ドイツ「大学の授業料を全額無料化するよ」...海外の反応
日本の教育費用の家計負担はOECD加盟国のなかでも高く、大学の学費は親の時代から倍増しているといい、イギリスでは2012年に大学の授業料が3倍に値上げされました。
教育費用が上昇する国がある一方で、ドイツでは大学の授業料を廃止することにしたと海外メディアが報じています。
この国だけで廃止大学授業料| ThinkProgress
もともとドイツで大学の授業料が有償化したのは2006年からのことで、ドイツ政府は「今回の決定は大学へ進むか進まないかを、親の経済力に左右されないため」と説明しています。
授業料は学生の機会の観点から不公平で、若者の学習意欲を損なわせ、現代のドイツでは質の高い大学の教育課程を無料で提供することは重要な政策であるとしています。
アメリカなどに比べると、廃止になる前も授業料は高くはなかったそうですが、今回の廃止をうけて他国の人々からうらやましいとの声が上がっています。
海外掲示板の反応をご紹介します。
●ちなみにドイツのほとんどの州ではずっと無料だったよ。無料じゃなかったところでも半年で500ユーロ(約7万円)くらいだよ。
↑ほとんどのヨーロッパがそんな感じだ。大学は完全に無料か、基本的に低い授業料だ。ヨーロッパではイギリスだけがアメリカのように高い。
●アメリカの大学卒業生が平均26000ドル(約280万円)の借金を抱えているのは馬鹿げている。15年後にはその平均はもっと高くなり、授業料はさらに上がるだろう。授業料や生活コストは過去5年で20%も上がっている。すでにアメリカの経済を追い越して上がっている。そしてそんなものが持続できるわけがない。
●それは次の世代のアメリカ人が、ドイツ人に比べて経済的な競争で不利な立場に置かれるということ。
↑もうすでに不利な立場に入ってから何十年も経つよ。
↑明らかだな。
アメリカの一人当たりの収入の中央値30932ドル(約336万円)
ドイツの一人当たりの収入の中央値24623ドル(約268万円)
↑医療費無料+教育費24000ドルと、医療費無料も教育費無料も含まずに30000ドルだ。
↑ちなみにドイツの医療費は無料ではない。
●ちょっとドイツに引っ越してくる。
↑アパート共有しない?自分も引っ越す。
↑参加していい?
●自分はこのインターネット時代に、なぜ4年の教育に5万ドル(約550万円)も支払わなくてはならないのか混乱している。
さらに、どうしてまだ一般教養というものがあるのかにも混乱している。2年ほどの一般教養で文化的に多様な人が出来上がるわけもなく、しかも50%が高等教育の繰り返しだ。
公共の図書館を使えばどうやって学習するかを学ぶこともできる。教授は教えるためにいるわけではなく、研究をしていない間の片手間の仕事に過ぎない。大半の学生はどうやってキャリアを積むかを考えているだけで、学術的な知識の追求のことなんか気にしちゃいない。そして毎週のように酔っているか泥酔しているかだ。
難易度の高い専攻科目をとっている学生は忙しさのあまり、毎週精神的な余裕がないことに気づいているだろうか。30クラスもとっても必ずしも教育されたわけではない。読んだり討論したりしても、卒業したときに、それが何の役にも立っていないことも多い。
そしてそのときになって、ようやく自分を雇ってもらうための貴重なスキルを学ぶ必要性に気づくんだ。大学生は理論的に深い知識を持って卒業するが、実用的な知識は不足したままだ。もちろん理論的に深い知識もキャリアにとって必要だ。ただしそのスキルは公共の図書館で得ることができる。何も4年と5万ドルを払わなくてもね。今の大学は、医師、弁護士、教師になることを教えているだけだ。
●70年代のカリフォルニアみたいだね。自分はUCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)に通ったが、授業料は手頃だった。どうしてやり方をみんな忘れたんだい?
↑カリフォルニアはお金がなくなったんだよ。
●自分はアメリカからドイツに引っ越して、ちょうど1年目が始まるところ。もっとみんなもすればいいのにと思う。授業料はゼロ。
●スウェーデンからだけど、無料じゃない教育って古いと思う。教育を促すのにどうして支払いを求めるのかわからない。
教育のシステムひとつにしても、世界でずいぶん開きがあるようです。
日本は学費面においてアメリカのスタイルに似ているのだと思いますが、進学率が家庭の家計状況に関わらないというのは、かなり公平ではありますね。
ドイツだけで廃止の大学授業料| ThinkProgresshttp://news.livedoor.com/article/detail/9320237/
ドイツは伝統的にそのような考え方ですね。
素晴らしい。
流石ドイツと世界から賞賛されていますね。
経済の復興、力が付いて、可能になって来たということです。
再生核研究所声明90(2012年5月18日):日本の大学受験体制についての一考察
世の中は慣性の法則で動いているものであり(再生核研究所声明72慣性の法則 - 脈動、乱流は人世、社会の普遍的な法則)、教育や教育の在りようなどは 国家の真に重要な要点であり、絶えず検討、改善を志向すべきものである。
そもそも大学受験制度とは、自由競争の典型的な表現として、大学を自由に選択し、公正な評価で選別しようとの普遍的な背景に基づいていると言える。主にアジアにおける入試制度は有名な科挙の制度など古代から存在する制度にその原型を見ることができる。
共通テスト以来の問題は、相当に客観的な数値によって、全国的な序列の鮮明化が進み、いわゆる受験戦争の言葉さえ世相になっている。価値の一元化、共通化、一様化は、重要な多様性の視点から好ましくはないとして、入試の在りようについて検討を求めている:
上記声明で、受験勉強が過熱化すると、本来の教育の理念から、大きく外れ、無駄で有害な特訓のために 76教育における心得 - また年齢によって、準備されなければならない大事なことがないがしろにされていると考えられる。
