「体重計から始まった」 タニタに聞いた 日本人の健康意識“進化の歴史”
昨年発表された2015年の日本人の平均寿命は、男性80.79歳、女性87.05歳、日本は世界トップクラスの長寿国として知られています。しかし戦後間もない1950年の日本人の平均寿命は男性58.0歳、女性61.5歳で、今より22~25年以上短いものでした(厚労省簡易生命表)。その間に、日本人の健康意識はどのように変わったのでしょうか。体脂肪計の販売などで知られる株式会社タニタ(本社東京・板橋区)で話を聞きました。
アメリカから持ち帰ったバスルームスケールがきっかけ
同社企画開発部主任研究員、西澤美幸さんに案内されたタニタ本社内にある博物館。同社が手がけた体重計や体脂肪計などの商品がずらりと陳列されています。入り口すぐ、表面のエンジ色の色使いと側面の金属仕様の色合いが懐かしい体重計が目を引きます。「こちらが第1号のヘルスメーターです」(西澤さん)。
初の家庭用体重計、第1号ヘルスメーターが発売になったのは1959(昭和34)年。当時の谷田五八士社長(社名は谷田製作所)が、米国視察から、「バスルームスケール」と呼ばれる体重計を持ち帰ったのがきっかけでした。この年、皇太子(現在の天皇)ご成婚に沸き、前年に初めて1万円札が登場するなど、日本は高度経済成長の真っただ中。「これからは自宅にお風呂が造られるようになる。そうすれば、アメリカのように浴室に体重計を置くようになる、と考えたようです」と西澤さんは説明します。
思惑通り、銭湯で風呂上がりに大きな体重ばかりを使うという生活様式から、浴室がある家庭の増加と同時に、ヘルスメーターも普及。発売開始からおよそ10年後の68(同43)年には生産台数100万台突破し、体重計で健康チェックという習慣が日本人に浸透していきました。
そのころ同社では、ヘルスメーターだけでなく、オーブントースターや電気ストーブ、電池式ポケットライターなども製造していたといいます。しかし、徐々に「はかるもの」の進出を広げ、87(同62)年に就任した前社長の谷田大輔氏が「健康をはかる事業」の方針を明確化。好調だった電子ライターの製造からも「喫煙は健康事業に取り組む方針とそぐわない」という理由で撤退し、代わりに「体の中身をみる」体脂肪計の開発などに注力しました。
体脂肪を測る手段に苦戦初の家庭用体重計、第1号ヘルスメーターが発売になったのは1959(昭和34)年。当時の谷田五八士社長(社名は谷田製作所)が、米国視察から、「バスルームスケール」と呼ばれる体重計を持ち帰ったのがきっかけでした。この年、皇太子(現在の天皇)ご成婚に沸き、前年に初めて1万円札が登場するなど、日本は高度経済成長の真っただ中。「これからは自宅にお風呂が造られるようになる。そうすれば、アメリカのように浴室に体重計を置くようになる、と考えたようです」と西澤さんは説明します。
思惑通り、銭湯で風呂上がりに大きな体重ばかりを使うという生活様式から、浴室がある家庭の増加と同時に、ヘルスメーターも普及。発売開始からおよそ10年後の68(同43)年には生産台数100万台突破し、体重計で健康チェックという習慣が日本人に浸透していきました。
そのころ同社では、ヘルスメーターだけでなく、オーブントースターや電気ストーブ、電池式ポケットライターなども製造していたといいます。しかし、徐々に「はかるもの」の進出を広げ、87(同62)年に就任した前社長の谷田大輔氏が「健康をはかる事業」の方針を明確化。好調だった電子ライターの製造からも「喫煙は健康事業に取り組む方針とそぐわない」という理由で撤退し、代わりに「体の中身をみる」体脂肪計の開発などに注力しました。
90(平成2)年には体重科学研究所・ベストウェイトセンターを開設。「当時、医師たちが、肥満とは体重が重いということではない、と言い始めたことがきっかけでした」。西澤さんは、大学で栄養生理学を学んでいたときから、同社で研究に携わることに。そのころ、体の脂肪を測るには「水中体重法」という手法を使っていました。
アルキメデスの原理を用いた「水中体重法」は、被験者が肺の空気を吐ききって、頭まですっぽりと全身を水中に沈めて測定しなくてはいけません。正確な数値を取るためには肺の残気量を事前のテストで調べるなど計測には専門的知識が必要で、手間がかかり、「お年寄りや子どもには負担が大きい」(西澤さん)など、多数問題点があったといいます。
