『風の谷のナウシカ』今こそ知りたい名言集 「人間の世界を取り戻すに何をためらう」
1月13日の日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」で、宮崎駿監督の長編アニメーション映画作品「風の谷のナウシカ」が放送される。
同作の公開は1984年、世界は東西冷戦の最中だった。宮崎監督はそんな時代に、戦争によって産業文明が崩壊し「不毛の地」となった地球と、その救世主となる少女「ナウシカ」を描いた。
公開当時のポスター。宮崎駿監督の原画に美術監督の中村光穀氏が彩色したもの。現存するのはこの1枚だけだという
『アニメージュ』に連載された原作漫画では、舞台設定についてこう説明されている。
ユーラシア大陸の西のはずれに発生した産業文明は数百年のうちに全世界に広まり巨大産業社会を形成するに至った。大地の富をうばいとり大気をけがし、生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明は1000年後に絶頂期に達しやがて急激な衰退をむかえることになった。
「火の7日間」と呼ばれる戦争によって都市群は有毒物質をまき散らして崩壊し、複雑高度化した技術体系は失われ地表のほとんどは不毛の地と化したのである。その後産業文明は再建されることなく永いたそがれの時代を人類は生きることになった。
(宮崎駿「風の谷のナウシカ」より)
漫画『風の谷のナウシカ』第1巻
工業文明の遺物が沈む「腐海」の森、そこから発せられる有毒なガス、腐海に住む異形の「蟲」たち…幻想的な描写のなかには、物質文明の将来や環境問題、大量破壊兵器など現代的なテーマが込められている。
ナウシカは植物の胞子に集め、秘密の部屋で密かに育てた。そして、どんなに異様な植物も、きれいな水と良い土で育てれば、花を咲かせ、毒を出さないと知る。地球を腐らせ、人類を死へ追いつめていたのは、人類のおごりや敵意、憎しみだったのだ。
森や蟲たちとの共存を考えるナウシカ。その一方で、巨神兵を復活させ、「腐海」をも滅ぼそう考える軍事国トルメキアの皇女クシャナ。他にも劇中では、稀代の剣士ユパ、ペジテ市の王族アスベルなど魅力的なキャラクターが、示唆に富む名台詞とともに描かれる。その一部を紹介しよう。
■ナウシカ
きれいな水と土では、腐海の木々も毒を出さないとわかったの。汚れているのは土なんです。この谷の土ですら汚れているんです
私、自分が怖い…憎しみにかられて何をするかわからない。もうだれも殺したくないのに…
あなたは何をおびえているの?まるで迷子のキツネリスのように…。
■クシャナ
甘いな。私が這いつくばって礼を言うとでも思ったのか
腐海を焼き、蟲を殺し、人間の世界を取り戻すに何をためらう■クロトワ(クシャナ配下のトルメキア軍の参謀)
うだつの上がらない平民出にやっと巡ってきた幸運か、それとも破滅の罠か…■ペジテ市長
もう遅いんだ。走り出したら誰も止められない■ゴル(風の谷の民)
この手を見てくだされ。ジル様と同じ病じゃ。あと半年もすれば石と同じになっちまう。わしらの姫様(ナウシカ)は、この手を好きだと言うてくれる。「働き者のきれいな手だ」と言うてくれましたわい■ギックリ(風の谷の民)
(クシャナに向かって)あんたは火を使う。そりゃわしらも少しは使うがの、多すぎる火は何も生みやせん。火は森を一日で灰にする。水と風は100年かけて森を育てるんじゃ
■『風の谷のナウシカ』誕生のきっかけは「博打」だった?
