2017年5月26日金曜日

精于计算的数学家打游戏很强吗?玩星际争霸时他们也很绝望啊!

精于计算的数学家打游戏很强吗?玩星际争霸时他们也很绝望啊!

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提到数学家,可能许多读者脑海中浮现的第一帧画面是这样的:
  
图片来自"The hundred greatest mathematicians of the past"
尽管来自于不同时代,说着不同的语言,头发和胡子数量也有巨大差异,每张照片里面却都凝聚着同样伟大的智慧,同样深邃的思想。数学的半壁江山浓缩在一张三寸不足的泛黄纸片上,大道至简,令人惊叹不已;藏诸塌侧,半月三旬后再度翻看,又令人回味无穷。
然而美中不足之处在于,以上名单(可搜索"The hundred greatest mathematicians of the past")主要考虑对象是在纯数学领域有重大影响的人物,很多伟大的应用数学家则未能出现在这个榜单中(唯有约翰·冯·诺依曼和阿兰·图灵这两位全才例外)。事实上这些应用数学家对整个科学界的影响是极为巨大的,只不过往往被纯数学家们的光辉掩盖住了。
我的目的,便是通过介绍牛津大学的一个应用数学团队,让读者们对应用领域的数学家们有所认识,让这些被掩盖住的光辉重见天日
  牛津大学生物数学中心
先向大家介绍一下我自己。我叫夕歌,正在俄亥俄州立大学数学系读PhD。我的研究方向包括计算数学、细胞生物学和统计物理的建模。看不懂没关系,反正我也不是很懂(其实我还是懂一些的……)
我曾和一位本系的东欧小哥讨论过欧美学术界的异同。当谈到生物数学(我的主要研究方向)时,小哥信誓旦旦地说:“生物数学?!欧洲可没多少人做这个!”
生物数学这话足足让我扫兴了一个星期。然而一星期后我就收到了牛顿研究所一个生物数学会议的邀请通知:
  
牛顿研究所位于英国的剑桥大学,这说明生物数学在欧洲还是相当有关注度的!我本欲用这封邮件同东欧小哥展开激烈的辩论,不过鉴于小哥一米九的高大身材,我逡巡良久,最终还是偷偷地把邮件藏到垃圾箱,将一切人证物证烂熟在心中。
  
身高1米9的东欧小哥示意图。绘图:夕歌
后来我去参加了生物数学会议,发现有不少来自英国、法国和德国的专家与会,说明生物数学的光辉已经逐渐扩散到整个欧洲了。不过东欧数学家自成体系,也许生物数学这一新兴“物种”尚未攻破他们的免疫防线。
其实生物数学在英国还是人气颇高的。除了剑桥大学牛顿研究所旗下的生物数学研究院,牛津大学也有一个“沃夫森生物数学中心”(Wolfson Center for Mathematical Biology)。这个中心的头目叫菲利普·马伊尼(Philip Maini),是一名爱尔兰生物数学家[1]:
  
菲利普·马伊尼。 图片来源:维基百科
马伊尼在整个应用数学界都非常活跃,可以说是这几十年来全球应用数学发展的见证者。我曾在三个不同报告厅见到过Maini,他的演示文稿并没有繁多的文字或复杂的数学公式,但听众们总能在他抑扬顿挫的语调中心潮暗涌:或领悟到数学与其他学科之间的千丝万缕,或体会到潜伏在简单公式中的伟大智慧,或摸索出简朴文稿背后鲜为人知的试验探索。三言两语便诱出千思万绪,“大师”这两字在这里得到最佳诠释。
  
马伊尼的演示文稿。唯一的槽点大概在于文稿背景色稍微丑了些。图片来源:Maini
我私下请教过马伊尼一些问题。第一次和全球顶尖的应用数学家交谈总是免不了几分羞涩,而马伊尼则不断鼓励我“不存在愚蠢的问题”。当我提出自己的一个简单想法时,他会像激动地喊道:“我怎么没想到这个!”如同小孩子找到了新的玩具。这种返璞归真的沟通方式,让我备受鼓舞。
  形态发生(Morphogenesis)
那么沃夫森生物数学中心的数学家们平常都在研究什么呢?我们可以从马伊尼的研究列表中得到线索(为方便大家理解,笔者对这些研究方向进行了意译):
  
