むっちゃいけてまっせぇ~ 『マンガ 超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義』 -そして「実録! 大阪大学出版委員会」-
超ひも理論である。HONZ代表の成毛眞とともに挑んだが、まったく歯が立たなかった難攻不落の理論である。まぁ、ひょっとしたら、挑んだ相手というか、説明してくれた人が悪かったのかもしれない。我々を十分に納得させてくれんかったのだから。その敗北記は、東洋経済オンラインの『天才物理学者・浪速阪教授に聞く、その1、その2』に詳しい。
その浪速阪教授こそ、小説『超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義』(略称『ひもパパ』)の原作者である橋本幸士・大阪大学理学研究科教授なのだ。実際には、小説『ひもパパ』がおもろいからというので話を聞きに行って、予想通り玉砕したのである。ちなみに、読んでも超ひも理論のことようわからへんのに、小説『ひもパパ』は一万部も売れたらしい。さすがは講談社である。
小説仕立てだからわかりにくかったけど、マンガにしたらわかると考えたのだろうか。あるいは、小説がけっこう売れたからマンガにしたらもっと売れるかもと安直に考えたのだろうか。どちらかは知らないが、『ひもパパ』のマンガ化が、大阪大学出版会で秘密裏に計画された。
“小会では、大学の研究・教育・社会貢献という三つの機能に対して出版を通じて参画しています。このため、大阪大学教授により構成される出版委員会が設けられ、大学の理解と協力を得ながら、学術書・教科書・教養書を出版しています。”
大阪大学出版会は出版委員会のお許しがなければ本を出せないシステムになっている。委員長は『役割語』の研究でたぶん世界的に名高い金水敏・大阪大学文学研究科長、その下に文系・理系あわせて6名の教授が委員として連なり、年に何回か集まって出版すべき本を決めるのである。委員会に諮られる案の多くは持ち込みなのであるが、どう逆立ちしても売れそうにないのも結構ある。
大学教授といえば皆さん大人なので、そんな本の企画に対してこれはあかんわと思っても、あまりはっきりとはおっしゃらない。私も分別ある大人なので、できるだけそうしたいとは思っている。が、そんなことをしてるとムダな時間がかかってしかたがない。なので、基本的にどの委員会でもそうするように、〇×をはっきりうち出す方向で意見を言うことにしている。
そんなであるから、ほんとはとってもマイルドな性格なのに、ナカノは厳しいと思われているようだ。しかし、である。タイトルを見たら何のことかわからなくて、目次を見たらもっとわからなくなるような本の企画書が提出されると、どうしても、あかんのちゃいますかぁ、と一気に却下したくなってしまうのである。
このマンガ版『ひもパパ』も当然、企画のひとつとして委員会にあげられた。えらいおもろいやないの。何年も委員を勤めてるけど、心からおもろいんとちゃうんかと思える企画はふたつめである。ひとつめは、HONZで絶賛されて話題になり、大阪大学出版会始まって以来のベストセラーになった『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』だ。自慢するようですが、って自慢するんですけど、その『ドーナツ本』のレビューは私が書いたのである。何を書いたかまったく忘れてたけど、久しぶりに読み返してみるとむちゃくちゃおもろいから、ぜひ、いまいちど読んでいただきたい。できたら、ついでに本を買ってやってください。
「大学の理解と協力を得ながら、学術書・教科書・教養書を出版」する会である。『ドーナツ本』はかろうじて学術書、教養書の体裁を整えてあった。が、『ひもパパ』のマンガってどうよ。ここで、売れそうやんか、おもろかったらええがな、とか、橋本さんを知ってるから、とかいう理由でスルーすると、ナカノはそういうやつだと思われかねない。そういう奴やからしゃぁないとはいえ、沽券にかかわるではないか。で、おもむろに質問した。「大阪大学出版会がマンガですか」と。
そしたら、すでにコミックを出したことがあって、けっこう好評らしい。だはっ。さすがは大阪大学出版会、売れそうなことには何でも手を出す足を出す、あなどれん。文系向け教養数学の『コミック 証明の探究 高校編!』がその本で、出版の日付は2014年。おかしいなぁ、そのころすでに出版委員やったはずやのに、まったく記憶にない。ボケて忘れたか、委員会さぼってたかどっちかでしょうな。ちなみにこの本、「出版業界のミュージックシーンを変える!」との意気込みで、プロモーション用の歌と踊りが作られている。だいじょうぶか、大阪大学出版会…
『ひもパパ』のマンガ版も、その本と同じ漫画家・門田英子さんに依頼するとのこと。それはよかった。けど、超ひも理論と高校生向けの数学では、月とすっぽん、いや、銀河系と素粒子くらいの違いがある。超ひも理論を理解してない人が描いたら、もともとわかりにくいんやから、全くわからんようになるんとちゃうんか。と心配したけど、杞憂であった。その門田さん、なんと理論物理で博士号をとったはるとか。う~ん、そんな人が世の中におるんか、どういう経緯でそんなことに、と思わない訳でもないが、ベストの人選であることは間違いない。
肝心の本の内容はというと、はっきりいうて、いけてます。出版委員として、出版会の経営を慮って言っているのではない。まぁ、そういう面もまったくないとは言わないが、公平無私なHONZの責任ある一員として、客観的にそう断言する、ということにしておきたい。原作の小説も今回のマンガ版も、10分×7回の70分講義という謳い文句なのだが、小説は看板に偽りがあって、70分ではちょっと読み切れない。それに対して、マンガは70分で十分だ。基本的に同じ内容なのだが、ぐちゃぐちゃ文章で説明されるよりもマンガの方がかなりわかりよいのである。
まぁ、これは橋本教授の小説執筆能力と門田さんのマンガ作成能力の差と言えなくもない。というより、きっとそうだ。と思ったのだが、橋本さんに聞いたところによると、門田さんとのディスカッションで、説明がよりわかりやすくなったとのこと。やっぱりサイエンスの基礎はディスカッションである。
