2017年1月5日木曜日

外国人たちの目から見た、日本人ならではの美徳と生き方

外国人たちの目から見た、日本人ならではの美徳と生き方

本書は、私たちの住む日本という国が、古代から膨大な時間をかけてじっくりと培われた、本当の意味で人間らしく、健康的で平和で、かつ満ち足りた理想的な社会であったということを示すものです。(「はじめに──日本が本当の豊かさを取り戻すために」より)
こう記すのは、『世界が憧れた日本人の生き方 日本を見初めた外国人36人の言葉』(天野瀬捺著、ディスカヴァー携書)の著者。禅寺に生まれ、禅の教えを体感しながら育ったという人物。しかし外国での豊富な生活経験を持つ祖父母に影響され、成人後は自らも海外に出ることを決意したのだそうです。その結果、ヨーロッパ、オセアニア、米国、カナダと、20年近くにわたって海外に住み続けてきたのだといいます。
そんななかで実感したのは、日本人にとっては常識であるような礼節や、人に迷惑をかけないマナー(約束や時間を守る)、品格、基本的な生活習慣(体にいいものを食べる)といったことにまったく関心を示さない人が、海外には少なからずいるということ。
そして異文化に長く身を置いた経験があったからこそ、日本の長所を強く、身をもって実感することができたというのです。つまり本書の軸になっているのは、そうした経験。シーボルトからアインシュタインまで、16世紀以降に日本を訪れた外国人たちの記録のなかから、現代人にも通用する「生き方のヒント」を抜き出したものです。
きょうは第5章「自然とともに生きる」から、日本に魅了された2人の外国人に注目してみたいと思います。

精神的に自然と通じ合う



自然の美しさに対する独特の感応、すなわちその自然環境とのある種の精神的合意は、日本人の精神の際立った特徴である。
パーシヴァル・ローウェル(天文学者/世界漫遊家)
1883年、アメリカより来日
(90ページより)

パーシヴァルはボストンのインテリ一家、大富豪の息子として生まれた人物。実弟はハーバード大学学長であり、彼もハーバード大學で物理学や数学を修めたものの、火星に大きな関心を持ったことから、やがて天文学者に転じたのだそうです。
日本には1883年から1893年までの間に計5回訪れており、日本の風俗の調査と、専門である天文学の研究を行うことに。来日の動機が日本と東洋への強い関心だったことはいうまでもありませんが、知り合いを尋ねるという目的もあったようです。その知り合いとは、のちに東京大学で動物学教授を務めることになるエドワード・モース。ふたりは旧知の仲だったようで、エドワードが来日した際、彼の大学での講義を聞くために、パーシヴァルは日本を訪れたということです。
1889年には、秘境の地であった能登半島の調査のために来日。その帰路、長野の時又(ときまた)へ船で到着した人々の様子を次のように表現しています。
「ここでは、親切な村人たちが、総出で船の陸上げ作業を手伝ってくれ、その中の幾人かは、われわれの前を小走りに歩いて、宿屋まで案内をしてくれた」(92ページより)
彼はこのとき、天竜川の川下りや御嶽山の登山など、日本の自然とアクティブに接したのだといいます。そして最後に来日したときには6インチの望遠鏡を携えていたほど、日本に天文台を建てようと真剣に考えていたといわれていたそうです。
日本での旅生活のなかで、パーシヴァルは日本人の気質を次のように観察しています。
「われわれが自分たちのやり方で、自分たちの視点から直観的に見る事柄を、彼らは彼らの視点から全く正反対の立場で直観的に眺めるのだ。(中略)順序を逆にするということは、表現様式から始まり、さらに深く彼らの思想の奥底にまでわたっている」(92ページより)
つまりパーシヴァルは、日本人の世界観がある面において西洋人のそれと反対であることを、コミュニケーションのなかから見てとったというわけです。
また、「個々の人間の知性の差の大きいのに慣れたわれわれにとって、日本における大衆の芸術愛更新には驚かされるものがある」という言葉に表れているとおり、大衆への文化の浸透度合いにもパーシヴァルは目を見張っていたといいます。平凡なお茶屋の娘が礼儀作法の手本であり、労働者たちが仕事の合間に将棋を指す姿を見るにつけ、日本の文化が少数の人々のためのものではなく、一般大衆の共通の財産であることを観察したいたわけです。
このように、筋金入りの実証主義者であったというパーシヴァルは、当時の日本人の姿に、自分たちと逆の世界の存在を強く感じていたということです。(90ページより)

