拉致問題打開「対話」シフト第1次内閣「圧力」成果なし
2014年10月13日朝刊
北朝鮮による日本人拉致問題で、日本政府が掲げる外交方針は「対話と圧力」と「行動対行動」。北朝鮮側の動向に応じて硬軟を使い分ける外交策だが、歴代内閣は「対話」と「圧力」の間で揺れ動いた。安倍晋三首相も第1次内閣では圧力に傾いていたが、今は対話重視の姿勢が目立つ。 (上野実輝彦)
首相は十二日、拉致問題をめぐる北朝鮮への対応について「基本的には対話と圧力の姿勢で対応するが、解決していくためには対話していかなければならない」と語った。
これまでの安倍首相には「圧力」重視のイメージが強かった。
拉致被害者五人を帰国させた小泉内閣を引き継ぎ、二〇〇六年に首相になった安倍氏は「主張する外交」を展開。北朝鮮が核実験を行うと、国連に先駆けて独自の経済制裁を発動し、北朝鮮船舶の入港や輸出入を全面禁止した。核開発をめぐる六カ国協議の参加国が重油支援を決めた際も、日本だけは「拉致問題解決が先」として加わらなかった。
この路線は、国内で一定の支持を得たものの、北朝鮮は反発。対話の糸口すらつかめなくなった。
後任の福田康夫首相は対話姿勢に転じ、〇八年八月には拉致の調査やり直しで北朝鮮と合意。しかし、この直後に退陣したため実現しなかった。その後は、首相が頻繁に交代する日本の政治情勢もあり、拉致問題は進展しなかった。
第二次内閣での安倍首相の対応は、福田内閣と似ている。圧力中心で結果を出せなかった第一次内閣の教訓があるためだ。
日朝協議が本格化する直前の今年三月下旬、北朝鮮が中距離弾道ミサイルを発射した際も協議を中断しなかった。七月の日朝協議で決まった再調査は「夏の終わりから秋の初め」とした北朝鮮の第一次報告も遅れているが、北朝鮮側の打診に応じて外務省の担当者らを訪朝させる方針だ。外務省幹部は「首相官邸から、対話を切らさないよう指示が来ている」と明かす。
慶応大の礒崎敦仁(いそざきあつひと)専任講師(北朝鮮政治)は「北朝鮮との間で物事を動かすには、対話を続けるしかない」と理解を示す。一方で、拉致被害者家族には「北朝鮮ペースに巻き込まれる」と懸念する声がある。
初心忘れるべからず - 再生核研究所本末転倒、あべこべ70(2011/09/28)声明
現代の世相を見ると、余りにも奇妙な現象が起きていて、まるで本末転倒、あべこべになっているのではないかと考えられることが多いので、それらの事象を考察して、初心を尊重して本来あるべき姿について反省を求めたい。しかしながら、時代の趨勢で、初心が本質的に変化を求められ、変遷の止む無きこともあるので、その辺の考察も行なって置きたい。
まずマスコミの現状を見てみたい。マスコミの在るべき姿については例えば新聞社においては、自ら天下にこうありたいと宣言している新聞倫理綱領を参照して頂きたい(添付資料1)。現状は如何でしょうか鍵となる用語を抜粋したので、現状を考えて頂きたい。:
あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される
新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によって
言論·表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじ
正確と公正新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である
報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない
あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない
他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する
人権の尊重新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。
教育の在り様については、教育の目標を教育基本法に定めている。その最初の部分を添付資料に付けたが、あまりに素晴らしく、また、あまりにも現状がかけ離れていて、驚いてしまう。
空虚な日本を作っている根本原因ではないだろうか(再生核研究所15声明:空虚な日本の社会)。さらに、日本の公教育が 天才教育の必要性を訴える)。
添付資料3日本国憲法第9条 絶えず、真摯な態度で臨むべきであると考える(再生核研究所6声明:憲法問題に対する提案参照)。
評価なども 変遷はすべて
以上
添付資料1:
新聞倫理綱領
2000(平成12)年6月21日制定
21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。
国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。
編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、その責務をまっとうするため、また読者との信頼関係をゆるぎないものにするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない。
自由と責任表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。
正確と公正新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。
