2014年6月30日月曜日

記事 (チェコ好き)2014年06月26日 11:37「誰がいったか」と「何をいったか」と「何をいわなかったか」

記事
(チェコ好き)2014年06月26日 11:37「誰がいったか」と「何をいったか」と「何をいわなかったか」

インターネット上の発言において、「誰がいったか」「何をいったか」みたいな話題をよく見かけるし、私もそれについて、いろいろ書いたことがあります。
ブログやSNSでプロフィールをはっきり書くと、ラクできる? - (チェコ好き)の日記
顔が見えない、匿名でいくらでも嘘がつける場所だからこそそういう話題がのぼるわけですし、何の肩書きもない個人が、時と条件が重なれば発言力をもてるようになったというのは、本当に面白い時代だよなー、と思います。
「誰がいったか」と「何をいったか」と「何をいわなかったか」
ただし、場所はあくまでも全世界の人がアクセスできるインターネットなわけで、当然ながら自分の日記や手帳のように、何でもかんでもポイポイ書けるわけではありません。自分の本名や顔写真を出す人はいても、家族や友人の名前や顔写真を出す人はなかなかいないです。あとは、「書かないもの」の代表といったら住所ですよね。加えて会社員の方だと、業務に関する細かいことなども書けません。
しかし、それくらいは常識として共有しているとしても、もう少しハードルが下がってくると、「書く話題」と「書かない話題」を書き手がどう線引きしているか、という部分はかなり個人差が出てくるような気がします。私自身は、実はかなり「書かない話題」というのを意識しているんですが、他の人はどうなのかなー、とふと思いました。
そんなわけで今回は、いささか「そんなもん公開されても」というかんじではありますが、私のなかで「書かない話題」ということになっている、3つのことを発表してみようと思います。
1 ブログのテーマから大きく逸脱すること
私のブログは芸術や文学のことを書く場ということになっていて、それらのテーマから大きく逸脱する話題に関しては、ちょっといいたいことがあっても口を閉じることにしています。ただ、「書く」という行為は呪いのようなものなので、私のように2年もブログをやっていると、書いた内容にどんどん自分が引っ張られていくようにかんじます。つまりどういうことかというと、芸術や文学から大きく逸脱するテーマに関しては「書かない」はずだったのが、「書けない」ようになってきてしまった、というわけです。「書けない」ということは「考えない」「考えられない」に近いものがあるので、私の脳内はほとんどがこのブログのテーマのような内容で構成されるようになってきてしまいました。
それを自ら望んでいた部分もあるし、別にだからどうこうしようとは思っていないのですが、ブログテーマをこれと決めずに書き続けている人は私にとって尊敬の対象です。星の数ほどある話題のなかから、どうやって書くことを拾ってくるのだろうと。
とはいえ、このエントリ自身がそうであるように、ブログテーマから逸脱することもたまには書いてしまうのですが。
2 個人的なネガティブ感情
これはおそらく私がアホだからだと思うのですが、私の脳みそは書いた言葉・見た聞いた言葉・読んだ言葉にとても洗脳されやすくできているらしくて、そのために個人的なネガティブ感情は、インターネット上で吐かないようにけっこう気を遣っています。
どういうことかというと、例えば何かに対してイライラしてしまったとして、そのときのイライラ度を「1」とします。ところが、それを日記や手帳などの紙に「イライラした」と書いてしまうと、イライラ度が「3」になってしまうんですね。さらに私の場合、それをネット上で「イライラした」と発言してしまうと、もともとのイライラ度は「1」に過ぎなかったのに、それがイッキに「10」くらいになってしまいます。何かに記録したり周囲の目に晒すことで、感情が増幅してしまうことがあるんですね。
これにはもちろんプラスの作用もあって、何かに対して「面白い!」と思ったとして、そのときの面白さを「1」とすると、ブログなどに書いたことによって「1」に過ぎなかった「面白い!」という感情が、「10」になります。だからというわけでもないんですが、私のブログは、サブタイトルに「毎日楽しい」という言葉が入っています。これによって、本当に毎日が楽しく……っていうと何かの宗教みたいですが、まぁしかし私は実際毎日楽しいです。まじで。
3 面白くないこと
が、いってしまうと前述した1と2は「オマケ」に過ぎなくて、私のなかで「いわないこと」「書かない話題」というのを一言でまとめると、「面白くないこと」。これに尽きます。いうからにはウケないとつまらないし(私が)、ウケてほしいと思っています。
もちろん、始終見る人読む人を笑わせ、感心させ続けることができるわけではないんですが、それは“結果として”面白くはならなかった、という話で、私自身はいつも「面白いこと」をいう人間でありたいと思っています。何かにつけて「それって面白いの?」さらにいうと「それを“私が”いうことって面白いの? 他の人がいうんでないの?」と自問自答してしまいます。この究極のウケ狙い思考はどこで身につけたのか、身につけてしまったのかはわかりませんが、これはブログの書き手としては(実力はともかく)思想としてはなかなかマッチョだよなー、と我ながら思います。
