2016年12月24日土曜日

「自分は独身でいい」は非常に浅はか? 専門家が薦める“とりあえず結婚”とは…

「自分は独身でいい」は非常に浅はか? 専門家が薦める“とりあえず結婚”とは…


結婚したい――あまりに結婚できる気配がなく、「出会って5秒で結婚」を目標に(半分は冗談だが)婚姻届けを普段から持ち歩く記者にとって、素晴らしい出会いがあった。それが『とりあえず結婚するという生き方 いま独身女性に考えてほしい50のこと。』だ。

この本で女性に伝えているのは「将来のことをいろいろと考えて躊躇(ちゅうちょ)するよりも、とりあえず結婚してみてみよう」ということ。そんな女性が増えてくれれば、世の中の結婚したい男にとって、いいこと間違いナシ!

とはいえ、そんな簡単に結婚を考えられる人は実際そういないのが現実だ。出会って5秒で結婚を申し込んだ50人以上の女性に聞くと、口を揃(そろ)えて「結婚はしたいけど、付き合ってる相手がいても慎重になる」という。

それが当たり前の考えだと思うが、なぜ「とりあえず結婚=“とり婚”」を提案しているのか。著者で夫婦・家族問題評論家の池内ひろ美氏に聞いてみた。

■結婚したい若者は減少…も“未婚の先輩”の多くが後悔

「今まで結婚に関して3万7千人以上の相談をお受けしていますが、60~70代の独身者の多くが後悔しているんですね。それも『周りが背中を押してくれなかった』と人のせいにするんですよ。だからこそ、『結婚願望がない』『まだ結婚しなくていい』と言っている場合じゃないんです。本は女性向けですが、男性も同じことが言えます」

国立青少年教育振興機構が11月に全国の20代・30代男女に調査したところ、男性未婚者の21.7%が「結婚したくない」と回答していることがわかった。また、クリエイティブサーベイ株式会社が今年2月に行なった「結婚観に関する意識調査」では、40%の男性が「結婚願望がない」と回答。明治安田生命が今年6月に行なった「20~40代の恋愛と結婚」をテーマにした調査でも、結婚願望のある男性が39%と4割を切った。

数値はまちまちだが、結婚願望の減少が浮き彫りになった結果に池内氏は危惧しているという。そして、そこには親の影響があると指摘する。

「結婚願望や恋愛願望がないのは、彼らが悪いんじゃなくて、彼らの親の育て方だと思います。幼少期に危ないから目の前の石をどけてあげる、そうすると失敗を恐れる子になってしまうんですよ。人間関係も同じで、今の男性は失敗して傷つくことを恐れて、浅い付き合いしかしないんです。恋愛で振られることなんて失敗でもないんですけどね」

確かに、先の明治安田生活福祉研究所の調査では、彼女がいる男性は20代が22.3%、30代が18.0%。08年調査からいずれも半減した。さらに20代未婚男性の交際経験がない割合は53%と恋愛自体が減っている。

しかし、“とりあえず”でなくてもいいのでは?

「“とりあえず”と言うと軽く聞こえますが、元々の意味は『何をさておき』『第1に』という意味です。人生を考えたら結婚して幸せな生活の優先順位を上げていきましょうということなんです。そして、突き詰めて考えずに積極的に動きましょうという提案の意味なんです。今は離婚も普通の時代で、失敗ではなく、経験でしかないんですから」



ただ実際、前出の国立青少年教育振興機構の調査では、交際相手がいる人の結婚していない代表的な理由は「経済的に難しい」ことだ。お金に関して、既婚者から不満を聞くことも少なくないはず。

「それは頭でっかちな考えで、お金があったらあったらの生活、なかったらなかったらの生活をすればいいし、今の時代、共働きも普通です。お金や生活に対して大部分の既婚者は愚痴ることが多いですが、でも、結局それってノロケなんですよ」

池内氏は「本当に苦しかったら人は情けなくて言えない」と続ける。

「大変だろうと離婚しないのは、それでも幸せな部分が大きいからであって、未婚者は額面通り受け取って、それがわからないんじゃないでしょうか。だから若い人の想像力のなさで“俺は独身でいい”っていうのは、非常に浅はかですよね」

楽天ウェディングが7月、20歳から49歳までの男女500人に聞いた結婚・恋愛事情の調査では、約8割が「今のパートナーと結婚してよかったと思う」と回答。結局、既婚者の多くは幸せであって、ネガティブなイメージを持つ必要はないのか?

