大发展,很大程度上归功于解析几何。http://www.morningpost.com.cn/2017/0120/1590800.shtml

アリストテレスの影響により 欧米は0に弱い:ゼロ除算はどうでしょうか

再生核研究所声明311(2016.07.05) ゼロ0とは何だろうか

ここ2年半、ゼロで割ること、ゼロ除算を考えているが、ゼロそのものについてひとりでに湧いた想いがあるので、その想いを表現して置きたい。
数字のゼロとは、実数体あるいは複素数体におけるゼロであり、四則演算で、加法における単位元(基準元)で、和を考える場合、何にゼロを加えても変わらない元として定義される。積を考えて変わらない元が数字の1である:

Wikipedia:ウィキペディア:
初等代数学[編集]
数の 0 は最小の非負整数である。0 の後続の自然数は 1 であり、0 より前に自然数は存在しない。数 0 を自然数に含めることも含めないこともあるが、0 は整数であり、有理数であり、実数(あるいは代数的数、複素数)である。
数 0 は正でも負でもなく、素数でも合成数でも単数でもない。しかし、0は偶数である。
以下は数 0 を扱う上での初等的な決まりごとである。これらの決まりはxを任意の実数あるいは複素数として適用して構わないが、それ以外の場合については何も言及していないということについては理解されなければならない。
加法:x + 0 = 0 +x=x. つまり 0 は加法に関する単位元である。
減法: x− 0 =x, 0 −x= −x.
乗法:x 0 = 0 ·x= 0.
除法:xが 0 でなければ0x= 0 である。しかしx0は、0 が乗法に関する逆元を持たないために、(従前の規則の帰結としては)定義されない(ゼロ除算を参照)。

実数の場合には、数直線で、複素数の場合には複素平面を考えて、すべての実数や複素数は直線や平面上の点で表現される。すなわち、座標系の導入である。
これらの座標系が無ければ、直線や平面はただ伸びたり、拡がったりする空間、位相的な点集合であると考えられるだろう。― 厳密に言えば、混沌、幻のようなものである。単に伸びたり、広がった空間にゼロ、原点を対応させるということは 位置の基準点を定めること と考えられるだろう。基準点は直線や平面上の勝手な点にとれることに注意して置こう。原点だけでは、方向の概念がないから、方向の基準を勝手に決める必要がある。直線の場合には、直線は点で2つの部分に分けられるので、一方が正方向で、他が負方向である。平面の場合には、原点から出る勝手な半直線を基準、正方向として定めて、原点を回る方向を定めて、普通は時計の回りの反対方向を 正方向と定める。これで、直線や平面に方向の概念が導入されたが、さらに、距離(長さ)の単位を定めるため、原点から、正方向の点(これも勝手に指定できる)を1として定める。実数の場合にも複素数の場合にも数字の1をその点で表す。以上で、位置、方向、距離の概念が導入されたので、あとはそれらを基礎に数直線や複素平面(座標)を考える、すなわち、直線と実数、平面と複素数を1対1に対応させる。これで、実数も複素数も秩序づけられ、明瞭に表現されたと言える。ゼロとは何だろうか、それは基準の位置を定めることと発想できるだろう。
― 国家とは何だろうか。国家意思を定める権力機構を定め、国家を動かす基本的な秩序を定めることであると原理を述べることができるだろう。
数直線や複素平面では 基準点、0と1が存在する。これから数学を展開する原理を下記で述べている:

しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。

複素平面ではさらに大事な点として、純虚数i が存在するが、ゼロ除算の発見で、最近、明確に認識された意外な点は、実数の場合にも、複素数の場合にも、ゼロに対応する点が存在するという発見である。ゼロに対応する点とは何だろうか?
直線や平面で実数や複素数で表されない点が存在するであろうか? 無理して探せば、いずれの場合にも、原点から無限に遠ざかった先が気になるのではないだろうか? そうである立体射影した場合における無限遠点が正しくゼロに対応する点ではないかと発想するだろう。その美しい点は無限遠点としてその美しさと自然さ故に100年を超えて数学界の定説として揺るぐことはなかった。ゼロに対応する点は無限遠点で、1/0=∞ と考えられてきた。オイラー、アーベル、リーマンの流れである。
ところが、ゼロ除算は1/0=0 で、実は無限遠点はゼロに対応していることが確認された。
直線を原点から、どこまでも どこまでも遠ざかって行くと、どこまでも行くが、その先まで行くと(無限遠点)突然、ゼロに戻ることを示している。これが数学であり、我々の空間であると考えられる。この発見で、我々の数学の結構な部分が修正、補充されることが分かりつつある。
ゼロ除算は可能であり、我々の空間の認識を変える必要がある。ゼロで割る多くの公式である意味のある世界が広がってきた。それらが 幾何学、解析学、代数学などと調和して数学が一層美しい世界であることが分かってきた。

全ての直線はある意味で、原点、基準点を通ることが示されるが、これは無限遠点の影が投影されていると解釈され、原点はこの意味で2重性を有している、無限遠点と原点が重なっている現象を表している。この2重性は 基本的な指数関数y=e^x が原点で、0 と1 の2つの値をとると表現される。このことは、今後大きな意味を持ってくるだろう。

古来、ゼロと無限の関係は何か通じていると感じられてきたが、その意味が、明らかになってきていると言える。

2点から無限に遠い点 無限遠点は異なり、無限遠点は基準点原点の指定で定まるとの認識は面白く、大事ではないだろうか。
以 上

再生核研究所声明3432017.1.10)オイラーとアインシュタイン

世界史に大きな影響を与えた人物と業績について

再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明339(2016.12.26)インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教

で 触れてきたが、興味深いとして 続けて欲しいとの希望が寄せられた。そこで、ここでは、数学界と物理学界の巨人 オイラーとアインシュタインについて触れたい。

オイラーが膨大な基本的な業績を残され、まるでモーツァルトのように 次から次へと数学を発展させたのは驚嘆すべきことであるが、ここでは典型的で、顕著な結果であるいわゆるオイラーの公式 e^{\pi i} = -1 を挙げたい。これについては相当深く纏められた記録があるので参照して欲しい(
)。この公式は最も基本的な数、-1,\pi, e,i の簡潔な関係を確立しており、複素解析や数学そのものの骨格の中枢の関係を与えているので、世界史への甚大なる影響は歴然である ― オイラーの公式 (e ^{ix} = cos x + isin x) を一般化として紹介できます。 そのとき、数と角の大きさの単位の関係で、神は角度を数で測っていることに気付く。左辺の x は数で、右辺の x は角度を表している。それらが矛盾なく意味を持つためには角は、角の 単位は数の単位でなければならない。これは角の単位を 60 進法や 10 進法などと勝手に決められないことを述べている。ラジアンなどの用語は不要であることが分かる。これが神様方式による角の単位です。角の単位が数ですから、そして、数とは複素数ですから、複素数 の三角関数が考えられます。cos i も明確な意味を持ちます。このとき、たとえば、純虚数の 角の余弦関数が電線をぶらりとたらした時に描かれる、けんすい線として、実際に物理的に 意味のある美しい関数を表現します。そこで、複素関数として意味のある雄大な複素解析学 の世界が広がることになる。そしてそれらは、数学そのものの基本的な世界を構成すること になる。自然の背後には、神の設計図と神の意思が隠されていますから、神様の気持ちを理解し、 また神に近付くためにも、数学の研究は避けられないとなると思います。数学は神学そのものであると私は考える。オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる。― 特にオイラーの公式は、言わば神秘的な数、虚数i、―1, e、\pi などの明確な意味を与えた意義は 凄いこととであると驚嘆させられる。
次に アインシュタインであるが、いわゆる相対性理論として、物理学界の最高峰に存在するが、アインシュタインの公式 E=mc^2 は素人でもびっくりする 簡潔で深い結果である。何と物質エネルギーと等式で結ばれるという。このような公式の発見は人類の名誉に関わる基本的な結果と考えられる。アインシュタインが、時間、空間、物質、エネルギー、光速の基本的な関係を確立し、現代物理学の基礎を確立している。
ところで、上記巨人に共通する面白い話題が存在する。 オイラーがゼロ除算を記録に残し 1/0=\infty と記録し、広く間違いとして指摘されている。 他方、 アインシュタインは次のように述べている:

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (
Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).

