2016年11月4日金曜日

数学オリンピック2連覇vs頭脳王2連覇、頭脳日本No.1「東大王」は誰の手に?

数学オリンピック2連覇vs頭脳王2連覇、頭脳日本No.1「東大王」は誰の手に?

現役東大生・東大OBが集まり、日本の頭脳の頂点を決めるTBS系の特別番組『日本の頭脳No.1決定戦 東大王2016』が10月19日(水)午後8時57分より放送される。
今回出場するのは、菊川怜・森永卓郎ら東大OBの有名人のほか、厳正な予選を勝ち抜いた実力者12名。現役東大生には、「高校生クイズ2連覇」「数学オリンピック2連覇」「頭脳王2連覇」「IQ165」「偏差値90」など驚異の頭脳の持ち主が揃う。

バトルは「超難問!筆記バトル」「超難問!早押しバトル」「超難問の筆記、実技、早押バトル」の3ステージで、1問ごとに座席が入れ替わるシステム。正解するごとに座席が上がっていき、成績上位者は下位の出場者を見下ろすことになる。

スタジオでは、梅沢富美男・宇治原史規・ホラン千秋・ラサール石井らのゲストが対決を見届ける。果たして「東大王」になるのは...?

『日本の頭脳No.1決定戦 東大王2016』は10月19日(水)午後8時57分〜10時54分にTBS/MBS系で放送される。http://music-book.jp/video/news/news/126123

ゼロ除算は盲点・・・・・
天才達・秀才達が見落としていた・・・・・

再生核研究所声明331(2016.11.04) 提案 ― ゼロ除算の研究は、学部卒論や修士論文の題材に適切
(雨上がり 山間部の散歩で考えが湧いた。ゼロ除算の下記論文は、新しい数学の研究課題で、学部4年生の卒論ゼミの課題、修士論文の研究課題に適切である:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China. (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016        305 pp. (Springer) 
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue  1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URL
簡単に理由を纏めて置きたい。
1) 基礎知識が学部3年生程度で十分で、基本的な結果を議論でき、新しい結果を導ける余地が十分に存在する。新規で、多くの人が興味を持つ課題で国際的にも広く交流できる。
2) 内容は、永い歴史を有する世界史の問題に関わり、空間の考え、勾配、微分、接線、連続性、無限など数学の基礎概念に関与している。相対性理論、ブラックホール、ビッグバン、計算機障害などにも関係している。
3) もともと歴史的な大問題で、ゼロ除算として永い歴史と文化に関わり、広い視点が発展中の生きた数学の中に持てる。
4) 論理には厳格性、精密性、創造性が要求され、数学の精神の涵養に適切である。予断と偏見、思い込みの深さなどについて人間を知ることが出来る。
5) 基礎数学の広範な修正構想に参画でき、物理学など広い研究課題への応用が展望でき、ゼロ除算算法のような新規で基礎数学の新しい手段を身に付けることが出来る。
6) 現在数学は高度化、細分化して、永い学習期間を経て創造的な仕事に取り掛かれるのが普通であるが、ゼロ除算の研究課題では初期段階から、新しい先端の研究に取り掛かれる基礎的な広い研究領域が存在する。ゼロ除算の研究課題は、世にも稀なる夢のある研究課題であると考えられる。― アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更 かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる(再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)。

偉大なる研究は 2段階の発展でなされる という考えによれば、ゼロ除算には何か画期的な発見が大いに期待できるのではないだろうか。 その意味では 天才や超秀才による本格的な研究が期待される。純粋数学として、新しい空間の意義、ワープ現象の解明が、さらには相対性理論との関係、ゼロ除算計算機障害問題の回避など、本質的で重要な問題が存在する。 他方、新しい空間について、ユークリッド幾何学の見直し、世のいろいろな現象におけるゼロ除算の発見など、数学愛好者の趣味の研究にも良いのではないだろうか。 ゼロ除算の研究課題は、理系の多くの人が驚いて楽しめる普遍的な課題で、論文は多くの人に愛される論文と考えられる。

