2017年5月7日日曜日

萩本欽一インタビュー「ボクは30代は『頭』、40代は『目』で頑張った」

萩本欽一インタビュー「ボクは30代は『頭』、40代は『目』で頑張った」

73歳で駒澤大学に通い始めて、もう1年余りが過ぎました(2016年)。ボクは「社会人入学」しているんだから特別扱いしてくれると思っていたんだけれども、そうじゃないんだね。毎回出席取られるし、試験もある。
ボクの大学入学は亡くなった母親の夢でもあったのです。父親の事業が傾いて、ウチはとても貧乏でした。中学生の頃に、母親が借金取りに頭を下げているところも目撃しちゃった。だから、大学進学を諦めたんだけど、母親はそれをずっと気にしていたらしいの。
ボクは、そんな母親を大きな家に住ませてあげたいと思い、有名になってお金を稼ごうと決めたんだ。それにはプロ野球選手か映画スターしかない。でも、野球は打撃センスがなくて、いち早く断念。役者も、自分の顔を鏡で見て無理だとわかりました。タレ目の俳優なんて一人もいないですからね。そして、高校を卒業して飛び込んだのが、「コメディアン」の世界でした。
職業柄、ボクは番組のロケなどで「名人」とか「名工」と呼ばれる人に会います。包丁を作る職人さんに聞いてみると、「小さい頃から好きで仕事に就いた」という人はいなくて、仕方なく家業を継いだという。だけど、努力して超一流になり「うん、やって良かったよ」と笑いながら話してくれます。

■我慢こそが運を呼び込む

ボクだって、最初からお笑いが好きだったわけじゃないし、まして才能に恵まれていたわけでもありません。自分はダメだと自覚したから、努力もしました。具体的にいうと、普通の人より「一歩」、いや「二歩下がったところから頑張ろう」と決めたんですよ。
ミュージックホールではフィナーレで、ボクらも踊り子さんと一緒にダンスを踊るんだけど、ボクだけが流れに乗れないの。客席からは失笑を買うし、演出の先生からは「欽坊、おまえはリズム感なさすぎ」とダメ出しをされて、とうとう舞台からはずされました。
そこで独習しかないと、ボクはまず一歩下がりました。さらにダンスではなく、まずリズムを身体に覚え込ませようと、ジャズドラムの教本とスティックを買ってきて練習したの。これで二歩下がったことになるでしょう。
もちろん辛いですよ。だけど、修業時代なんだから、じっと我慢するしかない。そんなとき、ボクは「石の上にも5年」と考えて耐えました。なぜって、我慢こそが「運」を呼び込むからです。
そうした失敗や辛い修業のなかで「人生の方程式」をいくつ作れるか。それが後々生きてきます。1966年に結成したコント55号でブレークしたときも天狗にはなりませんでした。チャップリンやエノケンになりたいと思っていたからです。2人と比べたら、やっと“足元”じゃないですか。
実はチャップリンが映画を作ったように、自分で自分の番組を制作するのがボクの夢でした。だけど、当時は超多忙ですぐには動けません。それなら、じっくり取り組もうと考えて、67年に立ち上げたのが「パジャマ党」です。世田谷の自宅に放送作家志望の若者4人を集めました。彼らにはコントの作り方も台本の書き方も教えていません。まったく新しいギャグを作ってほしかったからです。
大変だったと思いますよ。保証されているのは「三度の飯」と「寝る場所」だけ。それなのに、早い子で半年、遅くても4年で彼らのなかにある個性が“発酵”し始めたの。ラジオ番組で人気が出るようになり、テレビに進出し、レギュラー番組が持てました。やはり「石の上にも5年」は正しいでしょう。

■挑戦し続ける年寄りでいたい

コント55号が売れて、5年ほどたち、30歳になったのをきっかけに、ボクは1年間、これまでの活動を反省することにしました。有名になりたいっていう夢は実現したけれども、期待していたほど面白くはなく、ここで修正しないとまずいと思い、コント55号の活動も休止しました。
そして、テレビで誰もやっていないことにも挑戦したいと思っていたら、ボクが何よりやりたくないと思っていた番組の司会を頼まれた。その一つが、71年から放映された『スター誕生!』です。ここでは、男女2人組の司会というスタイルを持ち込み、以後、これが主流になっていったんだから、これも一つの運なのでしょうね。
振り返ってみると、20代はとにかく舞台で飛んだり跳ねたり、「身体」を使ってコントをしていました。それで観客に受けたんですけどね。なぜ、身体を動かすのがいいかというと、脳も活性化して、何かいいことに気づくからです。
そして、感性が備わってきた30代からは、徐々に「頭」を使い始めました。ボクは、この時代にテレビに関われたことはラッキーだったと思っています。だから、この年代は考えながら走ればいいんじゃないかな……。
また、40代からは「目」を使いました。考えること、舞台やテレビを数多くこなしてくることで、「観察力」が身に付いてきます。40代で、ボクが軒並み視聴率30%を超える番組を残せたのも、この時期に見つけたタレントさんたちが活躍してくれたおかげでした。40代が目なら次の50代は「耳」でしょう。それで「野球が存続の危機にある」と聞きつけて、社会人野球の新球団も作りました。

