2014年6月22日日曜日

「ブスは帰れ!」佐藤健と三浦翔平の合コン一部始終がただのイジメ

「ブスは帰れ!」佐藤健と三浦翔平の合コン一部始終がただのイジメ
【この記事のキーワード】三浦翔平佐藤健合コン
8月と9月に二部作連続公開予定の大作映画『るろうに剣心』に主演している佐藤健(25)と、現在の月9ドラマ『極悪がんぼ』(フジテレビ系)出演中の三浦翔平(26)。昨年末に公開された少女マンガ原作の映画『カノジョは嘘を愛しすぎてる。』で共演しているこの2人、プライベートでも大の仲良しなのだそうだ。そんな2人の非道な合コン振る舞いを、「週刊文春」(文藝春秋)上である20代女性が明かし、ファンに悲しみが広がっている。
同誌では、佐藤主催の合コンに参加したことがあるという20代女性が、2人の「サイテー」な行為を暴露している。三浦は佐藤の腰巾着的存在なのか、終始佐藤の顔色をうかがいながら場を取り仕切っていたそうだが、合コンに参加した女性陣のルックスがお気に召さなかった佐藤の“目配せ”により、三浦は「ブース、帰れ! ブース、帰れ!」とコールをかけ始めたのだという。カラオケでも三浦は歌詞に「ブス」というワードを入れて替え歌を披露し、しつこくブスブスと連呼。女性の友人は泣き出してしまったという。佐藤は一見何もしていないようだが、「王様気取りで満足気な様子だった」そうである。
20代半ばにもなって、「ブス」と女性をいじめる幼稚な精神性はもちろんだが、爽やかなイメージとは裏腹な合コン時の態度はファンを失望させるものだろう。佐藤のオレ様な態度は可愛らしい印象を覆すものだし、三浦の情けなさたるや……いい大人が、小学校のガキ大将と取り巻きのような振る舞いをして恥ずかしくないものだろうか。http://mess-y.com/archives/9518

しかし芸能人同士の秘密の会ならばいざ知らず、一般人女性との合コンでこのような態度を取れば、悪い噂が流れることくらい、いくら幼稚な人間でも見当がつくはずである。ゆえに、「彼らに相手にされなかった女子の僻みからくる捏造では?」という憶測の声もネット上にはあるが……。佐藤は小柄であるが、端正な顔立ちで運動神経が抜群に良く酒もかなり強い。出身高校は埼玉屈指の進学校(偏差値66、しかも理数科)で頭もキレる。「いつも自信満々で、年上の女性に対しても上から目線。普段チヤホヤされ慣れてる女優さんやアイドルは『そこがいい!』って惚れちゃうのかもしれないけど、正直、いきなりオレ様な態度で来られても引く」というのは、ある飲み会で佐藤に遭遇したというA子さんの弁。ちなみに佐藤自身は、インタビューで「女性には甘えるより甘えさせてあげたい」「好きなコが自由に楽しそうにしている姿をほほえましく見ていたい」と明かしたことがあるが、「文春」で報じられた合コンの際には「甘えさせたくなる好みの女のコ」が来なかったため不機嫌になったのだろうか。
だが、仮に合コンで好みのタイプがいなかったとしても、「ブス! 帰れ!」などとコールするのは言語道断、完全にマナー違反であり、そんな三浦を止めようともしなかったという佐藤も同罪である。もし「女はすべてオレの所有物」という勘違いをしているとしたら相当イタい。今後はマナーを身に付けてから合コンに参戦してほしいものである。また、「好きになる女性に外見は関係ない」「性格が大事」などとうそぶかず、正直に「合コンにブスが来るとがっかりする」などとバラエティ番組出演時に述べようものなら、最低ではあるが男性視聴者からの支持率がUPしそうな気もする。
(清水美早紀)http://mess-y.com/archives/9518/2
ここで言いたいのは、美観、感性は さまざまで、人によって違うと言うことですね。
自分の価値観を押し付けたりするのは 良くないのでは。 
本当に人の好み、価値観はいろいろで、その多様性が世の中を上手く させているのでは?