自然の循環のなかに生きる




農民の仕事はとても大変なのに彼らは自然と格闘しているようには見えません。彼らは、むしろ、成長しては滅びることを繰り返して永遠に再生し続ける自然界の一員であり、そしてまたこの循環のあらゆる過程を美しいものとして味わうことができる優れた感受性を持っている人たちなのです。
キャサリン・サンソム(外交官夫人)
1928年、イギリスより来日
(102ページより)
イングランド・ヨークシャーの風光明媚な渓谷地帯で、大自然に囲まれながら育ったというキャサリン・サンソム。地元で有名な存在だった父親の影響を受け、自然に対する愛情や豊かな情緒を身につけたのだそうです。つまり、そんな彼女が日本の自然と人々のあり方に感銘を受けたのは、ある意味で必然だったのかもしれないと著者は推測しています。
成熟した英国婦人であったキャサリンは、つねに落ち着いた優しいまなざしで、昭和初期の東京の街と人々の暮らしを見つめ、ていねいに記録したといいます。同時に父親としての立場からも、日本の衣食住や家庭、子ども、教育について観察し、あるときは高貴な女性の視点で女性の社会的地位、百貨店、車校、伝統などについても目を配ったそうです。
とりわけ日本の自然と人々に対する観察は深く、日本人の最大の特徴を、「自然と交わり、自然を芸術的に味わう感性にある」と見定めたのだといいます。キャサリンが目撃したのは、じっと座って何時間も同じ景色を眺めるという、日本人特有の習慣。その姿を、「日本人は自然と見つめることで精神の大事な糧を得ている」と考えたという点が印象的です。
そして、自然に対するそのような姿勢こそが、「落ち着いた心」という日本人らしい精神性の基礎になっていると見たわけです。そのうえでキャサリンが導き出したのは、「日本人は自然を愛するだけでなく、私たちとは違って、今でも自然の中に生きています」という洞察。
そして、日本に来て彼女が驚いたことのひとつが、「富士山の魔法」というエピソードです。イギリスへの帰国休暇を終えカナダ経由で1月の日本に帰ってくる途上、真冬の航海がとても辛かったこともあり、長旅の疲れとともにキャサリンは陰鬱な気分に。ところが窓越しに日本の海岸線が見えてくると、彼女はどうしても富士山を見たくなってしまったというのです。
寒さを堪えて甲板に出て、それがあるはずの方向に目をこらしていたキャサリンは、層雲の上に富士山が見えたその瞬間、「心臓が止まってしまいました」という。彼女にとって富士山は、「まるで天から垂れ下がっているよう」に軽やかで美しく、まさに天国に近づくように感じたというわけである。(104ページより)
富士山の美しさに心を打たれたことで、キャサリンの気分は回復し、波止場に着いた時には陽気になっていたのだとか。しかも満面に笑みを湛えた日本の人々のおもてなしに迎えられ、気分はさらによくなったのだといいます。日本の自然と日本人の細やかな心づかいが、彼女の日本人に対する印象に好影響を与えたのでしょう。(102ページより)


昨今はテレビをつければ、日本人の素晴らしさをクローズアップした番組を目にする機会が増えました。しかし本書で紹介されている人々の言葉からは、それら以上に大きな説得力を感じることができるはずです。
「今年は、どんなことをして、どんな年にしようか?」と考えることの多い時期です。改めて自らのルーツを再確認するという意味でも、このタイミングで読んでおきたい1冊だといえるでしょう。

