「犬」か「奴隷」か、それとも「安全第一」か…幼な子をつなぐ“迷子ひも”の賛否両論
2014.6.14 12:00 (1/2ページ)[ファッション・オタク通信]
ネット上で“迷子ひも”論争が繰り広げられている(YouTubeより)
町中で、小さな子供がリード(ひも)につながれて歩いている姿をたまに見かける。子供が迷子にならないための“迷子ひも”だ。最近は、ハーネスのようになっているタイプだけでなく、リュックにリードがつながっているものなど種類も豊富にそろっているようだ。この迷子ひもがテレビの情報番組で取り上げられ、「奴隷制度を想起する」という発言が出たことで物議をかもしている。
恥ずかしいけど仕方ない
「ちょっと恥ずかしいんだけど仕方ないのよ。この子、ちっともおとなしくしてくれないから危なくて…」と話すのは大阪府内に住む3歳の男の子の母親。片時もじっとしていない子供に天使の羽をかたどったデザインのハーネスタイプの迷子ひもを使用していた。まるでやんちゃな天使に見える。通りすがりの女子学生からも「かわいい~」という声をかけられて、母親は苦笑い…。
この迷子ひも、米国などでは事故や犯罪防止のために一般的に使用されているようで、近年は日本でも需要が増えているという。
ネット通販大手の楽天市場では、迷子ひも関連の商品が300点以上あり、定番商品として安定した売り上げがあるという。中でもリュックサックにリードが付いたタイプの人気が高く、「動物をかたどった(ぬいぐるみ)ものや人気キャラクターのリュックタイプは、お子様にも親御様にも好評です」と、楽天の広報担当者が話す。
「奴隷制度思い出した」
先ごろ放送された朝の情報番組内で、この迷子ひもが取り上げられた。出演者の1人が「奴隷制度を思い出した」と発言し、ネット上でちょっとした騒動になっている。http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140614/wlf14061412000003-n1.htm
「(子供の)命には替えられない」「手をつなげばいいというけれど、何人も子供を連れていると(電車の)切符も買えない」という迷子ひも賛成派。一方、「まるで犬のようだ」「ペットじゃないんだから…」「子供の自由が奪われて逆に危ないのでは?」という否定派。番組同様、ネット上でも両者の意見は真っ二つに分かれている。
歴史は古く中世ヨーロッパ時代から
“迷子ひも”の歴史は中世ヨーロッパにさかのぼる。服に縫い付けられたひも状のものから端を発したといわれ、歩き始めの子供の歩行を助けるものであった。貴族の家族が描かれた絵画にも登場しており、上流階級を中心に普及していたようだ。しつけやマナーのため子供をひもで縛ることが珍しくなかった時代。思想家のルソー(1712-1778年)などは「子供をひもで縛るのは好ましくない」と否定的だったといわれている。
日本では、「太陽の塔」で知られる芸術家・岡本太郎(1911-1996年)の母で小説家の岡本かの子(1889-1939年)が、幼い太郎がかまってほしさに創作活動の邪魔をするので(太郎を)タンスにくくりつけていたという逸話が残っている。
子供を縛る“ひも”は、時代やお国柄によって意義は変化しているようだが、現在の“迷子ひも”は事故や犯罪防止のために利用されている。「日本でもいろんな犯罪のケースが増えておりますし、防犯や飛び出しなどの事故防止といった安全面を考えると、今後も需要は衰えないと思われます」と楽天・広報担当者。
ひもを短くし、同時に手もつないで…など使用に際して注意しながらケース・バイ・ケースで利用するには優れたアイテムだと思うのだが…。http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140614/wlf14061412000003-n2.htm
naginekoさん
友人で1才2ヶ月の子を交通事故で無くしている人がいます。
人権がどうのこうのいう前に、まず命を護る事の方が大切だと思いませんか?
言うことを聞かない、一瞬でも目を離したら、車に突進して行ってしまうような赤ちゃんをあなたは絶対目を離さず、見守って助ける事が出来ると思いますか?
スーパーの中でちょっと目を離したすきに誘拐され、殺されてしまった長崎の男の子もいましたね。これは極端な例ですが、母親として出来るだけの事をして子供の命を護りたいと願うことは人権などよりよっぽど大切なことだと私は思います。
ID非公開さん
人の勝手。何度言い聞かせても車に轢かれそな子供もいるし、放っておくと連れ去られちゃうくらいオットリしている子もい
ます。紐を付けてる母親もあなたが指摘し
なくても分かってますよ。命を守るための
1つの手段と考えてあげて下さい。誰でも
完璧に出来る母親じゃないんです。
短期間などで
場合・場合に依るのでは・・・・
長い間やっておくのはイメージが悪いのでは・・・
再生核研究所声明 1 (2007/01/27):美しい社会はどうしたらできるか、 美しい社会とは:
最近の世相として,不景気・政界・財界・官界・大学の不振,教育の混迷,さらにニューヨークのテロ事件,アフガン紛争,パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか.一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが,如何でしょうか.
平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました.
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.
3) それはみんなに受け入れられるか.
4) それは安定的に実現可能か.
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる.
現在,社会の規範が混乱し,不透明になっているように思うが,公正の原則を確認して,行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり,多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか.
また,こういうことを考える教育は,人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし,環境の保全などにも貢献すると思います.
特に少年期の教育にあっては哲学(ものごとの本質と人生,世界を考えること),道徳,芸術,体育などを中心とする人間を育てる教育に改めるべきではないでしょうか.国や隣人を愛せるようになる教育,多様性を重視し,個性や隠れた才能を伸ばし,友情を育み,人々が助け合うようになるような教育が望まれます.
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