2014年6月23日月曜日

量子力学者同士であっても、存在論というものに関し、 違った見解を持っていたりもするのか」という私の質問 に対して、以下のようなご回答をninooomatusakuraaiさん から戴きました。『量子力学のコペンハーゲン解釈、つまり、素粒子は確率 的な存在であり、粒子性と波動性を併せ持っているという 解釈には、未だに異論を唱える専門家が結構おられます。 つまり、違った見解を持った人がいます。 素粒子(およびクオーク)は、物質を造る究極の最小単位 ですので、これが実体として存在するのか、あるいは確率 的にしか存在しないのか、これは科学的アプローチによる 存在論と言えるように思います。 以下、蛇足です。 人間は、物体を「存在する」か「存在しない」か、どちら かに2分して認識します。(そういえば、以前の回答で、「 50%存在する」などあり得ない、とおっしゃる人がおられ ましたね。)そんなこと当たり前だ、と言われそうですが、 見方を変えると、「存在する」「存在しない」の2分法で認 識すること自体、人間に特有な「認識の形式」に過ぎないの かも知れない。 「確率的な存在」というのは、我々の日常的な認識の範疇 を超えており、早い話が「具体的にどういう状態なのか想像 がつかない」ものですが、量子力学が数学的にそのような結 論を出したなら、それが我々の限定的な認識能力では捉えら れない、「世界の実相」なのかもしれない(もちろん、量子 力学はまだ不完全です)』 私が問うた質問の対し、ご回答頂いたのはお二方だけでした が、こちらのご回答は非常に興味ぶかいものではあったの ですが、どなたか文系の頭にも分かるように、この内容を ご解説願えませんか。 補足非常に高度な内容の質問を投げ掛けたばかりに、 もはや私の頭では、まったく追いつかないレベル になって来ております。 どうか知識をお持ちの方々で、お互いのご意見を 確認し合って頂きますようお願い申しあげます。 身の丈を超えた質問をすると、こういうことになる のだということが分かりました。 みなさん、ありがとうございます。

量子力学者同士であっても、存在論というものに関し、
違った見解を持っていたりもするのか」という私の質問
に対して、以下のようなご回答をninooomatusakuraaiさん
から戴きました。『量子力学のコペンハーゲン解釈、つまり、素粒子は確率
的な存在であり、粒子性と波動性を併せ持っているという
解釈には、未だに異論を唱える専門家が結構おられます。
つまり、違った見解を持った人がいます。
素粒子(およびクオーク)は、物質を造る究極の最小単位
ですので、これが実体として存在するのか、あるいは確率
的にしか存在しないのか、これは科学的アプローチによる
存在論と言えるように思います。
以下、蛇足です。
人間は、物体を「存在する」か「存在しない」か、どちら
かに2分して認識します。(そういえば、以前の回答で、「
50%存在する」などあり得ない、とおっしゃる人がおられ
ましたね。)そんなこと当たり前だ、と言われそうですが、
見方を変えると、「存在する」「存在しない」の2分法で認
識すること自体、人間に特有な「認識の形式」に過ぎないの
かも知れない。
「確率的な存在」というのは、我々の日常的な認識の範疇
を超えており、早い話が「具体的にどういう状態なのか想像
がつかない」ものですが、量子力学が数学的にそのような結
論を出したなら、それが我々の限定的な認識能力では捉えら
れない、「世界の実相」なのかもしれない(もちろん、量子
力学はまだ不完全です)』
私が問うた質問の対し、ご回答頂いたのはお二方だけでした
が、こちらのご回答は非常に興味ぶかいものではあったの
ですが、どなたか文系の頭にも分かるように、この内容を
ご解説願えませんか。
補足非常に高度な内容の質問を投げ掛けたばかりに、
もはや私の頭では、まったく追いつかないレベル
になって来ております。
どうか知識をお持ちの方々で、お互いのご意見を
確認し合って頂きますようお願い申しあげます。
身の丈を超えた質問をすると、こういうことになる
のだということが分かりました。
みなさん、ありがとうございます。
存在論は、極めて難しい認識の問題に関わるので、 物理学者, 量子力学などで 纏める事は本質的にできない、 質の高い問題では?

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