马伊尼个人主页上的研究列表[2]。制图:夕歌
这些研究方向看似五花八门,但基于的数学模型主要有三个:
  1. 连续力学模型(描述物体在弹性介质和流体中的运动)[3]
  2. 细胞的趋性模型(趋药性、趋光性等)[4]
  3. 图灵模型(生物图案的生成者)[5]
以上每个模型都对应着一类方程,称作耗散结构方程(Dispersive equation)。这一类方程依赖于时间“t”和空间坐标“x”,之所以叫做“耗散结构”,是因为系统的“能量”会随着时间的推移而逐渐减小,熵增原理便是耗散结构方程的一个特例。在数学上,耗散结构方程(尽管这个术语不是数学家发明的)拥有数不清道不尽的神奇特性,所以今天我们在不同论文中看到的同时间“t”有关的偏微分方程,几乎都是耗散结构方程。
在着重介绍图灵模型之前,让我们先来瞻仰图灵(Alan Mathison Turing,又译阿兰·图灵)这位大帅哥:
  
阿兰·图灵。图片来源:维基百科
或许图灵最广为人知的是他在计算机智能领域的贡献(例如图灵测试)。事实上他引用量最大的论文叫做“形态发生的化学基础”(The chemical basis of morphogenesis)[5]。形态发生是一个非常广泛的生物概念,这个概念包括了细胞分化、胚胎形成、器官形成、肿瘤扩散以及生物表面花纹的形成等。形态发生是基于一系列复杂的化学反应,而图灵的工作,则是把这些化学反应总结成为一个简单的微分方程组:
  
我写了一段代码(用Python,有兴趣的读者可参考[6])用以模拟一个简单的图灵模型:
  用Python模拟简单的图灵模型。制图:夕歌
是不是很像猎豹毛皮上的花纹?
值得一提的是,图灵模型并非唯一研究生物图案的数学方程。物理学家们更偏向于应用复Ginzburg-landau方程(最早用于描述超导现象)和Cahn-Hilliard方程(最早用于描述二元体,如水和酒精的分离)。尽管这两个方程的推导是从能量角度出发的,和图灵的推导方式全然不同,但从形式上看来,这些方程具有惊人的相似性,可谓英雄所见略同。
  科普工作
马伊尼所掌管的生物数学中心还经常做一些科普性的工作,尤其是该中心的研究员托马斯·伍利(Thomas Woolley)。作为热衷于把复杂的数学理论散布于大众的青年科学家,伍利身上不仅沿袭了沃夫森数学中心所特有的激情洋溢,而且形成了自己的独立风格。他的演示文稿主要由五彩斑斓的图片构成(不得不承认比马伊尼的文稿颜值高出不少),以致于听完他的报告后,听众们很难相信他其实是数学家。而当伍利把他的演示文稿发给别人时,只能通过云端传送,因为他的文稿实在太占空间了,邮箱附件难以容下这样的大气。
伍利的演示文稿几乎都是这个画风。图片来源:伍利的演示文稿
伍利对科研的热情同样延续到了他的生活中。他是媒体的常客,常常受BBC邀请录制一些轻松有趣同时不乏科学严谨的节目[7]。与此同时,伍利也常常在他的学术报告中分享自己的“失败”经历,例如得到的数值模拟结果如何与实验前的预想不同等等。这一风格对我本人的影响是巨大的,或许这也正是为什么伍利的学术报告能受到众多学者青睐的原因。
当知晓我也在做类似的科普工作后,伍利显得更加兴奋。他和马伊尼等人之前写过一篇关于僵尸的数学模型[8](被登上过泰晤士报),与我之前写过的一篇关于星际争霸中的数学模型的文章颇为相似,于是我们谈论了很长时间的星际争霸。我们都对单机对战时的神族狂剑客一波流(Zealot rush)感到头疼。
对于新手玩家而言,看到这一群身披绿大褂的狂剑客时,心里多半是崩溃的。
  总结
你是否已经感受到,大师其实离我们并不遥远。并非所有数学界的大师都是板着一副面孔的,相反,他们很乐意传递自己的所见所闻,很愿意和不同背景的人们交流。而我和他们的交流,更多像是平辈之间的相互探讨,或许这种探讨更有助于思维的对冲碰撞和新想法的横空出世。这和我“严谨而不拘谨”的科研观点颇为相似。
应用数学家们善于把数学融入生活的方方面面。也许正是因为太过“通俗”,他们对世界的影响往往容易被人们所忽视。希望通过这篇文章,让更多的人了解到应用数学家们不可磨灭的贡献,同时希望让大家知道,数学的趣味性不仅仅局限于数论、组合、代数方程等;它的渗透力之强,扩散范围之广,早已隐含在生活中的方方面面。
作者名片
  编辑:婉珺
排版:晓岚
题图来源:123RF
滑动阅读参考资料:
[1] https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Maini
[2] https://people.maths.ox.ac.uk/maini/
[3] P. Maini et. al, Sequential pattern formation in a model for skin morphogenesis.
[4] E. Keller, Model for Chemotaxis.
[5] A. Turing, The chemical basis of morphogenesis.
[6] https://people.math.osu.edu/yang.2677/Turning.txt
[7] http://people.maths.ox.ac.uk/woolley/outreach.html
[8] T. Woolley et. al, Mathematical Modelling of Zombies.
  科学人问答
  以下两张图取自《僵尸的数学模型》一文中,请看图回答问题
  