一方で、人の体に電極を付け、電流の流れやすさを数値化することで筋肉や脂肪の量を測定するBIA(Bioelectrical Impedance Analysis、生体電気インピーダンス法)と呼ばれる方法の研究も進んでいました。こちらは、横たわっている被験者の腕や足に電極を付けて計測しましたが、寝起きの動作で体内の水分が移動したり、電極の密着度に差が生じるなど、数値の変動が大きい、という課題を抱えていました。
生活習慣病、メタボリック症候群……社会全体が体重以外の数値に着目アルキメデスの原理を用いた「水中体重法」は、被験者が肺の空気を吐ききって、頭まですっぽりと全身を水中に沈めて測定しなくてはいけません。正確な数値を取るためには肺の残気量を事前のテストで調べるなど計測には専門的知識が必要で、手間がかかり、「お年寄りや子どもには負担が大きい」(西澤さん)など、多数問題点があったといいます。
一方で、人の体に電極を付け、電流の流れやすさを数値化することで筋肉や脂肪の量を測定するBIA(Bioelectrical Impedance Analysis、生体電気インピーダンス法)と呼ばれる方法の研究も進んでいました。こちらは、横たわっている被験者の腕や足に電極を付けて計測しましたが、寝起きの動作で体内の水分が移動したり、電極の密着度に差が生じるなど、数値の変動が大きい、という課題を抱えていました。
「体重計に電極を載せてみたらどうだろう」。こうした難問だらけの状況を打開したのが技術者の発想だった、と西澤さんは振り返ります。
体重計と同じ、立ってBIAを測定する方法には、思わぬ効果がありました。測定時の被験者の状態をそろえることが可能になった上に、体重の重みで電極と体がしっかりと接着するようになったことで、変動幅が大きかった測定値が安定。同時に体重測定できるという面もメリットでした。そして、今までの水中体重法で得た知見を生かした計算式をBIAで得た数値に用いることで92年、世界初となる業務用体内脂肪計の発売にこぎつけます。
2年後の94年には、家庭用の脂肪計付きヘルスメーターを4万円で販売開始。翌95年に2万円に値下げした普及版は大ヒットとなります。「テレビでも健康を取り上げる番組が増え、健康に関する知識や関心が広がりだしたことも背景にあったと思います」(西澤さん)。
ちょうど97年には、厚生省(現厚労省)が「成人病」の名称を「生活習慣病」に変更。脳卒中や高血圧症などの発症を生活習慣から予防するという意識の定着を目指し始めました。また、内臓脂肪が病気を引き起こすリスクも盛んに警鐘されるようになり、05年には、メタボリック症候群の診断基準が策定されるなど、健康管理のために体重以外の数値に着目した時期と重なりました。
西澤さんたちは呼気ガス分析やCTなどで得たデータを次々と反映し、この後も、内臓脂肪レベルを測ることができる体脂肪計(2001年)、基礎代謝を測ることができる体を脂肪計(02年)、さらに筋肉量、推定骨量までも測定できる体組成計(03年)など毎年のように世界初の商品を開発。「当時は会社に寝泊りする勢いでした」と話します。
高齢者も運動にモチベーションを 「筋肉の質」の評価を可能に体重計と同じ、立ってBIAを測定する方法には、思わぬ効果がありました。測定時の被験者の状態をそろえることが可能になった上に、体重の重みで電極と体がしっかりと接着するようになったことで、変動幅が大きかった測定値が安定。同時に体重測定できるという面もメリットでした。そして、今までの水中体重法で得た知見を生かした計算式をBIAで得た数値に用いることで92年、世界初となる業務用体内脂肪計の発売にこぎつけます。
2年後の94年には、家庭用の脂肪計付きヘルスメーターを4万円で販売開始。翌95年に2万円に値下げした普及版は大ヒットとなります。「テレビでも健康を取り上げる番組が増え、健康に関する知識や関心が広がりだしたことも背景にあったと思います」(西澤さん)。
ちょうど97年には、厚生省(現厚労省)が「成人病」の名称を「生活習慣病」に変更。脳卒中や高血圧症などの発症を生活習慣から予防するという意識の定着を目指し始めました。また、内臓脂肪が病気を引き起こすリスクも盛んに警鐘されるようになり、05年には、メタボリック症候群の診断基準が策定されるなど、健康管理のために体重以外の数値に着目した時期と重なりました。
西澤さんたちは呼気ガス分析やCTなどで得たデータを次々と反映し、この後も、内臓脂肪レベルを測ることができる体脂肪計(2001年)、基礎代謝を測ることができる体を脂肪計(02年)、さらに筋肉量、推定骨量までも測定できる体組成計(03年)など毎年のように世界初の商品を開発。「当時は会社に寝泊りする勢いでした」と話します。