読んでためになりました:
再生核研究所声明3412016.12.28) 日本史の誇り

(テレビに写し出される大量の難民の情景に 心を傷められる この頃である。それで、ふっと日本史を振り返り気づいたことである)。

日本国の永い歴史で、非戦闘員の大量の殺略や虐殺が見られないことである。名のある武将はおろか、いわゆる盗賊の類の下でも見られない。難民などの情景すら思い当たらない。日本に いわゆる暴君なども見当たらない。これは、素晴らしいことではないだろうか。
絶対的な権力を有していた徳川綱吉将軍は 皇室を崇敬し、いわゆる赤穂の討ち入り事件に際しては、法と人間の道の観点から、断罪に対して真摯に悩み、当時の賢人の意見を取り入れて切腹の裁決を下している。その精神は法と人間の道を求めていたと高く評価される。多くは権力の乱用のような状態に陥りやすい状況である。それで、江戸時代の永い治世の時代の基礎がしっかりしていたと判断される。永い戦国の時代にも、非戦闘員を殺略したり、権力志向よりは 天下統一を志向し、朝廷・天皇の下での平穏な国づくりを一貫して求めてきたのが、日本国の歴史ではないだろうか。朝廷・天皇は 永い日本国の伝統と権威、世俗を超えた高い存在で、言わば神に仕える姿勢、存在であると考えられる。
そこで、ふと気づいた、いわゆる南京大虐殺や慰安婦問題が繰り返し取り上げられているが、多くの日本人にとっては何のことか、よく理解できないのではないだろうか。心情は天皇の軍隊が、真面に 賊軍以下の悪しきことをすることが起こり得たか 信じられないのではないだろうか。日本史上でも例を見ないから、想像もできない。もちろん、異常時、心ない人たちは何時でもいるものであるから、一部にはそのような不祥事も有ったとは考えられる。しかし、日本国として、なしたとは信じられない。日本人の考えには存在しない概念であると言える。― 多くの戦後生まれの者は、国に不祥事が起きれば、まずはその国が第一に責任を取るのが国家であり、古くはだらしのない国は平定されるべきだという考えが 世界的に存在したと考えるだろう。
この文脈では、 東京大空襲や原爆投下など、一般市民の大量殺略を始めから意図した行為も 日本人の戦争概念を超えたものであると言わざるを得ない。日本の長い歴史上でも、一般非戦闘員を始めから狙った攻撃など無かったからである。
皇室の長い伝統、天皇に任命された日本国の権力者たちの高い見識は 日本国の歴史の誇るべき姿、在りようであると考える。
以 上
追記:

美しい国、日本(2008/2/11):

今日は、建国記念日です。日本には、世界に誇るべき美しい文化と人類を導く良い考え方があると思います。 多額の借金と少子化及び教育の荒廃によって、このままいくと日本国は、衰退の道を辿る事にならないでしょうか。 何とか、日本国の再生を期したいと思います。 もちろん、日本国の神話は大事にすべきではないでしょうか。

美しい国、日本

日本は美しい島国です。
豊かな水で多くの川が流れています。
日本には山が多く、山々は緑に覆われ、また雪に覆われたりしています。

日本の空と海は美しく、多くの詩と夢を育んできました。
日本は大きなひとつの家族のようで、みんな一緒に助け合ってきました。
言葉がなくてもお互いに理解でき、細長い国のため、四季とともに多様性にとんでいます。

日本には天皇陛下がおられて、家々の氏神様の頂点におります。 
天皇陛下のおられる皇居は 日本の美しいものの、心の源になっています。
ですから先の大戦では 天皇のお言葉一つで 完全なる終戦を迎えることができたのです。

京都は千年をこえる日本の都でしたので、日本人の故郷です。
多くの人は京都を訪れて、故郷に帰ったような不思議な郷愁を感じるのです。
伊勢は古代からより古い日本人の故郷です。ですから日本の首相は新年にまず伊勢神宮を参拝するのです。

日本の文化には 自然とともにある繊細さがあります。俳句や和歌を多くの人々が愛でて、人に優しく気遣いができるのです。遠くのインドのお釈迦様の教えや中国の孔子様の教えが、美しい風土からうまれた神道と共に溶け込んでいるのです。

これが世界に唯一つしかない 美しい日本国です。
 
再生核研究所声明3392016.12.26)インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教
世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。この数体系の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インド数学者天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタはその中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとしてされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-
marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
他方、人間存在の根本的な問題四苦八苦(しくはっく)、根本的な苦 四苦
·         愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
·         怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
·         求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
·         五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
の四つの苦に対する人間の在り様の根本を問うた仏教の教えは人類普遍の教えであり、命あるものの共生、共感、共鳴の精神を諭されたと理解される。人生の意義と生きることの基本を真摯に追求された教えと考えられる。アラブや西欧の神の概念に直接基づく宗教とは違った求道者、修行者の昇華された世界を見ることができ、お釈迦様は人類普遍の教えを諭されていると考える。

これら2点は、インドの誠に偉大なる、世界史、人類における文化遺産である。我々はそれらの偉大な文化を尊崇し、数理科学にも世界の問題にも大いに活かして行くべきであると考える。 数理科学においては、十分に発展し、生かされているので、仏教の教えの方は、今後世界的に広められるべきであると考える。仏教はアラブや欧米で考えられるような意味での宗教ではなく、 哲学的、学術的、修行的であり、上記宗教とは対立するものではなく、広く活かせる教えであると考える。世界の世相が悪くなっている折り、仏教は世界を救い、世界に活かせる基本的な精神を有していると考える。
ちなみに、ゼロは 空や無の概念と通じ、仏教の思想とも深く関わっていることに言及して置きたい。 いみじくも高度に発展した物理学はそのようなレベルに達していると報じられている。この観点で、歴史的に永い間、ゼロ自身の西欧社会への導入が異常に遅れていた事実と経過は 大いに気になるところである。