独立と寛容新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。
人権の尊重新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。
品格と節度公共的、文化的使命を果たすべき新聞は、いつでも、どこでも、だれもが、等しく読めるものでなければならない。記事、広告とも表現には品格を保つことが必要である。また、販売にあたっては節度と良識をもって人びとと接すべきである。
添付資料2:
教育基本法
(平成十八年十二月二十二日法律第百二十号)
教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
前文
第一章教育の目的及び理念(第一条 - 第四条)
第二章教育の実施に関する基本(第五条 - 第十五条)
第三章教育行政(第十六条·第十七条)
第四章法令の制定(第十八条)
附則
第一章教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(生涯学習の理念)
第三条国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。
添付資料3:
日本国憲法第9条
1日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
以上
ウイキペディアより:
マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。
「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
- 松井誠、「第38回国会衆議院本会議1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年、黒い霧事件第1弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。
拉致問題、北朝鮮問題も真面目に考えたいと思います。それで、できれば付き合いたくないというのが、大方の気持ちではないでしょうか。ただ騒いでいるだけになってしまいます。
さらに不愉快な事は歴史的な流れがあったとしても戦前における日本国のおかした罪悪が、噴き出てくることです。紛れもなく、おかしな国を作った一つの原因が日本にはあると思います。
そこで、元気がなくなってしまうのですが、世界の平和やより良い未来を切り拓くためには、真摯に考え直す必要があると思います。
そこで、次の全般的な考察は如何でしょうか。
再生核研究所声明18(2008/07/30)拉致問題の解決に向けての提案
拉致問題ほど日本国にとって不幸な事件はそれ程ないのではないでしょうか。しかも解決できる見込みがなく、いわば泣き寝入りの状況に陥っていると考えられます。
さて拉致問題とはそもそも何でしょうか。日本国内に住んでいた人が他国によってさらわれたものであり、このような不法な行為が 大いに反省されるべきです。
国家によって拉致された人達を如何にして取り戻すか。現在、政府を含めて、圧力を強めて、取り戻そうとしているが、一向に埒があかず、いたずらに時間をかけていて、拉致された家族の人達と多くの日本国民を苦しめています。他方、6カ国会議の国々は所謂、核開発の中止と引き換えにテロ国家指定解除や重油などの援助を行う方向であり、日本国だけが取り残される苦しい立場に追い込まれている。アメリカなどのこの妥協は、核兵器を持たせるという大きな脅威を直視する以上、止むを得ないことと理解を示す必要があると考えます。
いやしくも相手国家が拉致問題を解決する姿勢を示さず、圧力をかける有効な手段を持たない以上この問題を解決するには実効支配している北朝鮮政府と交渉を行ない、妥協の道を探らなければならないと考えます。
それには交渉が行き詰った所に戻り、そこから1歩1歩解決の糸口を探る必要があります。直接の糸口はデヴィ夫人のブログにあった。
小泉元首相が北朝鮮におもむき、国交正常化を約束し、
そしてめでたく5人の拉致被害者を連れ戻すことに成功、
日本国中が熱い涙を流したのも、昨日の事のように思い出されます。
私自身も怒りのために震える気持ちでした。
しかし拉致被害者の方々は、
日本政府との2週間の日本滞在の約束で帰ってきたはずです。
当時内閣官房副長官であった安倍晋三氏と中山恭子首相補佐官が、
彼等を北朝鮮へ帰さないと強行な態度で約束を破りました。
連れ添ってきた北朝鮮の赤十字の方々を
スパイ扱いするような非礼なことまでいたしました。
に糸口があるのではないでしょうか。約束を守らず、返さなかったという事は加藤氏のテレビなどでの発言、その他でそのようであったように考えられます。国、政府が約束して、守らなかったとなれば、それ以上交渉が進展しないのは当然ではないでしょうか。日本国政府は、北朝鮮政府を騙した事になり、それではもはやそのような日本国政府とは、交渉ができないというのは、世の道理ではないでしょうか。嘘をついてはいけないのは、相手の為ではなく、自分の信頼を得る為ではないでしょうか。例え相手が、どのようであっても、自分の尊厳と信頼を得る為には、嘘や騙しは、許されないと思います。日本には武士に二言はないという気高い精神があったと思います。もし日本国政府がそのようないい加減なことをやっていれば、これは、日本国の重大な問題ではないでしょうか。