また、ネット上では「突き詰めて考えず結婚して生まれた子供は可哀想」だという批判があるが、それに関しても池内氏はこう否定する。

「人間にとって、生まれてきたことが幸せだと思うんですよ。病気やライフスタイルなど個々の事情を除けば、子供を作ることは本能としてごく当たり前のこと。親の結婚の経緯が問題なのではなく、愛情を持って育てれば、子供も不幸ではないでしょう」

あくまで結婚と子育ては別。いくら愛し合って結婚し子供が生まれても、離婚することだってある。そして前述した通り、あくまで“とり婚”は結婚にネガティブなイメージを持たず、積極的に捉えて前向きに考えようということ。好意のない相手と結婚しろという意味ではない。

「何よりも、自分のためだけに生きていないっていう誇りを持って大人になれる」(池内氏)という結婚。未知の世界に対して、傷つくことを恐れず、ポジティブに考えてみては?

●明日配信予定の後編では“とりあえず結婚”するための方法を聞く!

■池内ひろ美
1961年岡山市生まれ。20年以上、夫婦や家族関係をテーマに講演や悩み相談を行なってきた家族問題評論家、家族問題コンサルタント。近著は『とりあえず結婚するという生き方』(ヨシモトブックス)などがある。

(取材・文/鯨井隆正)http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161224-00077390-playboyz-soci


再生核研究所声明206(2015.2.12) 女性の生態、主婦の生態

人間の個性はいろいろであり、主婦の立場もいろいろであるが、女性や主婦の根源的な有り様を纏めてみたい。 次に、男性の生態、亭主の生態と対で考察したい。
女性とは、何であろうか、主婦とは何だろうか。 それには、女性の関心の所在を見極めれば良い。 女性は、頼りを求め、育児と食の関心が強い存在である。頼りを求めるは、愛の問題や恋の問題が深いと言える。家庭を持つ以前の難題については次を参照:

再生核研究所声明 36: 恋の原理と心得 
再生核研究所声明 124 (2013.8.20): 恋の機微 - 恋の極意

育児と食の関心は 次の段階であるが、当然、若くから、準備されていることは当然である。 本質的に、育児と食が満足できれば、女性は本質的に幸せであり、芸術その他の多くの趣味は、そんなに基本的な問題ではないように見える。亭主の立身出世も本質的では無く、経済的な条件の改善くらいの軽い意味しか、大抵の場合にはないのではないだろうか。もちろん、虚栄心で、亭主を頑張るように励まし、亭主を追い立てる場合も 希に世に見られるが、一般的ではないように見られる。他方、子供については、子供の将来を思い、子供を励ましている状況は 世に多く見られる。 これらを総括すると、 猿などの家族で、育児に勤しむメスザルと 主婦の生態は殆ど同じようなもので、慎ましく愛すべきもの、自然状態に近い存在であるように見える。多くの母親は、家庭の健全な状態を願い、健康や食に気遣い、生物の基本的な集団である家族を大事に考えているという意味で、主婦とは完全であり、男性にとっても家族にとっても素晴らしい存在であると言える。
主婦の立場では、生も死も大した問題では無く、宗教も多くは深い意味を持たず、学問、芸術、政治なども多くは大きな関心ではなく、大きな存在ではないだろう ― これらにおいて、男性勝りに 能力が高く、関心の強い方は 世に多いが、一般的とは言えないだろう。
結論的に言えば、女性は男性に比べて、より原始的な安定した、自然と神に近い存在といえよう。美しい女性を育てるには、愛情に恵まれ、経済的な基礎に基づく、豊かな生活が必要である。男性には、夢を与える志があるのが望まれる。 世の男性の奮起を促したい。

以 上

再生核研究所声明207(2015.2.13) 男性の生態、亭主の生態

人間の個性はいろいろであり、亭主の立場もいろいろであるが、男性や亭主の根源的な有り様を纏めてみたい。これは再生核研究所声明206(2015.2.12) 女性の生態、主婦の生態と対で考察したい。
男性とは、何であろうか、亭主とは何だろうか。 それには、男性の関心の所在を見極めれば良い。男性は、家族の責任者であるから、外との関係で収入を得て、家族を養い、 安定した生活に何時も気を遣うのは当然で、それらの本能は立身出世を基本的に志向し、それらは多く、求道や真理の追究、多くの好奇心として現れ、男性の多様性は女性の多様性には比べられないほどである。高名な研究者が深夜ジグソーパズルに耽っていたかと想えば、探検家や登山家、岩登りなどに挑戦している姿などは、女性には中々理解できない面である。また、純粋数学者が動機も無くただ、真実の追求に人生にかけているなど、男性の趣味、志は豊かで、多様、深く、人間存在としても極めて興味深い。― これらを男性の特徴かと思うと、男性勝りの女性が世に多いことも注目して置きたい。家庭を持つ以前の男性にとっても 女性の関する難題については 次を参照:
再生核研究所声明 36: 恋の原理と心得 
再生核研究所声明 124 (2013.8.20): 恋の機微 - 恋の極意
男性の関心の原点が外にあるということは、家庭内で、安定に生活し、子供が健やかに成長していれば、概ね、内は諒と考えて、男性は志の方に大きな関心が行き、それは、多くの場合、家庭を顧みない、妻を顧みない亭主として 世の亭主の批判は定着化しているのではないだろうか? それはソクラテスの悪妻として2000年以前から変わらない、 主婦と亭主の根源的な関係である。― 逆に 男性が家庭に埋没していれば、女性は、物足りないと 実感するだろう。その意味で、男性は外に志を抱く、必要があり、家庭では孤独な存在になるだろう。結論的に言えば、男性は女性に比べて、より発展したそれゆえに、弱く、不安定な存在で、進化したという意味では 女性より 神に近い存在といえよう。素敵な男性を育てるには、家庭をきちんと纏めて、育児をなし、よい食を整え、生活を整えれば、自ずから、成長するのではないだろうか。良き伴侶を見つけることの重要性は 女性の一大事であることは、古来変わらない原理ではないだろうか。これは自明のことであるが、世の女性の注意、奮起を促したい。男性にも 家庭を持たないで、悟り、人生を肯定することは 極めて難しい原理があることに 注意を喚起して置きたい。もちろん、良き伴侶を見つけることの重要性は 男性の一大事であることも、古来変わらない原理である。
以 上

