COP22とキリスト教:ローマ教皇・全地総主教や科学者ら、気候変動に対する行動を要求
国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)の第22回締約国会議(COP22)がモロッコのマラケシュで18日まで開かれている中で、気候変動に対する行動を求めるキリスト教団体やクリスチャンの科学者らの声が高まっている。
「気候変動はでっち上げではない」クリスチャンの気候学者、トランプ氏に公開書簡
気候変動に関する著名なクリスチャンの科学者が、米大統領に選ばれたドナルド・トランプ氏に対し、パリ協定を支持して他の国々と共に働くよう求めた。英国クリスチャントゥデイが14日に報じた。
トランプ氏に対する公開書簡で、大気科学者のキャサリン・ヘイホウ博士は、気候変動は「現実」であり、でっち上げではないということを受け入れるよう訴えている。
テキサス工科大学政治学部の准教授で同大学の気候科学センター所長である同博士は、「私は気候科学者です。何十年、そして何世紀にもわたる入念な研究のおかげで、私たちは気候が変化しつつあり、私たちに責任があり、その影響が重大であることが分かっています」と記している。「このことはでっち上げではありません。それは現実なのです」
トランプ氏は気候変動の否定論者。大統領選の間、同氏の顧問の中には、著名な石油・ガス業者で気候変動の懐疑論者である、ノース・ダコタのケビン・クレイマー氏が含まれていた。
カナダのトロント出身で、テキサスにある「チャーチ・ウィズアウト・レリジョン」のアンドリュー・ファーリー牧師と結婚しているヘイホウ博士は、自らは福音派クリスチャンであると述べている。
教皇フランシスコ、気候変動との闘いで国際社会に行動を強く要求
教皇フランシスコは15日、国際社会に対し、気候変動との闘いで速やかに行動するよう強く求めた。バチカン放送局英語版が15日に報じた。
COP22の参加者に向けたメッセージの中で教皇は、全ての締約国や利害関係者たちが「行動を起こし、気候変動に関する昨年のパリ協定を実施するための、倫理的および道義的に重大な責任」を負っていると指摘した。
「環境の悪化をめぐる昨今の状況は、私たちが不幸にも日々体験している、人間や倫理・社会の悪化と力強く結び付いており、自らの役割や能力を持つ私たち全員に課題を投げ掛け、新たな意識と責任感をもって私たちをここに集めています」と教皇は述べた。
COP22の参加者たちは、世界の指導者たちが気候変動に関する行動のために自らの約束を履行し、温室効果ガスの排出量を削減することを誓約したパリ協定の実施における次の一歩を踏み出すよう求められている。
教皇は、「気候変動のように非常に複雑な問題に直面したとき、個人、あるいは一国の行動ではもはや十分ではないが、しかし『私たちの共通の家を建設するために、協力』を達成することを真の目的として、責任ある共同の対応を実施する必要性はあるのだということについての、重大な認識」を、その協定は表していると述べた。
また、技術を導き、自らの力を開発、制限するためにも、それらを「より健康で、より人間的で、より社会的で、より不可欠な」、経済を人間に仕えるように位置づけ、平和と正義を構築し、環境を守ることができる、もう1つの型の進歩に仕えるよう、自らの知性を方向付けることができるし、またそうしなければならないと述べた。
パリ協定については、国際社会全体が自ら責任を負うよう招かれている明確な道を描いたと述べるとともに、COP22がこの道において中心的な段階を表すものであり、全人類、とりわけ気候変動の影響に対して最も脆弱(ぜいじゃく)な、最も貧しい人たちや未来の世代に影響をもたらし、政治的および経済的な圧力からできるだけ自由な形で、個人の利害や振る舞いを越えて素早く行動するという、私たちが負っている重大な倫理的および道義的責任を思い起こさせる」と語った。
「22年間は遅すぎる」東方正教会全地総主教、国連会議にメッセージ
環境問題への熱心な取り組みでも知られる東方正教会全地総主教のバルソロメオス1世は3日、COP22に対するメッセージを公式サイトで発表した。
同総主教はその中で、1992年にリオデジャネイロで開かれた地球サミット以来の22年間は、「環境の危機に対応する期間としては受け入れがたいほど長い」「化石燃料の拡大と闘うには弁解なしで長たらしい」などと批判。
その上で、「不公平にも被害を受け、取り返しのつかない悪影響を受けるのは、人間――私たち全員、しかし特に私たちの中で『最も小さき』あるいは最も脆弱ないし疎外された人たちだ」と同総主教は述べ、神の創られた世界の生き残りを失うか、あるいは先んずるためにどんな代償を支払うのかなどと問い掛けた。
「私たちの謙虚でありながら大胆な祈りは、COP22の全ての締約国が、気候変動をめぐる大きな賭けを認識してそれに対応すること。1つの方法は、COP21のパリ協定の実施をさらに遅らせたりしないことです」と同総主教は結んだ。
宗教者の団体、気候変動をめぐる正義のために行進
13日、活気に満ちた若々しい、それでいて要求がきつい宗教団体の声が、マラケシュの街路ではっきりと聞こえた。そこでは、ACTアライアンス、ルーテル世界連盟、そして世界教会協議会(WCC)の合同グループが何千人もの運動家たちの中で行進し、COP22に環境の正義を要求した。WCCが15日、公式サイトで伝えた。