これまでに、同社が得た国内外の被験者データは1万4000件。昨年11月には体の部位ごとの測定と「筋肉の質」の評価が可能になった体組成計を売り出しました。「筋肉の質というとアスリートと思われがちですが、一般の方にこそ測り続けてほしい」と西澤さんは言います。
例えば、加齢とともに落ちていく筋肉は「トレーニングしても、年齢が上がると量はなかなか増えませんが、筋繊維を太くして筋質は上げやすいことがわかりました」。これらの筋肉の質を点数化できたことで、高齢者も運動を続けるモチベーションにつながるのでは、と期待します。また女性の場合、体重は月経の関係で、1カ月間に2、3キロの変動があり、「自分の中の変動のリズムを知っておけば、その時々の数値で一喜一憂することはない」など継続した計測の重要性を説明しました。
「“体の中の見える化”をすることで、行動の変移につながります」。タニタでは全社員が活動量計を着用したことで、医療費を削減できたといいます。「体の数値の変化は、行動の小さな選択の積み重ねなんです」。体重計から始まったさまざまな健康チェックの積み重ねが、今後も日本人の健康寿命の上昇に大きく関わっていくのかもしれません。
例えば、加齢とともに落ちていく筋肉は「トレーニングしても、年齢が上がると量はなかなか増えませんが、筋繊維を太くして筋質は上げやすいことがわかりました」。これらの筋肉の質を点数化できたことで、高齢者も運動を続けるモチベーションにつながるのでは、と期待します。また女性の場合、体重は月経の関係で、1カ月間に2、3キロの変動があり、「自分の中の変動のリズムを知っておけば、その時々の数値で一喜一憂することはない」など継続した計測の重要性を説明しました。
「“体の中の見える化”をすることで、行動の変移につながります」。タニタでは全社員が活動量計を着用したことで、医療費を削減できたといいます。「体の数値の変化は、行動の小さな選択の積み重ねなんです」。体重計から始まったさまざまな健康チェックの積み重ねが、今後も日本人の健康寿命の上昇に大きく関わっていくのかもしれません。
興味深く読みました:
再生核研究所声明34(2010/04/16):日本のビジネス―日本料理店の海外展開
日本製品として、国際的に高い評価を得て、世界の富を日本国にもたらしてきたものとして、家電、カメラ、半導体、自動車などが 顕著なものとして、想起される。しかしながら、諸外国の台頭によって、日本国の大きな目玉となる産業にかげりが見えてきており、 国内には失業者があふれ、経済不振と、慢性的な財政赤字に陥っている。 日本国の再生の基礎は、根本的には教育を正し、精神をきたえ直す必要があると考えるが 一つの戦略を具体的に提案したい。要旨は世界の多くの都市に、日本料理店を展開すること である。
先ず、食に対する関心の深さは いずこも同じで、生きることとは 食べること にも通じるものがあり、食に対する関心、経費は、人間存在と活動の大きな部分を占めるという事実から、認識を深める必要がある。 日本料理は健康食品であると同時に、際立った特徴を有し、幸い、日本料理に対する世界の人々の関心の深さは 驚くべきものであり、現状よりは遥かに大きなビジネスチャンスを有すると考える。多くの日本人に、海外の日本料理店で働く職場を広く開拓して、同時に日本の文化を海外に紹介し、また逆に、日本人は海外に出ることによって、国際的な広い視野をもつ機会が得られて、好ましい効果が期待される。
これらのことは、比較的簡単に 少ない投資と準備で実現でき、大きな経済的、文化的な効果が望めると考える。 一つの国家戦略にしようではありませんか。 世界の多くの都市に、日本国の象徴として、美しい日本料理店を展開し、日本の文化を世界に紹介する拠点にしようではありませんか。 若者の雇用や、経済、文化への波及効果は 大きいと考える。もちろん、世界の平和にも大きく貢献するものと考える。
具体的に 次のように提案したい:
経済産業省、外務省、農林水産省などの関係省庁の積極的な援助、
文部科学省は、料理学校などを充実、格あげし、合わせて関係教養教育の充実も図る、
外国人向け 観光関係機関の積極的な支援、
国防省の組織的な支援: たとえば、5000億の資金を兵器の購入にかけるより、そのような面で援助して、日本料理店を通して世界の情報を組織的に得るシステムを確立する、また平和のための戦略を進め、観光促進の拠点にもする。 これこそ、愚かな軍事費を美しい営みにまわしたいとの想いの 現実的な一つの提案になるのではないだろうか。
日本料理店を拠点に、先ずは、世界的の人々の関心が期待される花道、茶道などの組織的な教室の開講を意図する。 また、そのような関係組織との連携を図る。さらに、日本庭園などの文化的な輸出も展望する。
