2018年2月11日日曜日

(25.9.26) NHK 神の数式その2 「宇宙はなぜ生まれたか」

(25.9.26) NHK 神の数式その2 「宇宙はなぜ生まれたか」

218_054 

 本件は「神の数式」その1の続きです。その1は以下参照。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/nhk-1793.html

 だから言わんこっちゃないという状況になってきた。NHKが放送した「神の数式」シリーズをブログに掲載することである。
もともと私は物理学に弱い。全く分からないといったほうが早いのだがNHKが「神の数式、 宇宙はなぜ生まれたか」という番組を放映したために無理してでも書かざる得なくなった。
その1」を記載した以上「その2」を書かないと何とも片手落ちになり、精神が安定しないからだ。
 この番組に登場する理論物理学者とは頭脳と数式だけで宇宙の始まりを解き明かそうとする人たちだが、数式は神によって授けられており、それを数学者が発見する試みだと思われている。
神の意志を知る試みだから何か一種の宗教みたいだ。
 この神の数式へのアプローチは二つあって一つは素粒子の存在とその運動を完全に説明できる素粒子理論(標準理論ともいう)と、もう一つはアインシュタインが発見した重力の数式、いわゆる一般相対性理論だという。
素粒子理論はミクロの世界を記述している数式で一方一般相対性理論はマクロの世界を記述している数式である。
素粒子理論については私は全く知らなかったが、一般相対性理論は何回か聞いたことがある。
簡単に言うと「重さやエネルギーがあると空間が歪む」ということで、太陽の周りの空間は歪んでいるので太陽の背後にある星の光がまがって地球に届くはずだとアインシュタインは予言した。
この予言は皆既日食の観測で見事に証明されたので空間が歪んでいることはその後の世界の常識になった。
 この一般相対性理論によれば究極に小さな星がありその重さが極端に重い場合は、歪みは底なしになってすべての物を吸い込むブラックホールになっていると考えられた。
一般相対性理論からブラックホールが導き出されたのだ
だがここには一つの難問が横たわっていたのだそうだ。車いすの天才物理学者ホーキングが提出した難問で、「もし物質が究極的に微少で素粒子間の距離がゼロならば空間のゆがみは計算できない」という難問だった。
一般相対性理論では空間のゆがみはブラックホールとの底との距離の3乗に逆比例すると考えられたが、距離がない以上分母がゼロになって計算不能に陥るからだ。

世の中でこの分母0の問題ほど不思議な問題はない。私が中学で数学を学んだ時にゼロで割ってはならないと何回も教えられたが、どうしてもその理由が分からなかった。
「なぜ数学ではゼロで割れないのだろうか・・・これは数学の欠陥なのではなかろうか・・・・・」
今でも不思議だが、数式の計算で分母にゼロが現れるとその時点で数式が不能に陥り意味をなくしてしまう。
完璧と思われる数学の唯一と言っていい欠点はこの分母ゼロの問題だ。
ホーキングが言ったのはブラックホールの底では一般相対性理論が成り立たないのだから、これは完全な数式(神の数式)ではないということだ。
この難問の解決には一般相対性理論に素粒子の標準理論を結合させる手法が有効ではないかと考えられた。なぜならブラックホールの底は完全に微粒子がこちこちに固まった場所と考えられたからだ
だがどのように計算しても分母にゼロが現れ計算不能になってしまい、この結合は失敗だと思われた。
だめだ、一般相対性理論と素粒子理論は何の関係もない」ほとんどの物理学者が匙を投げてしまった。

 この分母ゼロの問題を解決したのが若き研究者だったジョン・シュワルツジョエル・シャークでその理論は超弦理論といわれた。
私などは超弦理論と言われても何のことか知らなかったが、素粒子は点ではなく震えるゴムのような輪っかだという理論である。
もし輪っかであればブラックホールの底との距離はいくらか間が空いておりゼロでないので一般相対性理論はブラックホールの底でも成り立つという理屈になる。