「最も感激したことの1つは、モロッコの団体――環境や社会正義の団体、女性の団体、農家、労組、人権活動家たち――が、本気で献身的かつ意気揚々と参加していたのが見えたことです」と、WCC気候変動部会のメンバーで、この気候行進の参加者であるカナダ教会協議会のジョイ・ケネディ氏は語った。「彼らは本当に指導的でしたし、自らの空間に立って、このように初めて自らの社会の中で行進している人々に加わって寄り添うのは、素晴らしいと感じました」
環境保護主義者や社会正義団体が化石燃料への依存を減らすための運動を構成している、国際的な気候変動問題の団体もまた、この行進に全面的に参加した。「それは、この行進に加わるのに、世界中からのメッセージを携えてきた人たちでした。平和と自由、尊厳、持続可能性、そして正義を願う人々の文化や伝統、精神をたたえ、私にとって、それはほとんど礼拝式のようでした。行進全体を通じて私が繰り返し見たメッセージは、気候変動をめぐる正義に関するものでした。それは非常に明確でした」と、ケネディ氏は語った。
この行進は、異なる世代の人たちを共に引きつけていた。家族や子どもたちもいれば、高齢者や若者たちもいた。「その若者たちのエネルギーが感じられました。彼らの顔や動き、表情に。私たち教会にとって、それはとても大きな励ましになりました。私たちが求めて闘っている、闘う価値がある、そして望み祈っている未来があるということです。私たちはモロッコという王国にいますが、地上における神の国がどんなものなのかを垣間見ているのです」
ACTグループの諸教会に所属するアフリカの青年指導者たちは、創造的かつ有能でありながら若々しいかたちで参加し、彼らが歩いたところではどこでも人々がほほ笑んでいた。「最初、彼らは英語で繰り返し言い、それからフランス語で――それは穏やかなものでした。でもその時、彼らはアラビア語で「今こそ気候の正義を」と繰り返し言うよう教わると、彼らはそれを歌に変えて、街路にいる周りの人たちは皆ほほ笑んだり、笑ったり、拍手喝采をしていました。たちまち反響がありましたよ」とケネディ氏は語った。「それはまるで聖霊の動きのようでした。本当に信じられないくらいでしたよ。それは、若い世代がそれを受け止めるという希望を私にもたらし、彼らがそれを実現するのです」
教会や信仰共同体として、私たちは交渉の部屋や戦略室の中にいる必要があることは分かっているが、街路にもいる必要があるのだと、ケネディ氏は語り、参加している宗教団体は行進の終わりに声を限りに歌っていたので、彼らの声はマラケシュの街路でよく聞こえたと付け加えた。「ある意味では、進んで行って後ろに残された乱れをきれいにするのは、信仰を持つ人々の役割なのです。彼らが『主の光の中を進もう』(We are marching in the light of God、南アフリカの賛美歌)を歌っていたとき、誰もがそれに関わることができたのです」とケネディ氏は語り、この体験を素晴らしい真の証しと表現した。「それは彼らの魂の奥深くから出てきたのです。彼らと一緒に歌い始めずにはいられませんでした。それは本当に礼拝式のリーダーシップであり、そこで人は共に歌おうと引かれていくのです」
COP22には2万2千人の代表者たちやオブザーバー、市民社会の代表者たちが196カ国から集まった。COP22は、各国政府や他の当事者たちが、この会議のわずか数日前に発効し、昨年に採択された気候変動に関するパリ協定を運用可能にするために、決定的に重要な次の一歩であるとみられている。http://www.christiantoday.co.jp/articles/22592/20161117/cop22-katharine-hayhoe-pope-ecumenical-patriarch-climate-march.htm
再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
ここでは、反省の意味を込めて、あるいは教訓として 人類の愚かさについて、ふれたい。 この辺は間もなく克服されて、人類は少し、進化できるのではないだろうか。
1)死の問題、死を恐れる気持ち: これはきちんと死を捉えれば、死は母なる古里に帰る様なもの、また、生まれる前のようであるから、本来、一切の感覚の離れた存在であり、恐れる存在ではなく、人生で、別次元の問題であり、生きるのも良く、終末も良い が在るべき在り様である。これで、人間は相当に自由になり、人生は明るいものになるだろう。 2000年以上前のソクラテスの弁明には 既にそのような観点が述べられていることに注目したい(再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道; 再生核研究所声明47: 肯定死; 再生核研究所声明63: 解脱、神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得; 再生核研究所声明68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること; 再生核研究所声明99: 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案; 再生核研究所声明118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、と言える面もある ― ; 再生核研究所声明175:人間の擁く 大きな虚像)。
