2016年12月27日火曜日

再生核研究所声明340(2016.12.27)絶対絶命、必死 ― 悟りへの道

再生核研究所声明3402016.12.27)絶対絶命、必死 ― 悟りへの道

(2016.12.24.13:30 散歩中 独りでに 思いがけない構想が閃いたものである)。
絶体絶命とは困難・危険から、どうしても逃れられないさま。追いつめられ、切羽詰まったさま。「絶」は窮まる意。追いつめられ窮地にある立場や状態をいう。世の多くの合戦では命令が下れば、もはや一切の自由意思は働かず、ただ命令によって進軍せざるを得ない。危険を返り見ずに突撃せざるを得ない。入院すれば多くは判断の余地はなく、担当医師の判断に従が わ ざるを得ず、手術室に入り全身麻酔を受けるような時には 是非に及ばず、一切を委ねざるを得ない。
上記、発想とは、人間 生を享けたからには、地球上で生活をせざるを得ず、自らの身体から離れることはできず、数日たりとも 食を絶つことができない。数分さえも息を止めることさえできない。― すなわち、人間の存在は強い条件によって支配されている、絶対絶命、必死の場面が多いと言える。晩年同じ様な生活を繰り返していると既にさまざまの経験を積んでいて、多くの事が分かってしまい、改めて経験する魅力を感じない状態が多くなるのではないだろうか。同じドラマを繰り返しは見たくないような心境である。― この背後には、生命力の減退に基づく、意欲の喪失も存在するだろう。いずれにせよ、やりたいことが少なくなる、行動する幅が狭くなるは、逆から見ると自由人に言わばなるという側面があるが、心と環境が調和して妙に安定した理想的な状態とも言える。
頭書の発想は絶対絶命の場面では選択の余地はなく、それゆえに逆に自由で、実際はのびのびした安定した状況になるということである。 ― それは強い条件が逆に自由を齎すことを意味する。 
後半は心が環境に順応して自由になり安定する状況を述べている。 
両極端の状況の一致である。
頭書の考えの基本は、人間の定めの絶対性をしっかり観れば、真の自由を得て、1種の悟りに至る心構えができるのではないかと直感したことである。
作られた人間の基本的な定めをしっかり、捉えて、人間の心を定めに従って順応させられれば悟りの境地に到れるだろう。
人間がどのように作られているかをしっかり捉えること、そして、そのことに順応しようとする努力、 これが修行と言われるものではないだろうか。
現実にはさらに、人間関係や社会内での在りようの問題が大きな要素になっていて、我々が生きて行くには複雑な問題があると考えられるが、世の関係の基本は公正の原則で対応すべきであると考える(再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、 美しい社会とは)。
                                     以 上

2016.12.24.15:36
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2016.12.26.16:20 終日曇り。
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2016.12.27.05:54 良いとする。
2016.12.27.06:10完成、公表。

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