高野連は甲子園常連校の“越境入学”を許すな!<日本野球よ、それは間違っている!>
広岡 達朗
5日から高校野球の甲子園大会が開幕する。
今年は夏の甲子園大会100回を記念して新たに7府県を分割し、出場校が史上最大の56校になった。
主催の日本高等学校野球連盟と共催の新聞社は、100回大会を盛り上げるためにさまざまな記念イベントを展開しているが、私は「高校野球はこれでいいのか?」と心配している。
私が広島県立呉三津田高校の三塁手として地方予選の決勝戦で敗退した69年前、甲子園大会の出場校は、ほとんどが公立高校だった。
ところが今年は56校のうち48校が私立高校で、公立は8校だけ。公立高校にとって甲子園は狭き門となっている。
5日から高校野球の甲子園大会が開幕する。
今年は夏の甲子園大会100回を記念して新たに7府県を分割し、出場校が史上最大の56校になった。
主催の日本高等学校野球連盟と共催の新聞社は、100回大会を盛り上げるためにさまざまな記念イベントを展開しているが、私は「高校野球はこれでいいのか?」と心配している。
私が広島県立呉三津田高校の三塁手として地方予選の決勝戦で敗退した69年前、甲子園大会の出場校は、ほとんどが公立高校だった。
ところが今年は56校のうち48校が私立高校で、公立は8校だけ。公立高校にとって甲子園は狭き門となっている。
甲子園の“全校私立時代”は近い
しかも56出場校のうち、昨年に続く連続出場は優勝した花咲徳栄(はなさきとくはる、北埼玉)や準優勝だった広陵(広島)など18校。福島代表の聖光学院は戦後最長を更新する12年連続、作新学院(栃木)は8年連続である。
また初出場は6校あるが、このうち公立は県立の白山(三重)と市立の明石商(西兵庫)だけだった。
甲子園代表校の私立化がエスカレートする一方、夏の地方予選に出場した大会参加校は、この3年間だけを見ても2016年が3,874校、2017年が3,839校で、今大会は3,781校に減っている。
さらに高野連によると、全国の硬式野球部員数も15万3,184人(5月末時点)で、4年連続の減少だという。
これは少子化を反映して高校数や野球部数が減っているのと、生徒がサッカーなど、野球以外の他競技に流れるケースが増えているからだ。
こうした社会情勢のなかで私立の甲子園常連校が増えているのは、全国の優秀な野球少年が各地の私立強豪校や、遠方の野球名門校に集まっていることを意味している。
そしてこれらの野球名門校は、通学できない生徒のために大規模な寄宿舎を設置しているのだが、問題はこの野球合宿所での生活である。
たとえば私が知っている東京の私立強豪校でも、野球部員は午前中の授業に出席するだけで、午後から日没までは野球漬けだった。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180804-00010908-gentosha-ent
また初出場は6校あるが、このうち公立は県立の白山(三重)と市立の明石商(西兵庫)だけだった。
甲子園代表校の私立化がエスカレートする一方、夏の地方予選に出場した大会参加校は、この3年間だけを見ても2016年が3,874校、2017年が3,839校で、今大会は3,781校に減っている。
さらに高野連によると、全国の硬式野球部員数も15万3,184人(5月末時点)で、4年連続の減少だという。
これは少子化を反映して高校数や野球部数が減っているのと、生徒がサッカーなど、野球以外の他競技に流れるケースが増えているからだ。
こうした社会情勢のなかで私立の甲子園常連校が増えているのは、全国の優秀な野球少年が各地の私立強豪校や、遠方の野球名門校に集まっていることを意味している。
そしてこれらの野球名門校は、通学できない生徒のために大規模な寄宿舎を設置しているのだが、問題はこの野球合宿所での生活である。
たとえば私が知っている東京の私立強豪校でも、野球部員は午前中の授業に出席するだけで、午後から日没までは野球漬けだった。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180804-00010908-gentosha-ent
