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弁護士ドットコム2014年11月22日 10:27パチンコ景品を「現金化」する仕組み「三店方式」にはどのような問題があるか?
パチンコ店の客から景品を買い取ったとして、パチンコ店運営会社の社長ら3人が11月中旬、風営法違反(賞品買い取り)の疑いで北海道警に逮捕された。
産経新聞によると、社長らは今年9月と10月、札幌市内にあるパチンコ店の客2人からそれぞれ、3200円と5400円で景品を買い取った疑いが持たれている。道警は、店外の景品交換所が実質的にパチンコ店運営会社と一体だったとみているという。
一般的に、パチンコ店では出玉に応じて、タバコや食品など景品がもらえる仕組みだ。だが、店外の景品交換所で現金と交換する人も多いだろう。今回のケースは、なぜ摘発されたのだろうか。どのような仕組みが求められているのか。風営法にくわしい津田岳宏弁護士に聞いた。
●現金との交換を可能にする「三店方式」
「法律上、パチンコ店は、現金を賞品として提供することが禁じられています(風営法23条1号)。現金の提供を認めると、パチンコが刑法で禁止されている『賭博』に該当してしまうからです。
またパチンコ店が、客に提供した賞品(景品)を買い取ることも禁じられています(同法23条1項2号)。買い取り行為は、実質的に現金を提供しているのと同じだからです」
しかし、実際には、客が現金を手に入れているのではないだろうか。
「そうですね。パチンコをする人のほとんどは、出玉を『特殊景品』と呼ばれる景品に交換します。そして、その特殊景品を店のすぐそばにある交換所で現金に交換、つまり買い取ってもらっています。
交換所は、買い取った特殊景品を景品問屋に売り、景品問屋は、その特殊景品をパチンコ店に売ります。このように特殊景品がグルグル回って客に現金を提供するシステムは、俗に『三店方式』と呼ばれています」
この「三店方式」は法律に違反しないのか。
「今のところ、三店方式を違法だとする判例はありません。
しかし、風営法の趣旨からすれば、直接買い取ろうが、三店方式にしようが、実質的に客に現金を提供することは変わりないので、『三店方式は違法ではないか』という問題が生じます。実際、『三店方式は風営法に違反する』という見解を示す刑法学者もいます」
●換金を合法化し、別のかたちの規制を導入すべき
三店方式には、法的にグレーな側面もあるようだ。どうして「暗黙のルール」のようになってしまっているのだろうか。
「今さら違法にすると、混乱が生じるおそれがあります。パチンコ店の従業員だけで全国で数十万人に達するとされており、周辺企業も含めれば影響を受ける労働者はもっと多いでしょう。多数の失業者が出るおそれがあります。
だからといって、グレーなままで存在するのはよくありません。東京オリンピックで多数の外国人が訪れ、もしパチンコ店について聞かれたとき、胸を張って説明することはできません」
グレーな部分を解消する方法はないのだろうか。
「個人的には、パチンコ換金そのものを合法化し、そのかわりに厳格な法規制を導入するのが良いと思います。たとえば、徹底した依存症対策の義務付けや、未成年入場への厳罰化、会計透明化および外部監査の義務付け、脱税行為の厳罰化などです。
また、あまり知られていない話ですが、三店方式は、身障者や未亡人の福祉事業協会が交換業務をおこなって、社会的弱者の雇用促進に貢献したシステムがもとになっています。社会福祉活動の義務付けも良いかもしれません」
津田弁護士はこのように提案していた。
津田 岳宏(つだ・たかひろ)弁護士
京都弁護士会。京都大学経済学部卒業。著書に「カラマーゾフを殺したのは誰か?世界の名作でリーガルマインドを学ぶ」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)「弁護士には聞きにくいー知って助かる!法律相談」(青春出版社)、「賭けマージャンはいくらから捕まるのか」(遊タイム出版)など
賭博法改正を願う弁護士津田岳宏のブログ http://tsuda-moni.cocolog-nifty.com/
事務所名:京都グリーン法律事務所
法は約束事ですから、守るのは当然ですが、原理的におかしなものは多いのでは。
そこで、改善していくのが立法関係者の 義務では?
経過的な配慮、国際的な配慮も大事では?
