2016年12月26日月曜日

日本法人代表が語る、Twitterの真実

日本法人代表が語る、Twitterの真実


「140字制限を撤廃しないで」と本社にレポート

――Twitterは動画共有やライブ放送のペリスコープなど、メディアリッチな方向に向かっているように見えます。しかし本来はシンプルさが特徴ではありませんでしたか?


 
【笹本】“140文字”がアイデンティティだったことは確かなのですが、Twitterの本質的な長所は“140”という数字ではありません。タイムラインに情報が流れていく中で、パッと見た時に各情報が認知しやすい一覧性の高さです。以前、ツイートの長文対応について議論もありましたが、タイムラインを流れていく情報をサッと認識できる限界を超えてしまい、リアルタイムで起きているさまざまな身の回りのことを見落としてしまうと判断しました。 特に日本では140文字でも工夫すればかなりの情報を詰め込めるため、140文字制限撤廃を行わないよう、かなり強いトーンで本社にレポートしたという経緯があります。Twitterは実に民主的な会社で、そうした意見を理由を含めてしっかりと精査してくれます。またオープンに様々なアイディアが社内で飛び交う。TwitterがTwitterとしてのカルチャーを保てているのは、そうした民主的な雰囲気も要因としては大きいですね。

アプリの使い勝手、「クジラが出ない」などの基礎改良

――つまり、タイムラインを一時停止させながら見なければ、状況の流れを把握できないようなサービスの拡張は行わないということですね。ペリスコープもTwitterの即時性とのマッチングが極めて高い。では、そうした自由で民主的な空気感の中で、どのような事業としての可能性が見えてきているのでしょう?
 
【笹本】ひとつは細かな部分でのユーザーインタフェースに改良の余地があります。もともとはWebで始まったTwitterのサービスですが、“アプリ”の枠組みの中で取り組まなければ進化できない部分もありました。そこで基礎に立ち返って製品としての価値を高めるため、地盤を固めようと創業者のジャック・ドーシーが声を上げ、地道に取り組んでいます。パッと見ただけでは大幅な変化は見えないかも知れませんが、公式アプリの質、サービスの応答性などさまざまな部分で改良が進んでます。あとはほら、クジラを最近見なくなったと思いませんか?(笑)
もうひとつはNFLや大統領選で、短文だけではないリッチ情報に関しても、見せ方次第でTwitterが適した場であると実証したことです。イベントがあれば、それを中心にさまざまなツイートが発生するため、それらを見ているだけでみんなと一緒にソーシャル視聴できる。まだ多分に実験的な面もありますが、参院選ではペリスコープを使って各政党の人たち話をしてもらう政見放送的なことトライしてみましたが、その場で反応があるのでとても良いものになりました。こうしたトライアルを来年以降は、さらに拡大していきたいと思っています。
※クジラ……Twitterのサーバが過負荷でつながらない時には、白いクジラがたくさんの鳥に網でつり上げられている絵が表示される。

「広告らしくない広告」の売上は順調に伸びている

――Twitterの主な収入源が広告であることはデータ面からも明らかですが、一方でWebでも公式アプリでも、広告らしい広告を“見せられた”という記憶がほとんどありません。確かに心地よいのですが、このことが(広告の)売上げで突き抜けられない理由でもあるのでしょうか?
 
【笹本】日本法人単体で言えば非常に順調で、これは日本法人設立以来一貫しています。主な収入は広告ですが、(広告事業を始める前に)たとえばバナー広告ならば一般的だし、今の利用者は慣れているから負担をかけないのでは? という意見が社内にもありました。しかし、バナーやポップアップを使うとどうしても目障りになってしまい、TLの観察を中断させられてしまいます。収益化にはもちろん時間はかかりますが、利用者にとって心地よい広告スタイルを貫こう。それが自分たちの価値だと判断しました。創業から10年の売上げとしては充分で、これが正しい選択で、我々が生き残って来れた理由だと思っています。 それにどう広告が表示されるのか、そのアルゴリズムは僕らにもブラックボックスなんですよ。広告表示はアルゴリズムでブラックボックス化し、利用者に閲覧の負担を課さない。これが我々が成長できない理由ではなく、成長できる理由です。

2015年Q3から2016年Q3にかけてのTwitter社の広告収入(単位は100万ドル)。青い部分が米国、グレーの部分がそれ以外。
 

他社と連携して広がるのがTwitterの良さ

――今後、Twitterが発展する方向として見ているビジョンはありませんか?
 
