2017年5月28日日曜日

0是不是自然数?---用数学的语言看世界 2017-05-28 08:23

0是不是自然数?---用数学的语言看世界

2017-05-28 08:23
上期文章推荐了《用数学的语言看世界》。
读者田献增指出:“数学语言看世界”这个名字对孩子有误导嫌疑。开始我认为彭老师笔误。后来一看是一个书名。
彭翕成回复:数学不是人,没有眼睛嘴巴。应该说是数学的思维,数学的方式,拟人的手法就是数学的眼光,这个翻译可能是不太符合我们的习惯。书里还有些小错误。
在这本书里不把0当成自然数。脚注有说明,估计是译者或编辑加的。
  
也有读者留言指出这个问题。
  
那么0是不是自然数?
在八九十年代的中小学教材,0不是自然数,后来为什么0一下子变成自然数了呢?
其实,并不是一下子变成的。直到现在,学术界还存在争议。
分为两派,一派是数论学派,他们是不承认0是自然数的。
譬如数论专家单墫教授的《趣味数论》就是如此。现在重印,为了符合目前中小学的规定,但编辑又要尊重单墫教授的原意,所以只能加注。
  
另一派则是集合论学派,他们极力主张0是自然数。目前集合论学派占了上风,掌握了话语权。
综上,这个问题在学术界存在争议。
在中小学教学以及考试中,我国相关文件已经明确规定了0是自然数,从应试的角度考虑,请记住0是自然数。特此说明。
彭翕成注:这书的前言前两段很有意思。
第一段表达了做父母的心情,希望孩子有所创造。
第二段表明了日本人对中国印度的崛起是有担忧的。但作者从更高层次思考,觉得只有整个人类进步了,我们才能生活的更好!
前言 给女儿的数学赠礼
在你出生之时,我曾想到,希望你在这世上幸福生活的同时,也能成为社会进步的推动者。虽然现代社会问题不少,不过我认为现在是人类历史中最精彩的时代。我也像每一位父母一样,希望自己的子女能够享受到世界上最好的东西。不过,仅仅这样并不够,这个精彩的时代是人类的智慧和努力构建出来的。我希望你不只是成果的受惠者,也希望你能成为创造者,为后世留下更好的成果。
21 世纪也可以说是一个不确定的时代,国际社会的规则也在不断改变。中国有13 亿人,印度有12 亿人。如果这些群体的大多数接受高等教育,进而从事知识研究事业,世界的面貌又会为之一新。说起这件事情,有些人担心日本和美国的发达国家地位会因此受到威胁,但我并不这么认为。如果发展中国家几十亿人获得良好的教育机会,也会随之诞生出很多解决目前社会问题的新途径。世界整体教育水平上升,能够分配的“蛋糕”才能更大。这些情况,对于生于21世纪的你,既是挑战,也是一个巨大的机会。
在这个瞬息万变的世界中,自主思考的能力必不可少。欧洲有“七艺”(Liberal Arts)的教育传统,Liberal 原指“自由”,即“永不为奴”的意思。也就是说,LiberalArts 是一种让人自主掌握命运、成为自由之人的素养。不管是成为领导者之时,还是面临预想之外的问题之时,都必须锻炼自主思考解决问题的能力。
在古罗马时期,“七艺”为逻辑、语法、修辞、音乐、天文,还有算术和几何。最开始的三项是为了磨炼“论证”的语言技术,我认为这三项排在前面,是因为它们是语言成形的必要条件,只有学会使用语言,才能获得思考的能力。
“七艺”之中的“算术”和“几何”都属于数学领域,我觉得很有趣。通常情况下,大家会认为语言领域的文学或外国语言文学属于文科,数学属于理科,但我认为数学是和语言学习一样的东西。数学可以精准地描述事物,这种描述能力超越了英语、日语等自然语言的表现能力。所以如果理解数学,就能看到那些无形、不可见的东西,想出从未想到过的新创意。