再生核研究所声明 435 (2018.7.29) : 国際スポーツ大会における問題点 - 国際化と文化、グローバリゼーションの問題
問題提起の原点は、ワールドカップ サッカーの試合で浮かび挙がって来た問題です。選手の国籍が複雑で、国家間のスポーツ試合で妙な現象が現れていると言える。 簡単に述べれば国籍の移動を自由にすれば、どんどん優秀な選手を世界中から集めて、国の代表より、あるチームの強さを示し、国家間の競争とはかけ離れた形相をもたらすのではないだろうか。オリンピック競技でも国家間の競争で、優勝者は国旗や国歌をもって賞賛され、愛国心の高まりをもたらしている。 これは自然な心情で ある意味でスポーツの魅力の原因になっていると考えられる。誰でも自分の国の選手を応援したくなるだろう。そこで、 勝敗に拘り、優秀な選手を世界的に集めれば、国を代表しているという感情に 馴染まない面が出て来るのではないだろうか。その点を問題にしている。国を代表するスポーツに国籍問題を自由にすれば、国を代表するスポーツと言えるだろうか。この観点でスポーツ選手の国籍問題においては 全くは自由にすべきではなく、上手い制限が必要ではないだろうか。 国籍問題は基本的人権に抵触するから、軽々しい対応は 取るべきではなく、ちょうど良いくらいの制限が 慎重に検討されるべきである。
これは 広く現れている自由とグロ-バリゼーションの基本的な問題と同様であり、総合的な大きな課題である。 例えば、いわゆる大学のポストなどで国際的に自由にして、機会均等の原則を掲げ、世界的に同じように扱おうという精神が アメリカやヨーロッパでは 進んでいるが、日本などは相当に閉鎖的と見られているのではないだろうか。 真理の追究、研究重視、教育重視を掲げれば、大学に国籍問題があるのは おかしいという発想が基本的に存在する。 背後には自由、平等の精神も貫かれている。日本の文化、伝統から言えば俄かに国際化といってもスムースには行かない現実は直ぐに理解できるだろう。人事の在り様、評価の在り様、文化を支えている大学の役割など、日本と諸外国では相当に違う伝統を有するから、アメリカの様には 対応できないのは 当然である。そこで、丁度良いくらいの国際化を進めるのが 当然で、 一方的にこうあるべきだと決め付けない対応が大事ではないだろうか。
日本の相撲界でも 国籍問題をあまりに緩めすぎて 日本の固有な文化と伝統に馴染まないような 相撲界になっているのではないかと危惧される。
ものごとは全体的な微妙なバランスの下で 総合的な判断が求められる。一面や原理原則で決めつけず、柔軟な対応ができる様に視野を広め、感性を美しく保ちたい。
以 上
再生核研究所声明 143 (2013.12.10) グローバリゼーションの危険性
(2013.12.6.3時45分 夢の中で新しい原理を 情景を交えながら発見し、目を覚ましました。グローバリゼーションの危険性と、人類滅亡の原理です。 声明の案にできそうです。適切か検討します。 ― その夢は 農村地帯で、1軒の農家の畑だけが緑の野菜で覆われ 他の周辺の広大な農地は 灰色になって広がり、異様であったが、一人の青年が、グローバリゼーションの影響で 他の農家がやって行けず、農家では お金が入らないと言っていました。人類滅亡の概念は 哲学的、根本的な大事な原理を述べているが、それは その後 夢、うつつに考察したものである。 成文化を試みたい。)
