2016年12月5日月曜日

「真田丸」佐助、きりに求婚も“超高速断り”で玉砕 ネット反響「笑った」

「真田丸」佐助、きりに求婚も“超高速断り”で玉砕 ネット反響「笑った」

NHK大河ドラマ「真田丸」(日曜後8・00)は4日、第48話「引鉄(ひきがね)」を放送。お笑い芸人の藤井隆(44)演じる真田家家臣の忍び・佐助が、女優の長澤まさみ(29)演じる、主人公・真田幸村の生涯のパートナー・きりにプロポーズしたものの、秒殺で玉砕した。SNS上では「答え早すぎ!」「笑った」などと反響を呼んだ。

 豊臣と徳川の和睦の後、大坂城の砦・真田丸は取り壊される。幸村(堺雅人)は起死回生を狙い、家康(内野聖陽)の暗殺を佐助(藤井)に命じる。佐助は、もし家康暗殺に成功したら夫婦になってほしいと、きり(長澤)に告げた。

 きり「お気をつけて」

 佐助「ひとつだけお願いがあります。もし無事に帰ってきたら夫婦(めおと)になってもらえませんか」

 きり「(食い気味に)ごめんなさい」

 佐助「はっ!」(言葉を発しながら姿を消す…)

 信繁(幸村)が幽閉された九度山生活を描いた第38話「昌幸」(9月25日放送)に“予兆”はあった。佐助は、きりに似顔絵を手渡し「絵も上手」と褒められると「スッパですから」と大照れ。きりに恋心を抱いていることが暗示された。

 インターネット上には、きりの“高速お断り”に「悲報。きりにフラれる」「きりちゃん早っ!!」「即答に声出して笑ってしまった」などの書き込みが相次いだ。http://news.livedoor.com/article/detail/12371836/

俳優陣が素晴らしい:脇役を含めて

再生核研究所声明206(2015.2.12) 女性の生態、主婦の生態

人間の個性はいろいろであり、主婦の立場もいろいろであるが、女性や主婦の根源的な有り様を纏めてみたい。 次に、男性の生態、亭主の生態と対で考察したい。
女性とは、何であろうか、主婦とは何だろうか。 それには、女性の関心の所在を見極めれば良い。 女性は、頼りを求め、育児と食の関心が強い存在である。頼りを求めるは、愛の問題や恋の問題が深いと言える。家庭を持つ以前の難題については次を参照:

再生核研究所声明 36: 恋の原理と心得 
再生核研究所声明 124 (2013.8.20): 恋の機微 - 恋の極意

育児と食の関心は 次の段階であるが、当然、若くから、準備されていることは当然である。 本質的に、育児と食が満足できれば、女性は本質的に幸せであり、芸術その他の多くの趣味は、そんなに基本的な問題ではないように見える。亭主の立身出世も本質的では無く、経済的な条件の改善くらいの軽い意味しか、大抵の場合にはないのではないだろうか。もちろん、虚栄心で、亭主を頑張るように励まし、亭主を追い立てる場合も 希に世に見られるが、一般的ではないように見られる。他方、子供については、子供の将来を思い、子供を励ましている状況は 世に多く見られる。 これらを総括すると、 猿などの家族で、育児に勤しむメスザルと 主婦の生態は殆ど同じようなもので、慎ましく愛すべきもの、自然状態に近い存在であるように見える。多くの母親は、家庭の健全な状態を願い、健康や食に気遣い、生物の基本的な集団である家族を大事に考えているという意味で、主婦とは完全であり、男性にとっても家族にとっても素晴らしい存在であると言える。
主婦の立場では、生も死も大した問題では無く、宗教も多くは深い意味を持たず、学問、芸術、政治なども多くは大きな関心ではなく、大きな存在ではないだろう ― これらにおいて、男性勝りに 能力が高く、関心の強い方は 世に多いが、一般的とは言えないだろう。
結論的に言えば、女性は男性に比べて、より原始的な安定した、自然と神に近い存在といえよう。美しい女性を育てるには、愛情に恵まれ、経済的な基礎に基づく、豊かな生活が必要である。男性には、夢を与える志があるのが望まれる。 世の男性の奮起を促したい。