【笹本】Twitterのタイムラインには、あらゆる形で”現在”が描かれます。どのような形に見えるかは、自分自身がフォローしている相手によって変わります。たとえば、私の観ているタイムラインと本田さんの見ているタイムラインは違うものです。
 しかしTwitterの中には、それこそ無数のさまざまな情報発信がある。あるものは感情的かもしれないし、何かを訴えかけるものかもしれないし、独り言かもしれない。 それら膨大な数のツイートすべてを、見続けることはできません。しかし、そこに検索やあるいは“何らかの視点”を加えると、意味が生まれてきます。

Yahoo!リアルタイム検索。Twitterに流れる情報を検索可能にして見やすく提供するサービスだ
 
 たとえばYahoo!はTwitterに流れる情報を統計・検索可能にして、自社サービスに組み込んでいます(図)。電車の遅延情報とともにTwitterに流れる関連情報を抽出して表示する機能は、まさに”通勤電車の今”を伝える有用な情報ですよね。他にもNAVERまとめなど、まとめサイトで引用されることが多いのも、同様の理由からでしょう。我々、Twitter自身が提供するサービスにとどまらず、APIを提供して周囲と連携していくことで思いもよらなかった新しい使い方が生まれる。他サービスとのコラボレーションなどを通じて、Twitterがさらに脱皮していくでしょう。まだまだ、大きな可能性が広がっていると実感しています。http://blogos.com/article/203522/?p=2

再生核研究所声明 512011.3.4):  ツイッターにおける 意義と心得

ツイッターが 盛んになって、世論や政治にも大きな影響が出るようになってきた。 また、俳句や、和歌のような 趣味の一種、楽しみの一種になっている者も多いのではないだろうか。 自戒も込めて、ツイッターの意義、注意や問題などについて、考察し、ツイッターの世界をより楽しく、充実させるようにしたい。
ツイッターの原語は 呟き という、呟きとは、小鳥が 少し囀る ように、何か気持ちを、本音を率直に、短的に表現するものではないだろうか。 純粋、呟きは、したがって、先ずは 率直な気持ちの表現である ということになるのではないだろうか。 先ず、このもともとの意味 を尊重したい。 従って ツイッターの世界には 人々の率直な 心の、気持ちの世界 が反映されていると理解できる。将来、万葉集のように 人々の様子を写した 貴重な記録にもなる可能性が高いのではないだろうか。
しかしながら、それらとは裏腹に、直ちに公開する というところに、日記や自分の記録とは違った意味、すなわち、多くの人に伝えたいという、明確な意思があり、更に公開には、

1)インターネットを通して どこまでも広まること
2)インターネットの世界で、記録され、検索され、長く保存され、修正が、事実上できない状況になっている ということである。

このような状況は、間違ったことや、修正しなければならないようなことは 迂闊には書けない ということを意味する。 注意したい。
一応 フォローという特定の人が自然に見られる建前であっても、上記2件から、逆に自分の意志を広範囲に伝えたい、あるいは何かの宣伝に、仕事などに活用したい と考えるのは当然である。従って
A) 政治問題や社会問題についての見解、提案、批判、建議など、社会問題が大きな比重を占めるのは当然である。
B) 仕事、ビジネスなど 適当な活用は当然であるが、行き過ぎると 仲間に嫌われる可能性が高いのではないだろうか。
C) 市民生活における 話題、いろいろ面白い話題や、変わった話題で、人々が興味を持ちそうな話題は 歓迎されるのでは。
D) 教育問題、人生問題、哲学、科学の問題についても 前向きに考えられる話題として挙げておきたい。

ツイッターの 他の特徴としては

川の流れのように、呟きは、どんどん流れ、偶然に覗いていた人だけが見るだけで、殆どは注目されないで、ツイッターの世界からは 消えて行ってしまうという 儚さ、空しさである。

そのために、空しさを承知で、深入りをせず、自分の生活とペースを整えて、気持ち良く、呟くのが良いのではないだろうか。 
社会や世の中にとって良いと思われるものについては、リツイートして、どんどん世に拡散して、世の中を明るくしたい、文化レベルの向上に、情報環境の美化にも 利用したい。
賛否の意見表明、同感、反対など、返信して、一方的でない交流も大事で、貴重なものになるのではないだろうか。
長期の保存と長文が可能なブログなどと併用すると 自分の意見を表明する機会を 大幅に増やすことができ、外国語が得意な人は 更に国境を越えて 意見を表明できる機会を得るので、積極的な取り組みを期待したい。 間もなく、いろいろな言語に翻訳されて、言葉の壁も乗り越えられる時代が近いのではないかと期待される。
簡単に意見を広く表明できる時代とは、新しい時代の夜明け ではないだろうか。 多くの人の意見が 自由に交流できる世界とは どのような世界になるのか、いろいろ問題点などをも含めて 注目し、今後の問題点、影響などについても検討して行きたい。 例えば、多くの呟きから、価値あるものを選択して、得る方法などが 基本的な問題ではないだろうか。 実際、沢山の人々が自由に 呟けば、どのようにして、価値ある情報を得るかは、本質的な問題になる。 雑情報に 時間をとられる危険性が高いからである。
人間とは、じんかん であり人と人の交流が 生きている証拠 でもあるから、大きな自由性と可能性を創造された、このようなシステムの考案者及び管理運営を行っている方々に対して、敬意と謝意を表したい。

