2014年9月23日火曜日

ローマ法王、訪問先アルバニアで「宗教共存」を呼び掛け

ローマ法王、訪問先アルバニアで「宗教共存」を呼び掛け
2014.09.22 Mon posted at 12:45 JST
ローマ法王フランシスコ。訪問先のアルバニアで「宗教共存」を訴えた
(CNN) ローマ法王フランシスコは21日、イスラム教徒が多数を占めるアルバニアを訪問した。複数の宗教が平和的に共存する例として同国をたたえ、宗教の名を借りた暴力を非難した。
法王は特定の武装勢力の名を挙げずに「人間の尊厳と基本的人権、特に生存権や信教の自由を侵す行為の口実として、宗教を使ってはならない」と強調した。
法王は先月の発言でイスラム教スンニ派の過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」を名指しし、「不当な攻撃者」と非難していた。
アルバニアは冷戦終結まで旧ソ連圏に属していたが、現在は欧州連合(EU)への加盟に意欲を示す。米中央情報局(CIA)の統計によると、イスラム教徒が国民の56%を占め、カトリックが10%、ギリシャ正教が7%となっている。
法王が同国を訪れるのは20年ぶり。法王フランシスコにとってはイタリア以外の国では欧州で初の訪問先となった。
首都ティラナの大統領府へ向かう沿道では、法王のオープンカーに多くの市民が歓声を送った。その後、市中心部のマザーテレサ広場でミサが行われた。http://www.cnn.co.jp/world/35054112.html?tag=top;topStories

再生核研究所声明 122 (2013.8.1): 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い。
(2013.7.29.7時半、光り輝く 入り江の美しさに 感銘を受けながら、研究室に向っているとき、声明の原案が電光のように閃いた)
数学とは何か ― 数学と人間について
国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 
No.81, May 2012(pdf 432kb)
に公刊したが、その第8節に、ここで、神の定義と神の存在証明ができそうであるが、未だ不十分である と述べている。それ以降も考察は自然に無意識の中でも進んでいたのであるが、
究極の信仰:
2013.7.27: 7時前ころ、ひらめいた直観である:
神は存在し、 存在も、非存在も しっかりと支えておられる。 人間は想い患うことはない。 ただ、必要な時に 一心に念じれば良い。
との直観が湧き、上記のように声明に纏める事とした。 これは数学の研究で、永い考察を行なっていたものが ちょっと違った方向から 突然直観的に完全な解に達した時のような、現象である。今回のは 反例の発見や、不可能の証明に近いと言える。
そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。
人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか。 -  このような精神は、悟りへの道にも通じると考えられる (再生核研究所声明 118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ― 再生核研究所声明 19 : 超越への道、悟りへの道 をおし進めると ―)。 またこのような精神は、ヨーロッパで 4年以上暮らし、4年2か月、キリスト教の強い影響で目覚めた心情で、 尊敬する仏教の発想から出たものではないと言える。 しかしながら、ここで述べられた精神は あらゆる神と宗教と信仰の 共通の核心 であると考えられる。
本声明は、生きとし生けるもの、命あるものの 究極の救済 を求めているものである。 また、人は必要なときに必要なだけ については 再生核研究所声明85:  食欲から人間を考える ― 飽きること を参照。
本声明は 宗教の統一 を成し遂げたものであると言える。
以 上

0 件のコメント:

コメントを投稿