以 上
再生核研究所声明207(2015.2.13) 男性の生態、亭主の生態

人間の個性はいろいろであり、亭主の立場もいろいろであるが、男性や亭主の根源的な有り様を纏めてみたい。これは再生核研究所声明206(2015.2.12) 女性の生態、主婦の生態と対で考察したい。
男性とは、何であろうか、亭主とは何だろうか。 それには、男性の関心の所在を見極めれば良い。男性は、家族の責任者であるから、外との関係で収入を得て、家族を養い、 安定した生活に何時も気を遣うのは当然で、それらの本能は立身出世を基本的に志向し、それらは多く、求道や真理の追究、多くの好奇心として現れ、男性の多様性は女性の多様性には比べられないほどである。高名な研究者が深夜ジグソーパズルに耽っていたかと想えば、探検家や登山家、岩登りなどに挑戦している姿などは、女性には中々理解できない面である。また、純粋数学者が動機も無くただ、真実の追求に人生にかけているなど、男性の趣味、志は豊かで、多様、深く、人間存在としても極めて興味深い。― これらを男性の特徴かと思うと、男性勝りの女性が世に多いことも注目して置きたい。家庭を持つ以前の男性にとっても 女性の関する難題については 次を参照:
再生核研究所声明 36: 恋の原理と心得 
再生核研究所声明 124 (2013.8.20): 恋の機微 - 恋の極意
男性の関心の原点が外にあるということは、家庭内で、安定に生活し、子供が健やかに成長していれば、概ね、内は諒と考えて、男性は志の方に大きな関心が行き、それは、多くの場合、家庭を顧みない、妻を顧みない亭主として 世の亭主の批判は定着化しているのではないだろうか? それはソクラテスの悪妻として2000年以前から変わらない、 主婦と亭主の根源的な関係である。― 逆に 男性が家庭に埋没していれば、女性は、物足りないと 実感するだろう。その意味で、男性は外に志を抱く、必要があり、家庭では孤独な存在になるだろう。結論的に言えば、男性は女性に比べて、より発展したそれゆえに、弱く、不安定な存在で、進化したという意味では 女性より 神に近い存在といえよう。素敵な男性を育てるには、家庭をきちんと纏めて、育児をなし、よい食を整え、生活を整えれば、自ずから、成長するのではないだろうか。良き伴侶を見つけることの重要性は 女性の一大事であることは、古来変わらない原理ではないだろうか。これは自明のことであるが、世の女性の注意、奮起を促したい。男性にも 家庭を持たないで、悟り、人生を肯定することは 極めて難しい原理があることに 注意を喚起して置きたい。もちろん、良き伴侶を見つけることの重要性は 男性の一大事であることも、古来変わらない原理である。
以 上
再生核研究所声明333(2016.11.24)  男と女の関係について
神は2を愛し給う(2.13 (参考資料) 神は「2」を愛し給う ― 良い社会のために―よっちゃんの想い―For Good World再生核研究所代表 齋藤尚徳 編著2008年3月20日)で述べているように二元論の世界観を深く感じ、数学ばかりではなく、二元を言わば神の意志として感得してきたが、当然、人をなす、男女の関係についてもいろいろな観点から触れてきた:

