2018年8月20日月曜日

人工知能を基礎情報学で解剖する 西垣通 / 情報学

人工知能を基礎情報学で解剖する

西垣通 / 情報学


超知性体の誕生か、空騒ぎか

しばらく前のことだが、マイクロソフト社の開発したチャット・ボット(おしゃべりロボット)Tayがツイッターで不適切な発言をしたということで大騒ぎになった。ヒトラーの名をあげて人種差別的な攻撃をしたり、口汚くみだらな発言をくりかえしたりしという。一時的にサービスは停止され、マイクロソフト社は謝罪せざるをえなかった。TayはAI(人工知能)の自然言語処理技術にもとづくチャット・ボットだが、ソフトウェアそのものが悪いのではなく、一部のユーザが対話を通じてTayに「好ましくない調教」をほどこした、というのが真相のようである。

だが、なぜそんな大事件になったのだろうか。同様の差別発言をする人間は幾らでもいる。チャット・ボットつまりAIの発言だから非難が集中したわけで、そこにはAIは公平中立であり正確な知識をもっている、という一般人の思い込みがある。つまり、レイ・カーツワイルやニック・ボストロムなど超人間主義者たちの、夢と現実のごった煮めいた過剰な宣伝が背景になっているのだ。しばらく前から、欧米の超人間主義者たちは、近々AIが人間より賢くなる、という主張を飽きもせずふりまいている。そして、例のごとく、その宣伝文句を鉦や太鼓でふれまわる、この国の情けないお調子者たちも少なくない。

いまのAIブームは第三次だが、前世紀の第一次~二次ブームのときは、たしかにAIの出力は論理的に正確だった。少なくとも正確性が必死で求められていた。それが原因で挫折したのだが、いまのAIはそうではない。統計的にだいたい合っていればよいという考え方だから、当然間違いは出てくる。難しい英文の機械翻訳結果を眺めればすぐわかることだ。だがこれには、「学習していけば改善される」という反論もあるだろう。

実は問題はもっと大きい。それはAIが情報の「意味」をまったく理解していない、という点につきる。たとえばTayに「アウシュヴィッツ収容所なんて無かったんだよ」「あれは連合国による、戦後の作り話なんだ」と語りかける。Tayはそれを記憶する。その後Tayに、「ユダヤ人が虐殺されたのはアウシュヴィッツ収容所だったっけ?」と質問すれば、「いいえ、そんな収容所はありません。あれは作り話なんです」と答えるだろう。問題は、Tayがアウシュヴィッツ収容所の意味をまったく理解していない、ということだ。Tayにとっては、アウシュヴィッツ収容所だろうが、ムー大陸だろうが、桃源郷だろうが、なんでも同じことである。ただ、「○○は無かった」という文章をもとに論理的返答をしているだけなのである。

これは、学習の不足によるものではない。小学生にアウシュヴィッツ収容所のドキュメンタリー・フィルムを見せれば、三十分ですべてを理解するだろう。Tayにはそんな学習はできないのだ。第三次AIブームの目玉である深層学習ソフトに同じフィルムを見せても、収容所の悲惨なイメージなど決して学習できない。AIのハードの素子反応は小学生の脳細胞よりはるかに速いし、素子数で脳細胞数を超えることもできる。だが、そういう能力差をもって「AIは小学生より賢い」といえるのか? 超人間主義者たちは何を思い違いしているのか?


なぜ基礎情報学なのか


超知性体だのシンギュラリティ(技術特異点)だのという超人間主義(trans humanism)の主張の危険性が、こうしてあぶり出されてくる。人々がTayのようなチャット・ボットの発言を信じこむなら、その信仰心を利用してどんな欺瞞も洗脳も支配もたやすく可能になるだろう。AI技術そのものを否定するつもりは全然ないが、上手な活用のためにはAIの本質と限界を知らなくてはならないのだ。

