2014年11月20日木曜日

“卑弥呼の墓”と類似、古代史解明の鍵に 京都・五塚原古墳印刷用画面を開く

“卑弥呼の墓”と類似、古代史解明の鍵に 京都・五塚原古墳印刷用画面を開く
箸墓古墳と構造が一致した「斜路状平坦面」。平坦面が前方部の端に向けてせり上がっている(向日市寺戸町・五塚原古墳)
 京都府向日市埋蔵文化財センターと立命館大が、同市寺戸町にある3世紀半ば~後半の大型前方後円墳「五塚原(いつかはら)古墳」で進める発掘調査で、次々と重要な成果が出ている。卑弥呼の墓といわれる「箸墓(はしはか)古墳」(奈良県桜井市)との類似点が発見され、近くにある日本最古の祭殿施設があった「中海道遺跡」との関連も指摘される。古代史を解明する上で鍵となる可能性が高まり、研究者から注目を集めている。
「今回の調査で、五塚原が箸墓をモデルに造られた最古段階の古墳だったことが裏付けられた」と市埋蔵文化財センターの梅本康広調査係長は話す。8月上旬から10月末まで実施した調査で、この2古墳にしかない2点の特徴が確認された。
一つは「斜路状平坦面(しゃろじょうへいたんめん)」といわれる構造。側面にある段の平坦面は、後円部とのくびれ部から前方部の端に向けて勾配があり、先端は大きくせり上がっている。もう一つは、平坦面が前方部と後方部のくびれ部で途切れている点だ。
箸墓では、2012年に実施されたレーザー照射による3次元(3D)測量で構造が確認されている。五塚原の大きさは箸墓の3分の1だが、側面の構造を比べると一致する。
同時期の古墳は丘陵地の斜面などの地形を利用していることに対し、墳丘をほぼ盛り土で築いている点も共通している。3世紀半ば~4世紀半ばの古墳時代前期の古墳では五塚原と箸墓だけという。全体は葺(ふ)き石などが施され、外見はピラミッドのような石の建造物に見えたようだ。
ただ、遺物の有無は異なる。現段階では、箸墓にあった埋葬時の祭祀に使用した土器や埴輪(はにわ)は五塚原からは出ていない。可能性としては祭りの形式が確立する前の古墳だったことなどが挙げられ、祭りの変遷や前方後円墳について考える上で貴重な資料となり得る。
箸墓は宮内庁が立ち入りを禁じているため、ほぼ当時の姿をとどめている五塚原の来年度以降の調査がこれまで以上に期待されることになりそうだ。箸墓をはじめとした出現期の古墳の姿が明らかになり、王権の確立や構造を解く上で、基礎資料となる重要な役割を担う古墳になるかもしれない。http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20141110000032
再生核研究所声明152(2014.3.21) 研究活動に現れた注目すべき現象、研究の現場
今回、100/0=0,0/0=0の発見と研究活動で いわば、研究のライブの状況が明瞭に現われたので、研究の現場の状況として纏めてみたい。多くはメールや文書で 時刻入れで 文書が保管されている。一般的に注目すべきことはゴシック体で記そう。
まず、発見現場であるが、偶然に 印刷された原稿を見て発見したと言うことである。思いがけないことに、気づいたということである。言われてみれば、当たり前のことで、気付かない方がおかしく、馬鹿みたいなことになるだろう。たわいもないものの類である。しかし、結果が尋常ではないので、大事だと 説明されても、原稿を見せても そんなものは駄目、全然価値が無いと結構多くの人が大きな批判を寄せてきたのは 大いに注目に値する。わざわざ複数の外国からメールがいわば上司にきて、批判して、研究内容について意見を求めるメールさえ するのを禁じられた程である。予断と偏見によるもの、が大部分であると判断できる。それから 価値観に本質的な違いがあること を露わに実感した。原稿を見て、これは 面白いと捉えて 研究を発展させて素晴しい論文を書かれた者がいる一方 そんなの 駄目だ で、ただ批判して傍観している者。これは 研究者の素養として、能力として極めて大きな問題ではないだろうか。研究内容の、良い、悪いが判断できない、興味、関心が無い。愛が無ければ見えない、進まないは 基本では? 研究において、最も大事なのは、愛が有るか、関心が有るか、価値を認められるか、好奇心が有るかではないだろうか。 これらが無ければ、幾ら宝のようなものに出会っても、探し出せないのではないだろうか。あることに 高い価値を見出し、情熱的に追及して行く精神は、研究者としての素養として大事ではないだろうか。良いか、悪いか評価できなければ、判断出来なければ、唯 夢中で何かの延長を 他を意識して進めるだけになってしまう。良いものを 良いと評価できる能力は、理解力、解決力、創造力などと共に大事な能力ではないだろうか。場合によっては、人格の高潔さにも依存する要素も多い。意図的に無視するは 世に多いからである。
それから、新しい考え、発想が無意識の内に湧いてくる ものであるという、事実である。目を覚ましたら解けていた、新しい考えで 突然目を覚ましたと繰り返して書いてきた。それから、それらは精神状態によるのであるが、コーヒー、茶、特にジャスミン茶で 大いに興奮して、どんどん考えが湧いて来るのを実感した。結構、そのようなものの影響も無視できない。
それから研究活動で大事な要素は 積極性である。今回、多くの人が 研究に参加されたが、意外な人が 意外な才能を発揮して、意外な視点を 指摘され、発展させてくれたという顕著な事実である。全然興味を懐かないような人でも 話すと興味を示し、大きな貢献をしてくれた。現在のように忙しく、論文を送られてきても読む暇も、関わる余裕も無いは 世に多い現象であるが、直接話すと 本質を理解されて、興味を懐くは 世に多い。直接交流の重要性を指摘しておきたい。メールなどでも、交信からいろいろな刺激を受け、考えが湧く素に成るのは多い、精神が鼓舞される場面も多い。それから、凄い発見を事実上していても、理解が難しい、あるいは批判を恐れて 追求を諦めてしまう、主張を避けて諦めてしまうのは 世に多いのではないかとも感じられる。良いものを発見しても、認められるまで、努力するのは そう簡単なことではないように感じられる。
最後に 研究の最も大事な心を 2014.3.11ブログに書いた記事を編集して記して置こう:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0:関係者: 独断と偏見、人類の知能
ふと思い浮かんだ: 天才少年の質問(再生核研究所声明 9: 天才教育の必要性を訴える ):
0.999…. = 1 の意味は、何か
当時8歳の少年でした。私は だれをも納得させる明快な解答を与えたが、相当な、国内外の相当な数学者に尋ねたが これまで誰からも満足する解答を得なかった。これは 知識で、学んでいて 理解が薄っぺらなことを言っているのではないだろうか。少しも、真智を求めては来なかった:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.(もっとも何でも は 究められない)
それ故に、ゼロで割る考えが 思い浮かばなかったのでは。人類の知能は その程度である。真智を求めている者は 世に稀であり、多くは断片的な世界に閉じこもり、埋没し、自己さえ見失っている。また、日常生活に埋没していると言える。
以 上

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