鈴木敏夫氏(左)と宮崎駿監督
当時、宮崎監督は徳間書店の編集者でのちにスタジオジブリのプロデューサーとなる鈴木敏夫氏と協力し、映画をつくれないかと模索していた。ただ、原作がないため徳間書店中心の映画企画委員会の反応は良くなかった。そこで宮崎監督は「じゃあ、原作描いちゃいましょう」。こうして1982年から「月刊アニメージュ」で連載がはじまったのが『風の谷のナウシカ』だった。鈴木氏もスクリーントーンを貼ったり、ベタ(黒)を塗ったり作業を手伝ったという。
ただ、単行本の売り上げは良くなかった。連載10回目でいきなり7万部を出したが、売れたのは5万部。大失敗だったという。そこで鈴木氏が応援団長として目をつけたのが、徳間書店の宣伝部長だった和田豊氏だった。鈴木氏は「もう時効だから…」とした上で、当時をこう回想する。
彼は博打好きだから、一晩チンチロリンやって二人で五万ずつ負けよう、そうしたら僕たちのために働いてくれるはずだ。そう考えたんです。
最初に行ったようにあの頃の出版社というのは、社会に適応しないはみ出し者の集まりでした。そういう人間が身につけるべき教養として博打があって、給料日にはみんな、現金をかけてチンチロリンをやるんです。
(中略)チンチロリンをやっている間は、「『ナウシカ』を映画にしたいんだけど、賛同者が得られない」という話をさんざんしました。
(文春ジブリ文庫1『風の谷のナウシカ』より)
翌朝、会社に行くと和田氏が「映画にできるかもしれないよ」とすっとんできたという。
鈴木敏夫氏
■原作は連載12年で最終回。ナウシカ最後の言葉は…
漫画「風の谷のナウシカ」
映画公開後も原作の連載は続き、1994年「アニメージュ」3月号で最終回を迎えた。12年間の連載の間に、世界は大きく変わった。東欧革命に東西ドイツ統一、ソ連崩壊…。「冷戦」はすでに過去のものとなっていた。連載終了にあたってのインタビューで、宮崎監督はこう語っている。
この12年間に世界も変わり、私の考えも変わった。最初には終末観が根強くあった。ダーウィンの進化論や恐竜絶滅説の影響を受け、人類の機械文明は滅びると思っていた。だが、80年代の終末観すら甘美だったといまは思う。苦闘の90年代になって混とんのなかで、グショグショになって生きていくしかないと思い始めた。アトピーやエイズの渦の中で、子供を産み、人口が100億人になっても、ひしめき合いまじり合って生きていかなければならないと考えている
(朝日新聞 1994年02月24日夕刊より)
原作の最後、ナウシカは人々に向かって「さぁみんな、出発しましょう。どんなに苦しくとも」と呼びかける。そしてラストのコマは「生きねば……」の言葉で幕を閉じる。
12年の連載で、ナウシカはどんな道をたどったのか。映画を見た後に原作を読めば、宮崎監督が伝えたかったメッセージの一端を知るヒントをつかめるかもしれない。http://www.huffingtonpost.jp/2017/01/12/nausicaa-of-the-valley-of-the-wind_n_14140714.html
風の谷のナウシカは哲学:
再生核研究所声明 56(2011.04.06): アースデイ の理念
先ず、アースデイの概念であるが、グーグルで検索すると、環境関連の会議で、環境問題についての討論集会、環境のかかえる問題に対して人びとに関心をもってもらおう、 地球環境を守る意思表示をする国際連帯行動 などから、地球環境を大事にしようという概念が 鍵となっているようである。
そこで、地球について改めて、考察し、かけがいのない地球 に想いを致し、元祖生命体における人類の使命(再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判)を自覚するように 訴えます。
広大な宇宙空間で、地球のように 生命が繁茂し、人間のような ある程度の精神作用や自由意志を有する高等生物が生息する天体は 未だ見つかっていない。 このことからも、既に 地球が広大な宇宙の中で、かけがいのない存在 であることが分かる。 人類が存在して、初めて、全てのことは始まるから、人類の生存は 最も大事な ことになる(再生核研究所声明13)。 雄大な生態系において、人類はその頂点に位置していて、自由意志と能力によって、地球や生態系に重大な影響を与えている。 実際、人類が望めば、原爆などで地球を破壊し、生命の絶滅も可能であろう。しかしながら、実は、人類の自覚が無ければ、このままでも 生態系が破壊され、少なくとも人類絶滅にいたるのは 物理的にも 容易に想像される。
実際、地球外から地球を見れば、人類が如何に自然と生態系を破壊して来たかが、良く理解できる。人類こそ、地球の生態系を蝕む、がん細胞のような存在であることを しっかりと理解する必要がある。がん細胞が増殖すれば、生態系は乱され、やがて がん細胞すら存在しえなくなるのは明らかである。
このような観点から、地球環境の保全、特に生態系の保全に特別な想いを致すのが、アースデイの理念 でなければならないと考える。
生きている地球が、地震などを起こすのは道理である。 地球と仲良く生きるとは、地震などにも柔軟に対応できる生き方をするということである。母なる地球が在って、豊かな生態系が在って、はじめて人類の生存の基礎ができるのである。 それらの持続可能な在りようを追求するのが、元祖生命体の代表である人類の 真に崇高な使命である。大義である。
生態系の在りようは 多様性によって裏付けられているが、その実体は未だ 人知の及ばない領域とも言えるから、人類は謙虚になって、
1) 人類の立ち入らない島や、地域の制定
2) あらゆる生物種の保存
に努力するように訴える。 人生で確かなこととは 生きて存在しなければ何も始まらない (生命の基本定理) ということであり、生態体系の保存に心すべきであり、元祖生命体の進化を見守りたい。 また、広い存在領域の確保のためにも、地球外への進出も企てたい(再生核研究所声明32)
以 上
再生核研究所声明224(2015.4.21) 郵便ポストの適正配置を求める提案 ― ゴミの無責任な投棄を止めよう
(これは 新緑美しい山間の道を散歩しながら、バイクでの郵便配達の様子を拝見して考えが湧いたものである。平凡な声明が、世に実際的に貢献すれば良いと考えた。)
世の中の人間関係の多くの問題は、次の 公正の原則 で概ね解決できると考えて再生核研究所声明の原型が始められた:
再生核研究所声明 1 (2007/01/27):美しい社会はどうしたら、できるか、 美しい社会とは:
最近の世相として,不景気・政界・財界・官界・大学の不振,教育の混迷,さらにニューヨークのテロ事件,アフガン紛争,パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか.一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが,如何でしょうか.
