2014年8月12日火曜日

経済協力は間違いなく必要、 日中関係は「大局」を見て築くべし 強固な相互依存関係はもう崩せない 2014.08.12(火) 柯 隆

経済協力は間違いなく必要、
日中関係は「大局」を見て築くべし
強固な相互依存関係はもう崩せない
2014.08.12(火) 柯 隆

1月中旬に北京アジア太平洋経済協力APEC)会議が開催される。安倍晋三首相は、会議に参加して中国習近平国家主席と首脳会談を行う意欲があると言われている。だが中国は開催国として安倍首相をどのように受け入れればいいか困っている様子である。
靖国神社に参拝し、尖閣諸島中国名「釣魚島」)の領有権に関する争議を認めず、集団的自衛権憲法解釈の変更で認めようとする安倍首相を安々と迎え入れ、首脳会談を行えば、中国国内で習近平国家主席に対する批判が高まるのは目に見えている。
かといって中国には「朋(とも)あり遠方より来る」という故事もある。わざわざ訪れてくる要人を歓迎しなければ、国際社会における中国のイメージが悪くなるに違いない。
おそらく中国の本音としては、安倍首相が自らAPEC会議への出席を辞退し、高村正彦副総裁などが代理出席することを願っているだろう。しかし、中国の思う通りにはいかない。安倍首相はあくまでも出席する姿勢を崩していない。中国は「大国」としての度量と外交手腕が試される。
日中関係は大局を見るべし
丹羽宇一郎元駐中国大使によれば、目下の日中関係は国交回復して以来、最悪な状況にあるという。丹羽大使と同じ考えを持つ日本人は少なくない。はたして日中関係は本当に最悪な状況なのだろうか。しかし仔細に日中関係を観察すれば、それは正しくないことが分かる。目下、両国の政治指導者の仲は確かに悪い。だが国民レベルで見ると、日中関係は決して悪くない。2013年に来日した中国人観光客は前年度より減少はしたものの100万人の大台をキープしている。日本では、中国人反日感情が高まっているとよく言われるが、中国人が本当に日本のことを嫌っているのなら、なぜわざわざ高額の旅費を払って日本に来るのだろうか。そして、なぜ日本国内を観光して回り、日本製品を買いあさるのだろうか。中国共産党が実施している愛国教育は、日本の評論家がテレビでコメントしているほど機能していない。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41429

人間は不思議な生き物で、1人の個人としての行動様式と、集団になったときの行動とはまるで異なっている。例えば、1人の日本人と1人の中国人が対話するときは感情的になりにくい。それに対して、互いに集団になって論争すれば、まるで自分が国を背負っているような自負が芽生え、感情的に相手を攻撃しがちである。
本来ならば、政治家は新たな日中関係を築くのが責務だが、現実的には両国関係の改善をいろいろな意味で邪魔していると言える。政治家は往々にして自らの利益を最大化するための行動を取りがちである。日中関係はよく「政冷経熱」と表現される。それが事実であるとすれば、中国人と日本人は政治抜きで付き合うべきであろう。
マルクス主義では、基礎となるのは経済で、政治は経済の上層部分である。基礎部分の関係をきちんと固めれば、その上の部分は少々仲たがいがあっても、本来は大きな問題にはならないはずだ。日中関係の大局を見ずに細部だけにフォーカスすれば、両国は間違った方向に向かってしまう恐れがある。
日中関係の大局」とはなにか。それは予想以上に強固なものになった相互依存の経済関係だろう。日本にとっても中国にとっても、経済協力は間違いなく必要なのだ。
「平和的台頭」を実現するために必要なこと
旅行や出張で初めて日本にやって来た中国人に日本の印象を尋ねると、ほとんどの中国人はそれまで持っていた日本の印象と、現実の日本との大きなギャップに驚きを隠さない。中国マスコミに登場する共産党幹部や研究者は一概に日本に対して強硬姿勢を示す。だが、彼らは強硬姿勢を崩すと、たちまち「売国奴」とインターネットで罵倒されることを知っている。彼らの強硬姿勢は演出による部分が大きい。
一般的に中国人は物事を大げさに表現する傾向がある。例えば、中国政府が提唱する「平和的台頭」に関しても、わざわざ「前人未到の平和的台頭」と表現する共産党幹部と学者が多い。そういう極端な表現をしなければ、愛国ぶりは十分でないといわんばかりである。
しかし、平和的台頭は事前に宣誓するものではなく、結果論である。中国が平和的台頭の路線を歩むとすれば、国際社会でより「受け入れられる」ための努力が必要となる。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41429?page=2