 これによりホーキングが提唱した分母ゼロの問題は解決するのだが、この超弦理論には新たな難問が発生した。
ゼロでないことは分かったが、しかし超弦理論による一般相対性理論と素粒子理論を結合させた計算結果は10次元になることだった。
この世界は4次元なのに超弦理論による計算の世界は10次元になってしまうよ。後の6次元はどこにあるの、シュワルツさん
シュワルツは多くの物理学者から嘲笑されたという。
 これに対しシュワルツは何度も計算をやり直しついに次の結論に達した。
この世界が4次元に見えるが、実際は隠された次元がありそれは超ミクロの世界に存在するために通常は見ることができない
このシュワルツの計算は今で理論物理学者の常識になっており、宇宙は10次元(最新の計算では11次元)でその存在をSERNの研究所で実験によって確かめる試みが現在行われている。
 しかし超弦理論による神の数式になお疑問を提示したのがホーキングで、それはホーキングのパラドックスと言われた。
ブラックホールの底では粒子が全く動かないのに、計算上熱が発生するのはなぜか
超弦理論での説明にまだ矛盾があるとの指摘に、世界の物理学者は頭を抱えた。
確かに動けなければ熱は発生しない・・・・・・・・・・

注)私はこの番組を見てホーキングは相当の皮肉屋だと思った。
 これ難題を解決したのはポルチンスキーで弦は個別にあるのではなく膜のようになっており膜の隙間を弦が動き回っている(ただしこの説明は私には理解不能だった)。したがってブラックホールの底で熱が発生するのだというのだ。
かくして現在「神の数式」にもっとも近い数式は超弦理論による一般相対性理論と標準理論の結合だとされている。

 これによって完全に宇宙の始まりは説明されたのだろうか。私にはさっぱり分からないが物理学者は相当程度「神の数式」に近づいたと自信を持っているようだ。

注)本当にNHKには苦労させられる。よくぞこんな番組を制作したと私はあきれ返ってしまった。http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-fdc9.html

とても興味深く読みました:ゼロ除算の発見4周年超えた。

再生核研究所声明 375 (2017.7.21):ブラックホール、ゼロ除算、宇宙論
                        
本年はブラックホール命名50周年とされていたが、最近、wikipedia で下記のように修正されていた:
名称[編集]
"black hole"という呼び名が定着するまでは、崩壊した星を意味する"collapsar"[1](コラプサー)などと呼ばれていた。光すら脱け出せない縮退星に対して "black hole" という言葉が用いられた最も古い印刷物は、ジャーナリストのアン・ユーイング (Ann Ewing) が1964年1月18日の Science News-Letter の "'Black holes' in space" と題するアメリカ科学振興協会の会合を紹介する記事の中で用いたものである[2][3][4]。一般には、アメリカ物理学者ジョン・ホイーラーが1967年に "black hole" という名称を初めて用いたとされるが[5]、実際にはその年にニューヨークで行われた会議中で聴衆の一人が洩らした言葉をホイーラーが採用して広めたものであり[3]、またホイーラー自身は "black hole" という言葉の考案者であると主張したことはない[3]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB

世界は広いから、情報が混乱することは よく起きる状況がある。ブラックホールの概念と密接な関係のあるゼロ除算の発見(2014.2.2)については、歴史的な混乱が生じないようにと 詳しい経緯、解説、論文、公表過程など記録するように配慮してきた。
ゼロ除算は簡単で自明であると初期から述べてきたが、問題はそこから生じるゼロ除算算法とその応用であると述べている。しかし、その第1歩で議論は様々でゼロ除算自身についていろいろな説が存在して、ゼロ除算は現在も全体的に混乱していると言える。インターネットなどで参照出来る膨大な情報は、我々の観点では不適当なものばかりであると言える。もちろん学術界ではゼロ除算発見後3年を経過しているものの、古い固定観念に囚われていて、新しい発見は未だ認知されているとは言えない。最近国際会議でも現代数学を破壊するので、認められない等の意見が表明された(再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告)。そこで、初等数学から、500件を超えるゼロ除算の証拠、効用の事実を示して、ゼロ除算は確定していること、ゼロ除算算法の重要性を主張し、基本的な世界を示している。
ゼロ除算について、膨大な歴史、文献は、ゼロ除算が神秘的なこととして、扱われ、それはアインシュタインの言葉に象徴される:

Here, we recall Albert Einstein's words on mathematics:
Blackholes are where God divided by zero.
I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).

