2014年11月23日日曜日

すばる望遠鏡の限界に挑んだ最遠方銀河探査 ~ 宇宙初期に突然現れた銀河を発見 ~

すばる望遠鏡の限界に挑んだ最遠方銀河探査 ~ 宇宙初期に突然現れた銀河を発見 ~
東京大学宇宙線研究所の研究者をはじめとする研究チームは、すばる望遠鏡の広視野カメラSuprime-Camを用いて、すばる望遠鏡にとって最も遠い宇宙をこれまでにない感度で探査し、ビッグバンからわずか7億年後の宇宙にある銀河を7個見つけました。これまでの研究結果から推定して、その頃の宇宙にある銀河は数十個見つかるだろうと予想されていました。しかし実際に見つかった数は予想よりもとても少なく、これは銀河の数が急に増えたことを表しています。今回の観測で、ビッグバン間もない頃の宇宙でライマンα輝線を出す銀河が突然姿を現した様子が、初めて描き出されました。

今回の観測で見つかった131億光年先のライマンα輝線銀河(LAE銀河)のカラー画像。すばる望遠鏡による3色の観測データを合成することで、画像に色をつけています。2本の白い線の間にある赤い天体がLAE銀河です。宇宙膨張の影響を受けているため、131億光年先のLAE銀河はとても赤い色をしています。(オリジナルサイズ(1.9MB))
再生核研究所声明149(2014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
(この声明は、最近の研究の進展についての、M.T.様のメール: メールありがとうございました。研究の進化がライブで体験できて、素晴らしかったです。ありがとうございました。― から 大事な考えが湧いたものである。)
再生核研究所声明 145 (2013.12.14)生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察 ― ここでは 人間として生きることの 究極の意義 を考察したい。本質を観るには 余分な非本質的なことを排除するのが 良い。
として、始めに、基礎論を展開し、人生の一つの原理は、ゲーテの 絶えず活動して止まないもの、 アインシュタインの 人生は自転車に乗っているようなものである、 止まったら、倒れてしまう、 岡本太郎氏の 芸術は爆発だ、 どんどん爆発を続けて行くのが芸術だ。これらは、誠 至言である。
と言及している。さらに、
人生の基本定理 再生核研究所声明 57: 人生とは何か、人生如何に生きるべきか -
それは究極、人生の基本定理 人生の意義は 感動すること にある(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)ということになるだろう。 
なにものかによって 作られた人間 が できることとは、理想境界(ideal boundary, 想像上の境界)のように、自らの生命と感情の命ずるままに生きざるを得ない。
暇だから、巨大素数の構造を調べる遊びに熱中していた、暇だから 数学をやる他ないと言っているような者は 世に多い (再生核研究所声明36)。
真実は唯一つ、生命の基本定理; 生きて存在しなければ、始まらない、ただ生きること、これだけが真実で、確かなことのようにみえる。
しかしながら、ここで生きることとは、個として生きることに あらず、大きな生命、元祖生命体 (再生核研究所声明36) としての 大きな命の存続 を志向している のも明らかである。それ故に、人は、共感、共鳴、交流を求めている。それは、精神を引き継いで行きたいという この大きな命に帰依したいという、本能に基づいているからである。
と結んでいる。
今、日々研究が猛烈に進んでいる状況;100/0=0,0/0=0 の発見と、展開のさまに まこと、ライヴ、生、生きること、在ることの本質を実感する。次々と生命の活動のさまとして、展開している現場である。上記で、岡本氏やアインシュタインの活動のさまは、実にこの生命の展開そのものを述べているものである。
理論を完成して、論文を出版,印刷物に成れば、それだけでは停止してしまう。どんなものでもやがて色あせてしまうだろう。しかし、そこに、不備や発展の余地を見い出せば、その理論は動き出し、生きかえるだろう(再生)。再び息を吹き返し、活動し、ライブの状態に至るだろう。
何でも世の中の原理は 同様である。活動しているだけはなく、その中にも 変化と創造性を伴うもの、それが、真の感動の源泉であると言える。
感動させる原動力こそ、生命力と言える。
以 上

再生核研究所声明150(2014.3.18) 大宇宙論、宇宙など小さい、小さい、the universe について
(この声明は、最近の特異点解明: 100/0=0, 0/0=0 の研究の進展に伴って 自然に湧いた構想である)
この声明の趣旨は、いわゆる物理学者が考えている宇宙、― 宇宙はビッグバンによって、誕生したという宇宙論を ニュートン力学と同様、幼き断片論と位置づけ、はるかに大きな the universe を志向し、アインシュタインを越えた世界、さらに 古代から続いてきた暗い人類の歴史に 明るい光を灯し、夜明けを迎える時代を切り拓きたいということである。 既に裏付ける思想は 一連の再生核研究所声明で確立していると考える。 ニュ-トン、アインシュタイン、数学の天才たちも、特異点の基本的な性質さえ捉えていなかったことは、明らかである。
簡単な基本、100/0=0,0/0=0 を発見した、精神、魂からすれば、新しい世界史を開拓する思想を語る資格があることの、十分な証拠になると考える。 実際、 - 古来から 続いてきた、人生、世界の難問、人生の意義、生と死の問題、人間社会の在り様の根本問題、基本概念 愛の定義、また、世界の宗教を統一すべく 神の定義さえ きちんと与えている。
The universe について語るとき、最も大事な精神は、神の概念を きちんと理解することである:
そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。
人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 122: 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い; 再生核研究所声明 132 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
すなわち、人間よ おごるなかれ、人類の知能など 大したことはなく、内乱や環境汚染で自滅するだろう、と危惧される。
昨年は 数学の存在と物理学が矛盾し、数学とは何かと問うてきた。
数学とは何か ― 数学と人間について
国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 
No.81, May 2012(pdf 432kb)
に公刊したが、そこで触れた、数学の神秘性については さらにその存念を深め、次のように問うている:
誰が数学を作ったのか? (再生核研究所声明 128: 数学の危機、末期数学について)
時間にもよらず、エネルギーにもよらない世界、それは、宇宙があるとき始まったという考えに 矛盾するものである。 無から世界が創造されたということも 受け入れがたい言明であろう。さらに、the universe には、物理学が未だに近づけない、生命や生命活動、人間の精神活動も歴然として有ることは 否定できない。音楽、芸術に感動している人間の精神は the universe の中に歴然と有るではないか。
ビッグバンで ゼロから、正の量と負の量が生じたとしても、どうしてビッグバンが生じたのか、何が生じせしめたかは 大きな課題として残っている。 数学の多くの等式は 数学を越えて、the universe で論じる場合には、その意味を,解釈をきちんとする必要がある。 The universe には 情報や精神など、まだまだ未知のものが多く存在しているのは当然で、それらが、我々の知らない法則で ものや、エネルギーを動かしているのは 当然である。
そこで、100/0=0,0/0=0 の発見を期に、今やガリレオ・ガリレイの時代、天動説が 地動説に代わる新しい時代に入ったと宣言している。The universe は 知らないことばかりで、満ちている。
以 上

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