  
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  【拓展阅读】学了那么多年数学,你也说不清我们到底如何得到“数”

とても興味深く読みました:

再生核研究所声明3532017.2.2) ゼロ除算 記念日

2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは

再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

で、最新のは

Announcement 352 (2017.2.2):  On the third birthday of the division by zero z/0=0 

である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。

1)     ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2)     予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3)     ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4)     この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5)     いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6)     ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上

追記:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf


1/0=0、0/0=0、z/0=0


再生核研究所声明287(2016.02.12) 神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算

(最近 相当 ゼロ除算について幅広く歴史、状況について調べている。)
ゼロ除算とは ゼロで割ることを考えることである。ゼロがインドで628年に記録され、現代数学の四則演算ができていたが、そのとき、既にゼロで割ることか考えられていた。しかしながら、その後1300年を超えてずっと我々の研究成果以外解決には至っていないと言える。実に面白いのは、628年の時に、ゼロ除算は正解と判断される結果1/0=0が期待されていたということである。さらに、詳しく歴史を調べているC.B. Boyer氏の視点では、ゼロ除算を最初に考えたのはアリストテレスであると判断され、アリストテレスは ゼロ除算は不可能であると判断していたという。― 真空で比を考えること、ゼロで割ることはできない。アリストテレスの世界観は 2000年を超えて現代にも及び、我々の得たゼロ除算はアリストテレスの 世界は連続である に反しているので受け入れられないと 複数の数学者が言明されたり、情感でゼロ除算は受け入れられないという人は結構多い。
数学界では,オイラーが積極的に1/0 は無限であるという論文を書き、その誤りを論じた論文がある。アーベルも記号として、それを無限と表し、リーマンもその流れで無限遠点の概念を持ち、リーマン球面を考えている。これらの思想は現代でも踏襲され、超古典アルフォースの複素解析の本にもしっかりと受け継がれている。現代数学の世界の常識である。これらが畏れ多い天才たちの足跡である。こうなると、ゼロ除算は数学的に確定し、何びとと雖も疑うことのない、数学的真実であると考えるのは至極当然である。― ゼロ除算はそのような重い歴史で、数学界では見捨てられていた問題であると言える。
しかしながら、現在に至るも ゼロ除算は広い世界で話題になっている。 まず、顕著な研究者たちの議論を紹介したい:

論理、計算機科学、代数的な体の構造の問題(J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker)、
特殊相対性の理論とゼロ除算の関係(J. P. Barukcic and I. Barukcic)、
計算器がゼロ除算に会うと実害が起きることから、ゼロ除算回避の視点から、ゼロ除算の研究(T. S. Reis and James A.D.W. Anderson)。
またフランスでも、奇怪な抽象的な世界を建設している人たちがいるが、個人レベルでもいろいろ奇怪な議論をしている人があとを立たない。また、数学界の難問リーマン予想に関係しているという。

直接議論を行っているところであるが、ゼロ除算で大きな広い話題は 特殊相対性理論、一般相対性理論の関係である。実際、物理とゼロ除算の関係はアリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインの中心的な課題で、それはアインシュタインの次の意味深長な言葉で表現される:

Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1.    Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

数学では不可能である、あるいは無限遠点と確定していた数学、それでも話題が尽きなかったゼロ除算、それが予想外の偶然性から、思いがけない結果、ゼロ除算は一般化された除算,分数の意味で、何時でも唯一つに定まり、解は何時でもゼロであるという、美しい結果が発見された。いろいろ具体的な例を上げて、我々の世界に直接関係する数学で、結果は確定的であるとして、世界の公認を要請している:
再生核研究所声明280(2016.01.29)  ゼロ除算の公認、認知を求める
Announcement 282: The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday

数学基礎学力研究会のホームページ

以 上


何故ゼロ除算が不可能であったか理由

1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。

Matrices and Division by Zero z/0 = 0

再生核研究所声明290(2016.03.01) 神の隠し事、神の意地悪、人類の知能の程

オイラーの公式 e^{pi i}= -1 は最も基本的な数、-1, pi, i, eの4つの数の間の簡潔な関係を確立させているとして、数学とは何かを論じて、神秘的な公式として、その様を詳しく論じた(No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 -ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。)。
余りにも深い公式なので、神の人類に対する意地悪かと表現して、神は恥ずかしがり屋で、人類があまりに神に近づくのを嫌がっているのではないかと発想した。
ここ2年間、ゼロ除算を発見して、ゼロ除算の実在性は確信できたが、ゼロ除算の神秘的な歴史(再生核研究所声明287(2016.02.13)神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算)とともに、誠に神秘的な性質があるので その神秘性に触れたい。同時に これを未解決の問題として世に提起したい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えるであるが、アリストテレス以来問題とされ、ゼロの記録がインドで初めて628年になされているが、既にそのとき、正解1/0が期待されていたと言う。しかし、理論づけられず、その後1300年を超えて、不可能である、あるいは無限、無限大、無限遠点とされてきたものである。天才オイラーの無限であることの証明とその誤りを論じた論文があるが、アーベル、リーマンと継承されて現在に至る。他方極めて面白いのは、アリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインで問題にされ、下記の貴重な言葉が残されている:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1.    Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

現在、ゼロ除算の興味、関心は 相対性の理論との関係と、ゼロ除算が計算機障害を起すことから、論理の見直しと数体系の見直しの観点にある。さらに、数学界の難問、リーマン予想に関係していると言う。
ゼロ除算の神秘的な歴史は、早期の段階で ゼロ除算、割り算が乗法の逆で、不可能であるとの烙印を押され、確定的に、 数学的に定まった と 人は信じてしまったことにあると考えられる。さらに、それを天才達が一様に保証してきたことにある。誠に重い歴史である。
第2の要素も、極めて大事である。アリストテレス以来、連続性で世界を考える が世界を支配してきた基本的な考え方である。関数y=1/x の原点での値を考えるとき、正方向、あるいは 負方向からゼロに近づけば、正の無限や負の無限に近づくのをみて、ゼロ除算とは無限の何か、無限遠と考えるのは極めて自然で、誰もがそのように考えるだろう。
ところが、結果はゼロであるというのであるから、驚嘆して、多くの人は それは何だと顔さえしかめたものである。しばらく、話さえできない状況が国際的にも一部の友人たちの間でも1年を超えても続いた。 そこで、最近、次のような文書を公表した:

ゼロ除算についての謎 ― 神の意思は?:
ゼロ除算は数学的な真実で、我々の数学の基本的な結果です。ところが未だ、謎めいた現象があり、ゼロ除算の何か隠れた性質が有るように感じます。それはギリシャ、アリストテレスの世界観、世の連続性を否定し、強力な不連続性を表しています。強力な不連続性は普遍的に沢山あることが分かりましたが、肝心な次の等角写像での不連続性が分かりません:複素関数
W = z+ 1/z
は 単位円の外と内を [-2,+2] を除いた全複素平面上に一対一上へ等角に写します。単位円は[-2,+2]を往復するようにちょうど写ります。単位円が少しずれると飛行機の翼の断面のような形に写るので、航空力学での基本関数です。問題は、原点が所謂無限遠点に写っているということです。ところがゼロ除算では、無限遠点は空間の想像上の点としては考えられても、数値では存在せず、数値としては、その代わりに原点ゼロで、それで原点に写っていることになります。それで強力な不連続性を起こしている。
神が、そのように写像を定めたというのですが、何か上手い解釈が有るでしょうか?
神の意思が知りたい。
2016.2.27.16:46
既に 数学における強力な不連続性は 沢山発見され、新しい世界観として定着しつつあるが、一般の解析関数の孤立特異点での確定値がどのような意味があり、なぜそのような不連続性が存在するのかは、神の意思に関わることで、神秘的な問題ではないだろうか。 神秘の世界があることを指摘して置きたい。 
以 上
Matrices and Division by Zero z/0 = 0


再生核研究所声明306(2016.06.21) 平行線公理、非ユークリッド幾何学、そしてゼロ除算

表題について、山間部を散歩している折り新鮮な感覚で、想いが湧いて来た。新しい幾何学の発見で、ボーヤイ・ヤーノシュが父に言われた 平行線の公理を証明できたら、地球の大きさ程のダイヤモンドほどの値打ちがあると言われて、敢然と証明に取り掛かった姿とその帰結である。また、ユークリッドが海岸を散歩しながら幾何学を建設していく情景が鮮やかに想い出された(Liwanovaの『新しい幾何学の発見』(のちに『ロバチェフスキーの世界』と改題)(東京図書刊行)。この件、既に声明に述べているので、まずは確認したい:



再生核研究所声明292(2016.03.25) ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学、平行線公理、そしてゼロ除算(2016.3.23 朝、目を覚まして、情念と構想が閃いたものである。)

まず基本語をウイキペデアで確認して置こう:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%B9

アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E5%

非ユークリッド幾何学の成立: ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した。



ユークリッド幾何学は 2000年を超えて数学及び論理と あらゆる科学の記述の基礎になってきた。その幾何学を支える平行線の公理については、非ユークリッド幾何学の成立過程で徹底的に検討、議論され、逆に 平行線の公理がユークリッド幾何学の特徴的な仮定(仮説)で証明できない公理であることが明らかにされた。それとともに 数学とは何かに対する認識が根本的に変わり、数学とは公理系(仮説系)の上に建設された理論体系であって、絶対的な真理という概念を失った。

ここで焦点を当てたいのは 平行線の概念である。ユークリッド幾何学における平行線とは 任意の直線に対して、直線上以外の点を通って、それと交わらない直線のことで、平行線がただ1つ存在するというのがユークリッドの公理である。非ユークリッド幾何学では、そのような平行線が全然存在しなかったり、沢山存在する幾何学になっており、そのような幾何学は 実在し、現在も盛んに利用されている。