ところが結果は、実に簡明であった:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

しかしながら、ゼロ及びゼロ除算は、結果自体は 驚く程単純であったが、神秘的な新たな世界を覗かせ、ゼロ及びゼロ除算は一層神秘的な対象であることが顕になってきた。ゼロのいろいろな意味も分かってきた。 無限遠点における強力な飛び、ワープ現象とゼロと無限の不思議な関係である。アリストテレス、ユークリッド以来の 空間の認識を変える事件をもたらしている。 ゼロ除算の結果は、数理論ばかりではなく、世界観の変更を要求している。 端的に表現してみよう。 これは宇宙の生成、消滅の様、人生の様をも表しているようである。 点が球としてどんどん大きくなり、球面は限りなく大きくなって行く。 どこまで大きくなっていくかは、 分からない。しかしながら、ゼロ除算はあるところで突然半径はゼロになり、最初の点に帰するというのである。 ゼロから始まってゼロに帰する。 ―― それは人生の様のようではないだろうか。物心なしに始まった人生、経験や知識はどんどん広がって行くが、突然、死によって元に戻る。 人生とはそのようなものではないだろうか。 はじめも終わりも、 途中も分からない。 多くの世の現象はそのようで、 何かが始まり、 どんどん進み、そして、戻る。 例えばソロバンでは、願いましては で計算を始め、最後はご破産で願いましては、で終了する。 我々の宇宙も淀みに浮かぶ泡沫のようなもので、できては壊れ、できては壊れる現象を繰り返しているのではないだろうか。泡沫の上の小さな存在の人間は結局、何も分からず、われ思うゆえにわれあり と自己の存在を確かめる程の能力しか無い存在であると言える。 始めと終わり、過程も ようとして分からない。

ブラックホールとゼロ除算、ゼロ除算の発見とその後の数学の発展を眺めていて、そのような宇宙観、人生観がひとりでに湧いてきて、奇妙に納得のいく気持ちになっている。

以 上

再生核研究所声明 411(2018.02.02):  ゼロ除算発見4周年を迎えて

ゼロ除算100/0=0を発見して、4周年を迎える。 相当夢中でひたすらに その真相を求めてきたが、一応の全貌が見渡せ、その基礎と展開、相当先も展望できる状況になった。論文や日本数学会、全体講演者として招待された大きな国際会議などでも発表、著書原案154ページも纏め(http://okmr.yamatoblog.net/)基礎はしっかりと確立していると考える。数学の基礎はすっかり当たり前で、具体例は700件を超え、初等数学全般への影響は思いもよらない程に甚大であると考える: 空間、初等幾何学は ユークリッド以来の基本的な変更で、無限の彼方や無限が絡む数学は全般的な修正が求められる。何とユークリッドの平行線の公理は成り立たず、すべての直線は原点を通るというが我々の数学、世界であった。y軸の勾配はゼロであり、\tan(\pi/2) =0 である。 初等数学全般の修正が求められている。
数学は、人間を超えたしっかりとした論理で組み立てられており、数学が確立しているのに今でもおかしな議論が世に横行し、世の常識が間違っているにも拘わらず、論文発表や研究がおかしな方向で行われているのは 誠に奇妙な現象であると言える。ゼロ除算から見ると数学は相当おかしく、年々間違った数学やおかしな数学が教育されている現状を思うと、研究者として良心の呵責さえ覚える。
複素解析学では、無限遠点はゼロで表されること、円の中心の鏡像は無限遠点では なくて中心自身であること、ローラン展開は孤立特異点で意味のある、有限確定値を取ることなど、基本的な間違いが存在する。微分方程式などは欠陥だらけで、誠に恥ずかしい教科書であふれていると言える。 超古典的な高木貞治氏の解析概論にも確かな欠陥が出てきた。勾配や曲率、ローラン展開、コーシーの平均値定理さえ進化できる。
ゼロ除算の歴史は、数学界の避けられない世界史上の汚点に成るばかりか、人類の愚かさの典型的な事実として、世界史上に記録されるだろう。この自覚によって、人類は大きく進化できるのではないだろうか。
そこで、我々は、これらの認知、真相の究明によって、数学界の汚点を解消、世界の文化への貢献を期待したい。
ゼロ除算の真相を明らかにして、基礎数学全般の修正を行い、ここから、人類への教育を進め、世界に貢献することを願っている。
ゼロ除算の発展には 世界史がかかっており、数学界の、社会への対応をも 世界史は見ていると感じられる。 恥の上塗りは世に多いが、数学界がそのような汚点を繰り返さないように願っている。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば神の意志を知りたいということである。そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。
4周年、思えば、世の理解の遅れも反映して、大丈夫か、大丈夫かと自らに問い、ゼロ除算の発展よりも基礎に、基礎にと向かい、基礎固めに集中してきたと言える。それで、著書原案ができたことは、楽しく充実した時代であったと喜びに満ちて回想される。
以 上