我在小学阶段并不那么喜欢“算术”这门课,不过进入中学后,“算术”演变成了“数学”,我也渐渐爱上了这门学科。带来这个转变的契机源于自主思考时给我带来的快感。当我解开数学题时,答案只有一个,别无其他。当碰到学校所学的知识无法解答的问题并且凭借自己的思考解出答案时,这种愉悦之情愈发强烈。而且我根本不需要去询问老师答案是否正确,因为自己就能独立判断。就像婴儿迈出第一步后,新的技能拓宽了对世界的体验范围。我希望你也能体会到这种愉悦。
本书是为了让你在21 世纪度过有意义的人生而写的数学知识。当然,要想有体系地学习数学,最好还是使用学校的教材。如果把数学当作语言,例如把数学比喻成法语,那么这本书并不是从零开始一步步教语法和单词,而是一本实用的会话集。带上它,你可以去法国旅行,用法语在巴黎的餐厅点餐。甚至服务员在介绍“今日的推荐菜品”时,你能马上理解并判断是否应该点这道菜。或者当你去参观卢浮宫,接触过去那些伟大的作品时,能够提升自己的精神境界。本书中除了讲述数学的实践性应用外,还会讲述从古巴比伦、古希腊时期起数学的发展趣事。
我不是一名数学家。我在1989 年获得了东京大学的物理学博士学位,5 年后被聘为加州大学伯克利分校的教授,自2000 年起一直任职于加州理工学院的物理学教研室。不过在2010 年,数学教研室的老师们邀请我兼任数学教授。最初我以“自己从来没有验证过什么有名的定理”为由予以拒绝,但是他们劝我说“验证定理不是为数学做贡献的唯一方式。您的研究为数学研究提出了新的问题,促进了数学的新发展”,于是我也只好接受了他们的建议。其实我曾经提过多个有关数学的猜想,后来这些猜想都准确地得到了数学家们的证明。因此,我并不是一名证明定理的数学家,而是作为一名数学的使用者而受到认可。本书所讲述的内容,也正是从使用者角度出发的数学知识。
我决定在个人主页中补充本书未说明的证明过程、后续话题和参考文献,从而确保出现新的发展时能够及时补充相关知识、追加新的参考文献。当然,阅读本书时并不需要借助补充知识。当阅读完本书时,如果想要进一步了解相关知识,也许浏览我的个人主页http://ooguri.caltech.edu/japanese/mathematics 是个不错的选择。本文也会引用与内容相关的知识点。
用数学的语言看世界
彭翕成
这几天看了一本新书《用数学的语言看世界》,作者是日本物理学家大栗博司,他可能在物理方面成就更大些,但对数学的理解也很深刻。
这本书是作者写给女儿看的,所以和一般的科普书拼拼凑凑有很大不同。这本书不在于罗列多少知识点,而是侧重于:
用数学的眼光观察现实世界,
用数学的思维分析现实世界,
用数学的语言表达现实世界。
抛硬币的独立性
如果抛一个硬币,抛了10次,都是正面朝上,那么接下来抛第11次,你怎么看?
肯定有人会说,下一次和前面10次无关,那么正面反面的概率都是1/2。
确实,我们的中学教科书也是这样说的。
问题是,教科书为了简化,总是假设硬币是正反面无差别的理想硬币。现在抛10次都是正面,说明这个硬币很大可能是存在问题的,并不是理想硬币。
基于这个硬币的前期表现,我们完全有理由猜测下一次还是正面的可能性比较大。
本书的第一章就是讲如何利用贝叶斯定理,从不确定的信息里作出判断。
书里举了很多翔实的案例,下面列举其一。这一案例是真实案例,曾经影响很大。
  
  
  
  
本书的第二章讲回归基本原理,以便更深层次的认识。
华罗庚说过:复杂的问题要善于“退”,足够地“退”,“退”到最原始而不失去重要性的地方,是学好数学的一个诀窍。
负负得正,如何理解,这是一大难题,作者认为应该回到基础。
负数的基本性质就是,对于任意a,都存在-a,使得a+(-a)=0.
  
  
  