今でも、この先を、特に特殊相対性理論との関係で 0/0=1 であると頑強に主張したり、想像上の数と考えたり、ゼロ除算についていろいろな説が存在して、混乱が続いている。
しかしながら、ゼロ除算については、決定的な結果を得た と公表している。すなわち、分数、割り算は自然に一意に拡張されて、 1/0=0/0=z/0=0 である。無限遠点は 実はゼロで表される:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Announcement 326: The division by zero z/0=0/0=0 - its impact to human beings through education and research
以 上

再生核研究所声明335(2016.11.28)  ゼロ除算における状況

ゼロ除算における状況をニュース方式に纏めて置きたい。まず、大局は:
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更 かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド幾何学とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。
1.ゼロ除算未定義、不可能性は 割り算の意味の自然な拡張で、ゼロで割ることは、ゼロ除算は可能で、任意の複素数zに対してz/0=0であること。もちろん、普通の分数の意味ではないことは 当然である。ところが、数学や物理学などの多くの公式における分数は、拡張された分数の意味を有していることが認められた。ゼロ除算を含む、四則演算が何時でも自由に出来る簡単な体の構造、山田体が確立されている。ゼロ除算の結果の一意性も 充分広い世界で確立されている。
2.いわゆる複素解析学で複素平面の立体射影における無限遠点は1/0=0で、無限ではなくて複素数0で表されること。
3. 円に関する中心の鏡像は古典的な結果、無限遠点ではなくて、実は中心それ自身であること。球についても同様である。
4.       孤立特異点で 解析関数は有限確定値をとること。その値が大事な意味を有する。ゼロ除算算法。
5. x,y 直交座標系で y軸の勾配は未定とされているが、実はゼロであること;  \tan (\pi/2) =0. ― ゼロ除算算法の典型的な例。
6. 直線や平面には、原点を加えて考えるべきこと。平行線は原点を共有する。原点は、直線や平面の中心であること。この議論では座標系を固定して考えることが大事である。
7. 無限遠点に関係する図形や公式の変更。ユークリッド空間の構造の変更、修正。
8. 接線法線の考えに新しい知見。曲率についての定義のある変更。
9. ゼロ除算算法の導入。分母がゼロになる場合にも、分子がゼロでなくても、ゼロになっても、そこで意味のある世界。いろいろ基本的な応用がある。
10.従来微分係数が無限大に発散するとされてきたとき、それは 実はゼロになっていたこと。微分に関する多くの公式の変更。
11.微分方程式の特異点についての新しい知見、特異点で微分方程式を満たしているという知見。極で値を有することと、微分係数が意味をもつことからそのような概念が生れる。
12.図形の破壊現象の統一的な説明。例えば半径無限の円(半平面)の面積は、実はゼロだった。
13.確定された数としての無限大、無限は排斥されるべきこと。
14.ゼロ除算による空間、幾何学、世界の構造の統一的な説明。物理学などへの応用。
15.解析関数が自然境界を超えた点で定まっている新しい現象が確認された。
16.領域上で定義される領域関数を空間次元で微分するという考えが現れた。
17.コーシー主値やアダマール有限部分に対する解釈がゼロ除算算法で発見された。
18.log 0=0、 及び e^0 が2つの値1,0 を取ることなど。初等関数で、新しい値が発見された。

資料:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
*156  Qian,T./Rodino,L.(eds.):
       Mathematical Analysis, Probability and
        Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.
           (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177)
             Sep. 2016   305 pp.
             (Springer)     9783319419435   25,370.
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える
以 上

再生核研究所声明316(2016.08.19) ゼロ除算における誤解

(2016年8月16日夜,風呂で、ゼロ除算の理解の遅れについて 理由を纏める考えが独りでに湧いた。)
                                                     