約束違反は重大な背信行為になりますから、相手が納得するまで、謝罪する必要が先ずあると考えます。ここでならず者の国家では道理が通らず、約束を破ってもよいと考える人もいるかも知れませんが、それでは北朝鮮を支配している政府とはもはや交渉は出来ず、結果的に拉致問題はそのような政府が続く限り、解決できないという結論になると考えます。超大国アメリカも中国も圧力で拉致問題が解決できる見通しが立てば、日本に協力して解決の方法を進めてくれると考えます。そうではないことは、拉致問題の解決がそう簡単ではないと判断していると考えられます。
従って約束違反を真摯に謝罪し、国交正常化交渉のテーブルに着くことが このような過程で拉致問題は着実に前進すると考えます。以上。
注:
加藤紘一元幹事長の発言:
拉致被害者「戻すべきだった」
・自民党の加藤紘一元幹事長は7日夜、日本BS放送の番組に出演し、2002年に北朝鮮から一時帰国した曽我ひとみさんら拉致被害者5人に関し、同国に戻さないとした当時の政府決定について「国家と国家の約束だから、(戻した方が)よかった。安倍(晋三前首相)さんを中心に返すべきでないとなったが、その辺が今、日朝の間で打開できない理由だと思う」と述べ、官房副長官として永住帰国への方針転換を主導した安倍氏の対応に問題があったとの認識を示した。
加藤氏は「(戻していれば現状のようには)ならなかった。『また来てください』と何度も何度も(両国間を)交流していた。一回返すと平壌は殺してしまうんじゃないかと(言われたが)、そこが(安倍氏らとの)外交感覚の差だ。そんなことができるはずがない」と述べた。
再生核研究所声明50(2011年2月24日):日本における民主主義の脆さ、危うさ
民主主義は衆愚政治に近いものであり(33声明:民主主義と衆愚政治)、日本は既に衆愚政治の状態ではないかとの危惧を表明している(声明49:アジアの愚か者、アジアの野蛮性)。しからば、どうして、このような状態に至ったかを考察して、日本国の弱点を克服して、少しでも歴史を進化させるように努力したい。
はじめに、民主主義は 先ず、大多数を占める一般庶民を見ると、
1)政治に興味が無い、関心が無い、政治に嫌気がさしている、政争を好まない、政治論争も嫌いである、あるいは政治に絶望している。
2)政治を語ると みんなで連なっていたい文化背景を有しているように考えられる。
3)日本のあるべき形や、組織のあるべき姿など 相当に悪く、あれも霞と民主主義のレべルを越えているようには見えない。
4)公の選挙でも、地縁、など の観点より、勢力争いに費やしている方が主になっている。
5)本質的な問題としては、日本では、個、個人が確立しておらず、ふらふら仲間のムードで動いている、生きている、意思表示しているような背景がある。
近年に見られる背景は、
1)真面目に社会や、国の在りようについて考える、時間的な、精神的な余裕が無い、国防や税の問題、経済、福祉など、難しすぎて、真面目に検討できない
2)政治社会は 諦めてしまう
3)醜い政争、あるいは公約違反などを見て、うんざりして、諦めてしまう、信じられる政党も、政治家も、人物もいない
などの理由で、政治に無関心な層が増加していると考えられる。
それらのために ということの、その背景ではないだろうか。
多くの人が政治に関心を持ち、日ごろ議論などして高い見識を維持することは不可能である。そこで、言論界やマスコミなどが 実相であると考える。そこで、マスコミや言論界がしっかりしていれば、民主主義は
マスコミが 政治的に抹殺しようとしている事実は 健全にマスコミが機能していれば、このように混乱した状況は アジアに緊張を起こし、軍拡を煽り、アジアの愚か者を扇動する浅ましさが目立つ。
政治的な弾圧を加えていると理解されるということである。関係声明を参照して頂きたい。
再生核研究所声明23:秘書の逮捕、起訴事件における検察庁の対応と公正の原則
再生核研究所声明30:検察庁の暴走と民主主義の危機 - 広い視点
再生核研究所声明31:法の精神と - 罪と罰
再生核研究所声明41:世界史、大義、評価、神、最後の審判
マスコミも検察も終戦に当たって、大きな反省をした筈であるが、何を学習したのだろうか。国民のレベルも戦前以下であり、日本国の民主主義に危うさ、危惧の念を抱いている。それらは、平和の問題に直結している、日本国の大事であると考える。
以上
欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。
小沢氏「既存メディア」不信?フリー記者らに積極露出
小沢氏だけでなく、多くの人が、日本のマスコミが、法を尊重せず、公正でもなく、不偏不党でもないとは感じておられると思います。
政治に関心のない・真面目な研究者が、日本のマスコミは外国誌のようだ、小沢氏をたたいている、おかしいと言っていたのは、日本の常識を言っていると思います。首相になろうという人に疑いをかけて、さんざん騒ぎ、政治家失脚のように追い詰めて、結局不起訴を決めた、検察の重大な過失、その事実だけで、検察の責任は、民主主義への本質的な挑戦ではないでしょうか。
健全なマスコミならば、そのような経過を許さず、また検察の責任を追及するのが正義と法を守り、民主主義を守るマスコミの使命ではないでしょうか。マスコミ・検察・政治家が団結して、小沢氏をいじめているように見えますね。おかしな日本。法も道理も義もないのかと怒りを覚えます。
何故マスコミは乗っ取られたのか?