中国では習近平政権になってから「中華民族の偉大な復興」が公約として掲げられている。多くの日本人はそれを警戒する。中華民族の偉大な復興とは、いったい何を意味するものなのだろうか。これまでの200年間、中国は列強に虐げられてきた。民衆の間では、民族復興への要望が強い。しかし、そのエネルギーをナショナリズムの高揚に転化しようとすると、中国社会が不安定化し、周辺諸国にも深刻な影響を及ぼすことになる。中国が本当に平和的台頭を実現したいのであれば、法による統治を確立し、好戦的な姿勢を抑止すべきであろう。
先進諸国は中国とどう接すべきか
一方で、国際社会も意識を改める必要がある。これまでの世界秩序はその均衡状態に基づいて築き上げられてきた。その中で中国のような大国が台頭すれば、当然のことながら従来の秩序が部分的に崩れ、新たな均衡に達するまで不安定な状態が続くことになる。この動きは、中国の意図とは関係なく展開されるものである。
換言すれば、今は大きな転換期である。先進国も、新興国中国も、智慧を出す必要がある。中国国内では「日本とアメリカ中国の発展を妨げようとしている」との論調がある。冷静に見れば、中国のような大国の発展を妨げられるほどの力を持つ国は、現実的には存在しない。それよりも、日米は中国の発展から大きな利益を得ている。
国際社会では、中国がこの先どのような行動様式で動いていくかが懸念されている。中国人がその独特な言葉と表現で自らの行動様式を説明しても、なかなか理解を得られない。もちろん説明する努力を怠ってはならないが、逆に、国際社会、とりわけ先進国の側も、中国を理解するために、中国にもっとエンゲージメント(関与)していく必要があるだろう。領土・領海の領有権をめぐり対立した場合も、互いに平行線のまま自己主張を続けるより妥協点を探る努力が求められる。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41429?page=3


再生核研究所声明 25 (2009/07/01):
日本の対米、対中国姿勢の在りようについて
世界の大国、アメリカ中国の存在は それら両国を抜きにして、世界の平和や経済問題など、語り得ないことはもはや自明の事実である。 したがって、それら両国日本国がどのように向き会うかは 国家の重要事項である。日本国の位置づけを行う上でも重要な視点になる。そこで、日本国の在りようの視点から考察を行いたい。
まずアメリカに対する評価であるが、第1に、 日本国は アメリカを主とした国々に無条件降伏を行い、しかも戦後復興を援助してくれた国として、別格の位置づけを行い、友好親善関係を深めていくのは当然である。さらにアメリカは、民主主義の大国であるばかりではなく、経済、軍事においても、文化においても世界を指導できるただ一つの超大国であると評価できる。 それゆえに、日米安保条約などの関係も それなりに理解できるものである。 しかしながら、戦後60年を超えて、外国軍が駐留を続けている状況は異常な状態と言わざるを得ない。いまだ日本には敗戦の傷を負い、独立心と自立心に欠け、対米従属の精神が抜けきらないのは はなはだ残念である。大抵の国々が敗戦を経験したり、過ちを犯してきているのは当たり前なのに、日本国はたった一回の敗戦で、独立国家としての気概を失っているのは誠に残念である。 すなわち、アメリカに対しては、別格の友好親善関係を維持しながら、敬意を表しつつ 日本国は より国家としての独立性と自立性を図るように努力することとしたい。これは軍事、経済面ばかりではなく、文化や精神面においても、である。
次に、対中国問題であるが、まず、中国はいわば日本の故郷に当たるという格別の認識を確認すべきである。日本人の多くは中国に行って、兄弟や親族と間違えるような人々に会い本当に兄弟国であることを知るでしょう。さらに漢字や儒教を通して、多くの文化の強い影響を受けていて、世界の文化圏から見れば 日本は中国文化圏の1部であるとみられよう。しかるに中国を嫌ったり、警戒したり、あるいは敵視するような1部の人たちの見方は はなはだ視野の狭い、独断と偏見に満ちたものであるといわざるを得ない。日本国は いつも大国中国に対しては、特別な敬意をもって 母なる大国 として当たるべきである。
アメリカ中国との友好関係を深め、世界の平和は両国を中心として、国連常任理事国などに任せ、日本は最小の専守防衛自衛軍を備えるというのは 日本国の在りようの基本として良いのではないかと考える。
日本国は 軍事や国際平和の問題を任せて、謙虚にして、内実を図り、文化や経済などで発展し、国際貢献していけば良いと考える。その時 日本国憲法の精神が 理想ではなく現実に実践できる時代を迎えることができると考える。
皆さん 軍隊などはなくても 誰も侵そうなどとはしない 美しい国日本国 を築こうではありませんか。暮らしが大事、内実が大事ではないでしょうか。世界に誇れるような 北欧諸国や、ポルトガルのような文化国を作ろうではありませんか。 
この日本国の在りようは 集団防衛構想や敵地攻撃を検討したり、防衛力増強を図る立場とは激しく対立する 日本国の在りようとして 現実的に極めて重い意味を有するのです。 背景には 国、地方の1000兆円を超える借金と慢性的な財政赤字、疲弊した日本社会と少子高齢化社会、荒廃した日本の教育などに対する配慮があるのです。    以上。