6歳の道脇愛羽さんたち親娘が3週間くらいで ゼロ除算は自明であるとの理解を示したのに、近い人や指導的な数学者たちが1年や2年を経過してもスッキリ理解できない状況は 世にも稀なる事件であると考えられる。ゼロ除算の理解を進めるために その原因について、掘り下げて纏めて置きたい。
まず、結果を聞いて、とても信じられないと発想する人は極めて多い。割り算の意味を自然に拡張すると1/0=0/0=z/0 となる、関数y=1/xの原点における値がゼロであると結果を表現するのであるが、これらは信じられない、このような結果はダメだと始めから拒否する理由である。
先ずは、ゼロでは割れない、割ったことがない、は全ての人の経験で、ゼロの記録Brahmagupta(598– 668?) 以来の定説である。しかも、ゼロ除算について天才、オイラーの1/0を無限大とする間違いや、不可能性についてはライプニッツ、ハルナックなどの言明があり、厳格な近代数学において確立した定説である。さらに、ゼロ除算についてはアインシュタインが最も深く受け止めていたと言える:(George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} :Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.)。
一様に思われるのは、割り算は掛け算の逆であり、直ぐに不可能性が証明されてしまうことである。ところが、上記道脇親娘は 割り算と掛け算は別であり、割り算は、等分の考えから、掛け算ではなく、引き算の繰り返し、除算で定義されるという、考えで、このような発想から良き理解に達したと言える。
ゼロで割ったためしがないので、ゼロ除算は興味も、関心もないと言明される人も多い。
また、割り算の(分数の)拡張として得られた。この意味は結構難しく、何と、1/0=0/0=z/0 の正確な意味は分からないというのが 真実である。論文ではこの辺の記述は大事なので、注意して書いているが 真面目に論文を読む者は多いとは言えないないから、とんでもない誤解をして、矛盾だと言ってきている。1/0=0/0=z/0 らが、普通の分数のように掛け算に結びつけると矛盾は直ぐに得られてしまう。したがって、定義された経緯、意味を正確に理解するのが 大事である。数学では、定義をしっかりさせる事は基本である。― ゼロ除算について、情熱をかけて研究している者で、ゼロ除算の定義をしっかりさせないで混乱している者が多い。
次に関数y=1/xの原点における値がゼロである は 実は定義であるが、それについて、面白い見解は世に多い。アリストテレス(Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)の世界観の強い影響である。ゼロ除算の歴史を詳しく調べている研究者の意見では、ゼロ除算を初めて考えたのはアリストテレスで真空、ゼロの比を考え、それは考えられないとしているという。ゼロ除算の不可能性を述べ、アリストテレスは 真空、ゼロと無限の存在を嫌い、物理的な世界は連続であると考えたという。西欧では アリストテレスの影響は大きく、聖書にも反映し、ゼロ除算ばかりではなく、ゼロ自身も受け入れるのに1000年以上もかかったという、歴史解説書がある。ゼロ除算について、始めから国際的に議論しているが、ゼロ除算について異様な様子の背景にはこのようなところにあると考えられる。関数y=1/xの原点における値が無限に行くと考えるのは自然であるが、それがx=0で突然ゼロであるという、強力な不連続性が、感覚的に受け入れられない状況である。解析学における基本概念は 極限の概念であり、連続性の概念である。ゼロ除算は新規な現象であり、なかなか受け入れられない。
ゼロ除算について初期から交流、意見を交わしてきた20年来の友人との交流から、極めて基本的な誤解がある事が、2年半を越えて判明した。勿論、繰り返して述べてきたことである。ゼロ除算の運用、応用についての注意である。
具体例で注意したい。例えば簡単な関数 y=x/(x -1) において x=1 の値は 形式的にそれを代入して 1/0=0 と考えがちであるが、そのような考えは良くなく、y = 1 + 1/(x -1) からx=1 の値は1であると考える。関数にゼロ除算を適用するときは注意が必要で、ゼロ除算算法に従う必要があるということである。分子がゼロでなくて、分母がゼロである場合でも意味のある広い世界が現れてきた。現在、ゼロ除算算法は広い分野で意味のある算法を提起しているが、詳しい解説はここでは述べないことにしたい。注意だけを指摘して置きたい。
ゼロ除算は アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更 かつて無かった事である。と述べ、大きな数学の改革を提案している:
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する

以 上

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