书里还有这样一段对话。
采访者:您最近在接受采访时给追求创新的年轻人提了一个建议,提到了不去模仿他人,从基本原理思考问题的重要性。您可以再稍微具体地谈一下这点吗?
马斯克:我们在平时的生活中一般不会从基本原理去思考问题。那么做的话,我们在精神上会受不了。所以,我们人生的大部分时间是在类推或模仿他人中度过的。不过当我们要去开辟一个新的领域,或者从真正意义上去创新时,必须得从基本原理出发。任何领域都一样,先要去发现这个领域中最基本的真理,然后再重新思考。实现这个过程需要精神上的努力。我举个例子吧,回归基本原理在我的火箭事业中就发挥了作用!
后面的章节也很精彩。
譬如第九章,讲高次方程的求解。
解不同的方程,难易不一样,如何建立评价难易程度的标准?
一元二次方程为什么有解?你可以把解算出来给人看。所以说有解好办。
史学界的名言,断有易断无难。而要判定一元五次方程没有根式解,这就难了。
如何从二次方程受启发,深入研究对称性,引出群这个概念,进而开创一个新的数学分支……
看看阿贝尔、伽罗瓦是如何做到的。
前言 给女儿的数学赠礼
第1章 从不确定的信息中作出判断
第2章 回归基本原理
第3章 大数字并不恐怖
第4章 不可思议的素数
第5章 无限世界与不完备性定理
第6章 测量宇宙的形状
第7章 微分源于积分
第8章 真实存在的“假想数字”
第9章 测量“难”与“美”
后记
  
很多人问:有没有数学与生活联系的书,我觉得这本就是。
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とても興味深く読みました:

再生核研究所声明311(2016.07.05) ゼロ0とは何だろうか
ここ2年半、ゼロで割ること、ゼロ除算を考えているが、ゼロそのものについてひとりでに湧いた想いがあるので、その想いを表現して置きたい。
数字のゼロとは、実数体あるいは複素数体におけるゼロであり、四則演算で、加法における単位元(基準元)で、和を考える場合、何にゼロを加えても変わらない元として定義される。積を考えて変わらない元が数字の1である:

Wikipedia:ウィキペディア:
初等代数学[編集]
数の 0 は最小の非負整数である。0 の後続の自然数は 1 であり、0 より前に自然数は存在しない。数 0 を自然数に含めることも含めないこともあるが、0 は整数であり、有理数であり、実数(あるいは代数的数、複素数)である。
数 0 は正でも負でもなく、素数でも合成数でも単数でもない。しかし、0は偶数である。
以下は数 0 を扱う上での初等的な決まりごとである。これらの決まりはxを任意の実数あるいは複素数として適用して構わないが、それ以外の場合については何も言及していないということについては理解されなければならない。
加法:x + 0 = 0 +x=x. つまり 0 は加法に関する単位元である。
減法: x− 0 =x, 0 −x= −x.
乗法:x 0 = 0 ·x= 0.
除法:xが 0 でなければ0x= 0 である。しかしx0は、0 が乗法に関する逆元を持たないために、(従前の規則の帰結としては)定義されない(ゼロ除算を参照)。

実数の場合には、数直線で、複素数の場合には複素平面を考えて、すべての実数や複素数は直線や平面上の点で表現される。すなわち、座標系の導入である。
これらの座標系が無ければ、直線や平面はただ伸びたり、拡がったりする空間、位相的な点集合であると考えられるだろう。― 厳密に言えば、混沌、幻のようなものである。単に伸びたり、広がった空間にゼロ、原点を対応させるということは 位置の基準点を定めること と考えられるだろう。基準点は直線や平面上の勝手な点にとれることに注意して置こう。原点だけでは、方向の概念がないから、方向の基準を勝手に決める必要がある。直線の場合には、直線は点で2つの部分に分けられるので、一方が正方向で、他が負方向である。平面の場合には、原点から出る勝手な半直線を基準、正方向として定めて、原点を回る方向を定めて、普通は時計の回りの反対方向を 正方向と定める。これで、直線や平面に方向の概念が導入されたが、さらに、距離(長さ)の単位を定めるため、原点から、正方向の点(これも勝手に指定できる)を1として定める。実数の場合にも複素数の場合にも数字の1をその点で表す。以上で、位置、方向、距離の概念が導入されたので、あとはそれらを基礎に数直線や複素平面(座標)を考える、すなわち、直線と実数、平面と複素数を1対1に対応させる。これで、実数も複素数も秩序づけられ、明瞭に表現されたと言える。ゼロとは何だろうか、それは基準の位置を定めることと発想できるだろう。
― 国家とは何だろうか。国家意思を定める権力機構を定め、国家を動かす基本的な秩序を定めることであると原理を述べることができるだろう。
数直線や複素平面では 基準点、0と1が存在する。これから数学を展開する原理を下記で述べている:

しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。

複素平面ではさらに大事な点として、純虚数i が存在するが、ゼロ除算の発見で、最近、明確に認識された意外な点は、実数の場合にも、複素数の場合にも、ゼロに対応する点が存在するという発見である。ゼロに対応する点とは何だろうか?
直線や平面で実数や複素数で表されない点が存在するであろうか? 無理して探せば、いずれの場合にも、原点から無限に遠ざかった先が気になるのではないだろうか? そうである立体射影した場合における無限遠点が正しくゼロに対応する点ではないかと発想するだろう。その美しい点は無限遠点としてその美しさと自然さ故に100年を超えて数学界の定説として揺るぐことはなかった。ゼロに対応する点は無限遠点で、1/0=∞ と考えられてきた。オイラー、アーベル、リーマンの流れである。
ところが、ゼロ除算は1/0=0 で、実は無限遠点はゼロに対応していることが確認された。
直線を原点から、どこまでも どこまでも遠ざかって行くと、どこまでも行くが、その先まで行くと(無限遠点)突然、ゼロに戻ることを示している。これが数学であり、我々の空間であると考えられる。この発見で、我々の数学の結構な部分が修正、補充されることが分かりつつある。
ゼロ除算は可能であり、我々の空間の認識を変える必要がある。ゼロで割る多くの公式である意味のある世界が広がってきた。それらが 幾何学、解析学、代数学などと調和して数学が一層美しい世界であることが分かってきた。

全ての直線はある意味で、原点、基準点を通ることが示されるが、これは無限遠点の影が投影されていると解釈され、原点はこの意味で2重性を有している、無限遠点と原点が重なっている現象を表している。この2重性は 基本的な指数関数y=e^x が原点で、0 と1 の2つの値をとると表現される。このことは、今後大きな意味を持ってくるだろう。

古来、ゼロと無限の関係は何か通じていると感じられてきたが、その意味が、明らかになってきていると言える。

2点から無限に遠い点 無限遠点は異なり、無限遠点は基準点原点の指定で定まるとの認識は面白く、大事ではないだろうか。
以 上

再生核研究所声明3392016.12.26)インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教
世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。この数体系の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インド数学者天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタはその中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとしてされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-
marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
他方、人間存在の根本的な問題四苦八苦(しくはっく)、根本的な苦 四苦
·         愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
·         怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
·         求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
·         五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
の四つの苦に対する人間の在り様の根本を問うた仏教の教えは人類普遍の教えであり、命あるものの共生、共感、共鳴の精神を諭されたと理解される。人生の意義と生きることの基本を真摯に追求された教えと考えられる。アラブや西欧の神の概念に直接基づく宗教とは違った求道者、修行者の昇華された世界を見ることができ、お釈迦様は人類普遍の教えを諭されていると考える。

これら2点は、インドの誠に偉大なる、世界史、人類における文化遺産である。我々はそれらの偉大な文化を尊崇し、数理科学にも世界の問題にも大いに活かして行くべきであると考える。 数理科学においては、十分に発展し、生かされているので、仏教の教えの方は、今後世界的に広められるべきであると考える。仏教はアラブや欧米で考えられるような意味での宗教ではなく、 哲学的、学術的、修行的であり、上記宗教とは対立するものではなく、広く活かせる教えであると考える。世界の世相が悪くなっている折り、仏教は世界を救い、世界に活かせる基本的な精神を有していると考える。
ちなみに、ゼロは 空や無の概念と通じ、仏教の思想とも深く関わっていることに言及して置きたい。 いみじくも高度に発展した物理学はそのようなレベルに達していると報じられている。この観点で、歴史的に永い間、ゼロ自身の西欧社会への導入が異常に遅れていた事実と経過は 大いに気になるところである。

以 上
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.scirp.org/journal/alamt
   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

Announcement 326: The division by zero z/0=0/0=0 - its impact to human beings through education and research