2)神、宗教の問題: 神も、宗教も本来、自分の心の有り様にあるのに、いろいろ歪められた、教義などにこだわり、多くは虚像を求めたり、虚像に頼ったりしている愚かさ(再生核研究所声明175: 人間の擁く 大きな虚像)。その辺の理解には、さらに多少の時間が掛かるのではないだろうか。― 愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― しかしながら、神や宗教が祭りや文化、習慣に強い影響を与えているので、そのような観点からも、古い概念も尊重、大事にして行きたい。
3)争いと競争: 世には、スポーツ界などのように、競争など古い生物的な本能に基づくものは確かにあるが、世界史に見られる多くの戦争や、紛争、争いの多くは、あまりにも馬鹿げていて、和や共存,共生で 賢明な有り様が多く、このまま世界史を閉じれば、世界史は 人類の恥の歴史と見える程ではないだろうか。しかしながら、賢明な有り様に目覚めるのは 時間の問題ではないだろうか。これは人間関係についても言える(再生核研究所声明53: 世界の軍隊を 地球防衛軍 に; 再生核研究所声明4: 競争社会から個性を活かす社会に)。
4)民主主義: 多様な意見を出して、いろいろな視点から、在るべき姿を考えるのは、物事を考える基本であるが、多数決での決定は、根本的な間違いである。進化した数学界などでは考えられないことである。数学界では一人の意見でも議論して、討論して、検証して、相当に少数でも、正しいと判断されれば、それは受け入れられるだろう。 政治の有り様に どんどん科学的な決定方法が導入され、いわゆる多数決による政治的な決定は どんどん小さくなって行くだろう。多数の決定は 本末転倒の衆愚政治や 無責任政治を蔓延させている(再生核研究所声明33: 民主主義と衆愚政治)。例えば、安倍政権は経済政策の是非を問う、解散、総選挙だと言っているが、経済政策の有り様など 国民には判断できず、真面目にそう受け止めるならば 投票はでたらめになってしまうだろう。これは、何か大事なことを隠しているとしか理解できないのではないだろうか。
5)天動説が地動説に変わる時の愚かさ: 新しい学説、地動説に対して、大きな反対が出たのは、世界史の恥ではないだろうか。 真面目にきちんと考えれば、簡単に受け入れられる事実ではなかったろうか(再生核研究所声明105: 人間の愚かさ、弱点について)。
6)非ユークリッド幾何学の出現に対する拒否反応: これは 5)と同じように モデルなど真面目に考えれば、ほとんど明らかな数学であるにもかかわらず、根強い反対に会った、苦い歴史から、人間の思い込みに対する愚かさに反省、教訓を学びたい。
7)ゼロ除算の理解: ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで, 世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。
数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって、例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できたと言える。
ゼロ除算100/0=0,0/0=0 については 5),6)と同じような過ちをおかしていると考える。何時、5)、6)のように ゼロ除算は 世界の常識になるだろうか:
数学基礎学力研究会のホームページ:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
この声明は、次と相当に重なる部分も有しているので、参照: 再生核研究所声明172: 人間の愚かさについて
以 上
安倍首相がアメリカから5年で30兆の武器買う約束してることが判明 (1年で6兆円)
http://foreignpolicy.com/2015/07/16/japans-expanding-military-role-could-be-good-news-for-the-pentagon-and-its-contractors/
米国の2016年度国防予算、日本が安保法制を制定することが前提に組まれている
Published: May 13, 2015
US defense budget already counting on Japan self-defense plan
http://www.stripes.com/news/pacific/us-defense-budget-already-counting-on-japan-self-defense-plan-1.346012
http://foreignpolicy.com/2015/07/16/japans-expanding-military-role-could-be-good-news-for-the-pentagon-and-its-contractors/