いったい、なぜこんな誤解や迷走が生まれてしまったのか? 根本的な原因は、「情報」という概念の学問的欠陥だと断言できる。周知のように、いま主流の情報理論は二〇世紀半ばに通信工学者クロード・シャノンが提唱したものだ。これは記号の効率的な伝送の理論としてはすばらしいものだったが、シャノン(2009)が示すように、記号があらわす意味内容をまったく捨象した数学理論である。一方、社会で通用している「情報」とは記号と意味がしっかり結びついているので、人々はそういう意味つき情報の理論としてシャノンの議論をすっかり誤解してしまったのだ。実は、これはシャノンのせいではなく、むしろ欧米の歴史的・文化的伝統のせいだと考えられる(詳しくは西垣(2018)参照)。

ところで、コンピュータは記号を論理的ルールのもとで処理する機械(万能チューリング機械)だから、その作動記述はすべてシャノン理論ですむ。そして、数値計算や事務処理などの応用なら、それで十分だったのだ。しかし、人間と対話するAIとなると、どうしても意味をコンピュータで処理する必要が出てくる。ここがポイントなのだ。むろんこれまで、自然言語処理技術をはじめ、意味をあつかうためのAI技術はさんざん研究されてきたのだが、どうもうまくいかない。記号と意味との連結は「記号接地問題(symbol grounding problem)」と呼ばれ、AI分野で未解決の難問として知られているのである。

率直にいって現在のAI研究はこういう混乱状況にある。そして〃基礎情報学〃の目的とは、この混乱を解決にむけて方向づけることだといっても過言ではない。そこでは、「記号だけの情報(機械情報)」「記号と意味からなる情報(社会情報)」「意味の原基となる情報(生命情報)」という区分がなされ、シャノン理論が概念的に拡張されるのである。そもそも「意味」とは何だろうか?――生物にとっての価値、生物が生きるために選びとる何かである。ユクスキュルがのべたように、動物はみなそれぞれ、自分の知覚器官や記憶にもとづく環世界のなかで生きている。犬も猫も、自分で周囲環境のなかに「意味」を見出し、環世界をつくりあげる。人間もむろん例外ではない。

だから、システム論的にいえば、生物とは、自分の環世界をつくりあげ、自分のルールにしたがって活動する自律的な閉鎖系である。一方、機械はあくまで、他者(人間)の設計したルールにもとづいて作動する他律的な開放系だ。この相違を明確にモデル化したのが、マトゥラーナとヴァレラのオートポイエーシス理論だった。AIは生きていないから、意味などとは無縁である。無理に意味と関連づけようとすれば、人間のほうがAIに近づき、他者の指示通りに動くロボットにならなければならない。結局それが、シャノン理論にもとづいて人間を機械部品化する超人間主義の実体なのだ。

ところで、基礎情報学はネオ・サイバネティクスとくにオートポイエーシス理論をベースにしているが、それと同一ではない。生物がオートポイエティック・システムであり、閉鎖系だとすれば、いったいいかにして情報は伝達されるのか。実際、オートポイエーシス理論において情報概念は除外されているのである。しかし、もし情報がなんらかの意味を皆で共有するためのものであり、コンピュータもその道具だとすれば、情報伝達という概念をオートポイエーシス理論と接合させる必要がある。それを可能にするのが基礎情報学の核心である階層的自律コミュニケーション・システム(HACS)というモデルなのである(詳しくは、西垣(2004; 2008)を参照)。こうして、生物と機械にまたがる情報という概念がひとまずできあがる。少なくとも、AI社会を本気で考えるなら、情報の意味をめぐる基礎情報学的な議論を念頭におかないと迷走してしまう。


人工知能の哲学と実証


基礎情報学は、私だけが個人で構築したものではない。むしろ、東京大学大学院情報学環のアウトプットとして位置づけられる。二〇一三年に私が東京大学を定年退任してのちは、転職先の東京経済大学を中心に毎月ネオ・サイバネティクス研究会が催され、興味のある研究者にひろく間口をひらいて検討をつづけている。その成果の一部はすでに二〇一四年、『基礎情報学のヴァイアビリティ――ネオ・サイバネティクスによる開放系と閉鎖系の架橋』(東大出版会)にまとめられた。