上記で いわゆる市場主義の原理で 事を進めれば、生業が成り立たなくなると言う、根本問題を提起している。 実例でも、例えば、 広々としたベトナムの農村では、田植えを 手で、一株ずつ人海戦術で植えているが、日本では、田植え機械で 夫婦二人で、どんどん田植えが行われている。稲刈り、収穫作業も同様の差がある。農作業の重労働を想い出し、胸を痛めたものであるが、アメリカの小麦の生産方式など考えれば、日本の農家の農作業など、ベトナムと日本の差以上であろう。それらが、市場主義、自由競争となると、ベトナムの農家も日本の農家も成り立たないのは、道理である。このような危惧は、至る所に現れ、世界混乱の主因になるだろう。長い間続いていた、文化、習慣、慣習、生活基盤の破壊である。― インドの痛ましい情景を時として、回想する。土を運ぶのに、土を籠に入れ 頭に載せて、沢山の女性が連なって運んでいる。普通考えられるトラックで運べば、如何に簡単に大量に運べるかを考えると、痛ましい仕事である。しかしながら、それらを機械化すれば、失業者の増大や、取り巻く環境の激変で大きな混乱が起きるだろう。
そこで、グローバリゼーションの危険性 を 夢の中の青年に代わって、世に訴え、注意を換気したい。
個々の存在してきた、事実、経過は大事であり、何事、新しい変化との調和に 思いを致さなければ、混乱の素になるだろう。何事変化に、早ければ良い、改めれば良い の考えには 根本的な問題が内在していて、危険であると考えたい。
グローバリゼーション は エントロピー増大の法則のように 避けられない面が有るだろう、そこで、絶えずブレーキをかけて行くような配慮、全体的な影響と調和を考える努力が必要ではないだろうか。
以 上
追記、参考資料(ウィキペディア):
グローバリゼーション
グローバリゼーション(英: Globalization, Globalisation)は、社会的あるいは経済的な関連が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす現象である。
概略[編集]
この語は、様々な社会的、文化的、経済的活動において用いられる。使われる文脈によって、例えば世界の異なる地域での産業を構成する要素間の関係が増えている事態(産業の地球規模化)など、世界の異なる部分間の緊密な繋がり(世界の地球規模化)を意味する場合もある。
世界史的に見れば、何らかの現象の「グローバリゼーション」は、大航海時代に起源を発する。大航海時代により、ヨーロッパ諸国が植民地を世界各地に作り始め、これによりヨーロッパの政治体制や経済体制の「グローバリゼーション」が始まり、物流の「グローバリゼーション」が起こった。これが本格化し始めた時期は19世紀で、ナポレオン戦争による国民国家の形成や、産業革命による資本主義の勃興が、近代の「グローバリゼーション」を引き起こした。
第二次世界大戦が終わると、アメリカ合衆国を筆頭に冷戦の西側諸国で多国籍企業が急成長し、現代の「グローバリゼーション」が始まった。1970年代から「グローバリゼーション」という語は使われるようになったが、より一層広まった時期は、アメリカ合衆国が湾岸戦争に勝利し、ソビエト連邦が崩壊したことにより、アメリカ合衆国の単独覇権が確立された1991年以後である。ソビエト連邦が崩壊すると、経済面では、「運輸と通信技術の爆発的な発展や、冷戦終結後の自由貿易圏の拡大によって、文化と経済の枠に囚われない貿易が促進する事態」も指すようになった。グローバリゼーションの負の現象、例えば工業や農業といった産業が世界規模での競争(メガコンペティション)や、多国籍企業による搾取の強化と、それに伴う国内産業の衰退とプレカリアートの世界的増大という事態を指す場合もある。そのため、最近では否定的な語として用いられる例も多くなった。
1991年以後、グローバリゼーションの負の現象を非難する人々は、主要国首脳会議の開催地などで反グローバリゼーションを訴えている。又、グローバリゼーションが多国籍企業を利して末端の労働者を害する現象「アメリカニゼーション」だと揶揄する人々も少なくない(グローバル資本主義)。
異義語[編集]
「グローバル」と「インターナショナル」、「グローバリゼーション」と「インターナショナリゼーション(国際化)」という語は、意味する範囲が異なる。「インターナショナリゼーション」は国家と国家の間で生じる現象であるのに対して、「グローバリゼーション」は地球規模で生じるものであり、国境の存在の有無という点で区別される。