8.32 多様性ってどうして必要なの?
人間として生きる意味を深く考えることが大事ですね。 生きるということの意味です。 更に、何をやるにも多様なもの・考えがあった方が有利ですね。 家を建てるにも、いろいろな構想があり、物があり、道具があった方が、良い家が建てられるのではないでしょうか。 生命も、厳しい自然の中で生きていくためには いろいろな種類がいて、様々な環境に耐えられる生物が生まれますね。 例えば温泉の中で生きられるウイルスや、地中深くに住める微生物などですね。 いろいろな生物がいて、全体として、協力して何億年も生存を続けてこられたのは、生物の多様性のためではないでしょうか。 国でも社会でも、広い世界ですから、いろいろな人がいて、役割を果たして、社会は成り立っているのではないでしょうか。人間存在の本質などについては、夜明け前 よっちゃんの想い の中でいろいろ触れて見ました。
再生核研究所声明 4 (2007/03/17):競争社会から個性を活かせる社会に:
現在、日本を覆っている不安な状況を打破し、明るい未来を切り拓く第1歩として、憲法第25条の精神を高揚させ 最低生活の保障による連帯を確認する事の必要性を訴えている(声明3)。いじめ、犯罪、モラルの低下、そして全国に広がる財政赤字など、それらの大きな原因として、経済環境の厳しさとともに、貧しい競争意識と受験勉強に代表される貧しい戦後の教育内容にあると考えます。考え方を変えるのは簡単ではありませんが 精神、考え方を競争社会から個性を活かせる社会に変えていく必要性があるのではないでしょうか。 
その理由は:
1)まず競争とは、1つの価値、ある判断の下での順位になり、その点では個性や、特殊性を排除した価値観の画一化に繋がる危険性を有している。例えば現在の受験制度では多くの場合に受験科目の得点で順位が定められ、概ねそれによって合格、不合格が定まり、その流れで入学の大学が定まり、そして同様に大学の伝統的な序列で一定の評価が定まっていく流れになっていると考えられる。もちろん伝統的に行われてきた体制はそれなりの理由があり尊重されなければならないと考えますが、評価をこれらで1元的に考えることには大きな問題があると思います。例えばそのような流れ以外の道を選んだ人たちの立場です。 スポーツ選手や、芸術家、芸能関係者、技術者、職人、棋士、実業家などなどです。
2)スポーツなどの世界では競争はかなり明確に理解でき、競争の世界として、もちろん結構だと思います。例えばお相撲さんは優勝を目指して努力されているわけです。しかし歌い手さんたちは それぞれの個性と持ち味を活かしていろいろな人が活躍されていますが、それとて、いろいろな評価が下されますが、その時の競争とは考えられてもお互いに芸を高めていくような いわば精進の競争であり大いに勧められるべき競争と言えます。
3)これに対して貧しい競争とは、相手との比較ばかりに気を取られ、自分を見失った競争であり、自分の個性を活かせないところで、相手より優位に立とうする競争の事です。自分のむかないところで、無理して競争に駆り立てられている状況はないでしょうか。
4)日本の教育の重点が いわゆる学力中心で、知識中心になっていないでしょうか。そして、いわゆる頭のよい人、学力のある人がすべてのような1元的な価値判断が余りにも強すぎはしないでしょうか。 勉強の嫌いな子や勉強のできない子、いわゆる優秀でない人と言われている人が それゆえに低く見られてはいないでしょうか。勉強ができず、学力がなくても、いわゆる優秀でなくてもいろいろな長所があって、よい個性を持っているのにそれらが評価されず、また無視されるようにはなっていないでしょうか。これでは、勉強のできない子は学校が嫌いになり、やがて社会から疎外されるようになってしまわないでしょうか。絵が得意で感銘させる人や、工作がうまく名人的と思われる人の才能を引き出せない社会は社会の大きな損失にはならないでしょうか。運動会などやキャンプ生活などで多くの体験授業などがあれば いろいろな才能が発揮され、学力以外のいろいろな個性や、才能を発見できる機会が出て来るのではないでしょうか。もちろん実社会は大きな世界です。
5)学力中心による教育では、生徒の個性を活かせず、1元的な価値判断で多くの個性と才能をうずもらせてしまうだけではなく、才能を活かせない生徒は社会から疎外され、不満が増大する事になり、社会は不安定になると思います。
6)個性を活かせる社会とは 社会にはいろいろな人が必要であり、それぞれ自分の得意な分野や好きな分野で、個性が活かせるようなところで社会に参加して、助け合っていくような社会のことです。強い人も弱い人も、考える事が得意な人も苦手な人もそれぞれ長所もあり短所もありそれぞれが補完し、助け合っていく社会です。このような社会では、苛めも、犯罪も生じる土壌がないのではないでしょうか。
7)財政赤字について触れましたが、無いお金を使うという事自体が無責任の結果ではないでしょうか。短期的に赤字という事は仕方がないことですが、赤字を増大させていくというのは余りにも無責任と言われても仕方がないのではないでしょうか。これらの背後には学力を付けることばかりに走り、責任感の無い自己中心的な教育が生み出した日本人全体の精神的な土壌から起きているという根強い原因があるのではないでしょうか。
8)何かというと経済効果や活力のある社会という観点が問題になりますが、少数の自爆テロを起す人を抱える社会はどれほど、経済的にマイナスを生むことでしょうか。そのよう状況では例えば新幹線を守るにはどれほどの経費がかかることになるでしょうか。あらゆる所で、厳重な警備を必要とする社会になってしまいます。それに対して 社会に強い不満を持つ人を生み出さない社会とは何と素晴らしい社会でしょうか。この観点からも憲法第25条の精神を思い出すことは大変いい状況を生むのではないでしょうか。
国が衰退したら、勝ち組も負け組みも、公務員も、もちろん、検察庁も、マスコミ関係者も みんな困るのでは? 1代自分だけうまく行っても、2代、3代 お孫さんたちは?日本人には、必ず愛国心が湧いて来ると信じています。
欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。 
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん

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