量子力学者同士であっても、存在論というものに関し、
違った見解を持っていたりもするのか」という私の質問
に対して、以下のようなご回答をninooomatusakuraaiさん
から戴きました。『量子力学のコペンハーゲン解釈、つまり、素粒子は確率
的な存在であり、粒子性と波動性を併せ持っているという
解釈には、未だに異論を唱える専門家が結構おられます。
つまり、違った見解を持った人がいます。
素粒子(およびクオーク)は、物質を造る究極の最小単位
ですので、これが実体として存在するのか、あるいは確率
的にしか存在しないのか、これは科学的アプローチによる
存在論と言えるように思います。
以下、蛇足です。
人間は、物体を「存在する」か「存在しない」か、どちら
かに2分して認識します。(そういえば、以前の回答で、「
50%存在する」などあり得ない、とおっしゃる人がおられ
ましたね。)そんなこと当たり前だ、と言われそうですが、
見方を変えると、「存在する」「存在しない」の2分法で認
識すること自体、人間に特有な「認識の形式」に過ぎないの
かも知れない。
「確率的な存在」というのは、我々の日常的な認識の範疇
を超えており、早い話が「具体的にどういう状態なのか想像
がつかない」ものですが、量子力学が数学的にそのような結
論を出したなら、それが我々の限定的な認識能力では捉えら
れない、「世界の実相」なのかもしれない(もちろん、量子
力学はまだ不完全です)』
私が問うた質問の対し、ご回答頂いたのはお二方だけでした
が、こちらのご回答は非常に興味ぶかいものではあったの
ですが、どなたか文系の頭にも分かるように、この内容を
ご解説願えませんか。
補足非常に高度な内容の質問を投げ掛けたばかりに、
もはや私の頭では、まったく追いつかないレベル
になって来ております。
どうか知識をお持ちの方々で、お互いのご意見を
確認し合って頂きますようお願い申しあげます。
身の丈を超えた質問をすると、こういうことになる
のだということが分かりました。
みなさん、ありがとうございます。
存在論は、極めて難しい認識の問題に関わるので、 物理学者, 量子力学などで 纏める事は本質的にできない、 質の高い問題では?
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