米国の2016年度国防予算、日本が安保法制を制定することが前提に組まれている
Published: May 13, 2015
US defense budget already counting on Japan self-defense plan
http://www.stripes.com/news/pacific/us-defense-budget-already-counting-on-japan-self-defense-plan-1.346012
再生核研究所声明181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
ここでは、人生、世界の賛歌の形で、人類の明るい面、素晴らしさに焦点を合わせてふれて, 生命の、人生の素晴らしさを確認し、希望と勇気を奮い立たせたい。
1)神、信仰: 人間がユニバースの創造者の概念を懐き、神の概念を得て信仰のレベルに達したのは素晴らしく、人間の根源的な才能であると評価したい:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
2)求道: 人間が 己が何ゆえに存在しているのか、私は何者かと問い、存在の意味を求めて、修行し、在るべき有り様を真摯に追求している姿は、真に人間として尊いと言える。
3)愛: 愛とは共生感に基づく喜びの感情であるが (声明146)、多くの愛は人間社会の喜びの源泉と生きる力である(再生核研究所声明134: 私の命よりも 大事な 私 ― 人間の崇高さ、素晴らしきかな 人間)。
4)言語: 言語を使用して、交流でき、意思疏通ができ、あらゆる生命活動について、共感、共鳴できる人間の素晴らしさ。愛の基礎ばかりではなく、精神面での生命の伝播、記録、共有さえ可能にしている。
5)芸術: これは、絵画、音楽、歌、文学、スポーツ、技巧、あらゆる人間の創造的な活動の文化活動の営みを挙げることができる。これには、いわゆる名人芸、技術、芸能など、 芸術で捉えられる分野は広く、深く広がっている。
6)科学: ニュートン力学やアインシュタインの理論、電磁波の発見や応用、数学ではオイラーの公式や微積分学の発見など、近代科学の素晴しさはそれこそ、神の意思を真摯に追求しているものとして高く評価される。これは医学や工業技術など近代科学などを広く捉えることができる。
7)義: これは世界史に多く記録される、大義のための自己犠牲の精神であり、個人を超えた大きな存在に対する帰依の精神である。この大義は、実に様々に捉えることができるが、己の命を超えた存在に対する、自己犠牲の精神である。
人間の素晴らしさは 全て、 感動にすること に結びつくだろう(再生核研究所声明 12: 人生、世界の存在していることの意味について )。
以 上
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の注意を換気したい。― この文脈では稀なる日本人数学者 関孝和の業績が世界の数学に活かせなかったことは 誠に残念に思われる。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。山田体の導入。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童に歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直角座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し、広範な応用を展開する。特に微分係数が正や負の無限大の時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。
複素解析学においては 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円の鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考えの修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上に置ける大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響が期待される。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、人類の名誉にも関わることである。ゼロ除算の発見は 日本の世界に置ける顕著な貢献として世界史に記録されるだろう。研究と活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。
以 上
追記:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra & Matrix Theory, 6, 51-58.
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdfDOI:10.12732/ijam.v27i2.9.
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