再生核研究所声明3672017.5.18)数学の真実を求める方、数学の研究と教育に責任を感じる方へ
(「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」 ― 親鸞聖人)
そもそも数学とは何だろうかと問うことは大事である。しかしながら、生きる意味を問うことは より根源的で大事な問いである。数学についても人生についても述べてきた:(No.81、2012年5月(PDFファイル432キロバイト) -数学のための国際的な社会...www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)。
数学とは、公理系、仮定系を設定すると、このようなことが言えるというものである。公理系の上に、いろいろな概念や定義を導入して数学は発展するがその全貌や本質を捉えることは何時まで経っても人間の能力を超えた存在で不可能であろう。しかしながら、人それぞれの好みを越えて、完成された理論は人間を越えて存在する客観性を有すると信じられている。万有引力の法則など物理法則より数学の理論は不変で確かな存在であろう。
数学が関係の編みのようなものであると見れば、数学の発展の先や全貌は 人間を越えて本質的には存在すると言える。例えばニュートンの万有引力の発見は、物理学の発展から必然的と言えるが、数学の発展の先はそれよりも必然的であると考えられる。その意味では、数学では特に要求されない限り、じっくりと落ち着いて楽しむように研究を進められるであろう。
ところで、ゼロで割る問題、ゼロ除算であるが、これは誠に奇妙な歴史的な事件であると言える。
ゼロで割れないは 小学校以来の世界の常識であり、アリストテレス以来の考えであると言う。オイラーやアインシュタインなども直接関わり、数学的には確定していたが、不可能性に対する興味とともに、計算機科学と相対性の理論の関係で今でも議論が続けられている。
ところが、誠に奇妙な事実が存在する。ゼロの発見者、マイナスの数も考え、算術の四則演算を確立されたBrahmagupta (598 -668 ?) は 既に、そこで628年、0/0=0 と定義していたという。しかしながら、それは間違いであると 今でも判断されていて今日に至っている。今でもゼロ除算について諸説が有って、世界やグーグルの世界でも混乱している。何十年も研究を続けて、本を出版したり、論文を公表している者が4,5人、あるいはグループで研究している者もいるが、それらは間違いである、不適当であると説得を続けている。ゼロ除算について無駄な議論や情報が世界に氾濫していると言える。
再生核研究所では、ゼロ除算発見3周年を経過し、広く議論してきたので、ゼロ除算の発見を宣言している(Announcement 362: Discovery of the division by zero as $0/0=1/0=z/0=0$ (2017.5.5)})。詳しい解説も3年間続け
(数学基礎学力研究会のホームページ
URL
、論文も発表、学会、国際会議などでも報告してきている。
何と創始者の結果は実は正しく、適当であることが沢山の数学の具体的な例と発展から、明らかにされてきた。ところがゼロ除算は、アリストテレスの連続性の概念を変え、2000年以上の伝統を有するユークリッド空間に全く新しい面が加わり、現代数学の初歩全般に大きな影響を与えることが分かってきた。
我々の空間の認識は間違っており我々が学んでいる数学は、基本的なところで、欠落していて、真実とはかなり程遠く、実は数学はより完全でもっと美しいことが分かってきた。我々は年々不完全で不適当な数学を教えていると言える。
このような多くの大きな変化にはとても個人では対応できず、対応には大きな力が必要であるから、数学の愛好者や、研究者、教育者などの積極的な協力、教育、研究活動への参画、理解、援助などをお願い致したい。ゼロ除算の歴史は 人類の恥になるだろう。人々はゼロ除算の発展から、人間とはどのようなものかを沢山 学べるのではないだろうか。
以 上