原作には、おそらく橋本教授が自ら描いたと思われるへなちょこな図が載っているが、どうも説得力に欠ける。しかし、プロの漫画家さんにしっかりしたタッチで描きなおしてもらうと、同じ図でもなんとなくわかったような気がしてくる。人間の心理というのはおもしろい、というか、騙されやすい。
さらに二つのパラパラ漫画がその解説力をパワーアップする。ひとつは「閉じたひもの運動と開いたひもの運動」だ。念のために言っておくが、ひものが開いたり閉じたりする運動のパラパラ漫画ではない。閉じたひもと考えられている重力子と、開いたひもと考えられている光子の運動についてである。なに、何のことかわからんって?それは、もうひとつのパラパラ漫画「グルーオンから重力ひも」を見たら氷解する。
とは一応書いたものの、やっぱりようわからんのである。橋本さんによると、超ひも理論を真に理解しているのは世界中で千人くらいらしいから、わからなくても当然だ。いや、超ひも理論を真に理解しようというような邪な考えを抱くのは不遜なことなのだ。それでも、この本は読む価値がある。超ひも理論がなんとなくわかるような気がしないでもないかなぁと思ってええんとちゃうんか俺、くらいの状態にまでは気持ちを高めてくれる。それより、超ひも理論がいかに難しいかがよくわかる、というべきかもしれんが…。どうせ、結局のところ細かいことはわからんのだから、さっさと読めるマンガくらいがちょうどいい。講談社さんごめんなさい。
最後に、浪速阪教授≒橋本教授の研究テーマである異次元について、巻末にある至言を紹介しておこう。
“結局、異次元は”
あるんでも
無いんでも、ない
どっちやねん! 最後までわからへんやないかっ!!http://honz.jp/articles/-/43658
ゼロ除算と関係が・・・・・・
再生核研究所声明339(2016.12.26)インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教
世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。この数体系の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インドの数学者・天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタはその中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとしてされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:
Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-
marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
· 愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
· 怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
· 求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
の四つの苦に対する人間の在り様の根本を問うた仏教の教えは人類普遍の教えであり、命あるものの共生、共感、共鳴の精神を諭されたと理解される。人生の意義と生きることの基本を真摯に追求された教えと考えられる。アラブや西欧の神の概念に直接基づく宗教とは違った求道者、修行者の昇華された世界を見ることができ、お釈迦様は人類普遍の教えを諭されていると考える。
これら2点は、インドの誠に偉大なる、世界史、人類における文化遺産である。我々はそれらの偉大な文化を尊崇し、数理科学にも世界の問題にも大いに活かして行くべきであると考える。 数理科学においては、十分に発展し、生かされているので、仏教の教えの方は、今後世界的に広められるべきであると考える。仏教はアラブや欧米で考えられるような意味での宗教ではなく、 哲学的、学術的、修行的であり、上記宗教とは対立するものではなく、広く活かせる教えであると考える。世界の世相が悪くなっている折り、仏教は世界を救い、世界に活かせる基本的な精神を有していると考える。
ちなみに、ゼロは 空や無の概念と通じ、仏教の思想とも深く関わっていることに言及して置きたい。 いみじくも高度に発展した物理学はそのようなレベルに達していると報じられている。この観点で、歴史的に永い間、ゼロ自身の西欧社会への導入が異常に遅れていた事実と経過は 大いに気になるところである。
以 上
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Announcement 326: The division by zero z/0=0/0=0 - its impact to human beings through education and research
再生核研究所声明335(2016.11.28) ゼロ除算における状況
ゼロ除算における状況をニュース方式に纏めて置きたい。まず、大局は:
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更は かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド幾何学とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。
1.ゼロ除算未定義、不可能性は 割り算の意味の自然な拡張で、ゼロで割ることは、ゼロ除算は可能で、任意の複素数zに対してz/0=0であること。もちろん、普通の分数の意味ではないことは 当然である。ところが、数学や物理学などの多くの公式における分数は、拡張された分数の意味を有していることが認められた。ゼロ除算を含む、四則演算が何時でも自由に出来る簡単な体の構造、山田体が確立されている。ゼロ除算の結果の一意性も 充分広い世界で確立されている。