List of division by zero:

\bibitem{os18}
H. Okumura and S. Saitoh,
Remarks for The Twin Circles of Archimedes in a Skewed Arbelos by H. Okumura and M. Watanabe, Forum Geometricorum.

Saburou Saitoh, Mysterious Properties of the Point at Infinity、
arXiv:1712.09467 [math.GM]

Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
The Descartes circles theorem and division by zero calculus. 2017.11.14

L. P. Castro and S. Saitoh, Fractional functions and their representations, Complex Anal. Oper. Theory {\bf7} (2013), no. 4, 1049-1063.

M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. {\bf 27} (2014), no 2, pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.

T. Matsuura and S. Saitoh,
Matrices and division by zero z/0=0,
Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory, 2016, 6, 51-58
Published Online June 2016 in SciRes. http://www.scirp.org/journal/alamt
\\ http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007.

T. Matsuura and S. Saitoh,
Division by zero calculus and singular integrals. (Submitted for publication).

T. Matsuura, H. Michiwaki and S. Saitoh,
$\log 0= \log \infty =0$ and applications. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics.)

H. Michiwaki, S. Saitoh and M.Yamada,
Reality of the division by zero $z/0=0$. IJAPM International J. of Applied Physics and Math. 6(2015), 1--8. http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

H. Michiwaki, H. Okumura and S. Saitoh,
Division by Zero $z/0 = 0$ in Euclidean Spaces,
International Journal of Mathematics and Computation, 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.

H. Okumura, S. Saitoh and T. Matsuura, Relations of $0$ and $\infty$,
Journal of Technology and Social Science (JTSS), 1(2017), 70-77.

S. Pinelas and S. Saitoh,
Division by zero calculus and differential equations. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics).

S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. {\bf 4} (2014), no. 2, 87--95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/

S. Saitoh, A reproducing kernel theory with some general applications,
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications - Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China, Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, {\bf 177}(2016), 151-182. (Springer) .