再生核研究所声明3682017.5.19)ゼロ除算の意義、本質

ゼロ除算の本質、意義について、既に述べているが、参照すると良くまとめられているので、初めに復習して、新しい視点を入れたい。

再生核研究所声明3592017.3.20) ゼロ除算とは何か ― 本質、意義

ゼロ除算の理解を進めるために ゼロ除算とは何か の題名で、簡潔に表現して置きたい。 構想と情念、想いが湧いてきたためである。
基本的な関数y=1/x を考える。 これは直角双曲線関数で、原点以外は勿論、値、関数が定義されている。問題はこの関数が、x=0  で どうなっているかである。結論は、この関数の原点での値を ゼロと定義する ということである。 定義するのである。定義であるから勝手であり、従来の定義や理論に反しない限り、定義は勝手であると言える。原点での値を明確に定義した理論はないから、この定義は良いと考えられる。それを、y=1/0=0 と記述する。ゼロ除算は不可能であるという、数学の永い定説に従って、1/0 の表記は学術書、教科書にもないから、1/0=0 の記法は 形式不変の原理、原則 にも反しないと言える。― 多くの数学者は注意深いから、1/0=\infty の表記を避けてきたが、想像上では x が 0 に近づいたとき、限りなく 絶対値が大きくなるので、複素解析学では、表現1/0=\infty は避けても、1/0=\infty と考えている事は多い。(無限大の記号がない時代、アーベルなどもそのような記号を用いていて、オイラーは1/0=\inftyと述べ、それは間違いであると指摘されてきた。 しかしながら、無限大とは何か、数かとの疑問は 続いている。)。ここが大事な論点である。近づいていった極限値がそこでの値であろうと考えるのは、極めて自然な発想であるが、現代では、不連続性の概念 が十分確立されていて、極限値がそこでの値と違う例は、既にありふれている。― アリストテレスは 連続性の世界観をもち、特にアリストテレスの影響を深く受けている欧米の方は、この強力な不連続性を中々受け入れられないようである。無限にいくと考えられてきたのが突然、ゼロになるという定義になるからである。 しかしながら、関数y=1/xのグラフを書いて見れば、原点は双曲線のグラフの中心の点であり、美しい点で、この定義は魅力的に見えてくるだろう。
定義したことには、それに至るいろいろな考察、経過、動機、理由がある。― 分数、割り算の意味、意義、一意性問題、代数的な意味づけなどであるが、それらは既に数学的に確立しているので、ここでは触れない。
すると、定義したからには、それがどのような意味が存在して、世の中に、数学にどのような影響があるかが、問題になる。これについて、現在、初等数学の学部レベルの数学をゼロ除算の定義に従って、眺めると、ゼロ除算、すなわち、 分母がゼロになる場合が表現上現れる広範な場合に 新しい現象が発見され、ゼロ除算が関係する広範な場合に大きな影響が出て、数学は美しく統一的に補充,完全化されることが分かった。それらは現在、380件以上のメモにまとめられている。しかしながら、世界観の変更は特に重要であると考えられる:

複素解析学で無限遠点は その意味で1/0=0で、複素数0で表されること、アリストテレスの連続性の概念に反し、ユークリッド空間とも異なる新しい空間が 現れている。直線のコンパクト化の理想点は原点で、全ての直線が原点を含むと、超古典的な結果に反する。更に、ゼロと無限の関係が明らかにされてきた。
ゼロ除算は、現代数学の初等部分の相当な変革を要求していると考えられる。
以 上

ゼロ除算の代数的な意義は、山田体の概念で体にゼロ除算を含む構造の入れ方、一般に体にゼロ除算の概念が入れられるが、代数的な発展については 専門外で、触れられない。ただ、計算機科学でゼロ除算と代数的な構造について相当議論している研究者がいる。
ゼロ除算の解析学的な意義は、従来孤立特異点での研究とは、孤立点での近傍での研究であり、正確に述べれば 孤立特異点そのものでの研究はなされていないと考えられる。
なぜならば、特異点では、ゼロ分のとなり、分子がゼロの場合には ロピタルの定理や微分法の概念で 極限値で考えてきたが、ゼロ除算は、一般に分子がゼロでない場合にも意味を与え、極限値でなくて、特異点で 何時でも有限確定値を指定できる ― ゼロ除算算法初めて、特異点そのものの世界に立ち入ったと言える。従来は孤立特異点を除いた世界で 数学を考えてきたと言える。その意味でゼロ除算は 全く新しい数学、世界であると言える。典型的な結果は tan(\pi/2) =0で、y軸の勾配がゼロであることである。
ゼロ除算の幾何学的な意義は、ユークリッド空間のアレクサンドロフの1点コンパクト化に、アリストテレスの連続性の概念でない、強力な不連続性が現れたことで、全く新しい空間の構造が現れ、幾何学の無限遠点に関係する部分に全く新規な世界が現れたことである。所謂無限遠点が数値ゼロで、表現される。
さらに、およそ無限量と考えられたものが、実は、数値ゼロで表現されるという新しい現象が発見された。tan(\pi/2) =0の意味を幾何学的に考えると、そのことを表している。これはいろいろな恒等式に新しい要素を、性質を顕にしている。ゼロが、不可能性を表現したり、基準を表すなど、ゼロの意義についても新しい概念が現れている。

以 上

ゼロ除算の詳しい解説を次で行っている:
(数学基礎学力研究会のホームページ
URL
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1
-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…

1/0=0、0/0=0、z/0=0

http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html

 


1/0=0、0/0=0、z/0=0

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