2014年6月30日月曜日

物事の正誤、善悪というものは、結局コミュニケーション(人間関係とその感情)で決まるのでしょうか? 私は、論理というのは感情を挟まないものだと今まで思っていたのですが、 他の方の意見を見ていると、論理を形成する根本にはまず常識があり、常識は人の感情で決まるものという考え方があるように思えます。 正誤判断、善悪の区別というのは、人と人の間でどう感じるかが大きく影響する、ということでしょうか? それは、感情を挟まない理屈と比較すると、反発、矛盾が生まれないでしょうか? そういう場合は、感情の方が優先されるのでしょうか?

物事の正誤、善悪というものは、結局コミュニケーション(人間関係とその感情)で決まるのでしょうか?
私は、論理というのは感情を挟まないものだと今まで思っていたのですが、
他の方の意見を見ていると、論理を形成する根本にはまず常識があり、常識は人の感情で決まるものという考え方があるように思えます。
正誤判断、善悪の区別というのは、人と人の間でどう感じるかが大きく影響する、ということでしょうか?
それは、感情を挟まない理屈と比較すると、反発、矛盾が生まれないでしょうか? そういう場合は、感情の方が優先されるのでしょうか?http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14131145684
これは正誤などの対象によって違いますが、確かに 環境と人の感情でふらふら影響を受けるは 世に多いですね。
良く観ると  人間は環境に 全く支配されているようですね。

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