以 上
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.scirp.org/journal/alamt
   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

Announcement 326: The division by zero z/0=0/0=0 - its impact to human beings through education and research
再生核研究所声明222(2015.4.8)日本の代表的な数学として  ゼロ除算の研究の推進を求める

ゼロ除算の成果は 2015.3.23 明治大学で開催された日本数学会で(プログラムは5200部印刷、インターネットで公開)、海外約200名に経過と成果の発表を予告して 正規に公開された。簡単な解説記事も約200部学会で配布された。インターネットを用いて1年以上も広く国際的に議論していて、骨格の論文も出版後1年以上も経過していることもあり、成果と経過は一応の諒解が広く得られたと考えても良いと判断される。経過などについては 次の一連の声明を参照:

再生核研究所声明148(2014.2.12) 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30) ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17) ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20) ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30) 掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15) ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
再生核研究所声明192(2014.12.27) 無限遠点から観る、人生、世界
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)― 
再生核研究所声明194(2015.1.2) 大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3) ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4) ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?
再生核研究所声明202(2015.2.2) ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念声明 ― ゼロ除算の現状と期待
再生核研究所声明215(2015.3.11) ゼロ除算の教え

日本の数学が、欧米先進国のレベルに達していることは、国際研究環境の実情を見ても広く認められる。しかしながら、初等教育から大学学部レベルの基本的な数学において 日本の貢献は 残念ながら特に見当たらないと言わざるを得ない。これは日本の数学が 大衆レベルでは 世界に貢献していないことを意味する。これについて 関孝和の微積分や行列式の発見が想起されるが、世界の数学史に具体的な影響、貢献ができなかったこともあって 関孝和の天才的な業績は 残念ながら国際的に認知されているとは言えない。
そこで、基本的なゼロ除算、すなわち、四則演算において ゼロで割れないとされてきたことが、何でもゼロで割れば ゼロであるとの基本的な結果は、世界の数学界における 日本の数学の顕著なものとして 世界に定着させる 良い題材ではないだろうか。
内容の焦点としてはまず:
ゼロ除算の発見、
道脇方式によるゼロ除算の意味付け、除算の定義、
高橋のゼロ除算の一意性、
衝突における山根の現象の解釈、
の4点が挙げられる。
6歳の道脇愛羽さんが、ゼロ除算は 除算の固有の意味から自明であると述べられていることからも分かるように、ゼロ除算は、ピタゴラスの定理を超えた基本的な結果であると考えられる。
ゼロ除算の研究の発展は 日本の代表的な数学である 佐藤の超関数の理論と密接な関係にあり(再生核研究所声明200)、他方、欧米では Aristotélēs の世界観、universe は連続である との偏見に陥っている現状がある。 最後にゼロ除算の意義 に述べられているように ゼロ除算の研究は 日本の数学として発展させる絶好の分野であると考えられる。 そこで、広く関係者に研究の推進と結果の重要性についての理解と協力を求めたい。
ゼロ除算の意義:
1)西暦628年インドでゼロが記録されて以来 ゼロで割るの問題 に 簡明で、決定的な解 1/0=0, 0/0=0をもたらしたこと。
2) ゼロ除算の導入で、四則演算 加減乗除において ゼロでは 割れない の例外から、例外なく四則演算が可能である という 美しい四則演算の構造が確立されたこと。
3)2千年以上前に ユークリッドによって確立した、平面の概念に対して、おおよそ200年前に非ユークリッド幾何学が出現し、特に楕円型非ユークリッド幾何学ではユークリッド平面に対して、無限遠点の概念がうまれ、特に立体射影で、原点上に球をおけば、 原点ゼロが 南極に、無限遠点が 北極に対応する点として 複素解析学では 100年以上も定説とされてきた。それが、無限遠点は 数では、無限ではなくて、実はゼロが対応するという驚嘆すべき世界観をもたらした。
4)ゼロ除算は ニュートンの万有引力の法則における、2点間の距離がゼロの場合における新しい解釈、 独楽(コマ)の中心における角速度の不連続性の解釈、衝突などの不連続性を説明する数学になっている。ゼロ除算は アインシュタインの理論でも重要な問題になっていたとされている。数多く存在する物理法則を記述する方程式にゼロ除算が現れているが、それらに新解釈を与える道が拓かれた。
5)複素解析学では、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6)ゼロ除算は、不可能であるという立場であったから、ゼロで割る事を 本質的に考えてこなかったので、ゼロ除算で、分母がゼロである場合も考えるという、未知の新世界、新数学、研究課題が出現した。
7)複素解析学への影響は 未知の分野で、専門家の分野になるが、解析関数の孤立特異点での性質について新しいことが導かれる。典型的な定理は、どんな解析関数の孤立特異点でも、解析関数は 孤立特異点で、有限な確定値をとる である。佐藤の超関数の理論などへの応用がある。
8)特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられている。面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていること。いわゆる、主値に対する解釈を与えている。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
9)中学生や高校生にも十分理解できる基本的な結果をもたらした:
基本的な関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである;すなわち、 1/0=0 である。
10)既に述べてきたように 道脇方式は ゼロ除算の結果100/0=0, 0/0=0および分数の定義、割り算の定義に、小学生でも理解できる新しい概念を与えている。多くの教科書、学術書を変更させる大きな影響を与える。