 
そして、いま70代になってわかったのは、行く手が2つに分かれていることです。一方の道は人生でそれなりに成功し、そのご褒美に別荘を建てて、のんびりと余生を過ごす「老人」。片方は、自分がじいさんだとは思わない「年寄り」なんです。
ボクは老人にはなりません。やっぱり年寄りです。だって、こっちは「年が寄って」きたら、身をかわせばいいから。それでボクはいま大学に通っているわけです。80代になっても、90代になっても、生きている限り挑戦は続けますよ。チャレンジのない人生なんて、全然面白くないからね。
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萩本欽一(はぎもと・きんいち)
1941年、東京都生まれ。60年代からコメディアンとしての活動を始める。坂上二郎とコンビを組んだ「コント55号」でブレイク。『欽ドン!良い子悪い子普通の子』『欽ちゃんのどこまでやるの!』など多数のテレビ番組で高視聴率を獲得し、「視聴率100%男」との異名を取る。2015年、駒澤大学の社会人特別入試枠で合格し、仏教学部に在籍。
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(萩本欽一 構成=岡村繁雄 撮影=高橋健太郎)

興味深く読みました:

再生核研究所声明80(2012.03.20)  挑戦 とは 何か

(この声明は 朝日新聞 『天声新語』 募集の課題 「挑戦」から ヒントを得て、考えられたものである)
およそ、人生も世界も慣性の法則で動いているものと言える。これは 世の中は物理学の慣性の法則に従っているように、大きな流れの上にあるということである。実際、人は気づいてみたらこの世に生を享け、ある流れの上で生かされていると言える。今日在るは昨日の延長上にあり、昨日はその前の延長上にあると遡って行ける。明日の多くは連続性に従って今日の延長として、相当に決まっていると言える。人間が生きたいと思うのは 今まで生きてきたから、明日も生きたいと 慣性の法則で志していると言える(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。
しかしながら、面白いことには、人間存在の神秘性であるが、人間には自由意志があって、その流れに少し逆らうような有り様が可能である。 顕著な例が、挑戦である。すなわち、戦い挑む、やってみる、試みるということは 人間の自由意志の顕著な例である。冒険、競争、求道、研究、芸術などの営みは、人間であることの証であるとも言え、挑戦とは人間としての存在の本質を表しているところの、人間固有の人間らしい営みである。 
されば、人間の存在の意義とは何か? まず、生きること、生きて存在しなければ始まらない ― 生命の基本定理、人生、世界、生物界において 実際これくらいしか、確かなことは、無い。 逆に考えてみよう、生きて、存在しなければ、生まれて来る前のように 何も認識できず、したがって何も知らず、何も伝えられず、全ての前提は 消えてしまうだろう(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)。
さらに1歩進めて、人間として生きることの意義とは何だろうか。 それは、つきるところ、人生の意義は感動することにある ― 人生の基本定理 にあると言える。 人間が何に感動するかは、個性にもよるが、本能に基づくものは当然として、真、善、美、聖などを求めているときであると言え、知ることと、自由を求めることが それらの基礎である。 その本質は、気づくことと、喜びを感じることに他ならない。 人間として生きることの本質ではないだろうか(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)。 
そこで、いま、日本国において、取り組むべき挑戦課題を提案したい。
まず、国家財政を立て直すこと、国だけの債務をみても、1000兆円に迫り、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 更に大震災、原発事故、放射能対策の膨大な経費である。このような財政を続けていける道理は 世に無いから、国は大胆に財政問題を国民に明らかにして、官民挙げて 財政問題に挑戦すべきである。もちろん増税だけではなく、国民に理解を求めるための 節税や行政改革なども断行すべきである。ここで大事な観点は、縮小方向ばかりではなく、財政再建の積極的な展開も多方面に志向すべきであるということである。新しい職場の開拓、ビジネス効果志向などである。国の活動に人材の活用によるビジネス感覚の導入も必要ではないだろうか。これらは、同時多発的に広範に取り組む必要があり、ここでの挑戦とは、正しく時間との戦いであると言える。何事も追い込まれる前に先手を打つのが 賢明な対応の在りようではないだろうか。世界は 世界混乱前夜の状況にあると言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 45: 第2次世界大戦と第3次世界混乱)。
次に、原発事故を鎮圧して、放射能対策をしっかり行うこと。これは当然であるが、より真剣に取り組むべきではないだろうか。世に 反原発についての意見やデモ等が行われているが これほど無意味で、無駄な行動は無い。誰でも原発など無いにこしたことはないと考えるのは当然であり、また、東電その他関係者自身が、一般国民よりははるかに、原発事故の重大さと危険性を明確に自覚していることは 当たり前である。 世に騒がれるまでもない当然のことではないだろうか。当然のことを騒いでいて、何か建設的、生産的なことが有るだろうか。 逆に、原発を何とか活用すべく、挑戦的に取り組むことは 自明ではない、やりがいのある挑戦課題ではないだろうか。それこそが、およそ人間存在の原理ではないだろうか。 実際、人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、これは安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明け―ノアの方舟)。
次に教育の問題である。 日本の教育は何を目指しているのかと問いたい。 ただ大学受験を目指して、大学に入る為の勉強に ほとんどの部分を占めているように見える。受験のための塾、専門の学校の繁茂がそれらを示してはいないだろうか。 教育を教育の在るべき姿に戻って、検討し直すことが 中長期的には日本国における大事な挑戦課題ではないだろうか。 教育の在るべき姿などは既に教育基本法その他で 確立しているが 弊害は、本末転倒の教育の在り様になっている実情、実体にある(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)。教育の原理についても注意を喚起したい(再生核研究所声明76 教育における心得、教育原理)。
挑戦とは人間の自由意志の明確な表現として、決断による情熱の伴った生命の燃焼であり、志である。 そこに良い感動が伴えば、より良い人生と言えるだろう。