既に相当数、日本人のいない日本料理店が存在する状況を調べて、日本人の派遣による より日本的な料理を浸透させるのは、最も手短な第1歩になると考える。 また、日本料理店の評価機関の設置の検討なども、なされるべきであると考える。
美しい特徴をもつ日本文化を もっと世界で活かそうではありませんか。 関係者のご検討と積極的な取り組みを期待したい。
以上
再生核研究所声明365(2017.5.12)目も眩むほど素晴らしい研究課題 ― ゼロ除算
(2017.5.11.4:45 頃 目を覚ましたら、突然表題とその構想が情念として湧いてきたので、そのまま 書き留めて置きたい。)
そもそもゼロ除算とは、ゼロで割る問題であるが、ゼロの発見者、算術の確立者が既に 当時、0/0=0としていたにも関わらず(Brahmagupta (598 - 668 ?). defined as $0/0=0$ in Brāhmasphuṭasiddhānta (628))、1300年以上もそれは間違いであるとして、現在に至っている。最近の知見によれば、それは 実は当たり前で、現代数学の初歩的な部分における大きな欠落で、現代数学の初歩部分は相当な修正、補充が要求されている。問題は、無限の彼方に対する概念が 無限と考えられていたのが 実はゼロであったとなり、ユークリッド幾何学の欠落部分が存在し、強力な不連続性が現れて、アリストテレスの世界観に反する世界が現れてきたことである。超古典的結果の修正、補完、新しい世界の出現である。
初等数学は 無限の概念や勾配が関係する部分で大きな変更が必要であり、2次曲線論ですら 修正が要求される。多くの物理学や数理科学に現れる公式において 分母がゼロのところで、新しい知見を探す、考えることができる。
ところで、数学とは何だろうかと問い、その中で、良い結果とは、
基本的であること、
美しいこと、
世の中に良い影響を与えること、
上記の観点で、想い出されるのは、ピタゴラスの定理、アインシュタインの公式、ニュートンの万有引力の公式や運動の法則、少し、高級であるが 神秘律 オイラーの公式 などである。
この観点で ゼロ除算の公式
1/0=0/0=z/0=0
を掲げれば、その初歩的な意味とともに 神秘的に深い意味 を知って、慄然とするのではないだろうか。それゆえにゼロ除算の研究は 世界史的な事件であり、世界観に大きな影響を与える。ゼロ除算は初等部分から 神秘律に至る雄大な研究分野であると言える。
探そうゼロ除算、究めようゼロ除算の意義。神の意思を追求しよう。
ゼロ除算は、中学生からはおろか、小学生にも分かって 楽しめる数学である。実際、道脇愛羽さん(当時6歳)は、ゼロ除算の発見後3週間くらいで、ゼロ除算は当たり前と理由を付けて、述べていた。他方、多くの大学教授は 1年を遥かに越えても、理解できず、誤解を繰り返している面白い数学である。世界の教科書、学術書は大きく変更されると考えられる。多くの人に理解され、影響を与える研究課題は、世に稀であると言える。
以 上
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1
-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
1/0=0、0/0=0、z/0=0
再生核研究所声明368(2017.5.19)ゼロ除算の意義、本質
ゼロ除算の本質、意義について、既に述べているが、参照すると良くまとめられているので、初めに復習して、新しい視点を入れたい。
再生核研究所声明359(2017.3.20) ゼロ除算とは何か ― 本質、意義
ゼロ除算の理解を進めるために ゼロ除算とは何か の題名で、簡潔に表現して置きたい。 構想と情念、想いが湧いてきたためである。
基本的な関数y=1/x を考える。 これは直角双曲線関数で、原点以外は勿論、値、関数が定義されている。問題はこの関数が、x=0 で どうなっているかである。結論は、この関数の原点での値を ゼロと定義する ということである。 定義するのである。定義であるから勝手であり、従来の定義や理論に反しない限り、定義は勝手であると言える。原点での値を明確に定義した理論はないから、この定義は良いと考えられる。それを、y=1/0=0 と記述する。ゼロ除算は不可能であるという、数学の永い定説に従って、1/0 の表記は学術書、教科書にもないから、1/0=0 の記法は 形式不変の原理、原則 にも反しないと言える。