2018年8月30日木曜日

安倍一強の時代にリベラル・左派はどうあるべきか 気鋭の社会学者のメッセージ

安倍一強の時代にリベラル・左派はどうあるべきか 気鋭の社会学者のメッセージ

ロスジェネのその後、ネトウヨ化した世界、リベラル・左派の混迷。『終わらない「失われた20年」嗤う日本の「ナショナリズム」・その後』は、論壇も現代思想も終焉を迎えるなかで敢然と言論戦を挑む気鋭の社会学者のメッセージが込められた一冊だ、今回は著者の北田暁大さんに、同著に込めた思いを聞く。

*  *  *
 ネトウヨ的世界観が社会を席巻し、安倍1強が続く中、リベラル・左派は対抗軸としての役割を示し得ているのか。一方、中年となった「ロスジェネ世代」は見捨てられた世代だといわれる。果たしてバブル崩壊以降の「失われた20年」は終わったのか。

 本書は、「論壇」も「現代思想」も終焉した時代にあって、知識人のあり方を問い、アベノミクスや格差社会と真に対決するソーシャルリベラリズムという観点で左派の復権を説いた、気鋭の社会学者・北田暁大さんの論考・対談・鼎談・往復書簡をまとめたものだ。

「失われた20年の直撃を一番受けたのが今の40代の女性たちではないか。就職氷河期に直面して、(特に非正規労働者や母子家庭は)労働条件の悪い苦しい時代を生きてきたにもかかわらず『自分勝手』といった的外れな言われ方もされてきた。そもそも論壇とは本来、そうした人たちに希望の言葉を紡ぐことでなければならないはずです」

 2015年の安保法制反対では団塊世代と現役学生たちの共闘が脚光を浴びたが、その敗北後に何が到来したのか。北田さんは少なからぬリベラル・左派知識人の言動に違和感を抱く根拠をこう語る。

「安保法制が通ったからといって日常生活が変わったわけではないし、モリ・カケも自分の財布に影響しない。消極的な安倍政権支持の一番大きな要素は経済です。だからこそリベラル・左派は政治的な課題として経済に踏み込むべきなのに、相変わらず低成長と相互扶助でよしとする考え方に安住している。それではネオリベに負けますよ」

 本書の第I部「社会的シニシズム=脱成長派と対峙する」では、上野千鶴子氏への(対談も含め)批判的論考を通して展開、左派論客の多くが成熟社会論=清貧の思想にしがみついていると指摘する。注目は第II部でのブレイディみかこ氏との往復書簡。反緊縮左派という選択肢が説得力をもって伝わってくる。さらにもう一つ興味深いのが、都市と格差を論じた橋本健二氏、原武史氏との鼎談である。

「東京は、東側と西側の世界が違い過ぎる。文化階層や貧困の問題と地域格差は密接に関わってくる。私は荒川区に住んでいますが、地元の喫茶店の会話から聞こえてくるような言葉から、問題を可視化して処方箋を示すことが社会学者の役割だと思います」

 言論戦は市井に届いてこそ真価が試される。北田ファイトは終わらない。

(ライター・田沢竜次)

AERA 2018年9月3日号https://dot.asahi.com/aera/2018082900033.html?page=1
 
再生核研究所声明 123 (2013.8.18): 日本国の自立を求めて ー なぜ自立を求めるか -それは、 日本の固有の美しい文化を維持、発展させるためである

(2013.8.10.08:35 再生核研究所代表と電車の中で話しているときに、突然、自然に構想が湧いたものである)

