2017年1月24日火曜日

年金支給「70歳から」に? ターゲットは団塊ジュニア世代

年金支給「70歳から」に? ターゲットは団塊ジュニア世代


 1月5日に日本老年学会が行った会見にて、「高齢者は75歳から」とする提言がなされた。ワーキンググループにて座長を務めた大内尉義(やすよし)・東大名誉教授(老年医学)は「提言はあくまで医学の立場からのもので、財政的な問題は全く念頭にない」と断るが、年金の支給年齢引き上げを促す材料に用いられると懸念する声も上がる。

 経済アナリストの森永卓郎氏は、

「昨年、世界保健機関(WHO)が発表した15年の日本の健康寿命は75歳ですから、支給開始をそこまで引き上げるのは、さすがに無理でしょう」

 としながらも、

「厚労省は、実は70歳に引き上げようとしています。彼らが少なくとも5年ごとに年金財政の現況と見通しを公表する『財政検証』のうち、14年6月のレポートでは8つのケースが紹介されており、うち5つは65歳から69歳までの労働力率が66・7%に設定されていました。これは10人に7人が70歳まで働かないと厚生年金の所得代替率、つまり現役世代の手取り収入の何%を受け取れるかという数字が50%を保てない、との検証結果を意味しています。2030年度以降も、厚労省は3年に1歳ずつ引き上げて70歳に近づけようとしており、このペースでいくと、2045年度には支給開始年齢が完全に70歳となります」

そのターゲットは“団塊ジュニア”だと指摘するのは、特定社会保険労務士の稲毛由佳氏である。

「彼らは就職氷河期を経験し、貧困が顕在化しています。非正規雇用のために厚生年金が積み上がっていない率が高く、また親世代の年金を頼りにするパラサイトも多い。現行のまま団塊ジュニアが受給年齢を迎えれば、支給額が20%近く減るのは必至で、それを避けるには支給開始年齢を引き上げるしかないのです」

■定年は延長といかず
 社会保険労務士の北村庄吾氏は、

「現在の年金制度は世代間扶養方式。現役の保険料で引退した人の年金を作っていて、それで足りずに国が不足分を捻出しているわけです。1960年当時は11人で1人を支えていたのが今は2・5人で1人、2050年には1・3人で1人になっていくのだから、システムがもつはずがない。どこかで抜本的な制度見直しをしないといけないのですが、それに手をつけると政権維持が難しくなるから、現状は株価対策をしつつGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用益で凌いでいるのです」

 今年から65歳以上にも雇用保険が適用されることになり、また確定拠出年金(DC)への加入も、個人型の対象が公務員や主婦などに拡大。企業型も中小企業向けに簡易制度が創設された。

「年金制度自体はすでに風前の灯で、だからこそ政府はDCを拡充した。年金も自分で作っていかねばならない時代に突入してしまったということです」(同)

 そんな日常と、いかに折り合えばよいというのか。先の森永氏が言う。

「支給年齢が70歳まで引き上げられても、世間は70歳定年制とはなりません。今でも65歳定年制を導入しているのは、ごく一部の大企業や優良企業、公務員のみです。現実には継続雇用の場合、60歳で定年を迎えてパートタイマーとして週3日とか、フルタイムでなく数時間とか、勤務を短縮する形でそれまでの給料の半分、あるいは3分の1程度を貰う。そんなスタイルが大多数を占めることになるでしょう」

 つまりは、働きながら年金程度の額しか手にできない暮らしが10年ほど続くというわけだ。で、

「収入が3分の1になるかも知れないのだから、まずは生活コストを下げることです。昭和35年の実質賃金は現在の5分の1でしたが、何とかやっていけました。ローンを抱えていない夫婦なら、月に10万円あれば食べていける。『高齢者層』に入る前に、こうした術を身につけておくべきです」(同)