2.いわゆる複素解析学で複素平面の立体射影における無限遠点は1/0=0で、無限ではなくて複素数0で表されること。
3. 円に関する中心の鏡像は古典的な結果、無限遠点ではなくて、実は中心それ自身であること。球についても同様である。
4. 孤立特異点で 解析関数は有限確定値をとること。その値が大事な意味を有する。ゼロ除算算法。
5. x,y 直交座標系で y軸の勾配は未定とされているが、実はゼロであること; \tan (\pi/2) =0. ― ゼロ除算算法の典型的な例。
6. 直線や平面には、原点を加えて考えるべきこと。平行線は原点を共有する。原点は、直線や平面の中心であること。この議論では座標系を固定して考えることが大事である。
7. 無限遠点に関係する図形や公式の変更。ユークリッド空間の構造の変更、修正。
8. 接線や法線の考えに新しい知見。曲率についての定義のある変更。
9. ゼロ除算算法の導入。分母がゼロになる場合にも、分子がゼロでなくても、ゼロになっても、そこで意味のある世界。いろいろ基本的な応用がある。
10.従来微分係数が無限大に発散するとされてきたとき、それは 実はゼロになっていたこと。微分に関する多くの公式の変更。
11.微分方程式の特異点についての新しい知見、特異点で微分方程式を満たしているという知見。極で値を有することと、微分係数が意味をもつことからそのような概念が生れる。
12.図形の破壊現象の統一的な説明。例えば半径無限の円(半平面)の面積は、実はゼロだった。
13.確定された数としての無限大、無限は排斥されるべきこと。
14.ゼロ除算による空間、幾何学、世界の構造の統一的な説明。物理学などへの応用。
15.解析関数が自然境界を超えた点で定まっている新しい現象が確認された。
16.領域上で定義される領域関数を空間次元で微分するという考えが現れた。
17.コーシー主値やアダマール有限部分に対する解釈がゼロ除算算法で発見された。
18.log 0=0、 及び e^0 が2つの値1,0 を取ることなど。初等関数で、新しい値が発見された。
資料:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
*156 Qian,T./Rodino,L.(eds.):
Mathematical Analysis, Probability and
Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.
(Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177)
Sep. 2016 305 pp.
(Springer) 9783319419435 25,370.
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える
以 上
再生核研究所声明316(2016.08.19) ゼロ除算における誤解
(2016年8月16日夜,風呂で、ゼロ除算の理解の遅れについて 理由を纏める考えが独りでに湧いた。)
6歳の道脇愛羽さんたち親娘が3週間くらいで ゼロ除算は自明であるとの理解を示したのに、近い人や指導的な数学者たちが1年や2年を経過してもスッキリ理解できない状況は 世にも稀なる事件であると考えられる。ゼロ除算の理解を進めるために その原因について、掘り下げて纏めて置きたい。
まず、結果を聞いて、とても信じられないと発想する人は極めて多い。割り算の意味を自然に拡張すると1/0=0/0=z/0 となる、関数y=1/xの原点における値がゼロであると結果を表現するのであるが、これらは信じられない、このような結果はダメだと始めから拒否する理由である。
先ずは、ゼロでは割れない、割ったことがない、は全ての人の経験で、ゼロの記録Brahmagupta(598– 668?) 以来の定説である。しかも、ゼロ除算について天才、オイラーの1/0を無限大とする間違いや、不可能性についてはライプニッツ、ハルナックなどの言明があり、厳格な近代数学において確立した定説である。さらに、ゼロ除算についてはアインシュタインが最も深く受け止めていたと言える:(George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} :Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.)。
一様に思われるのは、割り算は掛け算の逆であり、直ぐに不可能性が証明されてしまうことである。ところが、上記道脇親娘は 割り算と掛け算は別であり、割り算は、等分の考えから、掛け算ではなく、引き算の繰り返し、除算で定義されるという、考えで、このような発想から良き理解に達したと言える。
ゼロで割ったためしがないので、ゼロ除算は興味も、関心もないと言明される人も多い。
また、割り算の(分数の)拡張として得られた。この意味は結構難しく、何と、1/0=0/0=z/0 の正確な意味は分からないというのが 真実である。論文ではこの辺の記述は大事なので、注意して書いているが 真面目に論文を読む者は多いとは言えないないから、とんでもない誤解をして、矛盾だと言ってきている。1/0=0/0=z/0 らが、普通の分数のように掛け算に結びつけると矛盾は直ぐに得られてしまう。したがって、定義された経緯、意味を正確に理解するのが 大事である。数学では、定義をしっかりさせる事は基本である。― ゼロ除算について、情熱をかけて研究している者で、ゼロ除算の定義をしっかりさせないで混乱している者が多い。
次に関数y=1/xの原点における値がゼロである は 実は定義であるが、それについて、面白い見解は世に多い。アリストテレス(Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)の世界観の強い影響である。ゼロ除算の歴史を詳しく調べている研究者の意見では、ゼロ除算を初めて考えたのはアリストテレスで真空、ゼロの比を考え、それは考えられないとしているという。ゼロ除算の不可能性を述べ、アリストテレスは 真空、ゼロと無限の存在を嫌い、物理的な世界は連続であると考えたという。西欧では アリストテレスの影響は大きく、聖書にも反映し、ゼロ除算ばかりではなく、ゼロ自身も受け入れるのに1000年以上もかかったという、歴史解説書がある。ゼロ除算について、始めから国際的に議論しているが、ゼロ除算について異様な様子の背景にはこのようなところにあると考えられる。関数y=1/xの原点における値が無限に行くと考えるのは自然であるが、それがx=0で突然ゼロであるという、強力な不連続性が、感覚的に受け入れられない状況である。解析学における基本概念は 極限の概念であり、連続性の概念である。ゼロ除算は新規な現象であり、なかなか受け入れられない。