植民地支配を受けた多くの国が、文化面ばかりではなく、経済的にも豊かになり、反って植民地支配の恩恵を受けているようにみえる状況は 広く見られる。このような場合、 自立とか、独立は 反って変な状況をもたらす面も無いとは言えない。もし悪い政府に帰属されれば、そのような存念を一層深めるのではないだろうか。
日本国とて、敗戦によって、自由と民主主義が与えられ、女性の解放、多くの良き明るい文化をもたらされた面は多く、そのような点では 戦勝国アメリカに対する、謝意と敬意を抱くのは当然である。
しかしながら、日本国は より自立した国家を目指すべきである。その主な理由を 簡潔に纏めてみたい。
アメリカに一層従属していれば、戦後アメリカが侵してきた軍事面での失政に 同盟国としての参戦 あるいは、軍事的な貢献は 実際避けられなかったろう。ベトナム戦争、その後におけるアラブにおける軍事介入など、アメリカの大義なき戦争への参戦である。すなわち、アメリカに対する盲目的な従属は危険であり、命も 経済面での損失も計り知れない犠牲を強いられたであろう。- ここで、アメリカと一緒に 軍事、経済を同盟国として、一緒に進めたいという考えには 一理あると考えるが、再生核研究所の志向は、自立した国家として、適切に助言し、共に世界史の進化を志向しようとの考え方である(再生核研究所声明 25:日本の対米、対中国姿勢の在りようについて)。アメリカ国民にとっても、上記ベトナム戦争や、アラブ軍事介入などは望ましいものではなく、そのような愚かな方向に行かないように同盟国として、頼られ、信頼される国家たるを目指すべきである。
上記のように敗戦によって、大きな明るい文化がもたらされたことは高く評価されるが、他方、ここ60年を越えて、日本固有の美しい文化が侵され、競争社会、評価主義などがグローバリゼーションの名の下に広範な影響を受けて、日本社会が暗い、悪い方向に向いている状況が 顕著に出てきている。
対アメリカと比較すれば、多くは、日本社会や日本文化の方が優れているのに、反って悪い社会や低質な文化を受け入れているように見える。
現在のような 従属的な在りようを続ければ、どんどん日本の美しい文化が侵され、日本国の 日本国たるもの を失ってしまうのではないかと危惧される。
しかるに、少しでも自立した真面な国家を志向しようとしたら、マスコミを始め、検察や言論界など政界に圧力をかけて、アメリカ従属姿勢を志向し、日本国の自立を自ら放棄しているように見えるのは はなはだ残念である。
当たり前の、自立した真面な国家を目指そうではないか。そのような方向で、世界史の進化を志向し、世界に貢献していきたい。 基本は、平和憲法の精神で、平和憲法の維持によってできると考える。

以 上

付記:
3.30 美しい国、日本(2008/2/11):

今日は、建国記念日です。日本には、世界に誇るべき美しい文化と人類を導く良い考え方があると思います。 多額の借金と少子化及び教育の荒廃によって、このままいくと日本国は、衰退の道を辿る事にならないでしょうか。 何とか、日本国の再生を期したいと思います。 もちろん、日本国の神話は大事にすべきではないでしょうか。

美しい国、日本

日本は美しい島国です。
豊かな水で多くの川が流れています。
日本には山が多く、山々は緑に覆われ、また雪に覆われたりしています。

日本の空と海は美しく、多くの詩と夢を育んできました。
日本は大きなひとつの家族のようで、みんな一緒に助け合ってきました。
言葉がなくてもお互いに理解でき、細長い国のため、四季とともに多様性にとんでいます。

日本には天皇陛下がおられて、家々の氏神様の頂点におります。 
天皇陛下のおられる皇居は 日本の美しいものの、心の源になっています。
ですから先の大戦では 天皇のお言葉一つで 完全なる終戦を迎えることができたのです。

京都は千年をこえる日本の都でしたので、日本人の故郷です。
多くの人は京都を訪れて、故郷に帰ったような不思議な郷愁を感じるのです。
伊勢は古代からより古い日本人の故郷です。ですから日本の首相は新年にまず伊勢神宮を参拝するのです。

日本の文化には 自然とともにある繊細さがあります。俳句や和歌を多くの人々が愛でて、人に優しく気遣いができるのです。遠くのインドのお釈迦様の教えや中国の孔子様の教えが、美しい風土からうまれた神道と共に溶け込んでいるのです。

これが世界に唯一つしかない 美しい日本国です。
 
GHQから「日本の将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使用するので、これは捕虜の虐待ではないか」と問われた升田は次のように反論する。
「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。常に全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに仕事場を与えようという思想である。しかも敵から味方に移ってきても、金は金、飛車は飛車と元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」
格好良すぎるぞ。升田幸三!

日本の借金、初めて1000兆円超える
http://www.afpbb.com/article/economy/2961007/11157482

日本の政党は「腐敗している」80%(独NGO調査)
アメリカから自立しようとする政治家を、Y新聞グループや
T地検特捜部を使って、日本人自身の手で葬り去るやり方は
欧米の植民地支配そのもの
この状態から抜け出すのは不可能 