私はもちろん純粋に観ていて楽しいのでチェコの映画が好きになったんですが、「チェコ映画」というジャンルに競争相手がいなかったこと、「これだったらラクして勝てるかもしれない」と考えてその道に進んだ部分も間違いなくあります。だれもが関心がある分野、言及する分野で生き残るのは大変ですが、「ほとんどだれもいわないこと」でウケるのはわりかし簡単です。だから私はやっぱり“(フランス好き)の日記”でもなく(イタリア好き)の日記”でもなく、“(チェコ好き)の日記”が書きたいです。本当はイタリアも大好きなんですけどね。
★★★
……と書くと、方々から「じゃあアンタはそれが“面白い”と思ってんのね?」というツッコミをされそうでおそろしくもあるのですが、いうからには面白くありたいし、「面白いか面白くないか」は、このブログに限らず私の人生の命題でもあります。
「書く」「書かない」ってどこで線引きしてるんだろうなぁみんな、という話でした。http://blogos.com/article/89264/
どうして書くのか?それは面白いですね。 読んで頂くためですから、意見表明では?
共感、共鳴を求めている。
意見を求めている?
再生核研究所声明 51(2011.3.4):  ツイッターにおける 意義と心得
ツイッターが 盛んになって、世論や政治にも大きな影響が出るようになってきた。 また、俳句や、和歌のような 趣味の一種、楽しみの一種になっている者も多いのではないだろうか。 自戒も込めて、ツイッターの意義、注意や問題などについて、考察し、ツイッターの世界をより楽しく、充実させるようにしたい。
ツイッターの原語は 呟き という、呟きとは、小鳥が 少し囀る ように、何か気持ちを、本音を率直に、短的に表現するものではないだろうか。 純粋、呟きは、したがって、先ずは 率直な気持ちの表現である ということになるのではないだろうか。 先ず、このもともとの意味 を尊重したい。 従って ツイッターの世界には 人々の率直な 心の、気持ちの世界 が反映されていると理解できる。将来、万葉集のように 人々の様子を写した 貴重な記録にもなる可能性が高いのではないだろうか。
しかしながら、それらとは裏腹に、直ちに公開する というところに、日記や自分の記録とは違った意味、すなわち、多くの人に伝えたいという、明確な意思があり、更に公開には、
1) インターネットを通して どこまでも広まること
2) インターネットの世界で、記録され、検索され、長く保存され、修正が、事実上できない状況になっている ということである。
このような状況は、間違ったことや、修正しなければならないようなことは 迂闊には書けない ということを意味する。 注意したい。
一応 フォローという特定の人が自然に見られる建前であっても、上記2件から、逆に自分の意志を広範囲に伝えたい、あるいは何かの宣伝に、仕事などに活用したい と考えるのは当然である。従って
A) 政治問題や社会問題についての見解、提案、批判、建議など、社会問題が大きな比重を占めるのは当然である。
B) 仕事、ビジネスなど 適当な活用は当然であるが、行き過ぎると 仲間に嫌われる可能性が高いのではないだろうか。
C) 市民生活における 話題、いろいろ面白い話題や、変わった話題で、人々が興味を持ちそうな話題は 歓迎されるのでは。
D) 教育問題、人生問題、哲学、科学の問題についても 前向きに考えられる話題として挙げておきたい。
ツイッターの 他の特徴としては
川の流れのように、呟きは、どんどん流れ、偶然に覗いていた人だけが見るだけで、殆どは注目されないで、ツイッターの世界からは 消えて行ってしまうという 儚さ、空しさである。
そのために、空しさを承知で、深入りをせず、自分の生活とペースを整えて、気持ち良く、呟くのが良いのではないだろうか。 
社会や世の中にとって良いと思われるものについては、リツイートして、どんどん世に拡散して、世の中を明るくしたい、文化レベルの向上に、情報環境の美化にも 利用したい。
賛否の意見表明、同感、反対など、返信して、一方的でない交流も大事で、貴重なものになるのではないだろうか。
長期の保存と長文が可能なブログなどと併用すると 自分の意見を表明する機会を 大幅に増やすことができ、外国語が得意な人は 更に国境を越えて 意見を表明できる機会を得るので、積極的な取り組みを期待したい。 間もなく、いろいろな言語に翻訳されて、言葉の壁も乗り越えられる時代が近いのではないかと期待される。
簡単に意見を広く表明できる時代とは、新しい時代の夜明け ではないだろうか。 多くの人の意見が 自由に交流できる世界とは どのような世界になるのか、いろいろ問題点などをも含めて 注目し、今後の問題点、影響などについても検討して行きたい。 例えば、多くの呟きから、価値あるものを選択して、得る方法などが 基本的な問題ではないだろうか。 実際、沢山の人々が自由に 呟けば、どのようにして、価値ある情報を得るかは、本質的な問題になる。 雑情報に 時間をとられる危険性が高いからである。
人間とは、じんかん であり、人と人の交流が 生きている証拠 でもあるから、大きな自由性と可能性を創造された、このようなシステムの考案者及び管理運営を行っている方々に対して、敬意と謝意を表したい。
以 上

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