2014年9月21日日曜日

多様性の容認といいますがこれらのケースは、どうなんでしょうか?

多様性の容認といいますがこれらのケースは、どうなんでしょうか?
僕は
①電車の車内で騒いでいる人間を軽蔑する。
②性風俗に行っている人間を軽蔑している。
③前科のある人を軽蔑している。
④破産者を軽蔑している。
んですが、多様性がないでしょうか?
善を愛すれば愛するほど、悪を憎む心が強くなるというのも僕はあると思うんですが
あまりに鬱陶しいので、注意するとか、こんな奴らといたくないとか
そういうのは大事なように思うんですが
補足多様性を認めるや、寛容な精神が大事というのは、2次的なイメージがあります。
そんなことよりもっと大事なのが、約束を守れず債権者に迷惑をかける破産者を軽蔑することによって、できない約束はしてはならない等、自分の戒めにもなるとおもいます。
借りれるだけ借りて、最後は破産すればいいといった経営者が僕は嫌いです。そんな意見を尊重する人の倫理観にゾッとします。
あと、不倫を容認する人が寛容な人なんでしょうか?
多様性は、個人が承認し、一緒に成ることではなく、類は友をなすは 適切で、現実的ですね。
しかし、自分で、いろいろな人を評価して、差別するような態度は良くなく、世にはいろいろな人が居ると考えるのが良いのでは。
同性婚を認める国が増加していますが、私は、そのような考えを理解できませんが、そのような人もいるのか、という考え方ですね。

0 件のコメント:

コメントを投稿