2014年6月23日月曜日

再生核研究所声明168(2014.6.24) 霧の中 ― 環境の中の人間、盲目、偏見

再生核研究所声明168(2014.6.24) 霧の中 ― 環境の中の人間、盲目、偏見
(5年ぶりに帰国して、日本の素晴らしさに感銘を受けて、いわば単純で、質素なキャンパスライフから、日本社会に触れて、抱いた感想である)
下記声明にも述べられているように、人生の意義について、いろいろ考察を進めて来たことが良く分る:
再生核研究所声明57: 人生とは何か、人生如何に生きるべきか
再生核研究所声明68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明69:  単細胞人間 ― 単細胞的思考
再生核研究所声明72: 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則
再生核研究所声明74(2012.2.8): 人生・生命の肯定について
再生核研究所声明77(2012.2.18): 人生における心得
再生核研究所声明85(2012.4.24): 食欲から人間を考える ― 飽きること
再生核研究所声明105(2012.11.06): 人間の愚かさ、弱点について
再生核研究所声明118 (2013.5.16): 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ― 
再生核研究所声明141 (2013.11.14): 結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明145 (2013.12.14): 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明149(2014.3.4): 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明155: 生きる意味は 文学者にも分からない??
再生核研究所声明158(2014.5.22):  生命と人生
そして、結局、― 人生とは、始めも分らず、 終末の先も分らない。周りの環境と分けの分らない感情、情念で、 ふらふら生かされているようにみえる。 背後には 本能である生命の活動があることが実感できる。- (声明157)と述べている。簡素な環境で暮らしていれば、人生の素朴な問題が、あらわに見えて来るが、日本の世相を見ると(正確には、現在の身のまわりの環境、情報) 楽しい生活に満ちているようである。 目を覚ませば、小鳥たちがさえずり、鶯さえ啼いている。美しい自然環境、テレビでは美しい画面で、 楽しい、信じられないような美しい情景と素晴らしい演技、ドラマ、いろいろな文化的な楽しい番組、新聞は多くの豊かな情報を与え、吸収できないほど豊かで、深い。 楽しい食事、食の多様性、質の高さ、沢山の外食店、温泉やサウナ、散歩する公園や手ごろな山々に囲まれている。庭や家の整備や修理なども楽しい。 特にテレビ番組の充実、多様性、素晴らしさで、迂闊に暮らしていると、楽しい生活で、人生さえみえなくなってしまうように感じられる。 人生、楽しいことで一杯に成ったら、さて、人生とは何だろうかと考えてしまう。良くはみえないが楽しい、日常の霧の中で、始めも分からず、先も分からない、 現世も分からないが、楽しい日常生活で満ちていた。楽しい日常生活は 霧の中のように分からず、 周りの環境と共に 酔っていて、ちょうど環境に流されているようである。環境が、あまりに良く、楽しいもので囲まれていれば、人生とは結局、何だと言えるだろうか。- テレビの生活への影響、ドラマなど充実して楽し過ぎると、 ドラマや、テレビ番組の虚像に すっぽり、人生を奪われかねない危惧が 出て来る。- そこで、ニ-チェの言葉が思い出される ― 生を容易にしたいか、そうならば、 大衆に溶け込み、大衆と共に我を忘れるがよい。
人間は、人生は、テレビやいろいろ楽しい遊びに うつつを抜かしていれば良いだろうか? もちろん、楽しく好きなことで酔っているのだから、それは それでよい。しかし、
人生にかける虹、志などしっかり持てれば、上記ふらふらの人生にとって、幸いではないだろうか - 人生の意義は 感動することにある - 人生の基本定理。この世に生を享けたからには、神をも感動させるような、感動をしたいものである(声明158)。
とも言える。
確かに、現在、世界では、生活も 環境も豊かで、自由で、理想的な生活を送っている者は 相当に多いと言える。その先の世界を観ている。― 良く生きるということは、どの様なことか?
以 上

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