国の借金985兆円 12年度に1千兆円超え確実
国の借金1人850万円…12年度末過去最大に
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
U.S. National Debt Clock : Real Time http://www.usdebtclock.org/

再生核研究所声明2(2007/01/27)教育方法と賢王の心得
2500年も前の中国古代で次のような文献があるのは誠に驚異です:
今の教育では、教師はただ目の前の教科書を読み上げて、文字や辞句の質問を並べて学生を責め、言説が散漫であり、学習範囲を広げることを急いで、ゆっくりと研究することを教えようとせず、人々をその本心から学問を好むに至るように導くことをせず、また人を教えるのに、好くその才能を尽くすことに努めず、師の教え方も誤っており、学生の学び方も正しくない。 そのため学生は、学問が好きになれず、教師に親しまず、学習の困難に苦しむばかりで、その利益を知るに及ばず、従って、せっかく学業を終えても、たちまち学問を捨ててしまうのである。 今の学校教育が功をなさぬ理由は、上述のとおりではなかろうか?
大学の教育方法では、学生の過誤を未発のうちに防止することを予という。 学生の学習状況に応じて、ちょうど好い時に教えることを時という。 学生の(受容能力の)程度を越えぬようにして授業することを孫(順当)という。 学生が互いに注意して言行を善美にしてゆくように指導すること、これを摩(磨)という。 これらの四事は、教育の効果を大きくする善法である。
(これに対し、次に述べるのは、悪法である。)
学生の過誤が発生してしまってから、これを叱って禁止すれば、相手は抵抗して、これを抑えるのは難しい。 また授受に程度良い時を失うと、学習に骨が折れて成功しにくい。あれもこれもと雑多に教え込んで無理をすると、学習が混乱して順序を失う。また学生を孤独に捨てておき朋友と交わるように指導しないと、学生は頑固で偏屈になる。また遊びすぎの友人に交われば師長の教訓は守られず、遊び癖がつけば、学問は捨てられてしまう。
これらの六事は、教育を妨害する大きな原因である。
次に、学ぶ側の四つの誤りがあって、教える者はこれを心得ておくべきである。即ち、人が物事を学ぶに当たっては、そのことに関連して余りに多くの事に手を広げると、すべて散漫な知識となり、余りに範囲を狭くすれば、知識が貧者弱となり、目先の変化に引かれると何一つ完全な知識を得られず、逆に狭い範囲に限定すれば、知識は偏狭となる。これ四種の誤りは、それぞれ相異なる心理から生ずるものであるが、教える側の者は、好くそれぞれの心情を察してこそ、その誤りを救ってやることができるのである。
教育は、人の長所を助長し、短所を抑制するように導くことなのである。
古代の賢王のたちが天下を治めたときの心得は、五つであった。 有徳者を貴ぶこと、
身分の貴い人を尊ぶこと、老人を尊ぶこと、年長者を敬うこと、及び幼少を慈しむことである。この五つが古代賢王たちの政治の心得であった。有徳者を貴ぶのはなぜかというに、有徳者は(人間の)正道を得たものに近いからである。身分の貴い人を尊ぶのはそれが君公に近いからである。老人を貴ぶのは、父母に近いからである。年長者を敬うのは、兄に近いからである。幼少を慈しむのは、わが子に近いからである。それゆえ至極の孝子は天下に王たるに近く、至極の賢弟は覇者たるに近い。なぜかといえば、天子といえども、人には父母があり、これに仕えて敬愛を尽くし、よく孝子の模範となってこそ、万人が心服して、真に天下に王たることができるのである。また諸侯にも必ず兄があり、これに仕えて恭敬を尽くし、よく弟たるの道を行ってこそ、他の諸侯が心服して、霸者たることができるのである。従って古代賢王の道は、そのままに、受け伝えて改めることを要せず、これを行えば、天下国家を保ち治めることができるのである。
孔子が(以下のように)言っている。人を愛することを説き出だすには、まず父母から愛することから始めるのは、相互親睦の道を教えるためである。人を敬重することを説き出だすには、まず年長者を敬うことから始めるのは、人に従順の道を教えるためである。君が慈愛親睦を民に教えることによって、民は父母を養うことを重んじ、年長を敬うべきを教えることによって、民は長上の命令を守ることを重んずるのである。それゆえ、孝敬を心がけて父母に仕えること、柔順を心がけて命令を守るということ、この二つの道を天下に普及させれば、他のいかなる政教も天下に行うことができるのである。
竹内照夫著 礼記(中)新釈漢文大系 発行所 明治書院 p548-551; p 709-710 抜粋
                           