この平行線の問題が、ゼロ除算の発見1/0=0、台頭によって 驚嘆すべき、形相を帯びてきた。

ユークリッド自身、また、非ユークリッド幾何学の上記発見者たち、それに自ら深い研究をしていた天才ガウスにとっても驚嘆すべき事件であると考えられる。

何と ユークリッド空間で 平行線は ある意味で全て原点で交わっている という、現象が明らかにされた。

もちろん、ここで交わっていることの意味を 従来の意味にとれば、馬鹿馬鹿しいことになる。

そこで、その意味をまず、正確に述べよう。まずは、 イメージから述べる。リーマン球面に立体射影させると 全ユークリッド平面は 球面から北極点を除いた球面上に一対一に写される。そのとき、球面の北極点に対応する点が平面上になく、想像上の点として無限遠点を付け加えて対応させれば、立体射影における円、円対応を考えれば、平面上の平行線は無限遠点で交わっているとして、すっきりと説明され、複素解析学における基本的な世界観を与えている。平行線は無限遠点で 角ゼロ(度)で交わっている(接している)も立体射影における等角性で保証される。あまりの美しさのため、100年を超えて疑われることはなく、世の全ての文献はそのような扱いになっていて数学界の定説である。

ところがゼロ除算1/0=0では 無限遠点は空間の想像上の点として、存在していても、その点、無限遠点は数値では ゼロ(原点)に対応していることが明らかにされた。 すなわち、北極(無限遠点)は南極(原点)と一致している。そのために、平行線は原点で交わっていると解釈できる。もちろん、全ての直線は原点を通っている。

この現象はユークリッド空間の考えを改めるもので、このような性質は解析幾何学、微積分学、複素解析学、物理学など広範に影響を与え、統一的に新しい秩序ある世界を構成していることが明らかにされた。2200年を超えて、ユークリッド幾何学に全く新しい局面が現れたと言える。

平行線の交わりを考えてみる。交わる異なる2直線を1次方程式で書いて、交点の座標を求めて置く。その座標は、平行のとき、分母がゼロになって、交点の座標が求まらないと従来ではなっていたが、ゼロ除算では、それは可能で、原点(0,0)が対応すると解釈できる。ゼロ除算と解析幾何学からの帰結である。上記幾何学的な説明が、ゼロ除算で解析幾何学的にも導かれる。

一般の円の方程式を2次関数で表現すれば、(x^2+y^2) の係数がゼロの場合、直線の一般式になるが、ゼロ除算を用いると、それが保証されるばかりか、直線の中心は 原点である、直線も点円も曲率がゼロであることが導かれる。もちろん、ゼロ除算の世界では、全ての直線は原点を通っている。このとき、原点を無限遠点の映った影ともみなせ、原点はこのような意味で もともとの原点とこの意味での点としての、2重性を有し、この概念は今後大きな意味を有することになるだろう。

ゼロ除算1/0=0は ユークリッド幾何学においても、大きな変革を求めている。

                                     

以上



上記で、数学的に大事な観点は、ユークリッド自身そうであったが、平行線公理は真理で、証明されるべきもの、幾何学は絶対的な真理であると非ユークリッド幾何学の出現まで、考えられてきたということである。2000年を超える世界観であった事実である。そこで、平行線の公理を証明しようと多くの人が挑戦してきたが、非ユークリッド幾何学の出現まで不可能であった。実は、証明できない命題であったという全く意外な帰結であった。真に新しい、概念、世界観であった。証明できない命題の存在である。それこそ、世界観を変える、驚嘆すべき世界史上の事件であったと言える。

この事件に関してゼロ除算の発見は、全く異なる世界観を明らかにしている。ユークリッドそして、非ユークリッド幾何学の3人の発見者にとって、全く想像ができなかった、新しい事実である。平行線が 無限の先で交わっているとは ユークリッドは考えなかったと思われるが、近代では、無限の先で交わっていると考えられて来ている。― これには、アーベル、オイラー、リーマンなどの考えが存在する。このような考えは、ここ100年以上、世界の常識、定説になっている。ところがゼロ除算では、無限遠点は 数ではゼロが対応していて、平行線は代数的に原点で交わっている、すべての直線は代数的に原点を通っているという解釈が成り立つことを示している。

ユークリッドの幾何学の建設時の想い、ボーヤイ・ヤーノシュの激しい挑戦の様を、 想い を 深く、いろいろ想像している。

以 上


Matrices and Division by Zero z/0 = 0

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