以 上
再生核研究所声明330(2016.11.01) 原始人間から人間を考える
人間が下等生物から、進化して現在の人類に至っている事実は 真実であると言える。この事実から、原始人間の生活とは、海岸や川辺に一族を中心に群がって生活してきた時代が何万年と続いてきたことは紛れもない事実である。雄大な生態系、その背後の豊かな自然に支えられてきて、一族は 生物や動物たちの群れのように環境の中で、バランスを取りながら、植物繁茂のように生存していたと言える。触れたい観点は、豊かな自然と生態系の中で、殆ど動物の群れのように生活してきたという観点である。 人生とは何か、人間とは何かと問ふとき、人間の経歴、原始人間の様をしっかりと捉えることは大事ではないだろうか。
人間とは、どのような存在で、どのように在るべきか の本質を示しているように見える。環境と生態系の上に存在して、それらのバランスの上に在るということである。そのような視点では、人間の知恵も能力も 大したものではなく ― 実際、人間はどんな動物も植物も、細菌さえ作ることができない ― 、逆に、人類は悪知恵が発達した まるで地球の生態系の癌細胞のような存在に成りかねないので 自戒したい。生物は自制出来る存在であるが、人間は自制できない危険な要素を有しているからである。使いようによっては非常に危険な機械、道具、手段を手に入れている。
この声明の考えの素は、人間の存在が結局、植物や動物の存在と本質的に変わりはなく、全ては生態系と環境の基礎の上に存在して、生命の運命は 本質的に変わりはない ということに気づいたことである。そのために、環境と生態系を人類の母なるものとして、大事にし、愛でて行きたいということである。
人間中心の考え方を厳に戒めて行きたい。自然、生物に対して畏敬の念を抱いてきた 神道の精神は 誠に良いのではないだろうか。お釈迦様の教えも 生態系に対する共感、共鳴に基づいた、人間的な在りようを諭されたものとして 誠に有難い教えであると考えられる。

