2014年10月17日金曜日

不登校の小中学生 12万人近くに

不登校の小中学生 12万人近くに
10月17日 4時10分
不登校の小中学生 12万人近くに
昨年度、不登校になった小中学生は12万人近くに上り、6年ぶりに増加したことが分かりました。専門家は「保護者も教員も多忙で余裕がなく、友人関係や勉強でつまずいて不安定になっている子どもに早い段階で気付くことができなくなっているのではないか」と分析しています。
文部科学省は年間、30日以上学校を休んだ児童・生徒について調べています。
このうち、病気や経済的理由での欠席を除く「不登校」は小学校で2万4175人、中学校で9万5442人で合わせて11万9617人に上りました。
前の年度より7000人近く多く、6年ぶりに増加しました。
不登校の児童・生徒は学年が上がるにつれて増えていて、小学6年生では8010人ですが、中学1年生で2万2390人と6年生の3倍近くになり、中学3年生では3万8000人あまりとなっています。
また、不登校のきっかけと考えられる状況を学校側に複数回答で尋ねたところ、「不安など情緒的混乱」が最も多く28.1%、次いで「無気力」が25.6%、「いじめを除く友人関係を巡る問題」が15%、「親子関係をめぐる問題」が10.9%でした。
不登校の問題に詳しい東京学芸大学の小林正幸教授は「保護者も教員も多忙で余裕がなく、友人関係や勉強でつまずいて不安定になっている子どもに早い段階で気付くことができなくなっているのではないか。子どもたちが『つらい』という声を上げやすい環境にすることが大切だ」と話しています。
自治体などの取り組みは
不登校の児童生徒を巡っては自治体や学校でさまざまな取り組みが行われています。
市町村の教育委員会は不登校の子どもたちが学校に再び通えるように支援する「教育支援センター」の設置を進めていて、昨年度の時点で全国に1306か所、整備されてます。
教育支援センターでは学習支援やカウンセリング、それに集団生活に慣れてもらう合宿などを行っているということで、昨年度は1万4000人余りが利用しました。
また、文部科学省が特に効果のあった取り組みを学校側に複数回答で尋ねたところ、最も多かったのが「登校を促すため、電話をかけたり迎えに行ったりした」で48.5%、次いで「家庭訪問を行い、さまざまな相談に乗った」で46.8%、「スクールカウンセラーなどが専門的に指導に当たった」が40%、「保護者の協力を求めて家族関係や家庭生活の改善を図った」が38.4%などでした。
こうした取り組みの結果、昨年度は3万6000人余りが再び学校に通うことができるようになったということです。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141017/k10015467841000.html

