2014年6月26日木曜日

【取材日記】 「韓国がなかったら廃刊していた産経新聞」

【取材日記】 「韓国がなかったら廃刊していた産経新聞」
2014年06月25日11時21分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版] comment234hatena2
イラスト=キム・フェリョン記者 日本赴任前、東京特派員だった先輩に聞いた忠告を今でも記憶している。「産経は絶対引用するなよ。全部ウソだから」
当時はそのまま笑って受け流した。実際、特派員生活をしてみると産経記事にも紹介するだけの記事が時々あった。「ものごとをこのように180度反対から見ることもできるのだな」と考えさせてくれた。日本社会の多様さを見せているのだと思って肯定的に理解しようとした。しかし最近の産経報道を見ていると、度を越しているという感じを拭えない。いくつか例を挙げてみたい。
23日付1面トップ記事は、今月11日にソウルで開かれた慰安婦問題解決を促す「水曜集会」関連の記事だった。集会現場に、8日に亡くなったペ・チュンヒさんの遺影があったことをめぐり、産経は大きな見出しを選んでこのように書いた。「慰安婦は、死してなお対日歴史戦の戦士と祭り上げられ、反日の道具と…」。生前に日本が犯した人権蹂躪(じゅうりん)に対してちゃんとした謝罪も受けられないまま無念に生涯を閉じた女性の死を、あきれることに「反日の道具」云々して蔑んだ。論調どうのという次元を離れて低質の極みだ。
韓国側の人物の発言を前後すべて切り落とし、自分たちの都合のいいように論点を換えるのもよくあることだ。17日付では河野談話発表当時、駐日大使館として勤めた元当局者が「日本側から『内々に相談に乗ってほしい』と要請があった…(中略)…『総じて』とある。こうした表現ならば大丈夫ではないか、などの意思表明をした」と述べたことをめぐり、「韓国側の当事者が、すり合わせは日本側の求めに応じたものだと証言したことで、(河野)談話の『嘘』がまた一つ明るみに出た形となった」と変身させた。
23日には「ワールドカップサッカーの韓国-アルジェリア戦の途中、アルジェリア選手の顔にレーザーポイントが合わされていた」として韓国ファンの仕業のように巧妙に報道した。産経インターネット版ではこの記事がトップ記事だった。 日本のある有力紙記者は「韓国という『素材』がなかったら、おそらく産経は新聞を作ることができずに廃刊していただろう」という冗談で、産経の「反韓報道」を遠回しに皮肉った。
4月から始まった産経の企画記事「歴史戦」というタイトルも隣国を戦争の対象とする発想が感じられる。日本を太平洋戦争に駆り立てた主犯の一つも、国家主義的で対外膨張主義的な扇動を行った“言論”だった。
産経が極右の先鋒として、安倍政権の“提灯持ち”を自負しようがしまいがそれは産経の自由だ。しかしいくら産経が逆立ちしたまま歴史をひっくり返して解釈しようとしても変わらない真実がある。日本は加害者で韓国は被害者だったという不変の史実だ。今でもそれを知って記事を書くならば「産経記事も引用するべきことはしろ」という話を後輩に聞かせようと思う。大きな期待はしないが。
金玄基(キム・ヒョンギ)東京総局長

再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
ゼロ除算の新しい結果とは 簡単に述べれば、分数、割り算の意味を自然に拡張すると、ゼロで割れば ゼロになると言うこと、そして、
関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである、すなわち、 1/0=0 である。複素解析学では、無限遠点が 原点に一致している ということである。驚くべきことは、原点における 強力な不連続性にある。
経過などは 次を参照:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
これらの現象は奇妙にも、ユニバースの普遍的な現象として 惹きつけるものがある。永遠の彼方は、どこまでも遠く行くが、その先は、突然、現在に戻っている。始点と終点の一致、無限とゼロの一致である。理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば突然、ゼロである。2つの質点が重なれば、力は働かず、安定しないように見えるが、2つが分離すれば、大きな力に逆らう必要が有り、実は安定していると説明できる。ゼロと無限の裏腹の関係を捉えることができる。これは意外に、2元論における 対立するもの一般における裏腹の関係と捉えることができる: 生と死、正と負、戦争と平和、男と女、表と裏、すなわち、2元論― 神は2を愛し給う:
[PDF]
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。
における 2元の奇妙な関係である。
他方、ゼロ除算は、爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして、論文で触れられているが、まこと、ユニバースの普遍的な現象として そのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象、物体でも近づいている場合と合体した場合では、全然違う現象として考えられ、強力な不連続性は 世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である、勝利も敗北も、喜びも苦しみも、幸せも不幸も、自由も束縛も、愛も憎しみも、等々表裏一体であるとの世界観が 視野と心の在りように新しい世界観をもたらすと考えられる。
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95.http://www.scirp.org/journal/ALAM
以 上