尚、人間について考えるは、真智恵の愛と言えるが、沢山触れられている:
再生核研究所声明12:  人生、世界の存在していることの意味について 
再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと
再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道
再生核研究所声明 32: 夜明け -- ノアの方舟
再生核研究所声明 36: 恋の原理と心得 
再生核研究所声明 47:  肯定死
再生核研究所声明 57: 人生とは何か、人生如何に生きるべきか
再生核研究所声明 63 : 解脱; 神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心
再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 69:  単細胞人間 ― 単細胞的思考
再生核研究所声明74(2012.2.8): 人生・生命の肯定について再生核研究所声明76(2012.2.16): 教育における心得 ― 教育原理
再生核研究所声明77(2012.2.18): 人生における心得
再生核研究所声明80(2012.3.20 ): 挑戦 とは 何か
再生核研究所声明85(2012.4.24):  食欲から人間を考える ― 飽きること
再生核研究所声明86(2012.4.25):  未だ おめでたい人類 - 先史時代
再生核研究所声明91(2012.5.20): 創造性についての一考察
再生核研究所声明 99(2012.9.24) 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案
再生核研究所声明 105(2012.11.06) 人間の愚かさ、弱点について
再生核研究所声明 112(2013.3.14) 公理系からの脱却、論理的思考、逆思考によって、視野を高め、広めよ ― 平成暗黒時代を このまま終わらせて 良いものか
再生核研究所声明 118 (2013.5.16) 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ― 
再生核研究所声明 119 (2013.5.18): 冷酷な神々、自然    見捨てられた 人類
再生核研究所声明 120 (2013.5.24): 終末の在りようについての 総合的な検討を、遅れている面での 文化を進めよう ― 個人の自由意志の尊重に基づく  肯定死の保証 と 方法の確立を
再生核研究所声明 122 (2013.8.1) 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い。
再生核研究所声明 124 (2013.8.20): 恋の機微 - 恋の極意
再生核研究所声明 132 (2013.9.10):  神を如何に感じるか - 神を如何に観るか
再生核研究所声明 134 (2013.10.5): 私の命よりも 大事な 私 ― 人間の崇高さ、素晴らしきかな 人間
再生核研究所声明 141 (2013.11.14): 結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明 144(2013.12.12) 人類滅亡の概念 - 進化とは 滅亡への過程である
再生核研究所声明 145 (2013.12.14)  生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明1462013.12.17) 愛の本質、愛の原理 
再生核研究所声明1472013.12.27) 創造性についての 第二考察
再生核研究所声明1492014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明155 生きる意味は 文学者にも分からない??
再生核研究所声明158(2014.5.22  生命と人生
再生核研究所声明159(2014.5.28  恋する男女は強い - 何故か?
再生核研究所声明160(2014.5.30  人生の晩年における楽しみ - 終末、もっと爽やかに考えたい
再生核研究所声明1682014.6.24) 霧の中 ― 環境の中の人間、盲目、偏見
再生核研究所声明1722014.8.5) 人間の愚かさについて
再生核研究所声明1732014.8.6) 愛が無ければ観えない
再生核研究所声明1752014.8.8) 人間の擁く 大きな虚像
再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
再生核研究所声明181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙
再生核研究所声明183(2014.11.27) 野生動物と人間
再生核研究所声明192(2014.12.27) 無限遠点から観る、人生、世界
再生核研究所声明197(2015.1.5)真智への愛とは何か
再生核研究所声明198(2015.1.14) 計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて
再生核研究所声明203(2015.2.4)人間とは何か、人生とは何か
再生核研究所声明205(2015.2.11) 宿命論
再生核研究所声明206(2015.2.12) 女性の生態、主婦の生態
再生核研究所声明207(2015.2.13) 男性の生態、亭主の生態
再生核研究所声明216(2015.3.12) 死について、死からの解放について
再生核研究所声明217(2015.3.13) ご自愛を ― 健康第一
再生核研究所声明218(2015.3.19) 興味、関心、感動;人間とは
再生核研究所声明220(2015.3.21) 戦争に関する心理について
再生核研究所声明223(2015.4.14) 人生の目的は、自然を愛でて楽しみ、ともに喜び合うこと ― 二十一世紀の壮大なロマン 真実(播磨屋助次郎著)を読んで
再生核研究所声明229(2015.5.12)吉田松陰から学ぶ ― 志の重要性と松陰の最期、モミの実の喩え
再生核研究所声明254 (2015.11.2)  愛が無ければ観えない ― について、 更に
再生核研究所声明 265(2015.12.24): 全ての願いが叶えられたとき ー 自由な境地 ― その時人間は
再生核研究所声明 266(2015.12.25): 地球上に繁茂する 愚かな人類
再生核研究所声明 267(2015.12.26): 未知の世界に遭遇したとき、分からないとき ― そのときどうするか
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
再生核研究所声明 274(2016.01.08): 間をとることの重要性、余裕を持とう
再生核研究所声明288(2016.02.19) 戦友達 ― 共生、共感、共鳴
再生核研究所声明289(2016.02.26) 終末の心得
再生核研究所声明291(2016.03.07) 心の微妙さ
再生核研究所声明301(2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ
再生核研究所声明304(2016.06.16) いじらしい人間
再生核研究所声明328(2016.10.24) NHK大河ドラマ、真田幸村の大阪城入場から考える人間 ― 自由について
以 上
再生核研究所声明316(2016.08.19) ゼロ除算における誤解
(2016年8月16日夜,風呂で、ゼロ除算の理解の遅れについて 理由を纏める考えが独りでに湧いた。)
                                                     
