2014年6月19日木曜日

記事 渡辺 龍太2014年06月16日 20:12学歴主義にしかなれない今の新卒採用主義は誰も得しない!?

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渡辺 龍太2014年06月16日 20:12学歴主義にしかなれない今の新卒採用主義は誰も得しない!?

経営コンサルタントの、尾藤克之さんが 就活で学歴が重視される理由!理不尽な就活を乗り切るには という記事を書かれていました。その記事では、ビジネスと学歴は無関係である場合が多いものの、次の三つの理由から仕方がないと述べていました。
有名大学の学生にはハズレがない
学閥の存在
有名大学だと採用担当者の実績を評価しやすい
確かに、そういった事が理由だと私も思いました。でも、この3つを考える前に、大きな事が一つあると思います。それは、学歴以外に、何を基準に学生を選別できるのかという問題です。
通常、学歴での選別に加え、面接などを企業が工夫して、それぞれ行っています。ニュースを見ても、圧迫面接をしてみたり、奇抜なクイズの様な難問を解かせたりと、色々と話題になっている会社も結構あります。
しかし、企業も気づいていると思いますが、たまたま人事担当となっただけの面接官というのが、どれだけ瞬時に、そして正確に学生のポテンシャルを見抜けるというのでしょうか。担当の面接官が違えば、合否が逆になっているような事も結構あると思います。極端な話、そんなのは面接官の気分でしかないとも言えるかもしれません。
つまり、学歴位しか学生をフェアに選別する尺度なんて無いから、学歴重視なのです。そして、大問題なのは、その学歴という尺度では、仕事能力を正確に測る事が出来ないという事なのです。
これは、実に学生にとっても企業にとっても、損な事だと言えるでしょう。なぜなら、本来企業は学歴の高い人ではなく、『仕事が出来て会社に利益をもたらす人材』を探しています。学生だって、『仕事の出来る人=お金の稼げる人』になりたいので、その為にと思って一生懸命勉学に励んで高学歴を目指しているわけです。それが、『高学歴=仕事が出来る』というのが、必ずしも事実ではないなら、この新卒採用システムは誰も得しないシステムという事になります。
では、『仕事が出来て会社に利益をもたらす人材』というのは、どうすれば見分ける事ができるのでしょうか。それは、その人の仕事の実績でしかないと思います。私の様にフリーで働いていると、学歴なんか関係ありません。今までの仕事実績で何をやってきたのかの方が重要視されて、次の仕事をもらえる訳です。
実際、ユニクロも新卒一括採用を見直し、大学一年生からアルバイトをしてもらい仕事能力をきちんと把握して、卒業と同時に店長を任すというのも考えているとニュースになりました。そうやって、企業は仕事能力が担保された人しか雇わない、という時代になっていくのだと思います。
なので、これからの時代は、学生は高学歴よりも、自分は稼げる人間であると証明できる人の方が就職しやすい時代になるのかもしれません。例えば、○○大学でスポーツで表彰されたというよりも、○○という学生アルバイトでトップの営業成績をとったとか、あるいは、小さなウェブサイトをチョットだけでも黒字運営しているという人の方が、就活で評価される時代というのも十分ありえるでしょう。そうなると、『一体、大学の存在価値って何だ!?』という話に発展していくはずなので、新卒採用の崩壊と共に、教育システムを含め、世の中が大きく変わっていくのかもしれません。
今伝統的な価値観や、評価が崩れてきているのでは・・・・
多様性の見地からも  柔軟な対応が求められているのでは。
これから、変化の大きな時代を迎えるのでは?
再生核研究所声明 115(2013.4.26): 
枯れ木も山の賑わい ― 現状と存在に理由あり
(2013.4.19.08:30 8時、宿舎を出る前に 新しい声明の題材が閃く, quatanion analysis を論じて興奮していた翌朝)
(枯れ木も山の賑わい: つまらないものでも、無いよりはましであるということ。また、役に立たない者でも、いないよりはいたほうがましだということのたとえ。)
この声明は一見何にもならない、無駄なようなものでも、意外に存在価値があるなどの所見を表現しょうとするものである。極論をすれば、何でも存在するものは それなりに価値が有るということ、存在する現状は それなりの原因が有って存在するということである。 現状を肯定、 まずは尊重すべきものではないだろうか。
悪も、不正義も、暗闇も それなりの理由が有って、存在しているということである。― ボストン・マラソンにおいて 卑劣なテロ事件が起きて、罪なき人を 無差別に巻き込むなど 理解できないのが 世の常識であろうから、その動機と真相、経過を徹底的に調べるべきである。― ここで、オバマ大統領が ビンラディン氏を裁判もかけずに しかも家族の前で公然と虐殺した事件を想い出し、家族の心情は 如何なるものであったかと 想いを巡らすのは当然である ― 公正の原則(再生核研究所声明1: 良い社会を作るには)(再生核研究所声明 61:ビンラディン氏殺害 ― アメリカの名誉と大義を傷つけた オバマ大統領)。
声明
再生核研究所声明 71:  菅 暗黒政権 を総括する
で、菅元首相の 貢献ある盟友 と 党の公約に対する 明確な背信行為を批判して来たが、それとて、菅氏にとってみれば、苦労の末、とうとう首相になれた 何とか権力を維持したい、また、首相になったら、国の状況はとてもやっていける状況ではなかったなどと、それなりの理由が有るのは当然である。しかし、菅氏と野田氏の上記背信行為が 嫌な感情を国民に与えてしまい、どのように弁明しても もはや信頼回復は 難しいのではないだろうか。 実際には そんなには悪意のあるものでは ないのではないだろうか。 残念である。世の中とはそのようなものではないだろうか。明智光秀にも、吉良上野介にも相手の身になれば、それなりのやもう得ない事情が有ったのではないだろうか。
組織には いわば、組織の落ちこぼれ組に属するような人がいるものである。ところがそのような人が 組織にいろいろ重要な役割をしているのは 世に多い。逆に、一様な組織こそ、偏り、変な方向に気づかずに走っている場合が世に多い。 このようなことは、多様性の重視、広い視点と幅を持たせることの重要性を示していると言えるだろう。
ニートなどと批判する世相、弱い者、貧しい者、悪者を厭う気持ちが世に有ると考えられるが、 逆にそれらの存在が人間社会を偉大な存在にして、いろいろな役割を果たしていることを積極的に発見して行きたい。優秀な人たち、美しい人たちだけでは社会は構成できず、 多様な人が居て、良い社会ができるのではないだろうか。全体的なバランスが 大事ではないだろうか。
いわば、負の部分にも価値を見つけ出し、大きな視野を持って、寛容な社会を志向したい。 白、黒ではなく、敵、味方ではなく、相手にもそれなりの立場があるという、広い見方である。
人生についても言える。 大事な時に、重病を患い、入院生活をやむなくされたが、それが反って、違った視点を与え 幅を持たせ、人生や、専門、仕事の上でも大いに良い影響を与えたことは 良く見られる現象である。ポルトガルでは 同性婚が法律で認められているが、これは出来るだけ、自由を尊重し、多様な在り様、世界を志向しようという意味で、その精神を高く評価したい。 独断と偏見で 単細胞的思考(再生核研究所声明 69:単細胞人間 ― 単細胞的思考)に陥らないように注意したい、
以 上

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