再生核研究所声明 23 (2009/04/02):           
秘書の逮捕、起訴事件における検察庁の対応と公正の原則
                                       
先の参議院選挙の結果 与野党の歴史的な逆転が生じ、小沢氏を中心とする政権交代の機運が高まっていた折り、小沢氏の秘書の逮捕、起訴事件が起きた。この件について、素朴な疑念を感じざるを得ない。なぜこの段階における逮捕、起訴かの問題である。
 検察庁は 長い間の 多額の企業献金は無視できないと述べているが、これは、不正を黙認、認めてきたことを示しており、もしそうならば、そのようなことは 許されることと理解するのは、慣例、普通である。検察庁は法を守る立場であるから、長期や多額になる以前に 事情聴取などをして 注意を喚起すべきである。これでは わざわざ犯罪を犯すのを待っていて、逮捕を意図的にしていると考えるのは 当然である。
立法府の責任ある野党の党首が 法に反していないと判断されている事情は、法の解釈によって異なる点があることを示している。それでは、逮捕する以前に、多年にわたる以前に、事情聴取などして、法の精神や解釈をすり合わせ、違法な状態が拡大しないように配慮するのは 法の番人たる検察庁の義務であり、在りようであると考える。小沢氏側は お金をすべて公開していること、これは重要な点である。 これは少なくとも小沢氏側は 公明正大にお金を集めていることを天下に示している。 闇にお金が動いていたのとは 全然違う状態である。
われわれは より良い社会を作るには どのようにすれば良いかと考察して、次のように考えている: どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。 一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。

平成12年9月21日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。

1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。
3) それはみんなに受け入れられるか。 
4) それは安定的に実現可能か。

これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。

また、こういうことを考える教育は、人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし、環境の保全などにも貢献すると思います。(再生核研究所声明1抜粋)
これは、社会の秩序をうまく保ち、美しい社会を築く原理として考えたものであるが、 今回の事件は、1)にも2) にも抵触すると考える。永年放置すれば、それは慣習、習慣として、許されるものと考えるのは当然である。そうでなければ、忠告や警告をして、法の精神を徹底させるのは 法の番人たる検察庁の義務である。いきなり逮捕では乱暴な処置と考える。このようなことでは 日本人はいつ突然逮捕されるか分らず、人々は安心して生活ができなくなってしまう。さらに、政権交代が話題となり、総選挙が間近に迫っている時の このような事件は 3)にも抵触すると考える。政権交代は 国家権力の移行であり、野党の党首の役割は 極めて大きな社会的な存在である。逮捕、起訴事件が最近、実際に示しているように、大きな影響を社会に与えるからである。このような事で、小沢氏が代表辞任となれば、結果的には 検察庁が直接政治を動かしたという重い事実が 歴史に残る事になる。逮捕、起訴の適否は やがて裁判によって決着が付けられるが、その時にはもはや結果によらずに、歴史は動いてしまうという 極めて重い責任を考えれば、 3)に著しく抵触すると考えざるを得ない。
国家権力が、軍事、検察、裁判、教育、官僚機構、経済界、マスコミなど広範に影響を及ぼすのは いわば普遍的(不変的)な事実(真実)である。従って、主権者たる国民は 国家権力がいろいろな悪い癒着構造を起こしていないか否かを絶えず検証し、警戒することは重要であり、マスコミなども民主主義が衆愚政治に陥らないように 国民とともに真剣に歩むことが期待される。ところが、マスコミなども、物事の本質と重要性を曖昧にして 軽薄な議論、論調、扱いが多いと言わざるを得ない。今回の事件は極めて重要な事件であり、日本国民は、日本国の民主主義が言論の自由を確かに保証し、法の番人で、公正と正義を実現させる国家の中枢である検察庁が 適切に機能しているか否かを、また、日本国民が真に国家の主権者であるか否かを厳しく、検証すべきである。 以上
(附記)
3.30 美しい国、日本(2008/2/11):

今日は、建国記念日です。日本には、世界に誇るべき美しい文化と人類を導く良い考え方があると思います。 多額の借金と少子化及び教育の荒廃によって、このままいくと日本国は、衰退の道を辿る事にならないでしょうか。 何とか、日本国の再生を期したいと思います。 もちろん、日本国の神話は大事にすべきではないでしょうか。

美しい国、日本

日本は美しい島国です。
豊かな水で多くの川が流れています。
日本には山が多く、山々は緑に覆われ、また雪に覆われたりしています。

日本の空と海は美しく、多くの詩と夢を育んできました。
日本は大きなひとつの家族のようで、みんな一緒に助け合ってきました。
言葉がなくてもお互いに理解でき、細長い国のため、四季とともに多様性にとんでいます。

日本には天皇陛下がおられて、家々の氏神様の頂点におります。 
天皇陛下のおられる皇居は 日本の美しいものの、心の源になっています。
ですから先の大戦では 天皇のお言葉一つで 完全なる終戦を迎えることができたのです。