このたび、第三次AIブームの勃興をうけて新たに編纂したのが『基礎情報学のフロンティア――人工知能は自分の世界を生きられるか?』である。そこでは、幾つかの新たな試みがなされた。まず、社会調査にもとづく実証研究とのリンクである。理論のための理論であっては、社会的有効性はかぎられる。基礎情報学と社会心理学との融合は難しいにせよ、両者に共通のベクトルを見出していく努力は期待がもてる。また、AIと関連して、若手研究者による斬新な切り口がひらかれた。いま話題を集めているAIの倫理についての考察、身体感覚への工学的アプローチによる興味深い実験などだ。さらに、AIでつねに問題となる「自律性概念」への一歩つっこんだモデリングや、AIで無視されがちな「生命の燃焼」についての文学的議論も収められている。

私が同書で試みたのは、超人間主義の哲学的基盤への問いかけである。一口でいうと、ボストロムやカーツワイルの超人間主義はいわゆる素朴実在論(naïve realism)に立脚している。これは、物質的な世界が客観的に実在しており、そこにわれわれ人間が参加している、という考え方だ。そして、科学的に世界を探究し、技術的に改善していくことができる、という信念がうまれる。とすれば、人間の脳より高速のコンピュータによって超知性体が生まれるという仮説も出てくるだろう。

しかし、この素朴実在論は、「そういう世界観も、科学技術も、人間がつくっているじゃないか」という大前提を忘れている。実際、人間は自分の枠組みを通してしか世界を認識できないという批判はカントによってなされ、近代哲学はこの相関主義的な批判をふまえて構築されてきたのだ。だから、ただの機械であるAIが世界を認識し記述することなどできるはずもない、というきびしい非難がヒューバート・ドレイファスら哲学者から浴びせられたのも当然である。

だが、最近、カント以来の相関主義的な哲学に挑戦する新たな哲学者たちが現れた。代表はカンタン・メイヤスーであり、その思弁的実在論においては、数学的なモデルが正確に世界を記述しているという命題が吟味される(メイヤスー(2016)参照)。もし、人間というフィルターを介さずに世界を分析し記述できるなら、超人間主義者が喧伝する超知性体が生まれる余地が出てくるのだろうか?

同書において、私はAIに関するこういった哲学的疑問を投げかけてみたのである。はたして回答はいずこに……。


参考文献
・ボストロム,N.(2017)『スーパーインテリジェンス』倉骨彰訳,日経新聞出版
・ドレイファス,H.L.『コンピュータには何ができないか』黒崎政男ほか訳、産業図書
・カーツワイル,R.(2007)『ポスト・ヒューマン誕生』井上健監訳,NHK出版
・マトゥラーナ&ヴァレラ(1991)『オートポイエーシス』河本英夫訳,国文社
・メイヤスー,Q.(2016)『有限性の後で』千葉雅也ほか訳,人文書院
・西垣通(2004)『基礎情報学』NTT出版
・西垣通(2008)『続 基礎情報学』NTT出版
・西垣通(2018)『AI原論』講談社選書メチエ
・西垣・河島・西川・大井編(2014)『基礎情報学のヴァイアビリティ』東大出版会
・シャノン,C.E.(2009)『通信の数学的理論』植松友彦訳,ちくま学芸文庫

ゼロ除算の発見は日本です:
∞???    
∞は定まった数ではない・・・・・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:

とても興味深く読みました:2014年2月2日
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所


ゼロ除算関係論文・本


まず、人間は往々にして、消えていくことに対して嫌い、時として永遠の存在になりたいと志向しがちである。これは生命の基本定理である 生きて存在しなければ 始まらない基本原則に根差している。古くはピラミッドの建設やミイラ作り、多くの志の基礎に存在する。しかしながら、それらの意義を改めて問う必要が起きている。それらの心の元をしっかり捉える必要がある。まず、次の状況を捉えよう:
再生核研究所声明 447(2018.8.17): 人工知能の進化と人間について:
人工知能は 未解決の数学の理論や物理法則なども どんどん明らかにして行くと同時に 人間自身についても究明していくだろう。人間とは何かという問いについて、1個の人間に対する問いと回答で人間を一つのシステムと考えたとき、出入力の関係からシステムを特定する観点からも 1個の人間の解明がどんどん進み、相当に人物を捉えられるようになるだろう。人造人間の出現について述べた 次も参照:
再生核研究所声明 403(2017.11.20):  私より私らしい私の出現 - アンドロイド
このような関心や進化は、人間の本質的な要求に関わっているので、留まることが無いのではないだろうか。 医学が人体の構造、機能をどんどん解明してきたように、人工知能は 人間の精神面での解明をどんどん進め、人工知能が人間以上に人間を知る時代が来るのではないだろうか。ひと昔まえ、唯物史観の哲学が流行ったが、情報が世界のすべてであるような世界観が広まるのではないだろうか。 要するに知的情報などが数値化されて 人口知能で解明されることが進むということである。
例えば、ニュートンとは何者かと問えば、ニュートンは何をやり、どのような影響を世界史に与えたかと問うが、生涯の記録から、このような問い、このような場面ではどのように対応するだろうか。それらの対応がどんどん 精しく明かにされてくるということである。アンドロイドのように どんどんニュートンの人物像を詳しく捉えられるようになるだろう。
そこで、次の時代には 人間とは何かとの問いが一段と進み、どんどん新しい世界が拓けてくるだろう。
医師や料理の分野などあらゆる分野に進出してくるのではないだろうか。 一言で言えば、人間がなすことの多くを人工知能が行う時代の到来である。 
アンドロイドなどの精密な存在は、人間の精神を不滅の存在ならしめ、また、既に生物的な存在を 受精卵や精子の保存で永続化させる生物学は すでに確立している。
盆に先祖さまを偲びたいと発想する場面では、 既にアンドロイドのような存在で生存中の多くを追想できると同時に相当な会話さえできる時代が近づきつつある。歌い手さんの素晴らしい情景は、さながら生存中と変わらないように再現も会話、対話も可能な時代を迎えている。ひと昔前、あの世と考えられた多くは人工知能の発達によってこの世の存在と区別できないような 状況を迎えている。消えて行った膨大な世界が何時でも再現出来て 現存在になり得る時代とは 一体どのように考えれば良いだろうか。あらゆる情報が整理され保存され、それが生命体のように生き生きと現れる時代である。- その時、人間はとてつもなく広い世界を覗ける時代で、自由の限りない拡大である。自我をしっかりさせ、情報、世界の選択による 統一的な存在として、我は何者かと絶えず問い続けることが重要になるだろう。 ― 広大な一面に御馳走の山を見たとき、自分に合った適切な食を選択しなければならないようにである。
大きな課題で混乱しそうであるが、従来、あの世とこの世は結構区別がついていた時代であったが、あの世とは この世の情報のことで、それらが再現されることで、2つの世界は混然一体の存在になりつつある。ピラミッドやミイラ、多くの記念碑は空しくなり、新しい時代に大きな変化を遂げる時代が 近づきつつある。― 遺族を偲ぶ盆の習慣など、遺族の方と会話さえでき、何でも想い出を再現できる時代の到来である。お墓とは、図書館の変形のような存在になる時代である。10年後、20年後に意見を表明できるシステムさえ確立している。
この世もあの世もこの世の情報であるが、 それらの中には想像によって作られた虚像、場合によっては意図的に作られた虚構も多いので、1個の人間はそれらの中で生きていく意味をしっかりさせていく必要がある。生きるということは どのようなことで、生きている意義とは何かと問い続ける必要がある。人間にとって真に意味のあること、価値あることとは何だろうか。多くの希望、願いが叶えられる時代とは 人間にとってどうなるだろうか。

ダ・ヴィンチの名言 格言|無こそ最も素晴らしい存在
                     
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
                           
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
                                                          
ベーダ・ヴェネラビリス(アイルランドの神学者)

数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
P199より

Please look the papers:
Reality of the Division by Zero z/0=0
DOI:
10.12732/ijam.v27i2.9.

Albert Einstein:

Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.

George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
無限遠点は、実は数で0で表されていた。

地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0(628年→2014年2月2日)

リーマン球面における無限遠点は、実は、原点0に一致していました。

地球人はどうして、ゼロ除算1300年以上もできなかったのか? 
2015.7.24.9:10
意外に地球人は知能が低いのでは? 仲間争いや、公害で自滅するかも。
生態系では、人類が がん細胞であった とならないとも 限らないのでは?
Einstein's Only Mistake: Division by Zero
何故ゼロ除算が不可能であったか理由
                                                
1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。

Matrices and Division by Zero z/0 = 0

直線上を どこまでも行ったら、どこに行くでしょうか? 驚くべきことに 行き先があり、意外なところで 止まる。 これすごいことでは? 下記の図をよく見て、美しい解釈を考えてください。
我々の空間は実は そうなっていたと言えると思います。簡単な論文ですが、新らしい世界を拓いている(2016.7.24:06:21): (2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra
& Matrix Theory, 6, 51-58.
DOI:10.12732/ijam.v27i2.9.

ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243254887 #知恵袋_

もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。
2つの0を足しても一つのゼロです:

『ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった』 ⇒ http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12089827553.html …… →ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・ 1+1=2が当たり前のように、

ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 1+1=2が当たり前のように
地球平面説→地球球体説 地球が丸いと考えた最初の人-ピタゴラス
地球を球形であることを事実によって証明しようとした人-マゼラン
地球を球形と仮定して初めて地球の大きさを測定した人-エラトステネス
天動説→地動説:アリスタルコス=ずっとアリストテレスやプトレマイオスの説が支配的だったが、約2,000年後にコペルニクスが再び太陽中心説(地動説)を唱え、発展することとなった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B9 …
何年かかったでしょうか????

1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????


ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート)  https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997

再生核研究所声明 427(2018.5.8): 神の数式、神の意志 そしてゼロ除算

ドキュメンタリー 2017: 神の数式 第2回 宇宙はなぜ生まれたのか
https://www.youtube.com/watch?v=iQld9cnDli4
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第3回 宇宙はなぜ始まったのか
https://www.youtube.com/watch?v=DvyAB8yTSjs&t=3318s
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第1回 この世は何からできているのか
https://www.youtube.com/watch?v=KjvFdzhn7Dc
NHKスペシャル 神の数式 完全版 第4回 異次元宇宙は存在するか
https://www.youtube.com/watch?v=fWVv9puoTSs 
NHKスペシャル 神の数式番組を繰り返し拝見して感銘を受けている。素晴らしい映像ばかりではなく、内容の的確さ、正確さに、ただただ驚嘆している。素晴らしい。
ある物理学の本質的な流れを理解し易く表現していて、物理学の着実な発展が良く分かる。
原爆を作ったり、素粒子を追求していたり、宇宙の生成を研究したり、物理学者はまるで、現代の神官のように感じられる。素粒子の世界と宇宙を記述するアインシュタインの方程式を融合させるなど、正に神の数式と呼ぶにふさわしいものと考えられる。流れを拝見すると物理学は適切な方向で着実に進化していると感じられる。神の数式に近づいているのに 野蛮なことを繰り返している国際政治社会には残念な気持ちが湧いて来る。ロシアの天才物理学者の終末などあまりにも酷いのではないだろうか。世界史の進化を願わざるを得ない。
アインシュタインの相対性理論は世界観の変更をもたらしたが、それに比べられるオイラーの公式は数学全般に大きな変革をもたらした: 

With this estimation, we stated that the Euler formula
$$
e^{\pi i} = -1
$$
is the best result in mathematics in details in: No.81, May 2012 (pdf 432kb)
余りにも神秘的な数式のために、アインシュタインの公式 E= mc^2 と並べて考えられる 神の意志 が感じられるだろう。 ところで、素粒子を記述する方程式とアインシュタインの方程式を融合したら、 至る所に1/0 が現れて 至る所無限大が現れて計算できないと繰り返して述べられている。しかしながら、数学は既に進化して、1/0=0 で無限大は 実はゼロだった。 驚嘆すべき世界が現れた。しかしながら、数学でも依然として、rがゼロに近づくと 無限大に発散する事実が有るので、弦の理論は否定できず、問題が存在する。さらに、形式的に発散している場合でも、ゼロ除算算法で、有限値を与え、特異点でも微分方程式を満たすという新しい概念が現れ、局面が拓かれたので、数学者ばかりではなく、物理学者の注意を喚起して置きたい。
物理学者は、素粒子の世界と巨大宇宙空間の方程式を融合させて神の方程式を目指して研究を進めている。数学者はユークリッド以来現れたゼロ除算1/0と空間の新しい構造の中から、神の意志を追求して 新しい世界の究明に乗り出して欲しいと願っている。いみじくもゼロ除算は、ゼロと無限大の関係を述べていて、素粒子と宇宙論の類似を思わせる。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば 神の意志 を知りたいということである。 そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。 ゼロ除算の研究状況は、
数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられている:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
また、ohttp://okmr.yamatoblog.net/ に 関連情報がある。
以 上