 つくづく世知辛くなったものである。

特集「ついこの間までは後期高齢者が……突然『高齢者は75歳以上』提言は『年金受給』後ろ倒しの大陰謀?」より

「週刊新潮」2017年1月19日号 掲載

再生核研究所声明287(2016.02.12) 
神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算

(最近 相当 ゼロ除算について幅広く歴史、状況について調べている。)
ゼロ除算とは ゼロで割ることを考えることである。ゼロがインドで628年に記録され、現代数学の四則演算ができていたが、そのとき、既にゼロで割ることか考えられていた。しかしながら、その後1300年を超えてずっと我々の研究成果以外解決には至っていないと言える。実に面白いのは、628年の時に、ゼロ除算は正解と判断される結果1/0=0が期待されていたということである。さらに、詳しく歴史を調べているC.B. Boyer氏の視点では、ゼロ除算を最初に考えたのはアリストテレスであると判断され、アリストテレスは ゼロ除算は不可能であると判断していたという。― 真空で比を考えること、ゼロで割ることはできない。アリストテレスの世界観は 2000年を超えて現代にも及び、我々の得たゼロ除算はアリストテレスの 世界は連続である に反しているので受け入れられないと 複数の数学者が言明されたり、情感でゼロ除算は受け入れられないという人は結構多い。
数学界では,オイラーが積極的に1/0 は無限であるという論文を書き、その誤りを論じた論文がある。アーベルも記号として、それを無限と表し、リーマンもその流れで無限遠点の概念を持ち、リーマン球面を考えている。これらの思想は現代でも踏襲され、超古典アルフォースの複素解析の本にもしっかりと受け継がれている。現代数学の世界の常識である。これらが畏れ多い天才たちの足跡である。こうなると、ゼロ除算は数学的に確定し、何びとと雖も疑うことのない、数学的真実であると考えるのは至極当然である。― ゼロ除算はそのような重い歴史で、数学界では見捨てられていた問題であると言える。
しかしながら、現在に至るも ゼロ除算は広い世界で話題になっている。 まず、顕著な研究者たちの議論を紹介したい:

論理、計算機科学、代数的な体の構造の問題(J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker)、
特殊相対性の理論とゼロ除算の関係(J. P. Barukcic and I. Barukcic)、
計算器がゼロ除算に会うと実害が起きることから、ゼロ除算回避の視点から、ゼロ除算の研究(T. S. Reis and James A.D.W. Anderson)。
またフランスでも、奇怪な抽象的な世界を建設している人たちがいるが、個人レベルでもいろいろ奇怪な議論をしている人があとを立たない。また、数学界の難問リーマン予想に関係しているという。

直接議論を行っているところであるが、ゼロ除算で大きな広い話題は 特殊相対性理論、一般相対性理論の関係である。実際、物理とゼロ除算の関係はアリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインの中心的な課題で、それはアインシュタインの次の意味深長な言葉で表現される:

Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1.    Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

数学では不可能である、あるいは無限遠点と確定していた数学、それでも話題が尽きなかったゼロ除算、それが予想外の偶然性から、思いがけない結果、ゼロ除算は一般化された除算,分数の意味で、何時でも唯一つに定まり、解は何時でもゼロであるという、美しい結果が発見された。いろいろ具体的な例を上げて、我々の世界に直接関係する数学で、結果は確定的であるとして、世界の公認を要請している:
再生核研究所声明280(2016.01.29)  ゼロ除算の公認、認知を求める
Announcement 282: The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday

数学基礎学力研究会のホームページ

以 上


何故ゼロ除算が不可能であったか理由

1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。

Matrices and Division by Zero z/0 = 0


再生核研究所声明290(2016.03.01) 神の隠し事、神の意地悪、人類の知能の程

オイラーの公式 e^{pi i}= -1 は最も基本的な数、-1, pi, i, eの4つの数の間の簡潔な関係を確立させているとして、数学とは何かを論じて、神秘的な公式として、その様を詳しく論じた(No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 -ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。)。
余りにも深い公式なので、神の人類に対する意地悪かと表現して、神は恥ずかしがり屋で、人類があまりに神に近づくのを嫌がっているのではないかと発想した。
ここ2年間、ゼロ除算を発見して、ゼロ除算の実在性は確信できたが、ゼロ除算の神秘的な歴史(再生核研究所声明287(2016.02.13)神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算)とともに、誠に神秘的な性質があるので その神秘性に触れたい。同時に これを未解決の問題として世に提起したい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えるであるが、アリストテレス以来問題とされ、ゼロの記録がインドで初めて628年になされているが、既にそのとき、正解1/0が期待されていたと言う。しかし、理論づけられず、その後1300年を超えて、不可能である、あるいは無限、無限大、無限遠点とされてきたものである。天才オイラーの無限であることの証明とその誤りを論じた論文があるが、アーベル、リーマンと継承されて現在に至る。他方極めて面白いのは、アリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインで問題にされ、下記の貴重な言葉が残されている:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1.    Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

現在、ゼロ除算の興味、関心は 相対性の理論との関係と、ゼロ除算が計算機障害を起すことから、論理の見直しと数体系の見直しの観点にある。さらに、数学界の難問、リーマン予想に関係していると言う。
ゼロ除算の神秘的な歴史は、早期の段階で ゼロ除算、割り算が乗法の逆で、不可能であるとの烙印を押され、確定的に、 数学的に定まった と 人は信じてしまったことにあると考えられる。さらに、それを天才達が一様に保証してきたことにある。誠に重い歴史である。
第2の要素も、極めて大事である。アリストテレス以来、連続性で世界を考える が世界を支配してきた基本的な考え方である。関数y=1/x の原点での値を考えるとき、正方向、あるいは 負方向からゼロに近づけば、正の無限や負の無限に近づくのをみて、ゼロ除算とは無限の何か、無限遠と考えるのは極めて自然で、誰もがそのように考えるだろう。
ところが、結果はゼロであるというのであるから、驚嘆して、多くの人は それは何だと顔さえしかめたものである。しばらく、話さえできない状況が国際的にも一部の友人たちの間でも1年を超えても続いた。 そこで、最近、次のような文書を公表した:

