2014年5月20日火曜日

唯物論で、心という物は 「電気信号などの科学的反応に過ぎない」 みたいな意見があって、 それに対して唯心論者は、物凄く批判的な反応を示す というイメージがあるんですけど、 心という物に対して唯物的な見方しているだけで、 それは、心を批判している訳では無いんじゃないでしょうか? 心が電気信号(電気信号なのか何なのか自信は無いです) であろうが何であろうが、人間が心の生き物である事は別に、 否定されないと思いますが、どうでしょうか? そういった唯物的な考え方と、人が心の生き物であるという 考えを、対立させずに両立させれば良くないですか?

唯物論で、心という物は
「電気信号などの科学的反応に過ぎない」
みたいな意見があって、
それに対して唯心論者は、物凄く批判的な反応を示す
というイメージがあるんですけど、
心という物に対して唯物的な見方しているだけで、
それは、心を批判している訳では無いんじゃないでしょうか?
心が電気信号(電気信号なのか何なのか自信は無いです)
であろうが何であろうが、人間が心の生き物である事は別に、
否定されないと思いますが、どうでしょうか?
そういった唯物的な考え方と、人が心の生き物であるという
考えを、対立させずに両立させれば良くないですか?
唯物論も唯心論もいずれも間違いで、微妙な関係で存在しています。
空腹では 始まらない、 物が無ければ、心も、精神も無いですね。 
かといって、物が唯存在しても始まらないです。

唯物論哲学入門/森 信成
¥1,944
Amazon.co.jp
唯心論と唯物論 (岩波文庫)/フォイエルバッハ
¥756
Amazon.co.jp

0 件のコメント:

コメントを投稿