― 多くの数学者は注意深いから、1/0=\infty の表記を避けてきたが、想像上では x が 0 に近づいたとき、限りなく 絶対値が大きくなるので、複素解析学では、表現1/0=\infty は避けても、1/0=\infty と考えている事は多い。(無限大の記号がない時代、アーベルなどもそのような記号を用いていて、オイラーは1/0=\inftyと述べ、それは間違いであると指摘されてきた。 しかしながら、無限大とは何か、数かとの疑問は 続いている。)。ここが大事な論点である。近づいていった極限値がそこでの値であろうと考えるのは、極めて自然な発想であるが、現代では、不連続性の概念 が十分確立されていて、極限値がそこでの値と違う例は、既にありふれている。― アリストテレスは 連続性の世界観をもち、特にアリストテレスの影響を深く受けている欧米の方は、この強力な不連続性を中々受け入れられないようである。無限にいくと考えられてきたのが突然、ゼロになるという定義になるからである。 しかしながら、関数y=1/xのグラフを書いて見れば、原点は双曲線のグラフの中心の点であり、美しい点で、この定義は魅力的に見えてくるだろう。
定義したことには、それに至るいろいろな考察、経過、動機、理由がある。― 分数、割り算の意味、意義、一意性問題、代数的な意味づけなどであるが、それらは既に数学的に確立しているので、ここでは触れない。
すると、定義したからには、それがどのような意味が存在して、世の中に、数学にどのような影響があるかが、問題になる。これについて、現在、初等数学の学部レベルの数学をゼロ除算の定義に従って、眺めると、ゼロ除算、すなわち、 分母がゼロになる場合が表現上現れる広範な場合に 新しい現象が発見され、ゼロ除算が関係する広範な場合に大きな影響が出て、数学は美しく統一的に補充,完全化されることが分かった。それらは現在、380件以上のメモにまとめられている。しかしながら、世界観の変更は特に重要であると考えられる:
複素解析学で無限遠点は その意味で1/0=0で、複素数0で表されること、アリストテレスの連続性の概念に反し、ユークリッド空間とも異なる新しい空間が 現れている。直線のコンパクト化の理想点は原点で、全ての直線が原点を含むと、超古典的な結果に反する。更に、ゼロと無限の関係が明らかにされてきた。
ゼロ除算は、現代数学の初等部分の相当な変革を要求していると考えられる。
以 上
ゼロ除算の代数的な意義は、山田体の概念で体にゼロ除算を含む構造の入れ方、一般に体にゼロ除算の概念が入れられるが、代数的な発展については 専門外で、触れられない。ただ、計算機科学でゼロ除算と代数的な構造について相当議論している研究者がいる。
ゼロ除算の解析学的な意義は、従来孤立特異点での研究とは、孤立点での近傍での研究であり、正確に述べれば 孤立特異点そのものでの研究はなされていないと考えられる。
なぜならば、特異点では、ゼロ分のとなり、分子がゼロの場合には ロピタルの定理や微分法の概念で 極限値で考えてきたが、ゼロ除算は、一般に分子がゼロでない場合にも意味を与え、極限値でなくて、特異点で 何時でも有限確定値を指定できる ― ゼロ除算算法。初めて、特異点そのものの世界に立ち入ったと言える。従来は孤立特異点を除いた世界で 数学を考えてきたと言える。その意味でゼロ除算は 全く新しい数学、世界であると言える。典型的な結果は tan(\pi/2) =0で、y軸の勾配がゼロであることである。
ゼロ除算の幾何学的な意義は、ユークリッド空間のアレクサンドロフの1点コンパクト化に、アリストテレスの連続性の概念でない、強力な不連続性が現れたことで、全く新しい空間の構造が現れ、幾何学の無限遠点に関係する部分に全く新規な世界が現れたことである。所謂無限遠点が数値ゼロで、表現される。
さらに、およそ無限量と考えられたものが、実は、数値ゼロで表現されるという新しい現象が発見された。tan(\pi/2) =0の意味を幾何学的に考えると、そのことを表している。これはいろいろな恒等式に新しい要素を、性質を顕にしている。ゼロが、不可能性を表現したり、基準を表すなど、ゼロの意義についても新しい概念が現れている。
以 上
ゼロ除算の詳しい解説を次で行っている:
(数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
)
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1
-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