以 上

Twitter: Yours to discover

再生核研究所声明852012.4.24)食欲から人間を考える ― 飽きること

あらゆる生物の最も基本的な本能は、外部から取り入れるという、食の本能である。生きている顕著な営みであると言える。 この基本的な本能から、人間の基本的な要素を分析、考察し、人生の基本を理解したい。 
認識できる人間は 自己の生命が求めていることを、欲求や欲望、求める、欲しいという感覚で自覚するが、求める、欲しいの 最も基本的なものは、空腹を満たし、食べたいという、欲求である。もちろん、苦痛からの解放など、生存を脅かす状況からの解放は当然である。
このことから 既に、人間が有限の存在であることを知る。食欲といえども食を無限に頂くことはできず、どんな好物でも やがて、飽きるだろう。有限のものを取り入れている存在であると言える。何を頂くか、何を頂きたいかは、我々の生命が何を要求しているかの 要求の自然な表現として現れていると考えられる。基本的には 好きなものを好きなだけ頂くのが 健康にも良いと考えられよう。 その原理は多様な食から、変化を持たせて、適度に頂くが基本ではないだろうか。すなわち、多様性の原理とそれを実現させる 飽きるという重要な感覚がある。 飽きるという感覚が無ければ、食に偏りを生じ、複雑な生命活動を維持するのに支障が生じるだろう。
この声明の趣旨は、ちょうど食欲の状況のように、外部からの情報を取り入れて 豊かな精神活動を展開しようという観点に思いを至らしむことにある:

1)我々は有限のものしか受け入れられない、制限があること
2)我々の生命が 心が何を求めているかを 注意深く絶えず、己が心に尋ねること;
生きたい、死にたくない、良く暮らしたい、それらを越えて、生きるということは どのようなことか、自らに問うて行きたい。
3)何事集中しすぎると飽きてくるので、間を考え、適度に変化を持たせること
4)生命作用は複雑な存在だから、幅広い世界、情報に接するように配慮すること
5)年齢、健康状態、環境などに影響をうけること
6)慣れる、習慣、学習効果などにも配慮すること。

近年、インターネットの普及で、名曲や名画、映画の名場面など繰り返し、繰り返し楽しむことができる時代を迎えている。また、知識や情報が幾らでも入り、友人、知人、友達など幾らでも増やせる自由な時代を迎えている。それゆえに逆に、自己の世界をきちんと整理、制御して、取捨選択をきちんとして行かないと、いたずらに情報に振り回されて、適切でない食生活が健康を害するように、我々の精神を害することになるだろう。大いに気を付け、配慮して行きたい。

食も、飽きるものと、飽きないで、基本的に続けられるものが在ることにも注目したい。確かに定食など永く続けていても 適当な間隔で頂けば、飽きないで永続できるものがある。水やエネルギー源などは 基本的に必要であり、精神活動でも適度な刺激、変化、発見など、同様に基本的に心がけなければならないものが有り、また、いくら続けても、求道、芸術や研究活動などの創造活動のように 続けられる分野 が有ることに注目したい。
したがって、そのような永続するものを しっかりと受け止めて、適当に揺らぎを取り入れた生き方が、人生を豊かにする秘訣であると言えるだろう。
個人にはそれぞれの才に器が有り、生命作用は内部から、湧いている。教育の原理は その生命作用を補助することにある。 日本の公教育の現状は 個人の食欲を弁えず、一方的に強制して与えすぎで、消化不良と分裂、混乱させ、不健康な人間を大量育成している状況が有るのではないかと危惧している。これは、2500年も前に 中国古代で、既に注意されている事実である(再生核研究所声明2:教育方法では、学生の過誤を未発のうちに防止することをという。学生の学習状況に応じて、ちょうど好い時に教えることをという。学生の(受容能力の)程度を越えぬようにして授業することを(順当)という。 学生が互いに注意して言行を善美にしてゆくように指導すること、これを(磨)という。 これらの四事は、教育の効果を大きくする善法である。)。
美しいものをみたい、聞きたい、義に生きたい、人生の意味を知りたい、真相を知りたい、世の法則を知りたい、道を究めたい などなどは、食欲と同様、我々の生命が求めているのである。 実際、我が生命は 何を求めているのか と 絶えず、自らに問うべきである。 これは 人生の基本定理 を内から表したものである(再生核研究所声明 12:人生、世界の存在していることの意味について)。

以 上

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