6歳の道脇愛羽さんたち親娘が3週間くらいで ゼロ除算は自明であるとの理解を示したのに、近い人や指導的な数学者たちが1年や2年を経過してもスッキリ理解できない状況は 世にも稀なる事件であると考えられる。ゼロ除算の理解を進めるために その原因について、掘り下げて纏めて置きたい。
まず、結果を聞いて、とても信じられないと発想する人は極めて多い。割り算の意味を自然に拡張すると1/0=0/0=z/0 となる、関数y=1/xの原点における値がゼロであると結果を表現するのであるが、これらは信じられない、このような結果はダメだと始めから拒否する理由である。
先ずは、ゼロでは割れない、割ったことがない、は全ての人の経験で、ゼロの記録Brahmagupta(598– 668?) 以来の定説である。しかも、ゼロ除算について天才、オイラーの1/0を無限大とする間違いや、不可能性についてはライプニッツ、ハルナックなどの言明があり、厳格な近代数学において確立した定説である。さらに、ゼロ除算についてはアインシュタインが最も深く受け止めていたと言える:(George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} :Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.)。
一様に思われるのは、割り算は掛け算の逆であり、直ぐに不可能性が証明されてしまうことである。ところが、上記道脇親娘は 割り算と掛け算は別であり、割り算は、等分の考えから、掛け算ではなく、引き算の繰り返し、除算で定義されるという、考えで、このような発想から良き理解に達したと言える。
ゼロで割ったためしがないので、ゼロ除算は興味も、関心もないと言明される人も多い。
また、割り算の(分数の)拡張として得られた。この意味は結構難しく、何と、1/0=0/0=z/0 の正確な意味は分からないというのが 真実である。論文ではこの辺の記述は大事なので、注意して書いているが 真面目に論文を読む者は多いとは言えないないから、とんでもない誤解をして、矛盾だと言ってきている。1/0=0/0=z/0 らが、普通の分数のように掛け算に結びつけると矛盾は直ぐに得られてしまう。したがって、定義された経緯、意味を正確に理解するのが 大事である。数学では、定義をしっかりさせる事は基本である。― ゼロ除算について、情熱をかけて研究している者で、ゼロ除算の定義をしっかりさせないで混乱している者が多い。
次に関数y=1/xの原点における値がゼロである は 実は定義であるが、それについて、面白い見解は世に多い。アリストテレス(Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)の世界観の強い影響である。ゼロ除算の歴史を詳しく調べている研究者の意見では、ゼロ除算を初めて考えたのはアリストテレスで真空、ゼロの比を考え、それは考えられないとしているという。ゼロ除算の不可能性を述べ、アリストテレスは 真空、ゼロと無限の存在を嫌い、物理的な世界は連続であると考えたという。西欧では アリストテレスの影響は大きく、聖書にも反映し、ゼロ除算ばかりではなく、ゼロ自身も受け入れるのに1000年以上もかかったという、歴史解説書がある。ゼロ除算について、始めから国際的に議論しているが、ゼロ除算について異様な様子の背景にはこのようなところにあると考えられる。関数y=1/xの原点における値が無限に行くと考えるのは自然であるが、それがx=0で突然ゼロであるという、強力な不連続性が、感覚的に受け入れられない状況である。解析学における基本概念は 極限の概念であり、連続性の概念である。ゼロ除算は新規な現象であり、なかなか受け入れられない。
ゼロ除算について初期から交流、意見を交わしてきた20年来の友人との交流から、極めて基本的な誤解がある事が、2年半を越えて判明した。勿論、繰り返して述べてきたことである。ゼロ除算の運用、応用についての注意である。
具体例で注意したい。例えば簡単な関数 y=x/(x -1) において x=1 の値は 形式的にそれを代入して 1/0=0 と考えがちであるが、そのような考えは良くなく、y = 1 + 1/(x -1) からx=1 の値は1であると考える。関数にゼロ除算を適用するときは注意が必要で、ゼロ除算算法に従う必要があるということである。分子がゼロでなくて、分母がゼロである場合でも意味のある広い世界が現れてきた。現在、ゼロ除算算法は広い分野で意味のある算法を提起しているが、詳しい解説はここでは述べないことにしたい。注意だけを指摘して置きたい。
ゼロ除算は アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更 かつて無かった事である。と述べ、大きな数学の改革を提案している:
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する

以 上

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