再生核研究所声明 138 (2013.10.18): 
中国中国の印象 ― 母なる大国、中国に郷愁を感じた
(2013.10.10.16:20 纏めたいと思っていたが、全体の構想が休んでいるときに湧いた。)
9月、学習理論の国際会議に招待され、会議は Hangzhou 空港から、車で50分くらいのところにある 由緒ある街、Shaoxing市、Jishan Hotel で 開催された。観光は 由緒ある街ではなく、1000年を越える桂で有名な大公園で 桂林 お茶や散策で過ごした。それで、ホテルの極近くと、1回大きなホテルでの晩餐会に出かけた以外、多くの運河を持つ、面白そうな街を良くは見られなかった。中国は大国で、今までに、深圳香港上海マカオしか訪れていなかったので、中国の印象と言っても、局所的な視点であることに留意して頂きたい。しかし、今回の訪問は 中国のいわば中枢、文化的に古い町のひとつであるから、大中国の理解を深められるのではと 大きな期待を持っていた。
まず、触れたいのは、何時でも感じて来たことであるが、民族、人種が 概ね半数位は 日本人と全く同様であると言うことである。親族や友人と全く同様、素敵な人たちが多くいて、外国の感じがしないと言うことである。奈良や京都に行くと 特別な郷愁を感じるもの であるが、より古い時代の同じような郷愁を深く感じた。漢字、いろいろな絵、風景に本当に懐かしさと共感、共鳴をし、人びととも情が通じるのが良く分る。― 日本では 中国人嫌いや、蔑視の風潮が少しあるが、とんでもない誤解であると言える。― これらの事実は、留学生の一部の人たちの悪い印象と、マスコミの偏見や、政治的な意図を持った報道の影響ではないだろうか ― 外国に おべっかをつかったような 心無い政治家の 暴言も印象深い。― 兄弟、姉妹、親戚、友人の 素敵な人たちと そっくりな人たちのいる中国と 仲違いするなど、同族争いと同じで、自分の故郷と喧嘩する ようなものである。日本が侵略したことを思い、心を痛めた。漢字の偉大なる文化と影響を深く感じた。中国は 本当に、日本の故郷である。民族的にも、文化的にも、先祖様の国であると言える。
次に触れたいのは、食の豊富さである。多様な食材が出て、びっくりさせられる。日本の食の原型を沢山見出すことも出来る。特に、お茶が 特別に効果が有って、頂くと気分が爽快になり、いろいろな考えが湧いたり、元気が出て来る、体が喜んで、生き生きしてくるのが良く分かる。中国の食の多様性、豊かさには 何時も驚かされる。広い中国から集められていることが良く分る。
中国街づくりで、どんどん開発、発展していて、公害対策にも熱心に取り組んでいることが良く分かる。しかし、やはり残念なのは 大気汚染、排水など 社会基盤の整備の遅れである。大中国は 日本の10倍国であるから、 西欧並みに成ったら 地球が持たないなどの危惧さえ起きる訳で、短期的な判断は 禁物であり、大きな視野で 中国を捉える必要が有るのではないだろうか。 大混乱が起きて まだ1世代も経っていない現実を考慮する必要がある。
日本は、熱烈、日本の母なる 大国中国と友好関係を深めて、世界史の発展を志向したい。
もちろん、反米など論外であり、中国とも アメリカとも、仲良くである(再生核研究所声明 25: 日本の対米、対中国姿勢の在りようについて)。
まこと、人間は、神によって創造され、共通の基礎を持っているように感じられる。世界のどこに行っても、人間は同じように考えたり、悩んだり、気持ち が通じてしまう。 
和によって、世界史を進化、発展させたい。
(暖かく迎え、歓迎して頂いた方々に心から謝意を表したい、人々は親切で、人懐っこいと感じた。)
以 上

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