具体的に言えば、世界地図を見て国境を意識しながら国家間の問題を考えれば、「インターナショナル」な問題を考えている事になる。対して、地球儀を見ながら地球全体の問題を考えれば「グローバル」な問題を考えている事になる。即ち、「グローバリゼーション」の方が「インターナショナリゼーション」よりも範囲は広くなる。
訳語[編集]
大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立国語研究所の「外来語」言い換え提案では「地球規模化」を挙げている。グローバリゼーション、グローバル化といった言葉もよく使われる。中国語では、「全球化」と訳される。
徴候[編集]
グローバリゼーションの傾向が認められる現象は多くあるが、現代の「グローバリゼーション」では3つの流れがある。(1)第二次世界大戦後に地球規模化した現象、(2)世界恐慌最中の1930年代前半に失われたが、現在に復活している現象、(3)米ソ冷戦終結後の1990年代に地球規模化した現象:の3つである。これらの現象には、ヒト・モノ・カネと情報の国際的な流動化が含まれる。また科学技術、組織、法体系、インフラストラクチャーの発展がこの流動化を促すのに貢献した。一方で、様々な社会問題が国家の枠を超越し、一国では解決できなくなりつつある。
より明確にいうと、地球規模化が認められるものには:
· 世界経済の融合と連携深化。
· 貿易の発展。
· 直接投資を含む資本の国際的流動の増加。
· 国際金融システムの発展。
· 多国籍企業による世界経済の支配割合の高まり。
· 世界で最適な調達・販売を行なうサプライチェーン・マネジメントの発達。
· 地球規模的に適用される標準、基準などの増加。(例:著作権法)
· 異文化交流の機会増加。
· 増大する国際的な文化の交換。文化の同化、融合、欧米化、アメリカ化(アメリカナイゼーション)、日本化及び中華化を通じての文化差異の減少。
· 不法入国者・不法滞在者を含んだ移住者の増加。
· 政治主体の一元化
· 世界貿易機関(WTO)などの組織への国際的取り決めを通じての国家支配権と国境(の重要さ)の衰退。
· 経済的格差の世界化
· 社会問題の世界化
· 疫病の世界的流行。
· 犯罪の世界規模化。
· 地球全体の環境問題。
· 紛争への世界的関与。
※上記のすべての項目に地球規模化が認められるかどうかについては議論の余地がある。
賛否[編集]
グローバリゼーションの進展については、賛同して推進しようとする意見もある一方で、批判も強く、様々な立場から撤廃しようとする意見[(反グローバリゼーション・脱グローバリゼーション)が提示されている。様々な分野においてその功罪につき議論されている。
国家経済的視点では、ジョセフ・E・スティグリッツは、グローバリゼーションの利点を認めつつも、現状の市場・制度の下では二極化が進む欠点の方が多いと述べる。 またポール・クルーグマンは主に覇権国家や多国籍企業の利益追求を肯定・促進する(新自由主義)ために広められるドグマの一種であると書いている[要出典]。ただしその著書『グローバル経済を動かす愚かな人々』からも分かるように、クルーグマンはグローバリゼーションそのものに反対しているわけではない。
以下でグローバリゼーションに対する賛成・反対双方の意見を載せる。ただしここに載せた意見が経済学的に正しいとされているものとは限らない。貿易#貿易に関する誤解も参照の事。
賛同[編集]
· 国際的分業(特化)が進展し、最適の国・場所において生産活動が行われるため、より効率的な、低コストでの生産が可能となり、物の価格が低下して社会が豊かになる。
· 投資活動においても、多くの選択肢から最も良いものを選択することができ、各企業・個人のニーズに応じた効率的な投資が可能となる。
· 全世界の様々な物資、人材、知識、技術が交換・流通されるため、科学や技術、文化などがより発展する可能性がある。また、各個人がそれを享受する可能性がある。