再生核研究所声明367(2017.5.18)数学の真実を求める方、数学の研究と教育に責任を感じる方へ
(「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」 ― 親鸞聖人)
そもそも数学とは何だろうかと問うことは大事である。しかしながら、生きる意味を問うことは より根源的で大事な問いである。数学についても人生についても述べてきた:(No.81、2012年5月(PDFファイル432キロバイト) -数学のための国際的な社会...www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)。
数学とは、公理系、仮定系を設定すると、このようなことが言えるというものである。公理系の上に、いろいろな概念や定義を導入して数学は発展するがその全貌や本質を捉えることは何時まで経っても人間の能力を超えた存在で不可能であろう。しかしながら、人それぞれの好みを越えて、完成された理論は人間を越えて存在する客観性を有すると信じられている。万有引力の法則など物理法則より数学の理論は不変で確かな存在であろう。
数学が関係の編みのようなものであると見れば、数学の発展の先や全貌は 人間を越えて本質的には存在すると言える。例えばニュートンの万有引力の発見は、物理学の発展から必然的と言えるが、数学の発展の先はそれよりも必然的であると考えられる。その意味では、数学では特に要求されない限り、じっくりと落ち着いて楽しむように研究を進められるであろう。
ところで、ゼロで割る問題、ゼロ除算であるが、これは誠に奇妙な歴史的な事件であると言える。
ゼロで割れないは 小学校以来の世界の常識であり、アリストテレス以来の考えであると言う。オイラーやアインシュタインなども直接関わり、数学的には確定していたが、不可能性に対する興味とともに、計算機科学と相対性の理論の関係で今でも議論が続けられている。
ところが、誠に奇妙な事実が存在する。ゼロの発見者、マイナスの数も考え、算術の四則演算を確立されたBrahmagupta (598 -668 ?) は 既に、そこで628年、0/0=0 と定義していたという。しかしながら、それは間違いであると 今でも判断されていて今日に至っている。今でもゼロ除算について諸説が有って、世界やグーグルの世界でも混乱している。何十年も研究を続けて、本を出版したり、論文を公表している者が4,5人、あるいはグループで研究している者もいるが、それらは間違いである、不適当であると説得を続けている。ゼロ除算について無駄な議論や情報が世界に氾濫していると言える。
再生核研究所では、ゼロ除算発見3周年を経過し、広く議論してきたので、ゼロ除算の発見を宣言している(Announcement 362: Discovery of the division by zero as $0/0=1/0=z/0=0$ (2017.5.5)})。詳しい解説も3年間続け
(数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
)、論文も発表、学会、国際会議などでも報告してきている。
何と創始者の結果は実は正しく、適当であることが沢山の数学の具体的な例と発展から、明らかにされてきた。ところがゼロ除算は、アリストテレスの連続性の概念を変え、2000年以上の伝統を有するユークリッド空間に全く新しい面が加わり、現代数学の初歩全般に大きな影響を与えることが分かってきた。
我々の空間の認識は間違っており、我々が学んでいる数学は、基本的なところで、欠落していて、真実とはかなり程遠く、実は数学はより完全でもっと美しいことが分かってきた。我々は年々不完全で不適当な数学を教えていると言える。
このような多くの大きな変化にはとても個人では対応できず、対応には大きな力が必要であるから、数学の愛好者や、研究者、教育者などの積極的な協力、教育、研究活動への参画、理解、援助などをお願い致したい。ゼロ除算の歴史は 人類の恥になるだろう。人々はゼロ除算の発展から、人間とはどのようなものかを沢山 学べるのではないだろうか。
以 上
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1
-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html
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