平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました.
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.
3) それはみんなに受け入れられるか.
4) それは安定的に実現可能か.
これらの 「公正の判定条件」 の視点から一つの行為を確認して諒となれば それは公正といえる.
現在,社会の規範が混乱し,不透明になっているように思うが,公正の原則 を確認して,行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中は はるかに明るくなり,多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか.
また,こういうことを考える教育は,人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし,環境の保全などにも貢献すると思います.(以下略。)
そこで、今回は 極めて具体的に、各家庭で設置されている 郵便受けの設置場所についての検討を広く訴えたい。 郵便配達の方の立場を考えて、自分たちに都合の良い場所に 郵便受けの設置を考えるだけではなく、配達する人の立場も考えて 設置して 配達し易い様に考えようということである。 山間部等あまりに深く入り込んでいたり、 庭でも広く、奥深くに設置されていて、 配達する人の労苦、複雑さに驚かされている。 多くは バイクでの配達のようであるが、バイクでの観点も考えて、 より便利な設置を再検討したい。 郵便物を受け取る人も 配達する人も 楽しい状況になるように 配慮したい。
ついでに 余りにも当たり前のことであるが、美しい山や川に、 街に、 ゴミが捨てられていて、哀しくなる場面は 結構多い。極めて残念である。 美しい街、自然に相応しいものではない と常日頃繰り返し、思われるので、お互いに注意を換気したい。
美しい新緑の季節、自然を愛でて浩然の気を養いたい ― 再生核研究所声明223(2015.4.14) 人生の目的は、自然を愛でて楽しみ、ともに喜び合うこと ― 二十一世紀の壮大なロマン 真実(播磨屋助次郎著)を読んで。
以 上
追記:
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こうぜんのき【浩然の気】とは。意味や解説、類語。《「孟子」公孫丑上から》1 天地にみなぎっている、万物の生命力や活力の源となる気。2 物事にとらわれない、おおらかな心持ち。
こうぜんのき 【浩然の気】
『孟子・公孫丑上』に「我善く吾が浩然の気を養う」とあるのによる。天地間に充満している非常に大きく強い気(至大至剛の気)をいう。自分の行動が正しいと、この気が身中に満ち、不屈の道徳的勇気となるとする。浩気とも。明け方近くの清澄な大気をも意味し、呼吸法とも関係し、修養法ともされる。)
再生核研究所声明 268(2015.12.29): 新しい天気地図、行政地図の作成を提案する
(2015.12.26.06:58 天気予報を見ていて突然閃く、家族に考えを話した)
気づいてみると 誠に不思議な 怠慢とも言える事実ではないだろうか。天気予報など原則的には 県単位で予想などが報じられている。いわば、政治、行政上の区割りに 自然現象の気象の情報が纏められていることになる。当然、それでは 区割りにずれや食い違いが 生じるのは当たり前と言える。他方、気象状況は今でも、食品店や食堂、さまざまな行事上, 仕事の段取りなどなど 生活に大きな影響を与え、正確な情報に対する要望は増している。
そこで、気象の状況に合う新しい、良い天気地図を作成して、その地図、区割りで、気象情報を流すように考えたら良いのではないだろうか。
過去の気象の実情によって 区域を分類するということである。その際、10進法の考えを採用して、大きな枠組みを定め、次にはその一つの枠組みを更に細分し、同様に更に細分して、段々に局所的な部分の情報を詳しく与える方式の採用を考えたい。概ね4段階の細分くらいが良いのではないだろうか。
区域は 固定する必要もなく、流動的に変化させることも 最早可能で、実用化できるのではないだろうか。
大局の情報から、細分地域の情報、それらは放映時間や局の状態、時間帯などで調整して行くと考える。 このような新しい区割りで より正確な気象情報が扱われ、気象情報はより活用できるようになるのではないだろうか。 関係機関に ご検討をお願いし、提案致します。― ある天気の情報から、任意の場所と時刻の 天気予報が可能なソフトなども将来できるのでは。
このように発想すると、はたして、現在ある、行政上の区割り、行政上適切であるかという問題が生じる。行政区域はもちろん、歴史、文化、伝統などの上に存在するものであるが、過去の経緯で、おかしな区割りになっていて実際には不都合な状況が多々存在するのではないだろうか。こちらは天気地図作成よりは時間が掛かるであろうが、 検討することを考える余地があるのではないだろうか。検討を提案したい。― もはや領土争いを起こす時代ではなく、そこに住む人びとが 暮らしやすい区画割が 上手く考えられる時代ではないだろうか。
以 上
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