何時の世にも宣伝は大事であり、権力者ばかりではなく、多くの人が、マスコミを利用しようとするのは、普遍的な事実ではないでしょうか。
そこで、そのような圧力に対して、社会正義や世界のための大きな視点を失って、圧力で動いていれば、それはマスコミの役割を放棄し、信頼を失い結局衰退するのではないでしょうか。
いつでも信頼の上に成り立つものは世に多いですね。
マスコミは、公器なので、社会正義や不偏不党などの条件が有ると考えますが、アメリカ流の考えによれば、いまや電波や情報は広く拡散できますので、新聞社は、勝手に商業紙の様に自由に書いても良いという考え方があるようです。ですから、新聞内容を丸呑みしないで、いろいろな情報と比較したりして批判的·理解する態度が必要ではないでしょうか。
日本の新聞など、外国の圧力で書いているようなところが多く、商業紙のようで、論説記事なども批判的に見る態度が大事ではないでしょうか。実際、日本のマスコミには、日本を衆愚政治に導いていて、法や道理を無視しているようなところがありますね。小沢氏の問題などに顕著に現れていると思います。検察が小沢氏の問題について、不起訴処分を決定したという、重い事実など無視して、政治と金などのキャンペーンを繰り返していますね。検察の政治介入の巨悪を追及すべきところ、検察とマスコミの癒着では、マスコミの腐敗は深刻ではないでしょうか。
平成暗黒時代の演出者として、やがて世界史の厳しい批判を受けるのではないでしょうか。
再生核研究所41(2010年6月10日)声明:世界史、大義、評価、神、最後の審判
日本のマスコミは、どの部分を改善したら、素晴らしくなるでしょうか
日本のマスコミについて、果たして自分たちの良心と社会正義観から、政治問題や防衛問題を真面目に考えているようには見えず、外圧によって、偏向報道をやっているように思われ、報道の信頼が揺らいでいるのは根本的な問題ではないでしょうか。
編集者の責任は、重大ではないでしょうか。
政治以外の文化面その他の多くの記事が素晴らしくても、大事な政治で偏向・社会正義について信頼を失えば、新聞全体の評価は、著しく下がるのは当然ですから、関係者が内部から、絶えず、社会正義を追求すべきでは。特にいろいろな意見や反対意見を幅広く取り上げ、いろいろな視点から、幅広く読者が判断できるように、情報を提供すべきではないでしょうか。
良い意見を広く採択でき、紹介するためには、編集者の高い能力と公正な判断能力が求められるのではないでしょうか。
GHQから「日本の将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使用するので、これは捕虜の虐待ではないか」と問われた升田は次のように反論する。
「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。常に全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに仕事場を与えようという思想である。しかも敵から味方に移ってきても、金は金、飛車は飛車と元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」
格好良すぎるぞ。升田幸三!
名人に香車を引いた男 - 升田幸三自伝(中公文庫)[文庫]
升田幸三(著)
日本の政党は「腐敗している」80%(独NGO調査)
国の借金千兆円を突破6月末時点
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(; _;)(; _;)シクシク·(-.-;)·(◎_◎)·(^ _-)デシベル(-_ ^)指切りげんまん
自民が勝つ
民主が負ける
俺たちが笑う
日本が元気になる
それでおkの
惜しい途中までは合ってるけど最後が少し間違ってる
自民が勝つ
↓
民主が負ける
↓
お前らが笑う
↓
自民が日本を終わらす
↓
お前らが騙されたと気づく
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