ゼロ除算についての謎 ― 神の意思は?:
ゼロ除算は数学的な真実で、我々の数学の基本的な結果です。ところが未だ、謎めいた現象があり、ゼロ除算の何か隠れた性質が有るように感じます。それはギリシャ、アリストテレスの世界観、世の連続性を否定し、強力な不連続性を表しています。強力な不連続性は普遍的に沢山あることが分かりましたが、肝心な次の等角写像での不連続性が分かりません:複素関数
W = z+ 1/z
は 単位円の外と内を [-2,+2] を除いた全複素平面上に一対一上へ等角に写します。単位円は[-2,+2]を往復するようにちょうど写ります。単位円が少しずれると飛行機の翼の断面のような形に写るので、航空力学での基本関数です。問題は、原点が所謂無限遠点に写っているということです。ところがゼロ除算では、無限遠点は空間の想像上の点としては考えられても、数値では存在せず、数値としては、その代わりに原点ゼロで、それで原点に写っていることになります。それで強力な不連続性を起こしている。
神が、そのように写像を定めたというのですが、何か上手い解釈が有るでしょうか?
神の意思が知りたい。
2016.2.27.16:46
既に 数学における強力な不連続性は 沢山発見され、新しい世界観として定着しつつあるが、一般の解析関数の孤立特異点での確定値がどのような意味があり、なぜそのような不連続性が存在するのかは、神の意思に関わることで、神秘的な問題ではないだろうか。 神秘の世界があることを指摘して置きたい。 
以 上
Matrices and Division by Zero z/0 = 0

再生核研究所声明3432017.1.10)オイラーとアインシュタイン

世界史に大きな影響を与えた人物と業績について

再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明339(2016.12.26)インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教

で 触れてきたが、興味深いとして 続けて欲しいとの希望が寄せられた。そこで、ここでは、数学界と物理学界の巨人 オイラーとアインシュタインについて触れたい。

オイラーが膨大な基本的な業績を残され、まるでモーツァルトのように 次から次へと数学を発展させたのは驚嘆すべきことであるが、ここでは典型的で、顕著な結果であるいわゆるオイラーの公式 e^{\pi i} = -1 を挙げたい。これについては相当深く纏められた記録があるので参照して欲しい(
)。この公式は最も基本的な数、-1,\pi, e,i の簡潔な関係を確立しており、複素解析や数学そのものの骨格の中枢の関係を与えているので、世界史への甚大なる影響は歴然である ― オイラーの公式 (e ^{ix} = cos x + isin x) を一般化として紹介できます。 そのとき、数と角の大きさの単位の関係で、神は角度を数で測っていることに気付く。左辺の x は数で、右辺の x は角度を表している。それらが矛盾なく意味を持つためには角は、角の 単位は数の単位でなければならない。これは角の単位を 60 進法や 10 進法などと勝手に決められないことを述べている。ラジアンなどの用語は不要であることが分かる。これが神様方式による角の単位です。角の単位が数ですから、そして、数とは複素数ですから、複素数 の三角関数が考えられます。cos i も明確な意味を持ちます。このとき、たとえば、純虚数の 角の余弦関数が電線をぶらりとたらした時に描かれる、けんすい線として、実際に物理的に 意味のある美しい関数を表現します。そこで、複素関数として意味のある雄大な複素解析学 の世界が広がることになる。そしてそれらは、数学そのものの基本的な世界を構成すること になる。自然の背後には、神の設計図と神の意思が隠されていますから、神様の気持ちを理解し、 また神に近付くためにも、数学の研究は避けられないとなると思います。数学は神学そのものであると私は考える。オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる。― 特にオイラーの公式は、言わば神秘的な数、虚数i、―1, e、\pi などの明確な意味を与えた意義は 凄いこととであると驚嘆させられる。
次に アインシュタインであるが、いわゆる相対性理論として、物理学界の最高峰に存在するが、アインシュタインの公式 E=mc^2 は素人でもびっくりする 簡潔で深い結果である。何と物質エネルギーと等式で結ばれるという。このような公式の発見は人類の名誉に関わる基本的な結果と考えられる。アインシュタインが、時間、空間、物質、エネルギー、光速の基本的な関係を確立し、現代物理学の基礎を確立している。
ところで、上記巨人に共通する面白い話題が存在する。 オイラーがゼロ除算を記録に残し 1/0=\infty と記録し、広く間違いとして指摘されている。 他方、 アインシュタインは次のように述べている:

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (
Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).