· 各個人がより幅広い自由(居住場所、労働場所、職種などの決定や観光旅行、映画鑑賞などの娯楽活動に至るまで)を得る可能性がある。
· 密接に各国が結びつくことによって、戦争が抑制される可能性がある。
反対[編集]
· 安い輸入品の増加や多国籍企業の進出などで競争が激化すると、競争に負けた国内産業は衰退し、労働者の賃金の低下や失業がもたらされる。
· 投機資金の短期間での流入・流出によって、為替市場や株式市場が混乱し、経済に悪影響を与える。
· 他国・他地域の企業の進出や、投資家による投資によって、国内・地域内で得られた利益が他地域・国外へと流出する。
· 従来は特定地域に留まっていたテロリズムや武力紛争が全世界化し、各地域の安全が脅かされる。
· 多国籍企業の進出や人的交流の活発化によって、生活と文化が世界規模で均質化し、地域固有の産業や文化が消滅する。
· 地域間競争の活発化によって、投資・経済活動の巨大都市(世界都市)への集中が進み、農山村や中小都市が切り捨てられ衰退する。
再生核研究所声明 13 (2008/05/17): 第1原理 ― 最も大事なこと
世界の如何なるものも 環境内の存在であり、孤立した存在は在り得ない。世界の如何なる芸術も真理もまた一切の価値は、人類が存在して始めて意味のある存在となる。従って人類の生存は、如何なるものをも超えた存在であり、すべてに優先する第1原理として、認識する必要がある。よって環境や戦争については 多くの人間の関与すべき重要な問題と考えなければならない。21世紀は、近代科学の進歩によって 地球の有限性が顕わになり、人類絶滅の可能性を感じせしめるようになってきた時代とも言える。
国が栄えなければ、地方の栄えは考えられず、県などが栄えなければ 市町村などの発展は望めない。市町村などが健全でなければ 地域は栄えず、住民や家庭の健全な生活は不可能である。しかしながら、現実的な対応としては、逆方向の発展を考えざるを得ない。すなわち私たち個人、および個人の近くから、より良い社会、環境になるように努力していくことである。孤高の存在は所詮空しく、儚いものである。それゆえに われわれは各級のレベルにおける環境と社会に思いを致すことに努力して行こうではありませんか。
特に、われなき世界は 存在すれども、何事をも認識できず、知ることもなく感じる事もできない。よって、われ存在して始めて、世界を知ることになるから、健全なる個人の存在は、個人にとっては最も大事な第1原理に考えざるを得ない。これは言い古されてきた、 まず健康ということ、 に他ならない。われなき世界とは 自分が影響を与えない世界のことである。この個人と社会の関わりは、 愛とよばれている、 愛の本質である。それは男女の愛と親子の愛が基本になっている。それはまた じんかん と よばれる人間存在の本質でもある。
この声明は 地球環境を限りなく大事にし、世界の平和を確立し、社会を大事に思い、世界の拡大と深化を、 個人を尊重しながら、 積極的に進めることを、各級のレベルで努力することを要請しているものである。その原理は、 人間存在の本質である、 人間存在における三位一体の理存在、知、愛の、存在して、始めて知り、求める事ができる という原理を、いわば当たり前のことを、
確認しているに他ならない。(しかしながら、実際にはこの自明な、重要な原理は、解析接続のように必然的に 新しい価値観と考え方を限りなく発展させ、雄大な世界を拓くのであるが、私個人はこの古い世界で生涯を閉じようとしていて、その世界には立ち入らない事にしたいと思う。不思議にも 少年時代に宇宙論と共にその世界を覗いたのですが、怖くなって覗かないようにしました。それはガウスが非ユークリッド幾何学を発見したが、世の反響の大きさを恐れて発表を控えたのと同じ心境です。) 以上。
甲子園 2018 [雑誌] (週刊朝日増刊)
500円
Amazon
|
夏の高校野球第100回記念 名勝負ランキングベスト100 [特別付録CD:甲子園の詩~敗れざる...
1,200円
Amazon
|
0 件のコメント:
コメントを投稿