2014年10月1日水曜日

政治とカネの問題があとをたたないのはなぜですか

政治とカネの問題があとをたたないのはなぜですか
これは当然では。
EUなどはどんどん進んでいると思いますが、社会を動かす、権力とお金の結び付きは 自然な法則のようなものですね。
再生核研究所声明84(2012.4.20)
国会審議における心得 - 討論、議論、批判における心得
国の最高機関である国会審議の様を見ていると、見るに堪えないような状況が有るので、意見表明し、また、世情における討論、議論、批判の在りようについても、自戒の念を込めて省察しておきたい。
まず、国の最高機関である国会は、国の在りようを決定する 国の最高機関であるから、国会審議、討論は 国家の在りようという視点を原点にして 行われるべきである。 ところが、政党政治では、批判のための批判、相手を攻撃して、政権を奪いとるのが 国会の場 と勘違いしているようにさえ見える有様である。 ひどい場合には いろいろ調べてきて、大臣や首相を国会の場で辱め 喜んでいる、得意がっている風潮さえ見うけられる。自分を売り込む場である、宣伝の場であると考えているようにも見える。 恥ずべきことである。膨大な国費をかけて、国の重要な公の場を 卑小な題材で、自己宣伝の場と考えられては、国民は堪えられないであろう。ところが、そのような浅ましい情景を喜んでいる大衆がいることも、また派手に、軽薄にも報じているマスコミの精神も情けない。
国益大事、国家のためには の精神 を徹底させ、そのような卑小なことを問題にせず、自ら選出した日本国の最高責任者を軽々しく批判せず、首相を助け、日本国を良くするために 首相、大臣たちに知恵を与えて、国家に貢献すべきである。よって、礼を弁え、国のために知恵を出し、日本国を代表する立場の首相、内閣を支えるべきである。 特に、自ら選出した日本国の最高責任者、首相は、日本国の国益を背負っている大事な存在であるから、首相に対しては アメリカ大統領など外国の元首以上の処遇で当たるべきである(再生核研究所声明73: 日本国首相の役割 参照)。
 簡潔に纏めておこう:
1) 自己や、政党の立場ではなくて、国家のための議論を行う。
2) 批判ではなく、具体的に問題点を明らかにして、建設的な在り様を提案する。国に知恵を与える視点を重視する。
3) 国の最高機関の構成員であることを自覚して、何時も国のためには、世界のためには の視点をもち、各論的な問題にとらわれない態度を保つように心がける。
世情における、討論、議論、批判における問題点を 次のように注意したい:
1)賛成派と反対派に分けたような色分けを行い、議論の背景や立場を無視して、一方的に あたかも敵、味方のように 有無も言わさず相手を批判するような傾向が有って、実りある議論になっていない状況が広く見られる。これを是正する。
2)上記国会審議と同様、良い国、良い社会を作るには どうしたらよいかの原点をしっかりと確認して、議論、討論、意見表明を、是是非非の立場、公正の原則の立場 から 行うべきである。
3)近年みられるのは、在るべき考えではなくて、利害関係で 特定の方向性を定めてキャンペーンを張っているような場面が多く、そのような立場は世に多いから、それはそれと理解して、対応して、自由な議論によって、実りある討論ができる相手か否かを見破らなければ、深入りの議論は 空しい議論に陥るであろう。
4) この観点において、第3者の立場の意見 を大いに参考,重視すべきである。
5) 特に批判する場合には、具体的な点を明確にして、きちんと理由を付けて、建設的な提案をするように心がけたい。
大局的には 視野が狭く、一面的、局所的、単細胞的な批判が多く 文化レベルの低さ、野蛮性を反映していると言える(再生核研究所声明 69:単細胞人間 ― 単細胞的思考)。
討論、議論、批判は 多様な視点、在りようの意見を出し合って、より良い在りようを探り、視野を広め、文化を向上させ、より良い人生、社会を営めるようにするのが基本である。そのためには、真実を尊重、真理を追究し、良い意見を積極的に取り上げ、より良い社会を作るには どうしたらよいかの根本精神から、活かし またこのような精神を常に確認することが肝要である。折角のインターネットの世界、汚い、低級な罵りで汚したくはない。 進化した未来人の書く、世界史に耐えられるにしたい(再生核研究所声明83:   再生核研究所声明とは 何か; 再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判
)。
そのためには、それらは、争いではなく、相手を論破したり、論戦で勝つなどの 卑小な精神を克服して、お互いに高め合って、人生、社会を楽しいものにしていきたいとの存念を擁くこと が大事である。
以 上
日本の政党は「腐敗している」80%(独NGO調査)
ウイキペディアより:
マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。
「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
— 松井誠、「第38回国会 衆議院本会議 1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年、黒い霧事件第1弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。

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