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木村正人2014年06月06日 15:00もう誰もマスコミを信じない 横綱・白鵬の告白
29度目の優勝を決めた大相撲の第69代横綱・白鵬さんが夏場所千秋楽翌日の記者会見に出席しなかったことをめぐり、「大人げない横綱・白鵬の態度 関係者嘆く『ダーティーなイメージさえ出てきた』」などの憶測記事が駆け巡っていた。
これに対し、白鵬さんが自身のブログで会見に出なかった理由を初めて明かした。妊娠5カ月で流産した妻の紗代子さんを思いやり、「もし会見に出たら、おそらくお腹の中の子供のことも聞かれるであろうと考えました。紗代子のことを考えると、事実を発表するには早すぎて、しかし嘘をつくことも胸が痛みました」という。
白鵬
横綱・白鵬さんのブログ
横綱も1人の人間である。しかし、それまでのマスコミ報道は振り返ると、あまりのひどさに言葉を失ってしまう。
(略)白鵬は会見申し入れを蹴った。部屋関係者も懸命に説得したらしいが、頑として応じなかったという。「理由はいろいろあるようだが、どうしても嫌なようです」という部屋関係者の説明を聞くと、まるで駄々っ子だ。
「(略)悪ガキ朝青龍と対照的だった当初と違って、いまやダーティーなイメージさえ出てきた」と関係者は嘆く。(略)(作家・神谷光男)
Zakzak【スポーツ随想】
謎深まる白鵬の一夜明け会見拒否
東スポWeb
仮に夏場所終盤の2日間の無言と一夜明け会見拒否が無関係の出来事で、一夜明け拒否の方が単なる「夜通し祝勝会」が理由だとしたら…。本人は気恥ずかしかったので、事前の会見要請を理由なしに断り、波紋や真相をめぐる憶測が広がったことで、ますます引っ込みがつかなくなったとも考えられる。
東スポWeb
最も有力とされているのが白鵬夫人に関する話だ。実は現在、白鵬夫人は第4子を懐妊しており、今秋にも出産予定だという。(略)「この日の朝、あるスポーツ紙が夫人の妊娠を報じてしまったのです。まだ安定期にも入っていないし、後援者にも報告していなかったから、白鵬としては相当腹に据えかねたらしい。記者の前で機嫌が悪かったのは、この内容をかぎつけられて、何かの形で取材をされたからではないか」(関係者)
NEWSポストセブン
「どうやら、家族のことを聞かれるのを嫌がったらしい。それがなんなのかは不明だが、一部マスコミがある情報をキャッチして、千秋楽前に白鵬サイドに当てたらしい。悪い話ではなく、オメデタい話のようだけど。そこから白鵬がピリピリしだしたそうだ」
日刊サイゾー
これだけインターネットが発達した時代、マスコミの存在意義は(1)渦中の人からのインタビュー(2)現地に足を運んでの取材(3)事実確認(4)権力監視――がきちんとできているかどうかだ。マスコミには手間ひまかける十分な人材と資金力がある。
しかし、事実確認は行わず、ウワサの域をでない伝聞を脚色して報じていることが白鵬さんの真摯な告白で改めて浮き彫りになった。
一昔前なら、白鵬さんが最も信頼するジャーナリストに真相を打ち明け、硬派の雑誌にスクープ記事が掲載されていたはずだ。白鵬さんはそうせずブログに夏場所中に第4子を失った悲しみと紗代子さんへの愛を綴っている。
これまで、たくさんのスポーツ選手がマスコミ不信に陥ったのも無理はない。マスコミはウソやデタラメだけをまき散らす存在になり下がってしまっているからだ。
真相は本人のブログで語られる。報道が事実かどうかの検証はインターネットを通じて行われる。「権力監視」についても、マスコミは政権、警察、検察に擦り寄り、権力に都合の良い情報を垂れ流している、情報を操作しているという批判が絶えない。
これは何も日本に限った問題ではない。
米国でも一流紙ニューヨーク・タイムズやウォールストリート・ジャーナル、ワシントン・ポストに内部告発資料を持ち込んでも当局と談合して報道が見送られるケースが多くなっているという。新聞に掲載されるのはオバマ政権が了承した記事だけだ。
このため、歴史的なスクープとなった機密文書が告発サイト「ウィキリークス」や一匹狼のブロガー、グレン・グリーンウォルド氏に持ち込まれた。
イギリスの法学者ベンサムは18世紀末、監獄「パノプティコン(一望監視施設)」を設計した。パノプティコンは中央に監視塔を設け、その周囲に円状の独房を並べる構造だ。監視塔からは光線が発せられるため、囚人からはまぶしくて監視者は見えない仕組みになっている。
229-12-73.jpg
パノプティコン (Foucault, 1975, p.21)
監視者がいてもいなくても、囚人は常に監視者を意識せざるを得ない。このため、監獄の運営は効率的になるといわれる。
監視塔は「権力」という言葉に置き換えられる。マスコミは昔、外側からこの監視塔に厳しい目を光らせていたが、いつの間にか監視塔の内側に入って「権力」と一緒に市民を監視する存在になってしまった。
インターネットやソーシャルメディアの発達で、市民が逆に監視塔を監視する「逆パノプティコン社会」が実現しつつある。市民にとってマスコミはもう「味方」ではない。監視塔の中にいる「敵」なのだ。マスコミを一括りに語るのは危険だが、多くの読者はそう思っている。
市民の側に立つのか、権力に寄り添うのか。弱者の味方か、強者に着くのか。「パノプティコン報道」に読者は辟易している。
日本の マスコミの軽薄さ は、 酷いのでは ?
