2016年12月24日土曜日

幸村、薩摩に落ち延びた? 山中に墓、南九州市に伝説 堺雅人さん夫妻も訪れる

幸村、薩摩に落ち延びた? 山中に墓、南九州市に伝説 堺雅人さん夫妻も訪れる

幸村は生き延びて薩摩に逃げていた? 大坂夏の陣で死んだとされる真田幸村(信繁)が実は、豊臣秀頼を守って、鹿児島県南九州市に移り住んだという伝説が地元で言い伝えられている。18日に最終回を迎えた幸村が主人公のNHK大河ドラマ「真田丸」により、幸村の墓とされる同市の石塔を訪れる人は増えており、地元は伝説にあやかった地域おこしに取り組んでいる。

【画像】真田幸村の墓と伝わる石塔。丸い小石がたくさん供えられている

 幸村の薩摩落ち伝説は京童たちが歌った「花の様(やう)なる秀頼様を、鬼のやうなる真田がつれて、退(の)きものいたよ加護島(かごしま)へ」との歌で有名になったといわれる。伝説の地は、同市頴娃(えい)町の雪丸集落。南国鹿児島で雪がつく地名は珍しく、幸村がなまったと伝わる。

 墓とされる石塔は、山中にあり、墓石は島津家が「特別な石材」とした山川石製。文字や模様は刻まれていない。墓に通じる坂道は地元で「とんどん坂(殿どの坂)」と言われ、雪丸自治会の雪丸重光会長(68)は「親から近づかないように言いつけられていた」と話す。

 墓には丸い小石がたくさん供えられている。これは幸村の子を身ごもった女性を徳川の追っ手から守るため同町の大川地区に嫁がせ、その子孫が墓参りの際に小石をさい銭代わりに置いたとされる。その女性が産んだ男の子は、真田の2文字の間に江という字を挟んだ「真江田(まえだ)」の姓を名乗った。真江田家の墓には真田の家紋「六文銭」が刻まれている。

「泣きました。丸ロス、1年間楽しかった」
 集落の有志は昨年11月、ドラマ放送の開始(今年1月)を控え、墓の見学者をもてなそうと「雪丸幸せ村プロジェクト」と銘打った地域おこしを開始。駐車場を整備し、参道入り口につえを収める小屋を建設、山道にいすや手すりを設置した。

 今年に入ってからは「ゆきまるくん」と名付けた武将キャラクターを制作。道案内の看板を作ったり、地元特産の茶を使った焼き菓子や六文銭クッキーを開発したりした。5月には大河ドラマで主役を演じた堺雅人さん夫妻が訪れ、集落の商店でクッキーなどを購入したという。プロジェクトリーダーの田原三知恵さん(48)は「世代を超えた関係が築け、集落が元気になった」と語る。

 参道の入り口に4月から置いているサイン帳には今月20日現在、国内外から1466人の書き込みがある。最終回翌日の19日に訪れた女性は「泣きました。丸ロス、1年間楽しかった」と記した。20日に東京から訪れた加藤孝伸さん(51)、繭美さん(46)夫妻は「ここが幸村の最期の地であってほしい」と話した。

 幸村の薩摩落ち伝説。多くの幸村ファンの歴史ロマンを駆り立てそうだ。

=2016/12/22付 西日本新聞夕刊=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161224-00010000-nishinp-soci

再放送も見ました:

再生核研究所声明328(2016.10.24) NHK大河ドラマ、真田幸村の大阪城入場から考える人間 ― 自由について


ドラマが虚像に満ちているとしても、ドラマ制作力の進化には驚かされる。ここでは、真田幸村の大阪城入場の背景を考えなから、人間、人生について感じたことを纏めてみたい。
まず、直感として、あのような経歴、状況では幸村及び周辺の人は、きりさんの勧めのように、大阪方につかざるを得なかったのではないだろうか。幸村にとって、父の影響、そして秀吉の寵愛と信頼、石田三成など仲間たちと輝いた時代、さらに淀君の想い、それらは人生そのものであり、それらに帰することは共生感に基づく喜びの感情、愛の本質から言っても必然的であると言える。― ついでであるか、きりさんの魅力には大いに感銘させられる。
そこで、赤穂浪士や、大奥の人たち、本能寺の変に加わった兵士たち、多くの人間の行為はそうは自由でなくて、時代背景や置かれた立場で相当に必然性が有って、人間とは、人生とはそんなに自由な存在ではないのではないだろうか。
例えば 進学、就職、結婚など大事な志、決断と選択は確かに存在するが、それらに対しても相当に環境の影響と背景で実は制限されている現実がある。特に、志、好み、関心は生い立ちや環境によって大きく影響され、人間が環境にどのように影響されるかは興味ある課題である。人間の心さえ、環境の影響で相当に定まっている面を強く感じる。そう、ここで言いたかったことは、人間とは相当に環境、生い立ちで形作られるものであるということである。相当に人間は同じように作られているということである。人々が円熟期に至って、結局みんな同じような存在で、人間そのものが草木や動物たちと本質的に同じような存在であるという、認識を深めるだろう。
人間は、何者かによって作られた存在で、その枠内で存在しているものだと述べた。生れる前も、生きている間も、先も分からず、大きな流れに流されているような存在である。
その意味で、人生とは簡単であった、自分の心と環境に調和して 心がはずむように生きれば良いということになる。このように思えるようになれば、幸せな人生と言えるが、環境が厳しく、中々調和したような存在にはなれず、不満や苦痛、厳しさに苛まれることが多いのが人生と言えるのではないだろうか。生活を社会的に整えるのが基本であるが、そのために汲々としてしまいがちであるが、良き政治が行われ、共生、共感、共鳴できるような美しい社会を築きたいものである。
上記で、そのような時代に、そのような環境にあれば、そうせざるを得なかったということに対しては、社会の進化を志向し、人間の心が、生命が活かせる、輝かせるような社会の建設を目指したい。
人間が環境の影響を受けて形づけられる以上、時代の影響を越えた存在は難しく、芸術でも学問、研究でさえ、時代の流れ、世相を反映させていると言える。
そこで、環境を整えるとなれば、政治、マスコミ、教育の影響は大きいので、関係者の精進・努力をお願いしたい。基本精神は賢明になり、公正の原則を尊重、社会正義の追求ではないだろうか。
人間については、下記のように触れてきた:

再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 69: 単細胞人間 ― 単細胞的思考
再生核研究所声明 70: 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず
再生核研究所声明76(2012.2.16): 教育における心得 ― 教育原理
再生核研究所声明77(2012.2.18): 人生における心得
再生核研究所声明 141(2013.11.14): 結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明145(2013.12.14) 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明149(2014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明155 生きる意味は 文学者にも分からない??
再生核研究所声明 180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
再生核研究所声明 181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙
再生核研究所声明183(2014.11.27) 野生動物と人間
再生核研究所声明197(2015.1.5)真智への愛とは何か
再生核研究所声明198(2015.1.14)計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて
再生核研究所声明218(2015.3.19) 興味、関心、感動;人間とは
再生核研究所声明223(2015.4.14) 人生の目的は、自然を愛でて楽しみ、ともに喜び合うこと ― 二十一世紀の壮大なロマン 真実(播磨屋助次郎著)を読んで
再生核研究所声明229(2015.5.12)吉田松陰から学ぶ ― 志の重要性と松陰の最期、モミの実の喩え
再生核研究所声明 265(2015.12.24): 全ての願いが叶えられたとき ー 自由な境地 ― その時人間は
再生核研究所声明 266(2015.12.25): 地球上に繁茂する 愚かな人類
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
再生核研究所声明289(2016.02.26) 終末の心得
再生核研究所声明291(2016.03.07) 心の微妙さ
再生核研究所声明301(2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ
再生核研究所声明304(2016.06.16) いじらしい人間

以 上

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