再生核研究所声明 4 (2007/03/17):競争社会から個性を活かせる社会に:
現在、日本を覆っている不安な状況を打破し、明るい未来を切り拓く第1歩として、憲法第25条の精神を高揚させ 最低生活の保障による連帯を確認する事の必要性を訴えている(声明3)。いじめ、犯罪、モラルの低下、そして全国に広がる財政赤字など、それらの大きな原因として、経済環境の厳しさとともに、貧しい競争意識と受験勉強に代表される貧しい戦後の教育内容にあると考えます。考え方を変えるのは簡単ではありませんが 精神、考え方を競争社会から個性を活かせる社会に変えていく必要性があるのではないでしょうか。 
その理由は:
1)まず競争とは、1つの価値、ある判断の下での順位になり、その点では個性や、特殊性を排除した価値観の画一化に繋がる危険性を有している。例えば現在の受験制度では多くの場合に受験科目の得点で順位が定められ、概ねそれによって合格、不合格が定まり、その流れで入学の大学が定まり、そして同様に大学の伝統的な序列で一定の評価が定まっていく流れになっていると考えられる。もちろん伝統的に行われてきた体制はそれなりの理由があり尊重されなければならないと考えますが、評価をこれらで1元的に考えることには大きな問題があると思います。例えばそのような流れ以外の道を選んだ人たちの立場です。 スポーツ選手や、芸術家、芸能関係者、技術者、職人、棋士、実業家などなどです。
2)スポーツなどの世界では競争はかなり明確に理解でき、競争の世界として、もちろん結構だと思います。例えばお相撲さんは優勝を目指して努力されているわけです。しかし歌い手さんたちは それぞれの個性と持ち味を活かしていろいろな人が活躍されていますが、それとて、いろいろな評価が下されますが、その時の競争とは考えられてもお互いに芸を高めていくような いわば精進の競争であり大いに勧められるべき競争と言えます。
3)これに対して貧しい競争とは、相手との比較ばかりに気を取られ、自分を見失った競争であり、自分の個性を活かせないところで、相手より優位に立とうする競争の事です。自分のむかないところで、無理して競争に駆り立てられている状況はないでしょうか。
4)日本の教育の重点が いわゆる学力中心で、知識中心になっていないでしょうか。そして、いわゆる頭のよい人、学力のある人がすべてのような1元的な価値判断が余りにも強すぎはしないでしょうか。 勉強の嫌いな子や勉強のできない子、いわゆる優秀でない人と言われている人が それゆえに低く見られてはいないでしょうか。勉強ができず、学力がなくても、いわゆる優秀でなくてもいろいろな長所があって、よい個性を持っているのにそれらが評価されず、また無視されるようにはなっていないでしょうか。これでは、勉強のできない子は学校が嫌いになり、やがて社会から疎外されるようになってしまわないでしょうか。絵が得意で感銘させる人や、工作がうまく名人的と思われる人の才能を引き出せない社会は社会の大きな損失にはならないでしょうか。運動会などやキャンプ生活などで多くの体験授業などがあれば いろいろな才能が発揮され、学力以外のいろいろな個性や、才能を発見できる機会が出て来るのではないでしょうか。もちろん実社会は大きな世界です。
5)学力中心による教育では、生徒の個性を活かせず、1元的な価値判断で多くの個性と才能をうずもらせてしまうだけではなく、才能を活かせない生徒は社会から疎外され、不満が増大する事になり、社会は不安定になると思います。
6)個性を活かせる社会とは 社会にはいろいろな人が必要であり、それぞれ自分の得意な分野や好きな分野で、個性が活かせるようなところで社会に参加して、助け合っていくような社会のことです。強い人も弱い人も、考える事が得意な人も苦手な人もそれぞれ長所もあり短所もありそれぞれが補完し、助け合っていく社会です。このような社会では、苛めも、犯罪も生じる土壌がないのではないでしょうか。
7)財政赤字について触れましたが、無いお金を使うという事自体が無責任の結果ではないでしょうか。短期的に赤字という事は仕方がないことですが、赤字を増大させていくというのは余りにも無責任と言われても仕方がないのではないでしょうか。これらの背後には学力を付けることばかりに走り、責任感の無い自己中心的な教育が生み出した日本人全体の精神的な土壌から起きているという根強い原因があるのではないでしょうか。
8)何かというと経済効果や活力のある社会という観点が問題になりますが、少数の自爆テロを起す人を抱える社会はどれほど、経済的にマイナスを生むことでしょうか。そのよう状況では例えば新幹線を守るにはどれほどの経費がかかることになるでしょうか。あらゆる所で、厳重な警備を必要とする社会になってしまいます。それに対して 社会に強い不満を持つ人を生み出さない社会とは何と素晴らしい社会でしょうか。この観点からも憲法第25条の精神を思い出すことは大変いい状況を生むのではないでしょうか。
国が衰退したら、勝ち組も負け組みも、公務員も、もちろん、検察庁も、マスコミ関係者も みんな困るのでは? 1代自分だけうまく行っても、2代、3代 お孫さんたちは?日本人には、必ず愛国心が湧いて来ると信じています。
欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。 


高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん

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