京都は千年をこえる日本の都でしたので、日本人の故郷です。
多くの人は京都を訪れて、故郷に帰ったような不思議な郷愁を感じるのです。
伊勢は古代からより古い日本人の故郷です。ですから日本の首相は新年にまず伊勢神宮を参拝するのです。

日本の文化には 自然とともにある繊細さがあります。俳句や和歌を多くの人々が愛でて、人に優しく気遣いができるのです。遠くのインドのお釈迦様の教えや中国の孔子様の教えが、美しい風土からうまれた神道と共に溶け込んでいるのです。

これが世界に唯一つしかない 美しい日本国です。
 
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
日本の債務は2015年度に1000兆円(内閣府)


米要人に「小沢一郎には気をつけろ」 ウィキリークスで漏れた「前原発言」
The Kennedy touch: Ambassador helps Toyota exec go free http://usat.ly/1Mf97mZ @usatodayさんから

民主党解党を画策の前原、細野、長島の本音は安保法制推進! 背後に米国ジャパンハンドラーとの癒着が



アメリカから自立しようとする政治家を、Y新聞グループや
T地検特捜部を使って、日本人自身の手で葬り去るやり方は
欧米の植民地支配そのもの
この状態から抜け出すのは不可能 

白人の奴隷になるのは黄色人種の宿命
むしろ喜びに感じる日本人は多いと思うぞ
人種の優劣はこれは仕方ない 

独占発掘! 田中角栄・幻のインタビュー「角栄は、米国にハメられた。ロッキード事件は無実だった」田原総一朗


再生核研究所声明287(2016.02.12) 神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算
(最近 相当 ゼロ除算について幅広く歴史、状況について調べている。)
ゼロ除算とは ゼロで割ることを考えることである。ゼロがインドで628年に記録され、現代数学の四則演算ができていたが、そのとき、既にゼロで割ることか考えられていた。しかしながら、その後1300年を超えてずっと我々の研究成果以外解決には至っていないと言える。実に面白いのは、628年の時に、ゼロ除算は正解と判断される結果1/0=0が期待されていたということである。さらに、詳しく歴史を調べているC.B. Boyer氏の視点では、ゼロ除算を最初に考えたのはアリストテレスであると判断され、アリストテレスは ゼロ除算は不可能であると判断していたという。― 真空で比を考えること、ゼロで割ることはできない。アリストテレスの世界観は 2000年を超えて現代にも及び、我々の得たゼロ除算はアリストテレスの 世界は連続である に反しているので受け入れられないと 複数の数学者が言明されたり、情感でゼロ除算は受け入れられないという人は結構多い。
数学界では,オイラーが積極的に1/0 は無限であるという論文を書き、その誤りを論じた論文がある。アーベルも記号として、それを無限と表し、リーマンもその流れで無限遠点の概念を持ち、リーマン球面を考えている。これらの思想は現代でも踏襲され、超古典アルフォースの複素解析の本にもしっかりと受け継がれている。現代数学の世界の常識である。これらが畏れ多い天才たちの足跡である。こうなると、ゼロ除算は数学的に確定し、何びとと雖も疑うことのない、数学的真実であると考えるのは至極当然である。― ゼロ除算はそのような重い歴史で、数学界では見捨てられていた問題であると言える。
しかしながら、現在に至るも ゼロ除算は広い世界で話題になっている。 まず、顕著な研究者たちの議論を紹介したい:

論理、計算機科学、代数的な体の構造の問題(J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker)、
特殊相対性の理論とゼロ除算の関係(J. P. Barukcic and I. Barukcic)、
計算器がゼロ除算に会うと実害が起きることから、ゼロ除算回避の視点から、ゼロ除算の研究(T. S. Reis and James A.D.W. Anderson)。
またフランスでも、奇怪な抽象的な世界を建設している人たちがいるが、個人レベルでもいろいろ奇怪な議論をしている人があとを立たない。また、数学界の難問リーマン予想に関係しているという。

直接議論を行っているところであるが、ゼロ除算で大きな広い話題は 特殊相対性理論、一般相対性理論の関係である。実際、物理とゼロ除算の関係はアリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインの中心的な課題で、それはアインシュタインの次の意味深長な言葉で表現される:

Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1.    Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

数学では不可能である、あるいは無限遠点と確定していた数学、それでも話題が尽きなかったゼロ除算、それが予想外の偶然性から、思いがけない結果、ゼロ除算は一般化された除算,分数の意味で、何時でも唯一つに定まり、解は何時でもゼロであるという、美しい結果が発見された。いろいろ具体的な例を上げて、我々の世界に直接関係する数学で、結果は確定的であるとして、世界の公認を要請している:
再生核研究所声明280(2016.01.29)  ゼロ除算の公認、認知を求める
Announcement 282: The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday

数学基礎学力研究会のホームページ

以 上


何故ゼロ除算が不可能であったか理由

1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。

Matrices and Division by Zero z/0 = 0

再生核研究所声明290(2016.03.01) 神の隠し事、神の意地悪、人類の知能の程
オイラーの公式 e^{pi i}= -1 は最も基本的な数、-1, pi, i, eの4つの数の間の簡潔な関係を確立させているとして、数学とは何かを論じて、神秘的な公式として、その様を詳しく論じた(No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 -ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。)。
余りにも深い公式なので、神の人類に対する意地悪かと表現して、神は恥ずかしがり屋で、人類があまりに神に近づくのを嫌がっているのではないかと発想した。
ここ2年間、ゼロ除算を発見して、ゼロ除算の実在性は確信できたが、ゼロ除算の神秘的な歴史(再生核研究所声明287(2016.02.13)神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算)とともに、誠に神秘的な性質があるので その神秘性に触れたい。同時に これを未解決の問題として世に提起したい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えるであるが、アリストテレス以来問題とされ、ゼロの記録がインドで初めて628年になされているが、既にそのとき、正解1/0が期待されていたと言う。しかし、理論づけられず、その後1300年を超えて、不可能である、あるいは無限、無限大、無限遠点とされてきたものである。天才オイラーの無限であることの証明とその誤りを論じた論文があるが、アーベル、リーマンと継承されて現在に至る。他方極めて面白いのは、アリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインで問題にされ、下記の貴重な言葉が残されている:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1.    Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

現在、ゼロ除算の興味、関心は 相対性の理論との関係と、ゼロ除算が計算機障害を起すことから、論理の見直しと数体系の見直しの観点にある。さらに、数学界の難問、リーマン予想に関係していると言う。
ゼロ除算の神秘的な歴史は、早期の段階で ゼロ除算、割り算が乗法の逆で、不可能であるとの烙印を押され、確定的に、 数学的に定まった と 人は信じてしまったことにあると考えられる。さらに、それを天才達が一様に保証してきたことにある。誠に重い歴史である。
第2の要素も、極めて大事である。アリストテレス以来、連続性で世界を考える が世界を支配してきた基本的な考え方である。関数y=1/x の原点での値を考えるとき、正方向、あるいは 負方向からゼロに近づけば、正の無限や負の無限に近づくのをみて、ゼロ除算とは無限の何か、無限遠と考えるのは極めて自然で、誰もがそのように考えるだろう。
ところが、結果はゼロであるというのであるから、驚嘆して、多くの人は それは何だと顔さえしかめたものである。しばらく、話さえできない状況が国際的にも一部の友人たちの間でも1年を超えても続いた。 そこで、最近、次のような文書を公表した:

ゼロ除算についての謎 ― 神の意思は?:
ゼロ除算は数学的な真実で、我々の数学の基本的な結果です。ところが未だ、謎めいた現象があり、ゼロ除算の何か隠れた性質が有るように感じます。それはギリシャ、アリストテレスの世界観、世の連続性を否定し、強力な不連続性を表しています。強力な不連続性は普遍的に沢山あることが分かりましたが、肝心な次の等角写像での不連続性が分かりません:複素関数
W = z+ 1/z
は 単位円の外と内を [-2,+2] を除いた全複素平面上に一対一上へ等角に写します。単位円は[-2,+2]を往復するようにちょうど写ります。単位円が少しずれると飛行機の翼の断面のような形に写るので、航空力学での基本関数です。問題は、原点が所謂無限遠点に写っているということです。ところがゼロ除算では、無限遠点は空間の想像上の点としては考えられても、数値では存在せず、数値としては、その代わりに原点ゼロで、それで原点に写っていることになります。それで強力な不連続性を起こしている。
神が、そのように写像を定めたというのですが、何か上手い解釈が有るでしょうか?
神の意思が知りたい。
2016.2.27.16:46
既に 数学における強力な不連続性は 沢山発見され、新しい世界観として定着しつつあるが、一般の解析関数の孤立特異点での確定値がどのような意味があり、なぜそのような不連続性が存在するのかは、神の意思に関わることで、神秘的な問題ではないだろうか。 神秘の世界があることを指摘して置きたい。 
以 上
Matrices and Division by Zero z/0 = 0


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