総合的な検討が 必要ではないでしょうか?
再生核研究所声明 70(2011/09/28) 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず
現代の世相を見ると、余りにも奇妙な現象が起きていて、まるで本末転倒、あべこべになっているのではないかと考えられることが多いので、それらの事象を考察して、初心を尊重して本来あるべき姿について反省を求めたい。しかしながら、時代の趨勢で、初心が本質的に変化を求められ、変遷の止む無きこともあるので、その辺の考察も行なって置きたい。
まずマスコミの現状を見てみたい。 マスコミの在るべき姿については 例えば新聞社においては、自ら天下にこうありたいと宣言している 新聞倫理綱領 を参照して頂きたい(添付資料1)。 現状は 如何でしょうか。鍵となる用語を抜粋したので、現状を考えて頂きたい:
あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される
新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によって
言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじ
正確と公正 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である
報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない
あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない
他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する
人権の尊重 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。
教育の在り様については、 教育の目標を教育基本法に定めている。 その最初の部分を添付資料に付けたが、あまりに素晴らしく、また、あまりにも現状がかけ離れていて、驚いてしまう。
教育の基本精神を忘れて、知識偏重、受験のための技術学習に陥ってはいないだろうか。そのような教育が 空虚な日本を作っている根本原因ではないだろうか (再生核研究所声明15: 空虚な日本の社会)。さらに、日本の公教育が 才能ある子供たちの才能を大抵、活かさず、逆に駄目にしている事実を憂慮している(再生核研究所声明9: 天才教育の必要性を訴える)。
添付資料3 日本国憲法第9条 については、第二次世界大戦における敗戦で、再び戦争を起こさないとの固い決意のもと、発足したものであるが、朝鮮動乱、東西冷戦下の厳しい国際環境の下、繰り返し、国の最高機関で問題を議論し、司法界の一連の判断を経ながら、今日に至ったものであるから、現状を諒として受け入れる必要がある。しかしながら、その理念については 絶えず、真摯な態度で臨むべきであると考える(再生核研究所声明6: 憲法問題に対する提案 参照)。
上記のように、世には、始めの目標や理念が段々ずれて、何時の間にか逆転している様なことは多い、普遍的な現象ではないだろうか。 研究なども始めの素朴な動機や目標からかけ離れて、研究課題の中の展開のみが目的になってしまい、孤立化して、末期的な現象に陥っている場合が多い。 評価なども 本来は成果や、業績を評価すべきことが、逆転して、見掛け上の評価を良く飾るために 意や努力を重ね、本来期待された業績の展開を阻害している状況さえ多い(再生核研究所声明15: 空虚な日本の社会)。世界の軍事情勢なども侵略や防衛など軍事よりも、政治力の影響やビジネスの要素が強く、戦よりも商、政の性格を強くしていると言えるだろう。 多くの宗教なども、本来の救い、道、に対して、儀式や教団の業の性格を強くしていると言える。 変遷はすべて それなりの理由と歴史が有るのだから、否定的に見るよりも、初期の理念、目標と変遷を吟味するのが良いのではないだろうか。 混乱が生じたら、それらの経過をはじめから検証するのは、数学では日常行っている基本的な態度である。
以 上
添付資料1:
新聞倫理綱領
2000(平成12)年6月21日制定
21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。
国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。
編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、その責務をまっとうするため、また読者との信頼関係をゆるぎないものにするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない。
自由と責任 表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。
正確と公正 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。
独立と寛容 新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。
人権の尊重 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。
品格と節度 公共的、文化的使命を果たすべき新聞は、いつでも、どこでも、だれもが、等しく読めるものでなければならない。記事、広告とも表現には品格を保つことが必要である。また、販売にあたっては節度と良識をもって人びとと接すべきである。
添付資料2:
教育基本法
(平成十八年十二月二十二日法律第百二十号)
教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
前文
第一章 教育の目的及び理念(第一条―第四条)
第二章 教育の実施に関する基本(第五条―第十五条)
第三章 教育行政(第十六条・第十七条)
第四章 法令の制定(第十八条)
附則
第一章 教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(生涯学習の理念)
第三条 国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。
添付資料3:
日本国憲法第9条
1日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
以 上
ウイキペディアより:
マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。
「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
— 松井誠、「第38回国会 衆議院本会議 1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年、黒い霧事件第1弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。
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