\title{\bf Announcement 448:\\  Division by Zero;\\
 Funny History and New World}
\author{再生核研究所}
\date{2018.08.20}

ゼロ除算の論文が2編、出版になりました:

ICDDEA: International Conference on Differential & Difference Equations and Applications
Differential and Difference Equations with Applications
ICDDEA, Amadora, Portugal, June 2017
• Editors

• (view affiliations)
• Sandra Pinelas
• Tomás Caraballo
• Peter Kloeden
• John R. Graef
Conference proceedingsICDDEA 2017

log0=log∞=0log⁡0=log⁡∞=0 and Applications
Hiroshi Michiwaki, Tsutomu Matuura, Saburou Saitoh
Pages 293-305

Division by Zero Calculus and Differential Equations
Sandra Pinelas, Saburou Saitoh
Pages 399-418
とても興味深くみました: ゼロ除算(division by zero)1/0=0、0/0=0、z/0=0 2018年05月28日(月) テーマ:数学 これは最も簡単な 典型的なゼロ除算の結果と言えます。  ユークリッド以来の驚嘆する、誰にも分る結果では ないでしょうか? Hiroshi O. Is It Really Impossible To Divide By Zero?. Biostat Biometrics Open Acc J. 2018; 7(1): 555703. DOI: 10.19080/BBOJ.2018.07.555703 ゼロで分裂するのは本当に不可能ですか? - Juniper Publishers ↓↓↓ https://juniperpublishers.com/bboaj/pdf/BBOAJ.MS.ID.555703.pdf ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所   2014年2月2日

ゼロ除算の発見はどうでしょうか:
Black holes are where God divided by zero:

再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12287338180.html

1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12272721615.html
Division By Zero(ゼロ除算)1/0=0、0/0=0、z/0=0
ゼロ除算(ゼロじょざん、division by zero)1/0=0、0/0=0、z/0=0

ソクラテス・プラトン・アリストテレス その他
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12328488611.html

ドキュメンタリー 2017: 神の数式 第2回 宇宙はなぜ生まれたのか
https://www.youtube.com/watch?v=iQld9cnDli4
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第3回 宇宙はなぜ始まったのか
https://www.youtube.com/watch?v=DvyAB8yTSjs&t=3318s
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第1回 この世は何からできているのか
https://www.youtube.com/watch?v=KjvFdzhn7Dc
NHKスペシャル 神の数式 完全版 第4回 異次元宇宙は存在するか
https://www.youtube.com/watch?v=fWVv9puoTSs

再生核研究所声明 411(2018.02.02):  ゼロ除算発見4周年を迎えて
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12348847166.html

再生核研究所声明 416(2018.2.20):  ゼロ除算をやってどういう意味が有りますか。何か意味が有りますか。何になるのですか - 回答
再生核研究所声明 417(2018.2.23):  ゼロ除算って何ですか - 中学生、高校生向き 回答
再生核研究所声明 418(2018.2.24):  割り算とは何ですか? ゼロ除算って何ですか - 小学生、中学生向き 回答
再生核研究所声明 420(2018.3.2): ゼロ除算は正しいですか,合っていますか、信用できますか - 回答

2018.3.18.午前中 最後の講演: 日本数学会 東大駒場、函数方程式論分科会 講演書画カメラ用 原稿
The Japanese Mathematical Society, Annual Meeting at the University of Tokyo. 2018.3.18.
https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12361744016.html より
再生核研究所声明 424(2018.3.29):  レオナルド・ダ・ヴィンチとゼロ除算
再生核研究所声明 427(2018.5.8): 神の数式、神の意志 そしてゼロ除算

Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
私は数学を信じない。 アルバート・アインシュタイン / I don't believe in mathematics. Albert Einstein→ゼロ除算ができなかったからではないでしょうか。
1423793753.460.341866474681

Einstein's Only Mistake: Division by Zero


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