2014年5月29日木曜日

再生核研究所声明160(2014.5.30)  人生の晩年における楽しみ - 終末、もっと爽やかに考えたい

再生核研究所声明160(2014.5.30)  人生の晩年における楽しみ - 終末、もっと爽やかに考えたい
(本声明は 声明158において: 上記、声明の構想を感じさせたのは、どんどん生命力が 衰退していく、そのような状況における 人生における在りよう と 心得に対する 存念である。衰退していく人間の、人生における在りようは、どんどん動物や生物の在りように近づいて行くようにみえる。我々はよく、動物や生物から、その在り様を学べると感じる。そこで、自然と触れるようにするのは、そのような観点で よいのではないだろうか。― 背後には、自然に帰るという原理が有ると考えられる。晩年、無気力で、ただ惰性で生きているようにみえるのは、 世に多い。 しかしながら、それらは、自然な在りようであるとも考えられるので、諒として、大事な時期として、評価したい。それらは、より自然な在りようだからである。― と言及し、他方、数学上の発見、ゼロで割ること、100/0=0, 0/0=0の自然な解釈と そこに込められている、 最初 (原点、始め)と最後 (無限遠点、最終)の一致という世界観、また、アヴェイロ滞在5年間を終えて、帰国の準備を進めている最中の 偶然の一致で 自然に思い浮かんだものである。)
そこで、もの心ついて はじめて気づいた、人生の難題、 人間の終末について、存念に触れたい。声明158の中で、結局、人生とは、始めも終わりも、先も 結局 訳の分からないもので、なにものかによって 生かされているようなものである、と触れている。― 実際、私さえ、実は、私ではないようである。親さえ、親でないように感じられる。- そして、上記にあるように自然に 初めに戻っていくことに成ると 捉えている。そこで、自然に帰って行くということを、自然なことであり、 楽しい生活や、楽しい創造活動を続けて行くように、自然な素晴らしい先と考えたい。生命の衰退や知的なレベルの、水準の後退は それは紛れもなく、より意図的で意識的な存在から、 動物的な、生物的な存在に近づいて行くことであるから、自然に、生物の本能に近づいて行くことを意味する。これは意識ある人間にとって、意識水準を落として行き、睡眠状態に近づいていくことであるから、極めて好ましい状況と 楽しみと評価できる。 意識水準を落として行くと言うことは 大自然にもどっていくということを意味する。アヴェイロ時代は 素晴らしかった、故郷に帰るのも 大きな楽しみである。いずれも諒である。人生は、素晴らしかった、その先も、生まれてくる前のように素晴らしい。
人間の終末について、結構 真面目に取り上げてきていること分かる:
再生核研究所声明 47: 肯定死
再生核研究所声明 63: 解脱; 神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得
再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 99(2012.9.24) 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案
再生核研究所声明 118 (2013.5.16): 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ― 
再生核研究所声明 120 (2013.5.24): 終末の在りようについての 総合的な検討を、遅れている面での 文化を進めよう ― 個人の自由意志の尊重に基づく  肯定死の保証 と 方法の確立を
アヴェイロでの最後の声明に成るが、纏めとして言いたいことは、ゼロ除算 (ゼロで割ること) と同じように 世界観の変更を求めたい: 死を誕生と同じように明るく、考え、爽やかに捉える文化を創造したい。世界の歴史は、死を忌々しいものと捉え、人生に異常に暗い影を投げかけてきた。そのような忌々しい感性は、いわば間違った世界観と人為的に作られた文化で 意図的に悪く作られ、人間を 逆に萎縮させ、縛ってきたと言える。天動説が変わって、地動説が 世界の常識になったように 世界観を変えていこうではないか。 偶然 同様に、ゼロ除算は 無限、無限遠点が 実はゼロであるとの、世界観の変更を求めている。
配慮すべきは、
折角の安らぎの貴重なとき、いろいろ余計な手を加えたりしないように、 医療は十分に在りようを検討すべきではないだろうか。もちろん、苦痛からの解放は、当然である。
一連の終末のありよう、儀式、その後の処置など、改善して、もっと爽やかなものにして、あかるいものにしたい。
どんなに素晴らしい人生を送っても、最後は、みんな惨めだったとは おかしな世界観の感性、顕著な事実ではないだろうか。人間のそのような悪い感性は、文化の進化によって 改めていくべきであると考える。夜明け前の世界に 光を注ぎたい。昔は、暗い 野蛮な時代だったと、未来人は 世界史をみるだろう。繰り返してきた戦争のように。
以 上

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