再生核研究所声明 408(2018.1.25):  
数学を越えて ― 価値あるものとは

(ゼロ除算の研究に専念してきた物理学者と興味深い議論をしてきた。 それで気づかされた視点である。)
数学の本質論:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
から、最近でも数学についていろいろな意見を表明してきている:
再生核研究所声明 398(2017.11.15): 数学の本質論と社会への影響の観点から - ゼロ除算算法の出現の視点から
再生核研究所声明 399(2017.11.16): 数学芸術 分野の創造の提案 - 数学の社会性と楽しみの観点から
再生核研究所声明 400(2017.11.17): 数学の研究における喜びと嫌な思い
再生核研究所声明 401(2017.11.18): 数学の全体、姿、生命力
再生核研究所声明 402(2017.11.19): 研究進めるべきか否か - 数学の発展
ゼロ除算の研究者は我々の研究グループを除いて世界で大体15名くらいいて、彼らの研究は今でも混乱していると言える。大きく分けると数学の基礎が無くて、論理が通じず、混乱している数学の愛好者たち、ゼロ除算不可能性に満足できず ― この元は多くは計算機がゼロ除算に会うと計算機障害を起こすが、それを回避することに動機がある ― 公理論的に独自の数学を建設している者、そして物理学上の立場からゼロ除算の研究に取り組んでいる者である。この最後のグループとの相当な議論をして感じたことを述べたい。― 尚、我々の研究グループは、内外大体8名である。ゼロ除算は本質的に解明され、基本は既に確定していると考えている。― 我々の存念を繰り返し内外に広く送っているが、上記グループからも批判が寄せられず、我々の主張を相当理解され、認めてきていると判断している。
特に二人の研究者はゼロ除算と物理学の関係を 人生をかけて、研究しているように見えるほど、研究活動が活発である。ところが繰り返し確認しているが、この二人はゼロ除算の定義、0/0の定義は何かとの質問に 定義はないと繰り返し言明している。それで数学者の立場からは議論はできず、論理的に考えられない状況になってしまう。論理的に矛盾であると言っても自分たちの立場を変えようとしないのである。事実は我々の結果に反して0/0=1 であると物理的な裏付けで主張され、数学がおかしいという考えを抱いていることが分かる。物理的な事実は数学を超えていると考えていることが分かる。多くの数学者はこの辺で交流を打ち切るのが 普通ではないだろうか。- 実際、彼らの理論は数学界でも物理学界でも受け入れられていないようである。
そこで、数学についてそのような視点から考えさせられることがある。いろいろな理論が提起されて、いろいろな結果が導かれる。何をもってそれらを評価し、価値あるものと判断できるかという視点である。公理系や論理も、仮定もいろいろ存在して、様々な研究成果が得られている。ここで、評価をどのようにするかである。ある純粋数学者は人類の名誉のためにこの問題を解いたと表現するが、他の人はそんなことは分からず、また興味も関心もないという。興味、関心の前に 結果そのものが分からないは 今や純粋数学ではほとんどであると言えよう。
数学とは何かを論じ、数学とは関係の集まりであるとして、良い結果とは、
基本的であること、
美しく感動させること、
そして 
世の中に良い影響を与えるものとして、
オイラーの公式が数学上の最高の結果であると表現した:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
T. M. Rassias, Editor, Nonlinear Mathematical   Analysis and Applications, HadronicPress,Palm Harbor,FL34682-1577,USA:ISBN1-57485-044-X,1998,   pp.223–234: Nonlinear transforms and analyticity of functions, Saburou Saitoh.

それで、結局は世界史に貢献できる結果こそが良い結果であると言えよう。
上記物理学者に 理論を越えてそれでは貴方の研究成果の効用、価値はどこにあるのかと 問う。すると反作用で、私たちの研究成果の効用、意義はこうであると応えなければならない。言わば、その証拠を分かり易く、明示する必要がある。- この精神で ゼロ除算の新奇な結果の位置づけ、重要性を説明するために 具体的な証拠を沢山探す必要性に迫られた。
数学者は、数学の自由な精神で自由に研究を進めても良いが、評価を求めるためには得た成果の意義、意味、価値を具体的に示すことが要求されると言える。
そこで、ゼロ除算の重要性を示すために多角的な取り組みを始め、いろいろな表現を考え、意見表明を行っている。数学者の名誉のために、人類の名誉ためにである。― 実際、数学には恥ずかしい初歩的な欠陥があると主張している。さらに、人はゼロ除算の真相から、人間の愚かさを自覚することが出来るから、人間の精神の開放に ゼロ除算は大きく貢献できると考えている。
以 上

0 件のコメント:

コメントを投稿