2014年9月29日月曜日

サッカー男子 準々決勝で敗退

サッカー男子 準々決勝で敗退
9月28日 20時59分
サッカー男子 準々決勝で敗退
インチョンアジア大会サッカー男子の準々決勝で、日本は韓国に0対1で敗れ、大会連覇はなりませんでした。
日本は再来年のリオデジャネイロオリンピックを見据えて、21歳以下の若いメンバーで臨み、準々決勝では23歳以下の選手が中心の地元・韓国と対戦しました。
日本は前半チャンスを作り、ゴールを目指しますが、4試合で無失点の韓国の固い守りから得点を奪えませんでした。
後半に入り、日本は韓国の速い攻撃に押され、サイドからのクロスボールやミドルシュートなどでたびたびゴールを脅かされました。
そして、後半終了間際、浮き球の競り合いでペナルティーキックを取られて、韓国にゴールを決められました。
日本は0対1で敗れ、大会連覇はなりませんでした。
中島「焦ってしまった」
ミッドフィールダーの中島翔哉選手は、「悔しいです。アウェーだし、できるだけ早くゴールを奪いたかったが自分へのプレッシャーがきつく焦ってしまった。韓国は攻撃に迫力があり、シュート数でも差をつけられてしまった。相手が韓国だから特別に気合いが入るということはなかった。相手の大歓声のなかだったが特にやりずらさは感じなかったし、逆に楽しかった」と振り返りました。
そのうえでリオデジャネイロオリンピックに向けて「これからは1人1人がレベルアップして、オリンピックの本番でベスト4に行ければいい。自分もすべての面で成長していきたい」と話していました。
手倉森監督「よいチームになる手応えも」
準々決勝で敗れたサッカー男子の手倉森誠監督は、「悔しい敗戦だ。韓国の試合運びがうまかったということだ。圧倒的なアウェーの会場の試合で選手自身が教えられたことや感じたこと、そして悔しさ、すべてが財産だと思う。試合を重ねながら強くなろうとしたなかで、きょうは3試合分位の大きな経験ができたと思う。今後、再来年のリオデジャネイロオリンピックを目指していくなかで、相当よいチームになると手応えを感じることができた」と大会を総括しました。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140928/k10014945411000.html

再生核研究所声明169(2014.6.25) サッカー観戦の印象 と 日本チーム強化の戦略
(サッカーファンからの要望によって、日本チームを強くする戦略を考察した。)
ワールドカップ日本の観戦をして、自国チームが負けるのは、生物の本能に由来するように、嫌なものである。 誰でもそうではないだろうか。― 生命には、本質的に切なさが存在する。― 数学などの研究を永くしてくると あまりにも厳しい世界で とても志す気には成れない。数学などの研究は 何十年のスパンで 長期戦略で進める求道や 真理の追究、人生の志に由来する。
サッカーは 子供の頃校庭でよくやったものであるが、勝負と言えるようなことをやったことは無く、全くの素人である。
しかし、今回の日本戦を見て、良い戦略、強化方法が思い付いたので、上記要望も寄せられた経緯も有るので、触れて、提案したい。言うは易く、行うは難しい??
特に、ギリシャ戦などでは、全体的な力では相当優位にあるように見えたが、結局、引き分けに終わった苦しい戦いであった。どうしてだろう。 それは、ゴールを決められない決定的な弱点にある。 ゴールを決めることは、サッカーで 優位に立つ 重要な、肝心な点 ではないだろうか。初戦についても言える。コロンビア戦についても言える。ゴールの機会は、結構あったと言える。
そこで、次のような訓練は 如何であろうか。
ゴールを狙える立場の人は、ゴールの枠にぶつけて、反射で ゴールを決める訓練を徹底的にやる。
この訓練は ゴールキーパーにはよらず、 何時でも安定的に練習ができ、何時でも、最も有効にゴール決める方法である。 本能かも知れないが、ゴールを狙うとき、わざわざキーパーにぶつけているような例が多く見られる。これは、極めて残念な場合である。ゴールを狙う機会はそう多くはないので、痛切残念、そのような場合には、国中でため息が聞かれる状況と言える。
条件反射的に、ゴールの枠にぶつけて、反射で ゴールを決めるような訓練を 徹底的にして欲しい。
総合的な力を付けるのは、専門家の課題であるが、この要点をしっかり訓練すれば、戦力は飛躍的に向上するのではないだろうか。実際、ゴールを決めている場合、ゴールの枠にぶつかって、ゴールを決めている場合が多く見られる。既にそのような訓練を意図的に行っているのではないだろうか。
サッカーの印象は、アジアや日本は まだまだ伝統が浅く、世界レベルから見ると、まだ力不足は否めない。 伝統は甘くはない。世界的になる、世界を狙う精神がどのようなものか、その精神がまだ、しっかり身についていないと言うことではないだろうか。 これは単にサッカーばかりではなく、近代科学や民主主義、人権、評価システム、大学の在りよう、マスコミの在りよう、政治家の在りようなどなど、欧米から 入ってきた多くが表面的な物まねで、それらの深いところの理解が 浅く、しっかりしていない状況と同様ではないだろうか。輸入したものを身に付けるのは、教えられ、学んだものを身に付けるのは、 一朝一夕にはゆかないのが、道理ではないだろうか。長期的な視点に立って、頑張って欲しい。
以 上

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