人を助けるためならば、例え法やルールを犯しても神は許してくれるでしょうか?日本昔ばなしの「あとかくしの雪」を観て思ったのですが・・・。
この「あとかくしの雪」、タイトル見りゃ大体分かると思いますが一応ネタバレになるので多くは語りません。
罰せられるはずの人間が奇跡的に罰を免れたというお話です。ただこの人間、ただ悪事を働いたというわけではなく、会ったばかりの赤の他人を助けるために自分は犠牲になっても良いという覚悟で法を犯しています。結果的にある出来事がきっかけで御用にはならなかったですが、その出来事が善行を見逃さなかった神によるご意思か、大自然の悪戯かは定かではありません。これを初めて見たとき、涙腺がウルッとしましたし、とても考えさせられる内容だとも思いました。
ええ、確かに感動しましたとも。でも、自己犠牲とか人情とか、そういうので誤魔化して罪をウヤムヤにするのはよろしくないとも思いました。法を破るまでのプロセスなんかは破られる側からしたらどうでもいいことだし、きちんと罰は受けるべきだと思います。これはアニメだからそういうお話で良いのですが、これを現実に持ち込んで教訓とするのは駄目なような気がします。
法や罰は 状況によって変わる という視点が大事では?
微妙な状況は いろいろ有りますね。
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