再生核研究所声明 36 恋の原理と心得 
再生核研究所声明 124 (2013.8.20) 恋の機微 - 恋の極意
再生核研究所声明146(2013.12.17) 愛の本質、愛の原理 
再生核研究所声明159(2014.5.28) 恋する男女は強い - 何故か?
再生核研究所声明164(2014.6.18) 男と女の関係の捉え方 ― 新しい視点
再生核研究所声明206(2015.2.12) 女性の生態、主婦の生態
再生核研究所声明207(2015.2.13) 男性の生態、亭主の生態
再生核研究所声明238(2015.6.20) 西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで – 西行の恋と愛
そこで、改めて、男女の関係について、触れてみたい。
円熟期から、さかのぼる形で、思いのままに回想する形で記述したい。
退職などして、自由な時間が多く取れるようになると、男性は、世話を受ける立場の関係が強くなり、特に食事の世話の大きな役割にまるで飼われているように感じられることが多い。このようなとき、料理好きで、料理の上手い伴侶は誠に有難いと感じるだろう。そのような状況における男女の関係とは女性は生活を整えるのが大部分で、ゆとりを見出して趣味を楽しみ、家族を養う感じの生活になるだろう。男性は言わば志の延長、完成を志向するが、全人生についての省察を繰り返す生活になるだろう。また良い趣味を活かして熟年期を楽しむ人や宗教に真面目に、向かう方もあらわれる。退職後疲れが出たかのように 言わば抜け殻のような存在の男性も多いのではないかと気がかりである。ますます人間らしい存在に高まりたいものである。
永い現役時代は、男性が生活を支えていれば、志、言わば、人生の目標に向かって集中し、仕事のことが生活の大部分を占め、伴侶が主婦専業ならば夫の仕事を意識して、協力、協力の精神が大きな比重を占めるのではないだろうか。また子供がいれば、それと劣らない大きな仕事が育児や子供の教育である。これらが本質的で、人生の大部分を占めていると言える。子供が居なければ主婦はそれだけ自由な時間を言わば趣味の時間に掛けることになる。近年所謂共稼ぎ夫婦が増加しているが、特に育児と仕事の両立は相当に厳しい生活になるのではないだろうか。恩師から かつて家の中に女性が一人いて 安(心)と書くと教えて頂いたが、同感してしまう。
― いずれにせよ本質的には動物の生態と人間の生態も変わらないということである。一般には男性に志がなければ、女性は一般には動物の存在に近く、それだけ安定している存在であると言える。本能で活動する動物はある意味で、完全な存在であると言える。
それ以前となれば、新婚時代、恋愛中・交際中と直接付き合いのない 言わば、永い片思いの時代である。この辺が世の小説の主題になる事は多い。
新婚時代は華やいだ人生の時期であるが、男女ともお互いに神秘的な存在であるからお互いに知る新鮮な感覚で、生命力の輝く時代であると言える。
恋愛中・交際中 これは世の多くの小説の題材であるから、詳しく触れるより、象徴的な様子として大きな2つの世界の接近で、一緒にいないと落ち着かない心理状況、一緒に居るときには閉じた永遠に安定した世界のように感じられるだろう。これは2つで1つの二元論そのもので、2つの磁石がくっついている状態と言えるだろう。特に知り合う初期の重要性を改めて触れておきたい。 ある程度進めば、あとは自然な成り行きで進むが二人の運命、未来は その初めに掛かっていると言えるのではないだろうか。上記声明の中で、相当深く触れていると考える。― 初期段階、初めの重要性。― 多くのことがそうではないだろうか。
永い片思いの時代。 これは相当に子供の頃から抱く自然な感情で、心自体が異性の存在を直感して、それは漠然と未知の存在に対する憧れと表現できるだろう。淋しさも喜びも強い影響を受けるほど深いものであると言える。性と心の微妙な関係は神秘的であると表現するしか表現できないのではないだろうか。性に目覚めるころ、恋心が 湧く頃 である。予感に生命の息吹を 人生における大きな魅力的な夢を感じるだろう。
この声明で表現したかったこと、それば晩年の男女関係で、個人的な状況を触れているが、相当に標準的な様子ではないだろうか。― この声明に何か価値があるだろうかと検討したい。
以 上

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