再生核研究所声明337(2016.12.19) 人間、人生について

物心付いて以来 人生の意味について知りたいと考えてきた。そのために声明でも相当にとりあげてきた:

再生核研究所声明304(2016.06.16) いじらしい人間
再生核研究所声明291(2016.03.07) 心の微妙さ
再生核研究所声明289(2016.02.26) 終末の心得
再生核研究所声明288(2016.02.19) 戦友達 ― 共生、共感、共鳴
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
再生核研究所声明 266(2015.12.25): 地球上に繁茂する 愚かな人類
再生核研究所声明 265(2015.12.24): 全ての願いが叶えられたとき ー 自由な境地 ― その時人間は
再生核研究所声明244(2015.9.4)不完全な人類、恥ずかしい世界史 ― 心得
など。

最近、ライフワークの研究著書が出版され、いろいろ人生で目指してきたこと、期待されてきたことが実現して、心に変化が起こり、人生全体に対する感じに新しい感覚が湧いてきたので、触れて置きたい。人間の心は変わっていくものである。
雑草に覆われた野の一部を見る。コスモスの花たちを見る。人生も 人間も同じ様な存在ではないだろうか。コスモスは年年同じ様な生態を繰り返している。生きることを繰り返し、仲間と共感、共鳴をしたり、争ったりして共生している。人間の家族でも本質は殆ど同じ様なものであると言える。家族が元気で、社会の中で上手く生きていければ 慎ましい幸せを得ることが出来るが、人間社会は相当に厳しい状況が見える。人間が賢いとぼんやり考えてきたが、実際に気づいてみると、人間の知能も、心の程も 大したことはなく、本質的に視野も、考えも、世界も狭く、予断と偏見に満ち、動物や生物と本質的に変わらない様を見ることができる。若い頃、生命力に満ち、憧れや感動,予感から志を立て、人生を生ききっても、結局は始めも、終わりも分からず、歩んでいた時さえも本能で夢中で生きていたということになるだろう。
始めも、終わりも、その先も分からず、生きていた時さえも本能のままに生きていたとなれば、人間も動物も、その他の生物もみんな本質的に同じ様な存在であると言える。つくられた人間と発想したが、それはまことで、作られたように、定められたように生きていると言える。それで、いじらしい人間となる。
そこで、生命の、人生の基本とは何だろうか。自分の周りの小さな環境に順応して、共感、共鳴して、共生して存在している存在であると言える。順応してとは自己の本能と環境との調和のための戦いが本質的に存在している。実際、生命も、人生も生存のための戦いの要素が本質的で、エントロピー増大の原理にさからう存在として、生命や人生が存在していると言える。生命が環境の中で必死に生きようとしている姿は普遍的であり、本質的であると言える。多くの人にとっては ただ生きることが 人生の殆どであると言える。
しかしながら、いわゆる志をもって、日々その志の精神で生き、言わば日々精進している姿も多く見られる。何かに愛を感じ、求めていく姿である。芸術でも、スポーツでも、政治でも、研究でも、その他いろいろな趣味なども、そうであるが 積極的に求めていくものがあれば、それだけ豊かな人生であると言えるのではないだろうか。感動のある人生である。
しかしながら、繰り返される生命の営みは、いろいろな感動さえ、やがてポテンシャルが、生命のエネルギーが減少して 大いなる自然との調和を独りでに、自然に受け入れられるようになるだろう。
― 山間部の散歩中、上品な90歳を超えたおばさんとよく話してきたが、いろいろ全体的に話していたら、おばさんと周りに咲く花たちも 全く同じ様な存在に映った。
この最後の文章がこの声明の書きたかったことであるが、それではもの淋しく終わるだろう。そこで、人間として生きる意義を人生の原点に戻って述べて置きたい。― 人生とは真智への愛であり、真智とは神の意思のことであり、大自然の、万物の、ユニバースのことを知りたい、感知したいということである。

以 上

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