大学入試センター試験の見直しを提案する:再生核研究所20(2008/10/01)声明
センター試験は1988年 何時も批判的な意見が多く出されているものの組織が出来てしまったためにか
1)センター試験は その最大の理由は共通テスト開始時にも既に指摘されていたようにそのような試験ではパターン化して、知識の積み込み方式になり、考える力を落とすという危惧であった。日本の教育を軽薄な教育にさせている元凶であると考えられる。そのような試験結果は軽いデータぐらいの重さしか果すべきではない。しかるに教育界はそのような試験に対応すべく、多くの無駄、悪い教育をおこなっている。
2)教育においては本来、多様性と個性を活かす事が大事であるはずなのに、型にはめ、一様な水準を作り、貧しい特色のない大学を一様に育てている弊害が顕わになって来ている。センター試験の目指す教育とはおよそ人物たる人間教育や善良な市民を育てる重要な本来の教育とはかけ離れたものであり、日本国を覆っている無責任とモラルの著しい低下の結果を生み出している。教育とは本来何であるかの議論さえ忘れて久しい状態で、魂の抜けた教育であると言える。感性豊かな人間性を高める教育や創造性豊かな教育からは程遠い教育と言える。
3)センター試験の影響は マイナス効果を世に氾濫させている。
4)永い間同じような入試制度が続いたため、入試が専門的な技術を要求するような弊害が現れ、不要な特殊な訓練を得た者が有利になるような弊害が現れてきている。
その結果、このようなことに柔軟に対応できる特定の学校に人気が集中して、公立高校の人気が落ちてきている。そのために経済的な豊かさがもろに教育条件に反映するような状況を生み出している。このようなことが進めば、広範な生徒達から多様な才能を引き出せない状況を進めると危惧される。また、そのような特殊な教育を受ける者が個性を伸ばし、幸せになるとは限らないと考えられる。
5)2日間にわたって、多くの教職員をいわばロボットのように 好ましくないと考える。
6)学校教育には、人生や世界や、自然の事をじっくりと想いをいたし、友情が芽生え、育つような余裕が求められる。
7)センター試験は、所謂世の秀才や優秀な人達の才能もわざわざ鈍化させ、活かされていないと考えられる。日本でも秀才教育や天才教育ができるような柔軟な制度の確立が求められる。
8)共通テスト開始のとき、多くの危惧と問題点が指摘されたもののこれで多くの人が 教育研究費の大幅減額とともに悪い、教育、研究環境に陥っていると考えられる。
以上の理由などから、センター試験を見直しする方向での真剣な検討と対応を求めます。現実的な対応としては、入試そのものが日本国の文化に根ざしている以上、そう簡単ではないと考えて、広範な検討や改革を考えていく事を求めたいと考えます。方向性としては
1)大学入学資格試験と考える方向で、そのときにはセンター試験を簡素化し、センター試験に対する特別な対策はしないですむような状況になることが求められる。
2)逆に個別入試を廃止して、センター試験の一部と他の要素、例えば高校の評価や、推薦状や面接で入試を行う。
3)センターの組織と機関を使う。
等が検討されるべきであると考えます。教育の在りようについては絶えず検討を重ねていく事として、教育というと直ぐに学力と考える傾向が強いが、全人的な教育や人物たる人間教育等の面を考えていく必要があると考えます。
以上
特に次の観点を指摘して置きたい。
1)教育本来の全人的な発達を、過熱な学習が歪めている事情はないか。
2)あまりにも競争をあおって、友情や人間関係の基本がおかしくなっていないか(再生核研究所声明4:競争社会から個性を活かせる社会に) - 友情も育たないで、競争競争で美しい瑞々しい社会を築けるだろうか。結果として、
3)勉強だけが、人生でも社会でもなく、多様な生き方、多様な価値観を持たせ、幅広い、生き方の視点を重視した教育をすべきではないだろうか。
4)優秀な人材を早くから、永い間型にはめて束縛し、創造性や全人的な発展を阻害しているのではないだろうか。
5)ここで、アングロサクソン系の大学では、自由、平等、博愛を掲げているものの奇妙にも知的階層の固定化で、多難な入試の努力を必要とせずに大学に進学でき、余裕を持っている事情があるのではないだろうか。国情に合っていると考えられる。
6)八ツガ岳方式に展開し、多様な在り様を展開することである。その意味でも、共通テスト以前の方式の方が多様性の観からも良いのではないだろうか点。
7)大きな社会に活力を与えるのには、多様な価値、多様性の重視が必要である。創造性も、そのような多様性の中から、より生まれる基礎ができると考える。
8)大学院を出るころには、既に疲れてしまっているような状況が有るように見える。体力や、思想、情操教育、全人的な基礎をしっかりさせなければ、永い人生をうまく生きてはいけないのではないだろうか。
上記公正な受験といっても、現実には、特殊な高校や、学校で特殊な教育をうけた者だけが、良い大学に入れるような状況は、傾向は一段と強まっていき、日本の教育界を歪め、貧しい社会を構成して行くのではないかと危惧している。
学校も教師も、家族もできるだけ好きな良い大学に生徒や子弟を進学させたいとの思いは当然であるから、入学させる立場の大学や、文科省は海外の状況なども参考にして、大学受験制度が教育界に与える影響の大きさを自覚され、絶えず、検討、改善を進めて頂きたいとの希望を述べておきたい。
もちろん、社会も、いわばブランドで画一的に評価せず、また多様な人材を採用、活用すべきではないだろうか。社会でも組織でも多様な人材がいた方が、活力を有し、良いのではないだろうか。公務員なども、いろいろな評価によって、いろいろな人材を積極的に採用するように努力すべきではないだろうか。
以上
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