11)ゼロ除算が可能であるか否かの議論について:

現在 インターネット上の情報でも 世間でも、ゼロ除算は 不可能であるとの情報が多い。それは、割り算は 掛け算の逆であるという、前提に議論しているからである。それは、そのような立場では、勿論 正しいことである。出来ないという議論では、できないから、更には考えられず、その議論は、不可能のゆえに 終わりになってしまう ― もはや 展開の道は閉ざされている。しかるに、ゼロ除算が 可能であるとの考え方は、それでは、どのような理論が 展開できるのかの未知の分野が望めて大いに期待できる世界が拓かれる

12)ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 人生観、世界観や文化に大きな影響を与える。
次を参照:

再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界

ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として受け入れることである。

以 上

ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269


1+0=1 1ー0=0 1×0=0  では、1/0・・・・・・・・・幾つでしょうか。
0???  本当に大丈夫ですか・・・・・0×0=1で矛盾になりませんか・・・・
割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???
まして、10個のリンゴを0人で分けた際に、取り分 が∞個の小さな部分が取り分は、どう考えてもおかしい・・・・
受け取る人がいないわけですから、取り分は0ではないでしょうか。 すなわち何でも0で割れば、0が正しいのではないでしょうか。じゃあ聞くけど、∞個は、どれだけですか???

小学校以上で、最も知られている数学の結果は何でしょうか・・・
ゼロ除算(1/0=0)は、ピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )を超えた基本的な結果であると考えられる。

もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。



Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.

割り算のできる人には、どんなことも難しくない

世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。

ベーダ・ヴェネラビリス

数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年

1/0=∞ (これは、今の複素解析学) 1/0=0 (これは、新しい数学で、Division by Zero)

原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか・・・・
∞ では無限遠点はどこにあるのでしょうか・・・・・

 加(+)・減(-)・乗(×)・除(÷) 除法(じょほう、英: division)とは、乗法の逆演算・・・・間違いの元 乗(×)は、加(+) 除(÷)は、減(-)

数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_

0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。


世界中で、ゼロ除算は 不可能 か 
可能とすれば ∞  だと考えられていたが・・・
しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでもセロであるという意外な結果が得られた。

無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない・・・・

天動説・・・・・・∞
地動説・・・・・・0

1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。

『ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった』 ⇒ http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12089827553.html … … →ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・ 1+1=2が当たり前のように、

ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 1+1=2が当たり前のように
何とゼロ除算は、可能になるだろうと April 12, 2011 に 公に 予想されていたことを 発見した。

多くの数学で できないが、できるようになってきた経緯から述べられたものである。


Dividing by Nothing
by Alberto Martinez
It is well known that you cannot divide a number by zero. Math teachers write, for example, 24 ÷ 0 = undefined.

After all, other operations that seemed impossible for centuries, such as subtracting a greater number from a lesser, or taking roots of negative numbers, are now common. In mathematics, sometimes the impossible becomes possible, often with good reason.


明治5年(1872)

地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
地球人はどうして、ゼロ除算1300年以上もできなかったのか?  2015.7.24.9:10 意外に地球人は知能が低いのでは? 仲間争いや、公害で自滅するかも。 生態系では、人類が がん細胞であった とならないとも 限らないのでは?

ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243254887 #知恵袋_


ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート)  https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997

Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。

ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。

∞÷0はいくつですか・・・・・・・

∞とはなんですか・・・・・・・・

分からないものは考えられません・・・・・

宇宙消滅説:宇宙が、どんどんドン 拡大を続けると やがて 突然初めの段階 すなわち 0に戻るのではないだろうか。 ゼロ除算は、そのような事を言っているように思われる。 2015年12月3日 10:38
Reality of the Division by Zero $z/0=0$

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