再生核研究所声明 129 (2013.8.28):
美しい社会はどうしたら出来るか ― 世の中なぜ上手く行かないか
(2013.8.22 零時頃 新しい声明案が湧き、大いに気に成る。良い社会を築く問題点である。)
再生核研究所は 今の世の中 おかしいのではないか として、美しい社会を築くにはどうしたら良いかと考察し、始めに再生核研究所声明1で 次のように述べている:
(最近の世相として、不景気・政界・財界・官界・大学の不振、教育の混迷、さらにニューヨークのテロ事件、アフガン紛争、パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。
一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。
平成12年9月21日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。
1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。
3) それはみんなに受け入れられるか。
4) それは安定的に実現可能か。
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。
現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。)
そこで、上記 閃きにしたがって逆の立場から、考察、補充して置きたい。
まず、大きな権力と影響を与える政治家の立場から、考察しよう。
政治家は地位を得るのに汲々として、公正な行為がとれない本質的な問題を抱えているのが、民主主義の制度ではないだろうか。絶えず、地位が侵される立場であるから、まずは、自己の立場、権力の維持、したがって自分と仲間の視点を重視せざるを得ないのは、深刻な 当然の、本質的な問題である。古くは論功賞、ご恩と奉公はそれらの基礎である。民主主義には選挙過程と政治家の地位保存で膨大な労力を費やし、公正の原則や在るべき政策以前で終わってしまうような状況が有るのではないだろうか。安定した王政や貴族政、世襲制の方が良いという面が多いのではないだろうか。将来の大きな問題として提起しておきたい。次も参照: 再生核研究所声明 33:民主主義と衆愚政治
権力者が、在るべき社会の在りようを無視して、狭い意味での自己の利益を優先させる事である。明治初期には 国家の指導者たちが、相当に公や国家を論じて、義を重んじ 常に公を心にした高い志が 日本国の輝かしい時代を築いた原動力ではなかったかと評価、追想される。
それは政治家ばかりではなく、大学や学会などその他至る所でも 公の地位を利用して、自己の都合の良いように行うのは 世界的に見られる恥ずべき現象である。公の立場と個人的な利益の混同は 常に批判して、何時も人格の高潔さに思いを致すべきである。
政治的な面は、お金と権力に結び付き易いから、政治性に興味を抱く者、政治家などでは、始めから いわゆる野心家がいて、自己の利益追求を考えている者が多い現実に注目して 新しい制度の在りようの検討とともに大いに警戒すべきである(再生核研究所声明 52: 政治家や組織の代表者の選出における留意事項)参照。
公正と正義となれば、それらを守らせるのが、裁判官、検事などの役割で 国家の基本であるから、それらに圧力を掛けたり、また圧力に屈していると見られるようでは 共に卑劣、言語同断 それこそ、昔の武士道では切腹者である。公正な真実の報道を魂とし、社会正義を志すマスコミ関係者も同じように聖職者であり、同じような厳しさが求められるのは 当然である。
日本では、大事な、政治家、司法関係者、マスコミ関係者、多くの権力者たちが上記、公の立場をないがしろにして、自己の利益を図ったり、あるいは圧力に屈しているように見えるのが、当初に述べているおかしな社会にならしめている 元凶ではないだろうか。そこで、再び公正の原則を確認して、公の立場に従って行動できるように、行動させるようにお互いに自戒して行くように心掛けたい。それが帰するところ、美しい社会の実現の第1歩、基礎であると考える。
そこで、モラルの面で、いわゆる社会の上層部、指導者たちが高い学歴を有しているのは 普通であるが、いわゆる中国の科挙制度が おかしな、厳しい試験制度を永く続けたため、その制度の弊害で良き人材が現れず、中国が衰退の道を歩んだとの説もあるが、日本でも知識偏重で 人物たる教育の面が疎かになっているようなことはないか と大いに気に成る。それは 頭ばかりが大きくて 心が貧しいと表現されるだろう。
以 上
追記: 稲村和夫氏 などを 全国紙の論説主幹などに登用できる文化力が日本に有れば、日本は どんなに素晴らしい国になるだろう。人材の登用がおかしいのでは? 2013.8.24.10:45
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