再生核研究所声明 115(2013.4.26): 
枯れ木も山の賑わい ― 現状と存在に理由あり
(2013.4.19.08:30 8時、宿舎を出る前に 新しい声明の題材が閃く, quatanion analysis を論じて興奮していた翌朝)
(枯れ木も山の賑わい: つまらないものでも、無いよりはましであるということ。また、役に立たない者でも、いないよりはいたほうがましだということのたとえ。)
この声明は一見何にもならない、無駄なようなものでも、意外に存在価値があるなどの所見を表現しょうとするものである。極論をすれば、何でも存在するものは それなりに価値が有るということ、存在する現状は それなりの原因が有って存在するということである。 現状を肯定、 まずは尊重すべきものではないだろうか。
悪も、不正義も、暗闇も それなりの理由が有って、存在しているということである。― ボストン・マラソンにおいて 卑劣なテロ事件が起きて、罪なき人を 無差別に巻き込むなど 理解できないのが 世の常識であろうから、その動機と真相、経過を徹底的に調べるべきである。― ここで、オバマ大統領が ビンラディン氏を裁判もかけずに しかも家族の前で公然と虐殺した事件を想い出し、家族の心情は 如何なるものであったかと 想いを巡らすのは当然である ― 公正の原則(再生核研究所声明1: 良い社会を作るには)(再生核研究所声明 61:ビンラディン氏殺害 ― アメリカの名誉と大義を傷つけた オバマ大統領)。
声明
再生核研究所声明 71:  菅 暗黒政権 を総括する
で、菅元首相の 貢献ある盟友 と 党の公約に対する 明確な背信行為を批判して来たが、それとて、菅氏にとってみれば、苦労の末、とうとう首相になれた 何とか権力を維持したい、また、首相になったら、国の状況はとてもやっていける状況ではなかったなどと、それなりの理由が有るのは当然である。しかし、菅氏と野田氏の上記背信行為が 嫌な感情を国民に与えてしまい、どのように弁明しても もはや信頼回復は 難しいのではないだろうか。 実際には そんなには悪意のあるものでは ないのではないだろうか。 残念である。世の中とはそのようなものではないだろうか。明智光秀にも、吉良上野介にも相手の身になれば、それなりのやもう得ない事情が有ったのではないだろうか。
組織には いわば、組織の落ちこぼれ組に属するような人がいるものである。ところがそのような人が 組織にいろいろ重要な役割をしているのは 世に多い。逆に、一様な組織こそ、偏り、変な方向に気づかずに走っている場合が世に多い。 このようなことは、多様性の重視、広い視点と幅を持たせることの重要性を示していると言えるだろう。
ニートなどと批判する世相、弱い者、貧しい者、悪者を厭う気持ちが世に有ると考えられるが、 逆にそれらの存在が人間社会を偉大な存在にして、いろいろな役割を果たしていることを積極的に発見して行きたい。優秀な人たち、美しい人たちだけでは社会は構成できず、 多様な人が居て、良い社会ができるのではないだろうか。全体的なバランスが 大事ではないだろうか。
いわば、負の部分にも価値を見つけ出し、大きな視野を持って、寛容な社会を志向したい。 白、黒ではなく、敵、味方ではなく、相手にもそれなりの立場があるという、広い見方である。
人生についても言える。 大事な時に、重病を患い、入院生活をやむなくされたが、それが反って、違った視点を与え 幅を持たせ、人生や、専門、仕事の上でも大いに良い影響を与えたことは 良く見られる現象である。ポルトガルでは 同性婚が法律で認められているが、これは出来るだけ、自由を尊重し、多様な在り様、世界を志向しようという意味で、その精神を高く評価したい。 独断と偏見で 単細胞的思考(再生核研究所声明 69:単細胞人間 ― 単細胞的思考)に陥らないように注意したい、
以 上

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