再生核研究所声明183(2014.11.27) 野生動物と人間
まず、野生の動物、 生物の素晴らしさ をきちんと捉えたい。どのような生物でも この厳しい自然環境の中で、何億年に亘って生きてきた事実を重く受け止め、その意味で畏敬の念を以て、生物を捉えたい。このことは、生物の生存が安定していて、神域に属するほどの素晴らしさと捉えたい。自然とともにある 高度に調和した世界である。
我が家でも、 燕は毎年訪れ、猿の集団も時々出没する。しかし、それらの生態は逞しく続いている。 蛇が燕の巣を襲い、全滅させられる場合もしばしばであるが、襲う蛇も賢明で驚嘆すべき本能を持っているが、襲われる燕もある種の余裕を以て、棲息を続けている 誠に切なくも逞しさを感じる。忍耐強い蛇にもある種のいとおしさと、愛着の念を感じさせられる。猿の家族も逞しく、器用に柿や栗の実を採って元気よく山に姿を消していく。誠に愛すべき家族たちである。 冬など沢の奥などに潜んで、寒さと飢えを忍んで居るのではないだろうか? 雪の日などどうして居るだろうか。逞しさゆえに 意外に幸せな時かも知れない。
そこで、人間に近い猿の生態を参考にして、人間の生態を考えてみよう。 結論は、人間の生態の本質は、猿とほとんど変わらないという視点である。
考えてみよう。 人間は何をやっているのか。多くの人は社会の一員として働き、収入を得て暮らしを立てる ― 猿は食料を自然の中から,採る。 そして、家庭を以て、家庭生活を楽しむ。 猿も全く同様、家族が十分食料を採れれば相当に満足では。 人間も衣、食、住、が整い、生活の基盤が整えば、相当に満足では。 現在では 猿ができていること、家庭を持ち、衣、食、住が整い、健全に生きられる子供たちに囲まれていれば、既に相当に良い生活のレベルと言えるのではないだろうか。 余裕ができれば、果たして、人間は何をやっているのか? テレビを見、映画、音楽など楽しいことをしているが、果たして、それらが、どのような意味があり、猿よりどれほど優れているのかと自問したい。
美味しいものを頂き、楽しんで、良い家庭を営めば 人生はそれで良いように見える。
多くの人の人生は、猿の生態とほとんど本質は変わらず、往々にして、猿の生態より劣っているようにさえ見える。人間が猿よりどのようなところで優れ(再生核研究所声明181: 人類の素晴らしさ ― 7つの視点)、どのようなところで、猿より劣っているのかと自問したい。
動物である人間が 動物的な本能を満たしたいのは分かる。それでは、その先、人間として生きるということはどのようなことかと 自問したい。 そして、それらは、如何にして、どのような価値があるのかと問いたい。
以 上
0 件のコメント:
コメントを投稿