以 上


再生核研究所声明3532017.2.2) ゼロ除算 記念日

2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは

再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

で、最新のは

Announcement 352 (2017.2.2):  On the third birthday of the division by zero z/0=0 

である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。

1)     ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2)     予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3)     ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4)     この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5)     いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6)     ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上

追記:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

\documentclass[12pt]{article}
\usepackage{latexsym,amsmath,amssymb,amsfonts,amstext,amsthm}
\numberwithin{equation}{section}
\begin{document}
\title{\bf  Announcement 362:   Discovery of the division by zero as \\
$0/0=1/0=z/0=0$\\
(2017.5.5)}
\author{{\it Institute of Reproducing Kernels}\\
Kawauchi-cho, 5-1648-16,\\
Kiryu 376-0041, Japan\\
 }
\date{\today}
\maketitle
{\bf Statement: }  The Institute of Reproducing Kernels declares that the division by zero was discovered as $0/0=1/0=z/0=0$ in a natural sense on 2014.2.2. The result shows a new basic idea on the universe and space since Aristotelēs (BC384 - BC322) and Euclid (BC 3 Century - ), and the division by zero is since Brahmagupta  (598 - 668 ?).
In particular,  Brahmagupta defined as $0/0=0$ in Brāhmasphuṭasiddhānta (628), however, our world history stated that his definition $0/0=0$ is wrong over 1300 years, but, we will see that his definition is suitable.

For the details, see the references and the site: http://okmr.yamatoblog.net/


\bibliographystyle{plain}
\begin{thebibliography}{10}

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\bibitem{mos}
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Division by Zero $z/0 = 0$ in Euclidean Spaces.
 International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 

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Announcement 179 (2014.8.30): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics.

\bibitem{ann185}
Announcement 185 (2014.10.22): The importance of the division by zero $z/0=0$.

\bibitem{ann237}
Announcement 237 (2015.6.18):  A reality of the division by zero $z/0=0$ by  geometrical optics.

\bibitem{ann246}
Announcement 246 (2015.9.17): An interpretation of the division by zero $1/0=0$ by the gradients of lines.

\bibitem{ann247}
Announcement 247 (2015.9.22): The gradient of y-axis is zero and $\tan (\pi/2) =0$ by the division by zero $1/0=0$.

\bibitem{ann250}
Announcement 250 (2015.10.20): What are numbers? -  the Yamada field containing the division by zero $z/0=0$.

\bibitem{ann252}
Announcement 252 (2015.11.1): Circles and
curvature - an interpretation by Mr.
Hiroshi Michiwaki of the division by
zero $r/0 = 0$.

\bibitem{ann281}
Announcement 281 (2016.2.1): The importance of the division by zero $z/0=0$.

\bibitem{ann282}
Announcement 282 (2016.2.2): The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday.

\bibitem{ann293}
Announcement 293 (2016.3.27):  Parallel lines on the Euclidean plane from the viewpoint of division by zero 1/0=0.

\bibitem{ann300}
Announcement 300 (2016.05.22): New challenges on the division by zero z/0=0.

\bibitem{ann326}
 Announcement 326 (2016.10.17): The division by zero z/0=0 - its impact to human beings through education and research.

 \bibitem{ann352}
Announcement 352(2017.2.2):   On the third birthday of the division by zero z/0=0.

\bibitem{ann354}
Announcement 354(2017.2.8): What are $n = 2,1,0$ regular polygons inscribed in a disc? -- relations of $0$ and infinity.

\end{thebibliography}

\end{document}

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