今でも、この先を、特に特殊相対性理論との関係で 0/0=1 であると頑強に主張したり、想像上の数と考えたり、ゼロ除算についていろいろな説が存在して、混乱が続いている。
しかしながら、ゼロ除算については、決定的な結果を得た と公表している。すなわち、分数、割り算は自然に一意に拡張されて、 1/0=0/0=z/0=0 である。無限遠点は 実はゼロで表される:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Announcement 326: The division by zero z/0=0/0=0 - its impact to human beings through education and research
以 上

再生核研究所声明3472017.1.17) 真実を語って処刑された者

まず歴史的な事実を挙げたい。Pythagoras、紀元前582年 - 紀元前496年)は、ピタゴラスの定理などで知られる、古代ギリシア数学者哲学者。彼の数学や輪廻転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与えた。「サモスの賢人」、「クロトンの哲学者」とも呼ばれた(ウィキペディア)。辺の長さ1の正方形の対角線の長さが ル-ト2であることがピタゴラスの定理から導かれることを知っていたが、それが整数の比で表せないこと(無理数であること)を発見した弟子Hippasusを 無理数の世界観が受け入れられないとして、その事実を隠したばかりか、その事実を封じるために弟子を殺してしまったという。
また、ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548年 - 1600年2月17日)は、イタリア出身の哲学者ドミニコ会修道士。それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、コペルニクス地動説を擁護した。異端であるとの判決を受けても決して自説を撤回しなかったため、火刑に処せられた。思想の自由に殉じた殉教者とみなされることもある。彼の死を前例に考え、轍を踏まないようにガリレオ・ガリレイは自説を撤回したとも言われる(ウィキペディア)。

さらに、新しい幾何学の発見で冷遇された歴史的な事件が想起される:
非ユークリッド幾何学の成立
ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。
ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した(ウィキペディア)。

知っていて、科学的な真実は人間が否定できない事実として、刑を逃れるために妥協したガリレオ、世情を騒がせたくない、自分の心をそれ故に乱したくない として、非ユークリッド幾何学について 相当な研究を進めていたのに 生前中に公表をしなかった数学界の巨人 ガウスの処世を心に留めたい。
ピタゴラス派の対応、宗教裁判における処刑、それらは、真実よりも権威や囚われた考えに固執していたとして、誠に残念な在り様であると言える。非ユークリッド幾何学の出現に対する風潮についても2000年間の定説を覆す事件だったので、容易には理解されず、真摯に新しい考えの検討すらしなかったように見える。
真実を、真理を求めるべき、数学者、研究者、宗教家のこのような態度は相当根本的におかしいと言わざるを得ない。実際、人生の意義は帰するところ、真智への愛にあるのではないだろうか。本当のこと、世の中のことを知りたいという愛である。顕著な在り様が研究者や求道者、芸術家達ではないだろうか。そのような人たちの過ちを省みて自戒したい: 具体的には、

1)  新しい事実、現象、考え、それらは尊重されるべきこと。多様性の尊重。
2)  従来の考えや伝統に拘らない、いろいろな考え、見方があると柔軟に考える。
3)  もちろん、自分たちの説に拘ったりして、新しい考え方を排除する態度は恥ずべきことである。どんどん新しい世界を拓いていくのが人生の基本的な在り様であると心得る。
4)  もちろん、自分たちの流派や組織の利益を考えて新規な考えや理論を冷遇するのは真智を愛する人間の恥である。
5)  巨人、ニュートンとライプニッツの微積分の発見の先取争いに見られるような過度の競争意識や自己主張は、浅はかな人物に当たるとみなされる。真智への愛に帰するべきである。

数学や科学などは 明確に直接個々の人間にはよらず、事実として、人間を離れて存在している。従って無理数も非ユークリッド幾何学も、地球が動いている事も、人間に無関係で そうである事実は変わらない。その意味で、多数決や権威で結果を決めようとしてはならず、どれが真実であるかの観点が決定的に大事である。誰かではなく、真実はどうか、事実はどうかと真摯に、真理を追求していきたい。
人間が、人間として生きる究極のことは、真智への愛、真実を知りたい、世の中を知りたい、神の意思を知りたいということであると考える。 このような観点で、上記世界史の事件は、人類の恥として、このようなことを繰り返さないように自戒していきたい(再生核研究所声明 41(2010/06/10): 世界史、大義、評価、神、最後の審判)。

以 上

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