ゼロ除算について初期から交流、意見を交わしてきた20年来の友人との交流から、極めて基本的な誤解がある事が、2年半を越えて判明した。勿論、繰り返して述べてきたことである。ゼロ除算の運用、応用についての注意である。
具体例で注意したい。例えば簡単な関数 y=x/(x -1) において x=1 の値は 形式的にそれを代入して 1/0=0 と考えがちであるが、そのような考えは良くなく、y = 1 + 1/(x -1) からx=1 の値は1であると考える。関数にゼロ除算を適用するときは注意が必要で、ゼロ除算算法に従う必要があるということである。分子がゼロでなくて、分母がゼロである場合でも意味のある広い世界が現れてきた。現在、ゼロ除算算法は広い分野で意味のある算法を提起しているが、詳しい解説はここでは述べないことにしたい。注意だけを指摘して置きたい。
ゼロ除算は アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。と述べ、大きな数学の改革を提案している:
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
以 上
再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更は かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、ゼロ除算の教育、研究は日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の協力、参加をお願いしたい。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。数学はより美しく、完全であった。さらに、数学の奥深い世界を示している。ゼロ除算を含む体の構造、山田体が確立している。その考えは、殆ど当たり前の従来の演算の修正であるが、分数における考え方に新規で重要、面白い、概念がある。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童・生徒たちにも歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。応用する。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直交座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。三角関数や初等関数でも考え方を修正、補充する。直線とは、そもそも、従来の直線に原点を加えたもので、平行線の公理は実は成り立たず、我々の世界は、ユークリッド空間でも、いわゆる非ユークリッド幾何学でもない、新しい空間である。原点は、あらゆる直線の中心になっている。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の発展の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し ― ゼロ除算算法、広範な応用を展開する。最も顕著な例は、tan 90度 の値がゼロであることで、いろいろ幾何学的な説明は、我々の空間の認識を変えるのに教育的で楽しい題材である。特に微分係数が正や負の無限大に収束(発散)する時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。新しい、関数の素性が見えてくる。
複素解析学において 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点自身では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学的な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円に関する鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考え方の修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上における大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。これはアリストテレスの世界の連続性の概念を変えるもので強力な不連続性を示している。 ― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える。
以 上
追記:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf DOI:10.12732/ijam.v27i2.9.
*156 Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and
Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.
(Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016 305 pp. (Springer)
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue 1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
0 件のコメント:
コメントを投稿